3
「あっ、お疲れさまです、世泉さま! 素晴らしかったです!」
「僕も世泉さまのように、立派に戦えるようになりたいです」と無邪気に笑って出迎えてくれた。世泉はそう言った雅の頭を撫でた。
さっきまでは名字に様付けだったのに、いつからか、名前で呼ばれていた。近づけた気がした世泉は少し嬉しかった。
槐を受け取り、ありがとう、と述べた。すると、もう1人の影があることに気づいた。
「お前は、一条か?」
「うん、朝ぶりだね。カッコよかったよ。男でも惚れそうだったよ」
「そうか、あんまりいいものでは無かったがな。」
「そうなの?」
「なにか不正でもおありでしたか?」
「いや、そういう訳でも無さそうなんだ」
2人が心配そうにこちらを見ているのが分かる。それを気にもとめず、深く考え込んだ。
「あのー、世泉さま?」
「空木さん、聞こえてる?」
呼ばれているのにも気づかない。ハッと我に返る。
「すまない、あまり気にしないでほしい。ところで、一条は何故ここに?」
「彼は、ルカさまもこれに出場されるんですよ!」
「うん、そういうことだねー」
ルカの用事とはこれのことだったのかと判明する。
ルカと雅、2人して「だねー」と向かい合って微笑んだ。なんとあざといく可愛いのだ。世泉は自分は本当に女かと疑った。美青年と美少年は無敵だ。
「ならば、お前ともいずれは戦うのか。鬱だな」
「まだこの試合も勝つかどうか分かんないよ?まぁ、でも俺は楽しみだけど」
「僕もですー! たのしみです」
「勝てる気がしない」
やってみないと分からないが、やはり無理な気がするのであった。のほほんとした雰囲気をもつ2人が心底うらやましい。
そういう人こそ、屈強そうな人より強い。あくまで世泉の見解に過ぎないけれど。
彼女もよく海晴にマイペースだとは言われるが、この2人には負ける気がした。
残り2試合。次がルカと確か西の国の人だった。応援する反面、当たりたくないという気持ちもあった。負けろ、と心のどこかで思っていた。
開始時刻が迫るなか、ルカがこちらを振り向いて言った。
「ねぇ、空木さん。俺の試合終わるまでここで待っててよ。会っちゃったし、何かの縁かもね」
お礼も含めて、と律儀にも覚えていたのかと少し感嘆した。少し考えて、世泉は頷いた。
「じゃあ僕も世泉さまと一緒に待ちますね! 護衛はお任せ下さい!」
「雅、頼んだよ」
「はい!」
護衛とは何やら。別に必要は無いと思ったのだった。
「あと空木さん、これ着てて。」
「え? ああ。一条も頑張れよ。一応、応援してる」
「ははっ、一応、ね」
そう笑って中へと消えて行った。思い出してみれば、今朝の宿服とは違い、ハイネックの長袖と黒のパンツにブーツを履いていた。体のラインがはっきり見えて男の人だと思い知らされる。あの可愛い笑顔が思い出された。
ところで、このローブを羽織れとは言われたものの理由わけは分からずじまい。そこで雅が教えてくれたのだ。
「先程の試合で服の方が破けてたみたいですよ? それを直接は言わない、スマートなルカさまはかっこいいです!」
そう言われて確認すると結構な範囲がボロボロだった。少し気恥ずかしのと、見苦しいとこを見せたのが申し訳なかった。
「そうね、でも雅も、もう十分かっこいいと思うな」
「ホントですか!? 嬉しいですー」
世泉の隣でニコニコと嬉しそうにしていた。
場内の歓声が裏の方まで聞こえてくる。どうやら終わったみたいだ。まだ20分も経っていない。やっぱり戦いたくはない。
「お待たせ。じゃあ行こうか」
「ああ、お疲れさま、早かったな。そうだ、雅も来るか?」
「いえ、僕はまだ仕事がありますので!おふたりで楽しんでください」
小さいのに、仕事があると言って足早にかけていった。一体いくつなのだろうか。言動は子供っぽいが、精神的な面では大人びすぎているような。お別れに頭を撫でて、頑張れと励ました。
「何がいいかな?」
「特には、私はたまたま、あそこにいただけだからな…」
ルカはちょっと残念そうに眉を垂れた。どうしたものかと、沈黙が辛い。世泉はありのままを告げたまでだ。自分がたまたま、あそこに居合わせて、自分が勝手に助けただけ。特にこれといって求めてはいなかった。
「でも、俺の性格なのかな、気が済まないんだよね。多分、俺結構、頑固だよ。昔さ、じぃちゃんに教えられたんだ。人から受けた恩は、幸せにして返せ、って」
笑ってそう言った。素敵なおじいさんの血を継いでなのか、ルカの人柄の良さがそこからきているのだと世泉は思った。
まあたしかに今の状況を見る限りは頑固だ。
「それなら、もし私が、お前みたいに助けが必要になった時、その時は、私を助けてくれればいい」
それでどうだ、と言い切った。必要になるかは分からないけれど。
「それで、空木さんは幸せになれる?」
「なれるよ。一条がそう言ってくれるだけで、お腹いっぱい。十分だ」
世泉は薄く笑みを浮かべた。それにつられてルカも同じように柔らかい表情をした。無邪気というか、子供みたいな。
それから日が暮れるまでぶらぶらと街を歩き回った。この街には生まれた時からいたが、知らないところも沢山あった。子供のようにはしゃいだ。
「今日は、楽しかった。久しぶりだ、こんなの」
世泉は笑った。つられるよに、ルカも笑った。
「明日もし、当たったら、手加減なしだから」
「あれ、いいの?」
「勝負は勝負」
「そうだね。」
彼は世泉を宿まで送り届け、挨拶を交わして自分の宿へと戻って行った。
宿に入るなり、案の定女将さんに根掘り葉掘り聞かれた世泉。疲労もピークに達して船を漕いでいた。三芳もいたようで、2人の様子を見て、楽しげに笑ってそうして女将さんに捕まっている世泉を助けた。
キラキラと宝石のような雪がゆったりと舞い降りる。同じように、太陽の橙色が燦々(さんさん)と照りつけていた。それは柔らかく包み込むように、そして暖かい。
昨日の2回戦目も無事勝ち抜き、残すはあと1回。今日の決勝は3人で1人がシードになるのだが、どうしたのか、そのうちルカと世泉以外の1人が棄権したと聞き、要するに今日は2人の試合だけとなる。開戦まであと30分もない。
世泉は気が重かった。
「……棄権したい」
「あはは、頑張ろうね」
世泉はあの呪詛返しをして以来、目眩などの症状が多く見られていた。連戦もあって疲れがピークなんだろう。
2人は向かい合ってジリジリと間を詰めていく。
そして一気にそれを詰めて、足にマナを溜めて強化し思いっきり蹴り上げた。
「っと、危ない」
「…避けるな」
「手加減は、なしなんでしょ?」
可愛く首をかしげて世泉に尋ねた。当人である世泉は、要らない、と一言だけ。体勢を立て直すため地面に手をついてもう1度、右足から左足へと順に強化し、回し、蹴り上げた。
それも難なく避けられ、距離をあけられた。近づこうとまた走り出した。
しかし、それが叶うことは無かった。力が抜けていき、眼前が霞み、足がもつれその場に倒れてしまった。それ以降の記憶はない。
遠く、遠く。どこか遠くの方で誰かが私を呼ぶ声がした。
_____________________
嗚呼、まだ起きてはだめ。
まだ早すぎる。
あと少し、もう少しだけ、待って。
嗚呼。お願い、目を覚ましたくない。
世泉は目を覚ます。なんだか気分が良くない。悪いものを見た気がした。
ゆっくりと体を起こして周りを見渡す。見慣れないこじんまりした畳の1室の布団の中にいるようだ。着ていた服も厚手の和服に替えられていた。
立ち上がり、襖ふすまに手を伸ばす。
部屋を出ると、そこは縁側で長々奥へと続いている。
綺麗な庭に雪が積もって幻想的な風景となって、輝いて見えた。冬の季節のため小鳥たちは寒さを凌ぐように身を寄せ合う。
陽は傾きかけており、もう夕刻の時間帯となりそうだ。
じっと鳥達の様子を伺っていると、1羽の小鳥がぎゅうぎゅう詰めの巣から落ちた。世泉はそれに駆け寄って容態を確認する。そんなに高いところじゃなかったのと、積もった雪がクッションとなって、怪我もなく無事、無傷。
「大丈夫か。今戻してやるからな」
小鳥に優しく微笑みかけるのだった。被ってしまった雪を払い、そっと巣の近くまで手を挙げると少し羽ばたいて戻って行った。
「世泉さま?」
可愛らしいまだ声変わり前の少年の声が聞こえた。
「何をされているんですか?! はやく、こちらに上がってください!」
雅に一連の事情を説明すると、さらに心配された。確かに足は素のままで、少々冷えたが、問題ないと告げる。
「お身体はもう大丈夫ですか?」
「ああ、それも問題ないよ。迷惑をかけたな、有難う」
「お礼なんて必要ありませんよ!」
固くかしこまらなくてもいいと世泉は告げたが、治る気配はなかった。尊敬しているとか、なんとか。
「雅、此処は雅の家か?」
「家ではないですけど、ここで寝泊まりはしています。仕事場なので、はい!」
「そうか、雅お前いくつだ?」
「気になりますか?」
誤魔化された。前にも言っていたように、小さい身体なのにどうしてこうも大人びているのか不思議で仕方がなかった。
一昨日の試合の時に見えた角のことを話すと、お恥ずかしいです、とはにかみ顔を赤らめた。
すると何かを思い出したかのように、
「そうでした! 世泉さま、お時間よろしいでしょうか? 会って欲しい方がいるのですが。」
申し訳なさそうに、語尾が弱くなっていった。
世泉は、頭にはてなマークを浮かべるように首をかしげ一瞬考えて、了承の意を示す。
また、あの廊下を渡って右に曲がる。さっきよりも幅が広い廊下になった。曲がる手前で気づいたのだが、縁側はまだ奥へと続いていた。相当広い家である。
歩いているとキシキシ、音がする。古く年季の入った匂いも微かに立ち込めている。
「さっきあんな事言った手前で悪いのですが、外の方に出ていただくのでこれを」
雅が差し出したのは、厚底の下駄。綺麗に雪かきされているので、さっきみたいに濡れたり、冷たい思いをすることはないみたいだ。
少年が言うには、会わせたい人とはこの雪道の先にいる。
古風な石畳の階段を足を滑らせないように上がっていく。傍らにかき出された雪が世泉の腰の位置ぐらいで積もっている。
息を吐くたびに白く空に溶ける。寒さで真っ赤になった頬。潤んだ薄い菫色の瞳と髪が艶やかだ。その目で周りを見渡す。重力に従い垂れる髪。何とも色っぽい。
振り返った雅は突然立ち止まり、彼女と同じように頬を染めた。世泉がそれに気づいて違うところを見ていた目と目が合った。
「どうした?頬が赤いぞ、風邪か?」
「あっ、いえ、そういうわけではないのですが。あまりにも綺麗で…見とれて…しまいました。」
「そうだね、此処は綺麗だな。マナが嬉しそうにしている。」
「いえ、そうじゃなくて…」
言いかけたものの、伝わらないのだと感じ取った雅は口を噤んだ。世泉は不思議そうに首を傾げた。
再び歩を進め、見えてきたのは大きな木。この屋敷を覆いつくすような。泉の樹とはまた違ったオーラがある。何千年もの間生きていたかのような。
凛とした樹に対して、こちらの木は堂々たる佇まい。どっしりと構えてどんなものでも受け止めてくれそうな、そんな感じ。白い葉がきらきらと輝く。
世泉が言ったように、マナがうきうきと楽しそうな、嬉しそう、生き生きとしていた。つられて周りを見ると様々な植物が風に揺れていた。なんだかこの場だけ雪が降っておらず暖かい。
そして、木の根元のほうに穴が開いており、そこにはあの小さな少女が背をあずけていた。
目を瞑つむって、白く長い髪をたらし、同じく白いワンピースローブを着ている。小柄な彼女のオーラはやはり100年以上生きる者の所以か。はたまた、王としての器か。
「初め…まして、というべき?」
目を開けるだけでこの圧倒される雰囲気。少しの紅みと白の目が世泉を捉える。心地よい春風のゆったりとしたような声。
「そうですね。シノノメ様…でいい…」
「千歳、そう呼んで。シノノメは僕の王名みたいなやつ、だから。あと、堅苦しい」
ちらと、雅を見ると大丈夫とでも言うように頷いた。気後れしたが、世泉としても楽でよかった。ようするに、敬語を使うのには慣れていないらしい。千歳が言ったように、堅苦しいのが嫌で面倒くさいというのもある。世泉の場合、後者が大半を占めているのだろう。
「話って?」
「根の国。聞いたこと、ある?」
「…詳しくは知らない…文献で読んだことはある」
根の国。要は死者の国。
ドクン。
脈が1度だけ大きく跳ね上がる。唐突な感覚に違和感。どこかに穴が開いたような、先の丸い棒で打ちつけられているような。痛くはないけれども、妙な気分だ。
千歳が少し悲しそうに眉を垂れたのは気のせいだろうか。初めましての挨拶でもそんな雰囲気を醸し出していた気がした。それは、あくまで雰囲気の話で、表情や感情が薄い彼女は基本的に無表情であった。表情をあまり崩すことはなかった。
「そう。話は変わるけど、呪詛のこと。 …雅」
そう呼びつける。
「はい、では王さまに変わって僕がお話いたしますね。」
要はこういうことだ。
世泉が戦ったあの男の額の呪詛は他意に仕掛けられたものであり、最近ではこのような騒ぎが密かに広まっているそうだ。しかし、この『マナ・アグライア』の開催期間が近かったため、噂の流れを一定の範囲で王が留めていたらしい。
今回の件でも情報は入っていたらしいのだが、まさかあの、世泉の対戦相手であるとまでは判別できていなかったとのこと。そのため北の国の1人が、対呪詛用の返しができる人間であると。
「最初から呪詛の効力が出たのは、計算外」
王は申し訳なさそうにした。
次に小さくこう言った。
「対戦が世泉でよかった」
(……私でよかった、か)
どういうことなのだろうか。聞くにも聞けずに次の王の言葉を待つ。
「狙った可能性もあり。 …けど、僕の、力が戻れば…」
「そんな、王さまのせいじゃありませんよ」
「雅の言う通り、私に当たったのは偶然に過ぎないと思う」
「感謝」と言って礼を述べた千歳。
そこで提案があるとのこと。今日で祭典は終わりなのだが、深夜0時を回ると新しい年となる。またその節目の安寧を保つために協力してほしいと世泉に申し出た。
他の国には、騎士団やら国を守るための兵がいる。東国にはそれがない。皆が自由に暮らしている。戦いとは縁遠い国。良く言えば平和。悪くいえば平和ボケしている。
これは、"ナーガ"の統治のおかげでもあった。
そうすると、今住んでいるところからは離れなければならない。女将さんにはなんて言おうか、内心不安だった。
心配だけれど、彼女なら大丈夫だろう。元々世泉が来るまでは、独りであの宿を切り盛りしていたという。
それに世泉も居候の身。手伝いはしていたものの、あまり役には立っていなかっただろうと思っている部分もあった。
「分かった。私でよければ、力を貸すよ」
「ホントですか?! よかったですね! 王さま!!」
1番はしゃいで嬉しそうなのは雅だった。それが面白くてつい笑ってしまい。雅は、お恥ずかしいです、と歯切れ悪く言った。
「そう、じゃあ僕の話をするから、聞いて」
真剣な眼差しで訴える。
以前話したように、彼女はとても小柄な王だ。雅と大して変わらない背丈。しかし、本当は世泉ほどの成人女性の背丈であったそうだ。何かはあまり詳しく教えてはくれなかったが、昔の争いで力を取られてしまったそうだ。
大気中のマナの力を借りて、色々出来ることはあるみたいだが、それも限度がある。竜人である彼女は元々がマナの結晶体のようなもので、それがすべてロストしてしまえば千歳も消える。
しかし、マナの加護も多いため今はまだ、その心配はないようだ。いま、この場に夜空の星の数々のように広がったマナ。それが、溢れかえっていることにより、心配はないと物語っている。
「今の僕では、力不足。 だから、感謝」
今までの千歳を見ていると、どうやら彼女は会話があまり得意げではないようだ。単語だったり歯切れが悪かったり。
しかし話を聞く限りは、それはもう多くの苦悩があっただろう。王として民の頂に立つ者として。それでも彼女が王としてこの国をまとめてきたのに変わりはない。
"ナーガ"と言われている王の器を知った。