夢に咲く花 21
空高く、風になびく絹糸のような細長い雲に、どこまでも続く濃い空色はどこか懐かしさを感じる。
冬の日差しは柔らかく、今日の風は冷たくともどこか心地よい。だと言うのに、青い空が愁いを帯びているように感じるのは、眼下に広がる町を映しているからか。
短く刈り揃えられた芝生の広場に挟まれた、道路に面した建物。役所であったはずの建物を前に、カダンたち三人は言葉もなく立ち尽くしていた。
歩道の真ん中に立ったまま動かない三人を、通行人は迷惑そうに避けていくが、三人はまるで目に入っていないようだ。
三人が見つめる古いレンガ造りの建物は、煤けた壁だけを残し黒く焼け、中に見える兵士たちは、誰もが難しい表情で顔を突き合わせている。何があったのか、誰がだって解るだろう。
いつ起こったのかは解らないが、黒く炭となった建物内部からは、一筋の煙も見当たらない。すでに冷え切っている。昨晩は静かなものだった。おそらく火事が起きたのは一昨日以前か。
カダンはそばを通りかかった、上背のある体躯の良い若い男を呼び止めて尋ねた。
頭部に立派な二本の角を持つ、おそらくは山羊族の男。カダンを見下ろし一瞥しただけで、そのまま通り過ぎようとする。
強張った表情からすると、男は急いでいるのかもしれない。それでももう一度引き止めると、男は立ち止まってくれたものの、あからさまに迷惑そうに眉を潜めた。
「三日前に火事があったらしい。役所、留置所、役人の宿舎などが全部焼けたのだ。お前たちは旅人か?もし役所に用事があるのなら、ここの反対の広場に臨時のテントを張っている。そこに向かうと良い」
「留置所に捕えられていた人はどうなったんですか?」
「全員焼け死んだと聞いている。まあ、留置所と言っても、ここにいたのは指名手配されていた、罪状などほぼ決まっていたような極悪人ばかりだ。同情もしてられんな。自分は急ぐのでこれで失礼する」
顔色一つ変えず、男は早口でまくし立てると、礼を言う間もなく足早に去って行った。
「まさか……だろう?」
男が立ち去った後、カウルは顔を青ざめさせて言った。
唇をキュッと噛みしめ、視線をカダンに向けているが、そのカダンも焼けた役所を見つめたまま、言葉なく立ち尽くしている。
そんな中、マリーだけが平静を装って笑ってみせた。
「大丈夫よ、きっと。ここに収監されてたって決まったわけじゃない。それにあれから何もないし、そもそも私たちを狙った奴らじゃないのかも知れないじゃない」
マリーの言葉にカダンとカウルは短く頷いただけ、カウルに至ってはマリーをちらりとも見ずに、地面に視線を落とした。
「取りあえず仮設のテントに行ってみましょう?まずはそれから、ね?」
役所がある火事となった一帯は、青々とした芝生の広場に囲われ、延焼は芝生を三割程焼いた所で止まっていた。
当然その広場を含めたすべてが立ち入り禁止になっている為、教えられた場所に行くためには、大回りをしなくてはいけない。
カウルはマリーに促され頷きはしたが、心ここにあらずと言った様子で、ただただ唇を噛みしめ地面を睨みつけている。
マリーは多少の苛立ちを覚えながら構わず歩き出し、それにカダンが続き、数歩遅れてカウルが一番後ろを歩き始めた。
一番後ろをゆっくりと付いてくるカウルを、マリーは何度も声を掛けようと後ろを振り返るがかける言葉が見つからず、固く結んだ口元をそっと撫でた。
カウル自身マリーの視線に気が付いてよさそうなものだが、言葉をかけてくるどころか、目を合わそうともしない。
あの時から二人の間には気まずい雰囲気が消えずにいる。
道添に植えられた腰丈の植木の内側を左に曲がると、僅かな時間カウルが見えなくなる。そのタイミングを見計らい、カダンはマリーに話しかけた。
「まだ喧嘩してるの?」
食事処とのれんが掛けられた建物の角に、カウルの姿が隠れ、マリーが前を向くと、呆れかえったカダンと目が合った。マリーは一瞬身構えたが、だとしてもことの顛末はすでに知られているのだから、ここで黙っていても同じだろう。
「もう終わったって言うか、まだ続いているって言うか。最初はちょっとした意見の食い違いだったの。それは知っているでしょ?」
賊に襲われたあの日、孝宏とカダンが倒れ、ルイが疲労で寝込んでしまった後のことだ。
賊は死刑になるだろうとカウルが言ったのに対し、反論したのがまずかった。
マリーの出身国は死刑制度を廃止して久しい。マリー自身死刑制度は廃止すべきだと思っており、持論をカウル相手にまくし立てたのだ。
自分の意見が間違っているとは今でも思っていないが、やはりもう少し自重するべきだったと反省している。
カダンの目つきが心なしか鋭く光る。それがあの時のカウルを彷彿とさせ、マリーは息を飲んだ。
「………知ってるよ。でもカウルが怒ったのは、マリーが賊を庇ったように聞こえたからで、誤解は解けたんだよね?そう言ってたじゃないか」
ようやく角を曲がり姿を見せたカウルに、カダンは目をやった。相も変わらず地面を睨みつけながら歩いている。
カウルの様子がおかしいのでずっと気になっていたが、マリーとの仲がこじれていると思っていなかったカダンは、少なからず驚いていた。
慎重で比較的寛容な彼を激怒させるのは、実は難しい。マリーと気まずくなっても、態度を変える程怒るのは正直意外だった。
マリーはカダンとの間を詰め、声を落とした。
「それがその後、左手を動かせない彼を手伝っている内にね、これを落としたのよ。喧嘩してから、ずっと気まずい感じで、だんだんと会話も少なくなって、これを失くした後はずっとあんな感じ」
マリーは自分の左手首を、カダンに見せつけた。くいっと一回手首を捻ると、カダンは何故か笑いながらああっと知ったように頷いた。
「なんだ、そんなことか。俺はてっきり……」
「何だとは何よ。笑うことないでしょう?こっちは真剣に悩んでるんだから」
マリーは眉をひそめ、細めた目をカダンに向けた。まだ不満を言い足りない口を真一文字に結ぶと、《んん》と小さく唸って抗議した。
「ごめん、ごめん……仕方ないんじゃないかな。多分マリーのせいじゃないよ。だってあれは………」
言いかけで、やや間をあけて続けた。
「カウルは魔法が苦手なのは……知ってるよね?」
「知ってる」
「たぶんあの腕輪に掛けた魔法も、きちんとかかっていなかったんだと思うよ。魔法が解けて、気が付かない内に崩れてしまったんじゃないかな。それでもカウルの魔法にしては良く持った方だよ」
「何よそれ。もしもそうだとしても、落とした時に気が付くべきだったのよ。どうしたらいいの……」
マリーはどうしようなどと肩を落とすが、もう後ろを振り返る気にはならなかった。
何度謝っても、気にしなくて良いと言ってくれても、カウルはずっとあの調子だ。おそらくは彼自身の中で整理が付かない限り変わらない。
「しょうがないっ」
小さくしかし、気持ち大きめに漏らした声は、後ろをうつろに付いてくる彼には届かなかった。