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それは、なるべくして起こった。誘拐事件ではない。人が暴れているというものだった。それは風の噂で聞いた各国で今、話題になっているものと同じだった。何度か目にしたこともある。初めてではなかった。また、手紙の内容にあったものだ。
額には有馬巴の呪詛。かけられていたのは、ホタルが働いている屋敷の主人、マキスという男であった。昼食中にいきなり苦しみだし、この有様だ。
みるみる悪魔のように、醜く人間とは程遠い姿となっていた。ここまでの変化はおそらく初めて。こうなったらもう手遅れに近い。
屋敷はところどころに穴が空き、それでもなお、暴れ続けている家主。
コハクが注意を引き付け、ホタルがその他使用人の救護と避難をさせた。
「ホタル! 全員避難は終わった?!」
「はいっ!! な、何人か負傷者はいますけど、過擦り傷程度です」
こういう時に限って、シグレは外出中。朝っぱらからなんの用があるのやら。コハクは憤慨していた。それが、たまに、ではないからだ。
「! うわっ、あっぶな」
敵が撃った黒い魔弾を、間一髪、コハクは宙に飛び上がり華麗に回避する。
それでもなお、魔弾を次々に繰り出していく。巧みに避けながら、徐々にだが敵の懐へと近づいていった。
「こ、コハク!」
「なに!」
「これ以上時間がかかると、被害が大きくなり過ぎます! い、一気にかたをつけましょう」
提案されたのは、ホタルが手にマナを込め飛び台になり、それにコハクが乗って一気に叩く。一か八か。失敗すればコハクが逆に叩き落とされる。敵は人間の数倍大きくなっていた。
周りのマナも黒く染まっている。
「いっ、行きます!」
「ええ、いつでもいいわよ!」
コハクは意外と乗り気であった。狼神の本能というやつだろうか。ニヤッと口角を上げ、ホタルの腕めがけておもいっきり走り出す。
ホタルは足がかかったのを確認して、全力で押し出した。
そのスピードは一瞬で敵の目の前まであり付けるほどのものだ。そして顔面に空中回し蹴り。
男はその場に気絶し倒れた。
「あーもう、服が汚れたわ」
「あ、ははっ…取り敢えず良かったです。 …」
事なきを得た。が、マキスは呪詛の最後の呪いのせいで、そのあとすぐに、亡くなったのが確認された。
そして、その死体は、あろうことか、砂塵となり消え去った。
「今回の呪いは効き目が早かったみたいですね…」
「そうね、もたもたしすぎたわ」
つかの間の休息後、避難させた侍女らの安否を確認し、瓦礫の片付けをしていた。
騒ぎを聞きつけたのか、ツバキは騎士団を5人ほど率いて、それと一緒にシグレも現れた。
「ちょっと! アンタ朝っぱらから何処にいたのよ! いっつも、いい時にいないわよね」
「ははっ、ごめんってば。ツバキに会おうと思って」
「はぁ?」
据わった目を向ける。軽蔑するかのように。
「まぁ、許してやれ。ホントのことだからな」
「…ふん」
そっぽを向いて不貞腐れてしまった。それをシグレが一生懸命ご機嫌をとるように繕っていた。
「…ツバキさ、っ」
「すまない。また後でな」
「は、ぃ。 …また、後で…」
ホタルは話しかけようとして名前を呼んだが、目を見ることもなく、仕事に戻ってしまった。
その一連を見ていたコハクとシグレの2人は不思議そうに目を丸くしていた。
住むところと、主人を失くした使用人たちは国の補助で新たに職にはつけるようだ。ホタルはというと、その補助を受けなかったようで、どうするかは決めていないそうだ。
大きな声が聞こえた。その声の主はツバキだった。耳を澄ませていると、
「国王が、そう言ったのか。」
そう聞こえた。何のことだか3人は神妙な面持ちで顔を見合わせて首をかしげた。
「おい、ツバキ、どうした?」
「いや、」
「何よ、言えないことなの?」
「ツバキさん…」
「…王が、国王が戦争を始める、そうだ」
時が止まった。本の一瞬だが、誰も声を出せなかった。
戦争。それは人間同士が、争うこと。愚かしい。醜い。
「なによ、それ…どこと殺り合うつもりよ」
「全てだ。元より、その話は度々王が口にしていたんだ。まさか、こんなに早く」
「そういう問題じゃないだろ! 何故言わなかった?!」
「言ったとして、どうなる。 …何も出来ることなんてないだろ」
「っ、そうだったとしても!」
掴み合いになりそうなのを、自我で必死に抑えたシグレ。眉間に皺を寄せて、悔しそうに口を歪めた。
そうなるのにも理由がある。
西の国は10年前までずっと戦争をし続けていた。そこで多くの騎士や駆り出された平民が死んでいった。ようやく、平和を誓ったかと思えば、これだ。
シグレは個人の身勝手な理由で行われてきた血肉の争いを知っている。ただでさえここの国は血気盛んな種族が多い。それゆえ、自国の民だけでなく、それ以上に他国の民を傷つけ陥れた。
2度と起こしてはいけない。
「今すぐ、止めさせろ」
「無理だ、あの王に逆らえると思うか。即刻死刑だ…お前が1番分かってるはずだ…」
「…」
「それに、だ。俺たちだけで、あの王に向かっても返り討ちだ」
沈黙が続いた。それを破ったのはコハク。
「ねぇ、さっきこの子から手紙が届いたんだけど。」
彼女の肩には1羽の鷲が乗っていた。
「千歳からか? なんて書いてある」
「…こっちに向かってるって」
コハクも呆気に取られた。だが何度見てもそれだけしか書いていない。
「気づいてるのか…」
ツバキは呟いた。
すると王城が騒がしいのに気づいた。4人は城まで急いだ。
騒ぎの原因は騎士達のものだった。王が公に宣言をしたのだ。
「嫌な予感ほど当たるわね」
「いや、けどお前のは異常だって」
「ど、どうなるんでしょうか…」
「…」
そしてまた、王が口を開いた。ざわつきも一瞬で収まる。
「これより、我に仇なす者は、首を斬る! 」
ゴクリ、とすべての兵士たちが唾を飲むのがわかった。迫力とかそういうのものでは表しきれない。その横にはあの黒い男も立っていた。
コハクには笑っているように見えた。嘲り、蔑むように。広間の兵士たちを見て。
____私たちを見て、そう言ったような気がした。
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千歳は焦っていた。約1か月ほど眠っていたらしく、その間に多くの事が起こり始めていた。
最初に耳に入ったのは、西が戦争を起こそうとしている、というものだった。
すぐさま、手紙を書いた。2人目、というより2羽目と言った方が的確だろう。雅と同じく、相棒の鷲、漣の足にその書いた手紙を括り、空へとはなった。
このご時世、予想はしていた。それに、西と昔争っていたのはここ東である。
平和の契を交わした時もあの国王は不服そうな顔をしていた。
1日置いて、千歳は出発を決めた。
「王さま…行かれるんですね」
「雅、東国は頼んだ。 …世泉もいるから、少しの間だけ」
「千歳、気を付けて」
背中から翼を広げ、空に飛び立ち、徐々に竜へと姿を変えていった。
呪人やヘル・シャフトのことも噛んでるに違いない、と。
それに今攻められては、ひとたまりもない。1日もつか。
「間に合って」
雅はじっと彼女が飛び立った空を見つめていた。世泉が呼びかけても、空返事をするだけ。
「雅。心配なのは分かる、が…」
「で、でも、今の王さまのままじゃ…」
「そうだな、でも千歳だって不本意なんだ。でも、私たちには彼女以上の力はない。」
雅が1番分かっているはずなんだ。どうすれば最善なのか。
「だからな、私たちは、王さまが帰ってきた時に、笑っておかえりって、言ってあげよう、な?」
雅は涙を潤ませて、はい、と頷いた。世泉は、泣かせてばかりだな、と落ち込んだ。
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千歳からの手紙が届いて、3日。年が明けて、毎日濃い1日を過ごしていた。だいぶ気温が上がり、雪も降る機会が少なくなっていた。寒いのに変わりない。
以前より増して、王城とその街、アスカリドは禍々しい雰囲気となっていた。空も色を忘れたかのように、赤とオレンジの鈍い色に染まり、灰色の雲が漂う。昼夜その色だ。
進軍はまだ先のようだった。猶予は残されていた。
それに誘拐事件もまだ未解決である。最近は少なくなり始めていたが、また何人もの人間が攫われていた。
こコハクたち4人はアスカリドの森の中で息を潜めていた。竜王と落ち合うため。そろそろ到着のはず。
「シグレ、ツバキ、ホタル」
コハクは3人を呼ぶ。
「遅くなった。状況は」
「まだ、何もないわね。今のところ」
千歳はやや焦り気味に、聞いた。
「東の王シノノメ、何かする気か? アレにはもう正気なんてないぞ」
国王をアレ呼ばわりするツバキ。あながち間違ってない。王以前の問題だ。
「そうね。話に行く、このあと」
「だ、大丈夫なんですか...? 」
「さあ、その時はその時」
呑気に答えた。
王としての役割はある。本気で戦争を起こすつもりならば、それ相応の対処をする必要がある。
「じゃあ、もう行く」
千歳は彼女らと別れ、森を出て真っ直ぐ王城へ向かった。
彼女は最後に市民を避難させておけ、と言い残していった。4人は嫌な予感しかしなかった。
千歳は気分が悪かった。マナが穢れてしまっているのに対して敏感に反応してしまっているのだ。城に近づくたびに気分も優れなくなる。
城の中はもっと、悪かった。見渡せば黒いマナがポツポツ浮かんでいた。
千歳は一国の王であるため、顔も知られており、容易に中へと入ることが出来た。謁見したいと申し出れば、玉座へと案内された。
「久しいな、竜王殿よ。リート以来か」
「…」
「そうだったな。主は私に話があるのだったな。聞こう」
「西国、オーベル・アゼマ国王。戦争とは正気か」
椿が正気ではないと言っていたが、改めてそう問うた。
「もちろんだが。愚問だな竜王よ。私は嘘はつかん」
「だったら、中止して」
「…ふっ、ハッハッハッ」
千歳の言葉に、笑い出す。なにが可笑しいのか、彼女は気分を害した。オーベルが笑うのを止める。
「…」
「そのままだよ。…無意味だと言った」
「無意味、とな?」
「肯定」
千歳は頷いた。オーベルは俯きわなわなと震えていた。周りの騎士や使用人たちもただならぬ雰囲気に圧倒され、顔を青白くしていた。
「我が、無意味な事をすると思うのか! 我が全てを支配すれば民も喜ぶであろうよ。竜王よ、貴殿も我が支配下にならぬか?」
自信満々と言いきり、千歳に尋ねた。憤慨し、荒叫びするのでは、という予想は裏切られた。
「愚か」
「なんと申した。聞こえんかったでな」
ひと息ついて、もう1度言う。
「愚かしい。貴方、何も分かってない。自国の民を見ろ。」
強く言葉に重みをのせてそう言うのだった。この部屋に兵士や使用人たちはまたもや、顔色を悪くした。
千歳は有無を言わせないように、続けざまに口を開いた。
「貴様の民がどう見れば、嬉々として見える。僕には止む無く、従っているようにしか、見えない」
「…なにが言いたいのだ!」
「無知は罪。 …貴様は自意識過剰な暴君だと言ってる。ろくに民の声を聞かない貴様に威張る資格も、元より王になる資格などない。奴隷売買、貧困者、どれだけの者が、この地で無念に朽ちたと思う」
「黙れ黙れ、黙れぃッ!!!! 喧嘩を売ったつもりか!?」
「違う、売ったのは貴様だ。戦争するんでしょ?」
「ああ、そのつもりだ。だが、いずれはこうなった。王は4人も要らぬ、我ひとりで十分であろうが! それをよくも、資格が無いだと? 馬鹿なことを言うな、小娘が!!」
叫び、自身の持っていた剣を抜いて、横の花瓶を粉砕した。女性の使用人からは悲鳴が上がり、一層雰囲気は険しくなる。
「戦争は止めない。それが答え?」
そう問うた。オーベルは無論だ、愚問だ、と叫び続けた。がやがて落ち着きを取り戻し、千歳にある提案を述べた。
千歳が、東の国がオーベルの支配下に下るのであれば、今までの愚弄を許そう、ということだった。
馬鹿馬鹿しいとでも言うように、即座に首を横に振り、拒絶の意思を示した。
オーベルは顔を真っ赤にして、怒りを表した。断るとは思っていなかったのだ。自分の強さは知っているはずだ、と威嚇していたのにもかかわらず、拒否されたからだ。余計に腹が立ったのだ。
「ここまで、くると、救いようが無い。貴様が殺り合う、なら、僕も受けて立つ。………ここでね」
千歳はおもいっきり周りの空気を吸い上げ、そして一気に吐き出した。小さな身体から、大きな咆哮。一瞬にして王城に穴が空いた。
オーベルの玉座を狙って。周りの兵士らには被害が及ばぬように。
黙々と煙が立ち上がる。崩れ落ちた土壁。小さな破片がパラパラとまだ散っていた。
その中から、大きな影がぼやけて、そして次第にはっきり見えてくる。
「なんの真似だ。もしや、ここで我を討つつもりか? 竜王の小娘よ」
「肯定」
「…フン! よかろう、殺してみろ!」
オーベルはもう一方の大剣を振りかざす。大きなくぼみができた。ひび割れてクモの巣が張っているかのように凸凹が連なった。城が崩れ落ちるのも時間の問題ではないだろうか。
「避けてばかりでは、我は討てんぞ! 」
そう言って何度も何度も剣を振りかざす。過擦り傷が増えていく。
「貴方は弱い」
「そんな訳がなかろう! 今は貴様の方が押されているではないか!」
千歳は挑発するようにこう続ける。
「心の話。だから、手駒に取られる。」
「手駒? 何を言う、ついに頭が可笑しくなったか! 我は我の意思でやっておる事だ」
距離をとって、相手を見据える。じっと、目を見つめ続けた。
千歳の頬は竜の鱗模様が浮き上がり、背中からは立派で強そうな白い翼が生え、尻尾が無造作にゆらゆら揺れていた。
「貴方に、側近はいるか」
「…あ奴か、奴がどうしたというのだ。まさかそれに手駒にされてるとでも言うのか? 面白くない冗談よな」
と嘲笑した。それに続けて千歳はお決まりの一言。
「肯定」
再び、否、3度目か。今度は顔に青筋を立て苛立っているようだ。
「貴様は心が弱い。だから付け込まれ、堕ちた。 …誰も信じる者がいないんでしょ? 貴方は寂しいんでしょ…可哀想」
「小賢しい!! 今すぐその口と言わず、全て引き裂いてくれるわ! 最期だ、竜王…シノノメ!」
オーベルは大剣にマナを込めて刃先から、大きな魔弾を創り出す。黒く、紫の闇が広がる。
千歳も大きく口を開いて、最大出力での咆哮を討つつもりだ。
2つの力が同時にぶつかり合う。次々と城の壁は剥がれ塵となり粉々だ。
しかし、何故だかオーベルの魔弾は一向におさまる気配がないどころか、威力が増していた。千歳の小さな身体は、徐々に後退していく。
最後の力を振り絞り、体内のマナを全て放出する。これが何を意味するのか。彼女は必死だった。守りたかった。ただそれだけ。
2人の交戦は終わりを告げる。両者とも崩れた瓦礫の上に倒れていた。
起き上がったのは千歳だった、魔弾を直に受けボロボロだった。元から白い肌は顔色が悪く、青が目立つ。ゆっくり、1歩ずつ踏みしめ、オーベルに近づく。
「最期は、貴方も、いっ、しょ…」
人差し指から、白い光を放つ魔弾を創り、オーベル目がけて撃った。
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コハクとホタルは城の方へ向かっていた。市民をある程度、王城から離れさせた。まだ残った人はいないか、目を凝らしながら、千歳の状況を確認しに行くというのだ。
ドガンッ。ゴゴゴォォ。
突如大きな音が空に響いた。2人は足を止めた。強烈な突風が吹き、その場に留まるのが精一杯だった。
それも弱まって、顔を上げすぐさま城を見上げた。先程まで立派に建っていたそれは、一気に崩れさり、跡形もなくなった。
「ホタル、急ぐわよ!」
遅かった。誰ひとりとして、王城の跡に人間の気配はなかった。千歳のものも、もちろん。建物は崩れ去っているけれど、もぬけの殻というやつだ。
「これは、いったい…ち、千歳さんは…」
「…さぁね、でも、ここにいないってことは、生きてるわよ。少し匂いも残ってる」
コハクは正確に分析をし始めた。また、あの暴君の死体もない。
するとシグレと椿もさっきの音を聞いて駆けつけてきた。
「シノノメと国王は…」
「私たちが来た時にはもういなかったわよ。千歳は…連れていかれたか、逃げたか。少なからず、あの暴君は生きてるわ」
瓦礫の中を捜索すると逃げ遅れた使用人や兵士らが生き埋めとなっていた。
このあと、西の国の民に混乱が訪れる。王がいないという事実。やはり、あのような暴君の男でも、一国の王に違いなかった。
解放された安堵と後の不安。国全体に渦巻くそれは、まだ消えない。