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場所が変わります。
結構これあります。多分
~西の国 国境周辺~
北の国の近い山岳地帯。足場の悪い道を馬車が、ガタガタ、鈍い音を立てながら進んでいる。ピタリとその音が止むなり、男の低い怒声が聞こえた。
「おい、さっさと歩け! 聞こえねぇのか!!」
「っ…なに、すんのよ!」
男が少女の腕を乱暴に掴む。そのまま引っ張るようにして連れていく。
琥珀色をベースに、毛先がシルバーメッシュの髪をなびかせた少女。大柄の男の手から逃れようと必死にもがく。がしかし、鎖で繋がれさらに重しが付いているため思うように身体が言うことを聞かない。
「奴隷の分際で、逆らうな、おら、行け!競売だ」
眩しい光の中へと放り出された。
ガヤガヤとうるさい。今からこの少女は競売にかけられる。なんと酷いことなんだろうか。これは今どき珍しいものでもなかった。この地では日常茶飯事。
「300ソル!」
「400!!」
だんだんと値段が上がっていく。少女は下を向いたまま顔をあげようとしなかった。
中々、値段が決まらない。何故かは簡単だ。彼女の容姿を見れば、誰もが欲しがるだろう、美少女だ。
「さすが、その顔は金になるな」
嘲るように、腹の肥えた男が笑った。少女は初めて顔をあげた。その次の瞬間、男の顔に唾をおもいっきり飛ばした。見事男の目に命中した。
男はふつふつと怒りを溜めていた。しかしここで騒ぎを起こせば、商売が終わる。それはなんとしてでも、避けたかった。
ようやく踏ん切りがついたが、結局誰の元にも行くことは叶わなかった。それはそれでよかった。買われたとしても、彼女が奴隷という立場に変わりはないのだから。
夜になり、少女は牢屋に独り。僅かな月の光が差し込んでいるだけ。あとは何も無い。
すると牢屋の入口から足音がした。僅かな、小さな音。普通ならば聞こえないような音。それでも彼女には分かった。それが誰であるかも。
「お前、よく捕まるな。ちょっと待ってろ、すぐ開けるから」
「遅い」
「ハイハイ、コハクお嬢様。お手をどうぞ」
現れたのはまだ若い男。一見軽そうな風貌である。西の国の者の特徴であると、尖った耳が主張している。また、コハクと呼ばれた少女もそうだ。
彼はコハクを助けに来たと言った。また、良くあるということはコレも何回目かなのだろう。
「何してたのよ。シグレ」
「んー、あー、まぁいろいろ」
「何それ…まあイイわ。」
そのままこの牢屋をあとにするかと思いきや、牢屋とは打って変わって小綺麗なある1室まで向かった。
そこにはあの大男が大いびきをかきながら、気持ちよさそうに眠っていた。
「お前、何する気だよ」
呆れ気味にシグレと呼ばれた男が尋ねた。愚問ね、とでも言うかのように彼女はこう言った。
「牢屋にぶち込むに決まってんでしょう?」
「ああ、そう」
案の定、シグレが思っていた通りになった。起きないように、寝ている男にさらに、どぎつい睡眠薬を飲ませた。これで起きることはない、と。
「これで完璧ね。さ、行くわよ!」
自分がされていた手枷や、重を男に付けその場を悠々と立ち去った。
「で、変なことは」
「されてない」
「触られたりとか」
「別に」
「触ったりとか」
「バッカじゃないの! てかウザイ」
バッサリと会話を切った。シグレはどこか不満そうにしながらも、コハクの頭を撫でた。案の定手をおもいっきり嫌そうな顔をされていた。
「で、どうなの。例のアレは」
「さァ、なんとも言えないのが現状かな。」
「ふーん、小賢しいわね。連絡は」
「今のところないね、前に1度来ただけ」
シグレはその手紙を再度開けた。そこに書いてあるのは誘拐事件のことと、向こうの状況。向こうとはおそらく東の国のことだろう。
例のアレとは、そう、誘拐事件のことである。誰彼構わず攫って何をしようというのだ。
主に攫われている国はこの西の国の民であった。その人数を数えるには両手では足りない。その事件が起こり始めたのはついこないだのこと。しかも、東の国の方でも何やら黒い男に襲撃されたらしいではないか。
誰が何のためにやっているか検討もついていなかった。
「もっとドカンとやればいいのに、貧弱ね」
「いや、誰もお前みたいに雑なわけじゃないからな」
「失礼ね。みみっちいって言ってんの!」
「あー、ハイハイ」
シグレは宥めながらも、しれっと聞き流すように、慣れたものだった。それも昔からの付き合いというやつだ。彼女の扱いならお手の物。
少々きつい性格ゆえ、他人からは敬遠されていた。最初に2人が出会ったのも奴隷売買されていた時のこと。それはそれは、もう性格がキツイどころではなかった。それにもかかわらず、彼はコハクを独りにすることはなかった。
コハクをツンデレとからかっていた。ツンツン9割、デレが1割とかなんとか。
非常にスキンシップも多いため、コハクから最初の方は、あまり好かれてはいなかったと思う。今もウザいとは口に出すけれど、突き放すことはあまりしなくなった。
心を開いてくれているのだ。いつだか、嫌いじゃない、と言われたこともあった。それが、コハクがシグレの前で初めてデレた出来事だった。
まあその時も、シグレのテンションの上がりすぎで、多少引かれていた。
それが今では、コハクをからかったり、執拗に迫ったり、そこまで気を許せる人となっているのだ。
コハクが急に立ち止まって、後ろを歩くシグレの方に振り返った。
「ねぇ、どうなると思う」
「どう、って?」
真意を聞くためか、わざとシグレは問うた。
「わかってんでしょ」
「さァ、なるようになる、と思うけど」
「はっ、バカっぽい」
コハクは鼻で笑った。
「…終わればいいのに」
「? なんか言った…?」
「別に」、と前を向いて歩きだした。また、シグレも聞かなかったフリをした。
次の日の朝、コハクとシグレのふたりは西の国の中心部アスカリドの街を目指していた。そこで国王に謁見するつもりだった。
王城には最近良くない噂があった。ある日突然、魔術師だ、と王の前に黒ずくめの男が現れた。その時から少しずつ王の性格が変わってしまった、と。
元から、独裁者に変わりはなく民衆にはあまり良く思われてはいなかった。その残忍さ、独裁者ぶりが、更に増したという。横暴で卑劣に、加虐的に。王に逆らった、と理不尽に側近さえも切り殺したと噂があった。
黒の男は誰なのか、それを確かめるべく、道を急いだ。
彼女らはあの奴隷区の、競売地から、1日と半日かけてイリスという街の中心部にいた。
西の国には街が7つほどある。イリスは北の国付近にあり、目指すところはそこから、3つの街を超えた所で、まだ遠い。あらゆる手段を使い尽くしても、あと5日と半日ほどかかる。
急いではいるものの、コハクは街巡りと称して満喫しているようだ。そしてそれに乗る時雨も大概なやつだ。
取り敢えずは、イリスの街外れまではこれたので良しとしよう。
しかし、そのまま休むことなく歩き続け、次の街へと入った。
日も暮れて空には月と星が輝き始めた。
「宿どうする?」
「野宿に決まってんでしょーなんでそんなものにお金使うわけ?」
「あー、お前そういう奴だったよな…」
「何よ、別にいじゃない」
野生的な彼女は野宿がお好きのようだ。2人とも特に固定の寝床は持っていなかった。
水場の近くに丁度いい洞窟を見つけ、そこに少ない荷物を置いた。否、イリスで買った食料だけだ。
「じゃあ、身体流してくるから」
「ああ、気をつけて」
「あーもう!頭をいちいち撫でないでよ!」
彼が頭を撫でるのは、癖だった。
勢いよく後ろを向いて、水場の方へと行ってしまった。それでもシグレはにこにこ笑っていた。
基本的に、冬場の水は0度以下。特に夜は凍ってしまう。北の国では年中無休で雪が降る。それに比べればどうってことはないが、さぞかし冷たいだろう。
北の国の人間は特異体質で、絶対温度というものを持っている。どんなに暑くても、どんなに寒くても、一定の体温でいられるという。温度を調整出来たりする人もいるとか、いないとか。
進化の過程において、寒さに負けじとそうなったのだ。そして、北の人間は元の体温が低いのも特徴。
彼女はお構いなしに服を脱ぎ、足から徐々に上の方へと浸かっていった。それは、その絶対温度を、彼女も持っているからだ。
西の国の血も持ち、北の国の血も受け継いだようは、ミックスということ。
今どき珍しくはない。多い方でもないが。コハクの外見はどちらかというと、北より。あとは耳の形で分かるくらい。
「先、寝てれば」
「お前の方が疲れてんじゃないの」
「別に、私夜行性だし」
「あっそ、じゃあ、宜しく」
「…ん」
洞窟の入口の前に見張りとして座った琥珀。2時間ごとの交代。
満月の夜。青白く光る。2時間、それをじっと眺めていた。
交代時間になってのそのそとシグレが顔を出した。そしてシグレにこう指摘された。
「お前、耳と尻尾出てるよ」
「は……あ…」
コハクは気づいていなかったようで、慌てふためき、それを確認した。髪色と同じ耳と、尻尾が3つ。
「一匹狼って、きっとお前のための言葉だよな」
そう言って頭を撫でる。
そう、琥珀は狼神という種族のひとり。というか、現在1人しかいない。
彼女は獣の方の姿にも変わることが出来る。何もないときはそっちの姿でいることが多い。それゆえ、シグレの撫で癖ができたのだ。
「また、手…」
「とか言って、気持ちいいんだよね? 好きだろ?」
「…っ……チッ」
でも、コハクはそれが気持ちいとは絶対に言わない。
「はいはい、女の子が舌打ちしちゃあ、ダメだよねー」
もっとおしとやかに、と面白半分でからかっていた。
「あー、もう! …寝るから、手どけて!」
素直に手を離して、おやすみ、と静かに言った。
イリスから2番目の街、チェルヴィの街をこえて、3番目のカリオンの街を出て、アスカリドへと入った。
やはり、5日と半分というところか。今日の昼までには着くだろう。少々コハクはこの状況に飽きていた。
アスカリドの街は広い。西の国の中で、1番広く、栄えた街だ。もちろん、城下街というのもあるだろう。
しかし、今の街は前ほどの活気がなく、少しどんよりした空気であった。賑わってはいるものの、やはりどこか違う。
今日は国王の生誕祭らしい。それもあってか、人々は身を縮こめていた。王の不機嫌は国の終になりかねない、と。
その時は、王城は一般市民にも開放される。そこを狙ったのだ。会えるとは限らないが、収穫はあるかもしれない。
「何、ココ…こんなだった?」
「やっぱ、なんか感じるか?」
「感じるどころじゃないけど…明らかに異物がいるでしょ。あんたも分かってんでしょ!」
「お前のそういうの、よく当たるからなぁ。それに俺はお前よりは鈍感な方だよ」
シグレは少し面倒くさいという感じに、間延びした声で言った。
しかし、それは本当のことであった。狼神は鼻が利く。動物ならではの危険信号を感じ取っているのだ。
「おい、入るよ」
「…本当気持ち悪いんだけど」
1部分だけ異様にでかく、ズドン、という感じで建っている。国王のお城だ。コハクはそこに断固として入りたくないと。
そんな彼女の腕を無理矢理引っ張って、中へと入っていった。
しばらく長い廊下を歩いていた。赤い絨毯が敷かれている。壁にはいかにも、自身の力を表現、威張るかのような卑しい装飾品の数々 。コハクはげっそりしていた。
「もう、なんなの。王様いないし。帰る、」
「待て待て、まだ回るとこあるだろ」
「はァ?もう十分でしょ。ちょっ… ! シグレ」
「…ああ」
コハクが何かの気配を感じとり、シグレに訴える。それにシグレも相槌を打つ。
奥の方から赤いローブを羽織って、金ピカの王冠をかぶった国王が現れた。その隣に、例の黒い男がいた。異彩を放っている。
2人は遠巻きにそれを見ていた。
「ネグルが多いわね」
「間違いないな」
黒い男はもちろん、国王まで黒く染まっているとは。その中にも、普通のマナはある。
それにまだ、ネグルが悪いものだ、と、言いきれない。黒い男が闇の方の力を操れるだけかもしれない。
「! あっ、おい、何処に行く…」
そう言った時にはもう、コハクは廊下を再び歩き始めていた。だんだんと距離が縮まる。シグレは呆れ気味に渋々という形で、それについて行った。
よからぬ事にならないと言いが。こういう時に限ってその期待は裏切られる。それは今回も同じことで。
「おい、邪魔だ。どけ小娘」
「…」
「おい」
国王は低く、諭すような声で圧をかけた。それに動じることもなく、じっと王の目を見据える。そこでコハクが口を開く。
「王様。無慈悲で暴君なお・う・さ・ま」
気づけばそう啖呵を切っていた彼女。その言葉に意味は無い。ただ噂のままを言っただけだった。
「何が言いたい。殺されたいか!」
「あんたの心が弱いから、こんなヤツに操られるのよ」
無礼極まりない。王に対する接し方ではない。シグレは冷や汗をかいていた。彼女はどうするつもりなのか、と。
「無礼な奴めが!」
王はそう言って、少女をおもいっきり杖で殴り飛ばした。それをシグレが見事、腕におさめた。
「死刑の準備だ。」
王はコハクを冷ややかな目で蔑む。
今まで口を開かなかった例の黒い男が言った。
「まぁまぁ、国王様。何でもかんでも殺してしまってはつまらないでしょう。今日は私に免じてお許しを」
「…ふん、まあよかろう」
事なきを得たが、コハクは気に食わないという様子だ。シグレにホールドされて身動きができないゆえ、何も言うな 、面倒は起こすな、と言われたので仕方なく黙っていた。そこまでコハクも馬鹿ではない。理性は人一倍あるつもりだ。
王は2人を横切り奥へと消えていった。
残った男はこちらを凝視していた。フードをかぶっており、顔まで見えない。
「ねぇ、あんた、猫被りなんて止めたら? 何をしようとしてんのよ」
「すみません、何のことでしょう。仕事がありますので、失礼しますね」
「…チッ」
わざとらしく丁寧に一礼してその場を去っていった。わかりやすく、苛々したコハクは舌打ちをした。
「帰ろうか」
「最初っからこんなとこ入りたくなかったわよ!」
そう強くは言うものの、彼女はシグレの服の裾部分を握りしめていた。
「ああ、そうだな」
それ以後は何も言わず、ゆっくりと城を後にするのだった。
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シグレとコハクの2人は旅をしていた。特に目的もなく、唯々(ただただ)世界各地の街を巡るだけ。最初は北から、西へそして南、東と1周するはずだった。
それは千歳から送られてきた手紙で中断せざる負えなくなったのだ。
今回の件はきっとただ事では済まされない、何かが動いているのはわかっていた。しかし、2人にはそういうのに余り興味がなかった。それで済ましていいことはないだろうが。
千歳という友人のためだ、それくらいの情は持っている。
そして今、アスカリドのとある屋敷に、2人は1週間ほど滞在していた。千歳からの連絡を待った。
そこの屋敷には、コハクのもう1人の腐れ縁、いわゆる幼馴染というやつがいる。
正確に言うと、屋敷で働いている侍女なのだが、その主人は快く引き受けてくれた。
コハクは野宿でいいとか、ブツブツ不満を言っていた。
その彼女は庭で独り何をするでもなく、ぼぉーっと座っていた。そこに声がかかった。
「コハク」
「…ホタル」
コハクに、ホタル、と呼ばれた片目を隠した少女。彼女が例の幼馴染。
つり目気味の淡青色の目。薄い水色の髪は光に当たると白く透明に輝いていた。
ホタルは隣に腰をかけた。
「仕事はいいの?」
「は、はい…夕食の準備だけですから」
「じゃあ、一緒にきて」
「え、あ…ま、待ってください」
そう言って、屋敷の外へと出ていった。
「ねぇ、ツバキは?」
「つ、ツバキさん、ですか… い、まは、その」
少し取り乱し気味のホタル。コハクはそれをからかうのが好きだった。元から気の弱い少女であるホタル。おどおど、とした感じは男なら、守りたくなるような。そんな可愛らしさがあった。
「なにー、会ってないの?」
「一応、ツバキさんも仕事があり…ますから」
「まだ騎士団に入ってんの?」
ホタルもまた、コハクと一緒に奴隷として売買されていた。そこで彼女らは知りあった。その付き合いが今だ続いている。
とある日、コハクとホタルは競売にかけられていた。もう少しで売り飛ばされそうだった。
その時、ある騎士が2人現れた。西の国の象徴である白虎のエムブレムがあった。それに伴い国の名もアウリゥと親しみ呼ばれてきた。そしてその騎士らを民衆は"ヴェステン"と呼び慕ってきた。
その当時の2人がシグレとツバキだった。元はシグレも騎士団の一員だった。その中でも3本指に入る実力者であり、"ケルンヴェステン"と名高く有名な2人だった。
一気に競売地を制圧し、奴隷の人々を解放した。
つまり、彼女らにとっては恩人だ。それからというもの、付き合いは続いていた。コハクとホタルは彼らに頭が上がらない。それくらいはちゃんと感謝している。
ホタルは昔を思い出し懐かしんだ。
その様子を見てコハクが言った。
「なによ、やっぱツバキとなんかあったんでしょ!」
「はっぇ?! …も、もう、戻りましょう。夕食を作らないと」
「あ、ちょっと!」
誤魔化すように、コハクに背中を向けて足早に歩いた。いや、本当に昔を思い出しただけで、何も無いのだが、さっきの咄嗟の行動で、余計に怪しまれるのだった。