夢に咲く花 27
気が付けば男はいつの間にかいなくなっていた。カウルは仰向けだったのがカダンに背を向けて、マリーも獣ように背中を丸めて体を横たえている。規則的な寝息。完全に寝入っているようだ。
受付はどれだけ進んだろうと立ち上がり、カダンがテントの方を向いた時背後の茂みが揺れた。
通常なら動物か風かと流すところも、今はそれすらも敵じゃないかと神経を尖らせている。風が揺らすのとは違うわずかな音をカダンは聞き逃さなかった。
カダンは注意深く耳を澄ました。
木の実を食べに来た小鳥が枝を揺らしさえずり、風で木の葉が遊ぶ音。50メートル以上離れたテントを囲う、人だかりのピリピリした声。傍で寝ている二人の寝息の他に、茂みの奥から聞こえてくる、潜めた息遣いが一人分。
茂みに足を向けるとその息遣いも一層小さくなる。明らかに茂みに隠れこちらを伺う輩がいる。
まずは一歩踏み出しだ。相手の様子に変化はない。それではと、カダンはできるだけ普通を装い茂みに近づき、いくらか距離を残りで立ち止まった。カダンなら一気に茂みの向こうへ飛び込める距離だ。居場所の見当はついている。
「んー……気のせいか」
カダンは茂みの奥にいる輩にも聞こえるよう、やや大きめの声で言った。後頭部を掻きながら左足を一歩引き、背中を向けるふりをする。
どうやら茂みに隠れている輩は単純なようだ。カダンの一言で緊張を解き、大きく、だか静かに息を吐いた。安心して体の力抜いた瞬間は、どんな屈強な戦士でもいくらかの隙ができるものだ。
カダンは素早く体を反転させ、地面を思いっきり蹴り茂みの向こうへ一気に跳躍した。
茂みの向こう、植木に張り付いている影を見つけた。濃紺のマントを着込み、目深に被ったフードのため、顔は影になってよく見えない。
カダンは跳躍しながら人影に右手を伸ばしマントの首元を掴んだ。そしてそ掴んだまま受け身をとりつつ地面に転がった。カダンがむき出しの地面に仰向けに倒れこみ、ほぼ同時か少し早かったか、相手も地面に引き倒された。
相手は思いもよらないことに受け身も取れず派手に倒れ、驚きのあまり声も出ない。大した怪我は負わなかったものの、頭を打ち付け痛みに堪えながら呆然と目を見開いている。
相手がショックから回復する前にカダンは素早く起き上がり、相手をうつ伏せに転がし両腕を押さえつけ、片腕は背中で捻じった。
茂みの中は当然ながら土が向きだしで、数日前に降ったと思われる雪が木の陰で固まっている。カダンも背中や足の後ろなど、後ろが水分を多めに含む泥に塗れ、白髪にまとわりついた泥が自身の重みで男の背中に落ちた。
「いぃぃぃぃたたたたたたたた!」
相手が動けば絞め、じっとしていれば多少緩めて。初めこそ抵抗したが、数回繰り返すだけで逃げられないと観念したのか、相手はすっかり大人しくなった。今はフードを被ったまま、ぐったりと横向きに顔をぬかるみに埋めている。
この体勢ではわかり難いが、背は双子と同じくらいあるだろう。だが体躯だけで歳を図るのは難しい、性別は男。厚手だが肌触りの良いマントと、土に塗れた中に品の良い石鹸の香りが漂う。貧乏や旅人でなければ、地元民でもない。少なくとも中流以上の宿に泊まれる人物か、それを装う必要のある者だ。
「お前男か?」
「お、男だが、それがどうした」
カダンは男の両腕を右手一本でまとめて押さえつけると、空いた左手で男のフードを取った。男は顔が地面に付かないよう必死に頭をもたげ、フードを取った拍子に長い前髪がこぼれた。フードの下は艶やかな銀色の長髪、尖った耳と、長髪に絡む葉の枯れたツタ。
「種は?」
「見てわからないのか?花人だ」
見てわからないのかと問われれば、当然見てわかる。カダンはニッと笑った。
カダンの目がぼんやり青く光る。言葉に魔力を乗せ、男に暗示をかけるのだ。カダンにとって一番手っ取り早い方法だ。
「そうか、では何者だ?なぜ俺たちを見ていた」
「見ていない。ただの通りすがりだったたたたった!」
男は努めて普通を装っていたが、声は緊張感に包まれていた。声の高低はなだらかになり、声色は明るいが固く若干早口になったか。
どの変化も常人に判別の付かない些細な物だ。しかし、本人も意識していない変化と人魚としての本能がカダンに男の嘘を知らせた。疑惑が確信に変わるが、同時にカダンは警戒心をむき出しにした。
今男が嘘を吐いた。ということは、男はカダンの暗示にかからなかったということだ。
男は初めから暗示にかかりにくい体質か、もしくは予め対魔術防御を施していたかのどちらかだが、体質は種によって決まっている。となると男はあらかじめ対魔術防御を施していたはずで、しかもよほど用心深いのか特殊魔術に対応させている。
人魚の使う暗示はその性質から、特殊魔術に分類され、防ぐには通常とは違う、特殊な防御魔術を使用する。
特殊魔術の使い手は様々な理由から人里に暮らすものはめったにおらず、カダンのようなハーフとて珍しいケースだ。何故必要度の引くい防御魔法を施しているかは想像に難くない。
(俺の暗示が効かない、身なりの良い旅人?気に入らない)
一般人が特殊魔術防御を施す場合は極稀で、仮に上流階級の人間ならばあり得るが、その場合護衛の一人でも連れているはずだ。今のところそれらしき気配はないし、寝ている二人に近づく輩もいない。
森で襲われた時もそうだったが、盗賊や盗人のような輩は綺麗な身なりを好む。襲う相手や周囲の目を欺きやすいからだ。普通の人や上品な衣服で上流階級を装ったりする方が人は簡単に騙しやすいし逃げる時も紛れやすい。
カダンは男が嘘を言ったと解った瞬間に、腕をさらに締め上げた。
「ああああああがあああああ!!!!」
カダンは男が痛がってあげる悲鳴にも眉一つ動かさず、平然と質問を繰り返した。本当はまだ上流階級の変人という線も残っているのだが容赦はしない。
「もう一度聞く。どうして俺たちを見ていた」
「だから、私は何も見ていない。ただここで休んでいただけででででてててててっ!」
「ここは休むにはどう見ても不適格だ。どうしてここに隠れて、俺たちを見ていた」
「……………………」
言葉に魔力を乗せ暗示を繰り返したが、効果がないまま男はついに黙った。嘘を言うわけでもなく、本当のことを言うか躊躇しているのか。腕を通して男の緊張が伝わってくる。
仕掛けてくるなら今か。足を狙ってくるか、それとも魔術で対抗してくるか。どちらにせよ、不審なそぶりを見せるなら、その時はすぐさま腕を捻じり折るだけだ。
「答えろ。どうして俺たちを見ていた」
カダンが再び腕を絞めようと手に力を込めた。緩んでいた男の腕を少しずつ上げていくと、男は低く呻き、わずかに身をよじるが楽になるわけもない。
「あぅ……うう……ぐぅっ」
「早く答えろ。でないと腕が折れるかもしれないな」
苦し気に息を吐く男に頭上から高圧的な台詞が浴びせる。
本当に腕を折るつもりはない。このこのくらい言わないと脅しにならないと思ったのだが、男はカダンの本心を見抜いているのかやはり口を開こうとはしない。
「このまま兵士に突き出すのでも良いな。今はそこら中にいるしな」
何度も重ねた暗示が効いたのか、それとも思い付きの脅しが効いたのか。男はようやく重い口を開いた。
「怪しく見えるかもしれないが、……私は君たちに危害を加えるつもりはない。ただ………」
「ただ?」
「ただ、私は……ここで……」
「ただここで?」
途中で言葉が途切れ、カダンが語尾を繰り返して続きを促しても、同じように語尾を繰り返すだけで続けようとしない。男は首を左右に振っては唸っている。男が首を振る度にマントから髪がこぼれ、白に近い銀髪が泥で黒く染まっていく。
そんな様子を眺めているうちに、カダンは男の耳と頬が赤く染まっているのに気が付いた。




