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今日も晴天。淀みなく広がる青。世泉はひと段落ついて背伸びをした。こんなに気持ちのいい日はない、という年末のこのとき。
「海晴みはるさん、こっち終わった」
「ああ、世泉。じゃあ、もう今日は終わりよ。5日も、ずっと手伝わせて悪いなぁ〜。今から闘技始まるんやろ、行ってきな? 丁度、店も閉めるから」
そう言われ、時計を見ると昼過ぎ。
マナ祭の最大のイベントである闘技大会、通称リート。それが始まる時間でもあったため、客もほとんど入らないのだ。
女将さんにごり押しされ、世泉はやむを得ず出かけることにした。気を使われたというより、強制的に、だ。たまにこういう強引な時がある。いや、結構いつもだった。
そしてまた、半ば強制的にめかしこまれてしまった。確かにこの1週間、多くの女性がきれいに化粧をし、街を出歩いていた。祭り事に浮かれるのも無理はない。
街を歩けば、美女がたくさん。世泉は気後れしそうだった。しかし、興味が無いのもある。自分からしようとも思わず、槐を抱えて出かけようとしたとき、女将さんに引き留められたのだ。
「これでばっちりやね。もともと綺麗だからそんなに化粧はせんでよかったけど」
女将さんが言うように、オレンジのチークとオレンジよりのピンク口紅をちょっと塗っただけだった。宿の制服から着替え、フィッシュテール型の着物を着ている。なので、着物の継ぎ目もあり、ラップスカートのようで、少し露出が多い。そのため足には膝上の足袋をはいた。そして長めの羽織を着ている状態だ。
「私、綺麗じゃない」
「きゅきゅ!!」
「あらあら、でも槐も可愛い言うてるよ?」
槐は可愛らしく尻尾をフリフリしている。海晴の言う通りなのかもしれない。
「海晴さんも、行くの」
「あれ、行っちゃ悪い?」
そう言われてみれば、女将さんも随分としゃれていた。女将さんのはいわゆる普通の着物の型で、足元に切れ目がある。そして、世泉と同じように上からは羽織を着ている。
何処かそわそわしているようにも見える。誰か思い人と会えるかのように。
「誰かと待ち合わせてる?」
「あ、うー、まぁ、そうなるんかな?」
言葉を濁した。ますます怪しい。そこで世泉はぴんときた。
「あー、わかった…三芳さん、だろ」
世泉がそう言うと、明らかに彼女の頬がそまっていく。思った通り。
「三芳さん」とは、ここより少し奥の街の外れにある、茶屋を営んでいる。以前の買出しで世泉が赴いた場所。
雰囲気があって、東国の民がこぞって通う。また、他国の人々にも人気のある、知る人ぞ知る、有名茶屋。たまに、世泉はそのお手伝いをしたりもしている。
何より、マスターである三芳がダンディーなおじ様なのである。けれども、歳は教えてくれない。それがまた女性ファンを魅了するのだろう。女将さんもそのひとりであるといってもよい。
「さっさと、行きなよ。待ってるんでしょ?」
「べ、別にそういうわけじゃないんやって…」
あきれた世泉が溜息をつくと、女将さんも、なんだよ、と反発する。素直さが足りないのだ。
だから、今まで結婚できなかったんだ。
「世泉、あんた、今失礼なこと考えたやろ?お見通しやからね〜」
頬を膨らませる海晴は可愛らしかった。
「うん、行き遅れだなって。海晴さんはもっと素直になるべき」
図星のようでぐうの音も出ないようだ。
世泉やほかの人の前では素直な彼女だが、いざ、三芳さんの前になると、よそよそしくなりそっけないのだ。恋心ゆえか。
彼女も一見若く見られる事が多いが、いったい何歳なのか世泉は知らない。また、人ではない、としか聞いていない。なんの種族であるかも分からない。結構、一緒に住まわせてもらってはいるが、知らないことはまだ沢山ある。
そんな不思議な2人だ。
「じゃあ、行きましょ。待ってるんでしょ?私もいてあげる。 …って言ってほしかったんでしょ」
「うぅ、あんたの言う通りやわ…」
恥じらう彼女をかわいいと思ったのは、心の中にしまっておく。
「お似合いだと思うけど、告白わないの?」
「ばっ、そ、それはまだ早いんよ!そんな勇気もないしな〜…」
「何それ、海晴さんて、ホントいくつ?おばさ、」
「あんた、それ以上言ったら…」
ちょっと地雷を踏んでしまったようだ。どす黒いオーラを浮かべて世泉を睨んだ。
「そのうち、取られても知らないから」
待ち合わせの場所に着いた。三芳の茶屋の前だ。ここからの方が闘技場までも近い。
「何ぼーっと立ってるの、早く呼んできて。時間もない」
「わ、分かっとる! ……ふぅぅぅ、よし」
「緊張しすぎだ、もっと気楽に」
世泉が言いかけて、海晴はいざ、という時、ナイスタイミングなのかどうなのか、丁度、三芳が茶屋から出てきた。
普段通りに和装だが、いつもより少し着飾って見えた。
「ごめん、待たせたかい?」
「ほら海晴さん、会話して」
「あ、ああ。待ったとも!」
なんともへっぽこで、変哲な返答に溜息しか出なかった。それでも、三芳はニコニコ微笑んでいた。
世泉とその腕の中にいる槐は顔を見合わせて、苦笑い。
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会場に出向くと、満員の状態で、立ち見もギリギリできるか。もう少し来る時間が遅ければ、見るものも見えなくなっていただろう。外にはマナの状態変化を使いモニタを作り、中の様子を見ることもできる。ざわざわと、人々の声がうるさく、会場に響き渡っている。
場内の一角には4国王の見物室があり、そこから1人の小さな女性が顔を出す。彼女はこの東の国王、王女というべきだろうか。真っ白な髪に、赤白い目。彼女は竜人という種族である。耳が人間と違い鋭くとがったようになっている。
人々は、それを竜王と慕い“ナーガ”と、そう呼ぶようになった。反発もあったそうだ。得体のしれない亜人に人々は支配されることを恐れた。100年も昔のことだからよくは知らない。
ようは、王である彼女は、100年前から生きているのだ。それを経て、今の関係があるという。
他種族、人間、すべての人々が同じ土地で暮らすようになっていた。助け合い、笑い合い、他種族同士の番も増えていた。
小さなその体。皆が注目し会場は一気に静寂へと包まれた。
「今、ここに、リートの開催を宣言す。マナの加護、して我、ナーガの元に」
彼女が奥へ消えると、一気に歓声の嵐となる。ようやく始まる。
今日は予選。それぞれの国から3人、選ばれた者しかリートに出場することはできない。皆実力者故に選ばれる。年齢も性別も関係ない。亜人であろうが、人間であろうが。適合者がいなければ、エントリーが3人も満たない国もある。
今年は参加者全12人。というわけもあって、皆がその実力を楽しみにしているのだ。対戦相手もランダムのため、同じ国同士だったり、属性の相性など様々な問題が逆に面白さを際立たせる。
例え、頂点に立ったとしても、名が刻まれるだけで、特にこれといった報酬はないのだが、それこそがもう1つの面白さというやつではないだろうか。
前半の3試合が終わり、女の人が1人、勝ち上がっていた。後半はこのあと1時間後にある。その間、壊れてしまった壁の修理などにあてられる。見渡すと壊れている場所が何か所かある。大変そう、と、他人ごとのように世泉は思った。
女将さんたちを2人きりにして、会場から出て近場の出店のテラスで、槐と2人休んでいた。何をするでもなく、ぼぉっと、周りを眺めていた。ふと黒い点が浮いているのが見えた。
マナが黒くなることはたまにある。黒い点はそれに違いない。マナは敏感で、人々の負の感情がマナを黒く染めたりもする。祭典が行われる1週間は、そういった現象が起こらない。
人によってマナの色が違ったりもする。闇の力が使えれば黒くはなるが、そう多くはいない。闇の力も特別に禁じられている、というわけでもない。
その黒いマナは黒点と呼ばれ、ある程度マナの加護がないと見れないと言われている。
もう1度よく見てみると、それは無くなって淡い金色の、暖かい光のマナが浮いているだけになっていた。世泉の気のせいだったのだろうか。
槐は人混みに疲れたのか、テーブルの上ですやすや眠ってしまっていた。
特に気に留めることもなく、ぼぉっとしていた時、世泉よりは年下であろう、可愛らしい少年が話しかけてきた。
「空木世泉さま、ですか?」
「そうだけど、何か?」
「貴方にこれを、王さまからです。」
渡されたものを見てみると、リートへの出場の封だった。何かの手違いだと思い、中を確認するも、自分の名が刻まれたプレートが1枚入っているだけ。これが何を意味しているのか、世泉は知っている。念のため少年に問う。
「嘘ではないんだな?」
「はい、大変申し訳ないのですが、手違いでお届けしていませんでした。先ほど気づいたのです。空木さまは午後から組まれていたので良かったのですが、そういうことで、今すぐ会場にお越しになってください。お貸しできるものもありますので、何か必要なものはありますか?」
「出るのはいいけど、1度、宿に帰らせてもらえる。着替えたい」
少年は快く承諾してくれた。
なぜ自分なのかを不思議に思い、一抹の不安を抱えながらも時間がないということで、会場に急いだ。槐は預かっててもらえるらしい。
「では、空木さま。準備はよろしいですか?」
「ああ、問題ないよ。槐のこともありがとう。そういえば、名前は?」
「失礼しました、僕は雅といいます! 検討をお祈りしてます!」
雅は元気よく槐と一緒に去っていった。まだ力のコントールがうまくいかないのか、先程とは変わった容姿だ。角が右の額に3つ生えていた。その角は鬼一族の中でも、劣等種の鬼灯のものもに違いなかった。
世泉は本の虫だった。幾分か昔にそういう書物を読んでいた。彼女は博学だ。
最後に見た雅の笑顔が唯一、この不安を消してくれたが、それはすぐに元に戻った。
さぁ、ここからだ。
世泉は意を決して戦場へと足を踏み入れた。
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「ちょ、ちょ、ちょっと、世泉?! あんたなんで?! ねぇ、ちょっとどういうことなん?!」
三芳の肩を持ちぶんぶんと振り回す。それなのに三芳は慌てることもなく、微笑んでいる。海晴をなだめている。
「よくわからんけど、楽しみやな〜。応援せんとね」
「う、うん…そうやけど…相手が」
にこにこと笑ったままの三芳とは裏腹に、海晴はおどおどと焦った表情であった。
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世泉は唖然とした。
何なのだ、あれは。
人間か?
今まで一度も見たことのない、2メートル越えの巨体。何かの間違いだろうか。しかし、手違いでということは皆無に等しい。いや、皆無だ。
何故なら、対戦相手はランダム。この巨体の男が負けなければ、いずれは戦う相手なんだ。
開始の合図はない。自由に戦うのがリートの醍醐味。世泉は相手の様子を伺う。相手との距離はだいたい100メートル。次に、男が勢いよく、突進してきた。世泉は構えた。
「うおぉぉぉぉ」
雄叫びをあげながら、両腕を振り下ろしてくる。それを、回避して体勢を立て直す。簡単に地面にヒビが入ったのを見て、当たったらおそらく骨折重症で、最悪は死も覚悟しないといけないかもしれない。
「逃げてばっかりだなぁ!」
「…っ、ちっ…」
回避し続けても、間を詰めて何度も何度も振り下ろされる腕。鬱陶しさと苛立ちが募ってくる。
世泉の格好は太刀を1振、背負っている。やや大きめのため、動きづらいのもある。
世泉からはまだ1度も攻撃をしていない。それに苛立っているのが男の言動で分かる。
「つまんねぇな、おい!」
世泉は、大声で叫ばれ、煩いな、と悪態をつく。それがまた相手を挑発する結果となり、やるせなくなった。
まず彼女は戦いの経験などないに等しい。女将さんの宿で手伝いをしている。世泉自身幼い頃の記憶も曖昧だと言っている。ここ、東の国に生まれであるとだけしか詳しくは分からないと。
「はやくこいやぁぁ!その刀は飾りかぁ、おい!?」
「さっきから、煩いなっ」
この太刀はいつからか、ずっと世泉のそばにあったもので、特に国を守るような職に就いているわけでもなく、本当に飾りのようなものであった。
けれど宇治の街に来るまで、度々酷い目に遭いそうになり、自分を守る術は必要不可欠だった。扱えないことはないが、要するに世泉は面倒くさいのだ。
代わりにというわけじゃないが、マナの扱いには長けていた。しかしこの男には物理的にやるのが1番の得手。
世泉はついに、背中の太刀に手をかけ腕全体にマナの加護で強化し、鞘に入れたまま思いっきり振りかざした。
鈍い音を響かせ地面にめり込んだ。男は難なくそれを回避し、攻撃態勢へ。
「おらぁ!まだまだぁぁ!!」
「…」
刀で受け流してダメージを軽減させる。ちっとも男はバテる気配がない。逆にだんだんと強くなってきているようにも見えた。頭をフル回転させて、目を凝らし観察を続け隙をうかがう。
一向に攻撃をやめることのない男の奇妙な現象に頭を悩ませる。もう1度よく見ると血眼がギロりとこちらを凝視していた。身体の血管もこれ程か、とまで浮き出ている。男のことは何も知らないけれど、まるで何かが取り憑いているような。そんな感覚。世泉は眉をひそめた。
「お前、私の声が聞こえるか。」
「おぉらぁぁぁ!!!」
「おい、聞こえてないのか」
それでも、答えない男に世泉はある、『もし』を考えた。なにかに操られている。2メートルを超えていたとしても人間は人間。おそらく、あれは亜人ではない普通の人間。この力の威力もきっとなにかわけがある。
しかし、このリートに出ているという事は普通に強者なのだろう。加護やら何やら自分自身にかけている可能性もある。
再び男は叫び、狂人化が増した。
ふと、男の髪が風になびいて額に紋様を見つけた。
「呪詛…」
有馬巴の紋様。この呪詛は1つ目の巴で人を操り、次の巴で身体強化する。最後には死。それぞれの巴の色がそう言っている。昔、ある市に行き、たまたま見つけた書物に載っていた。その本は今でもとってある。
また、巴の紋は呪いだけに使われるものでもなく、どちらかというと祝福の加護として使われる方が多かった。稀にこうやって悪用されることもあるみたいだ。
ただし、必ず死ぬという訳ではなかった。あの頭の紋に呪詛返しをする必要がある。それが終わると、不本意だろうが彼は気を失って倒れてしまうだろう。死ぬよりはマシだ。そう思って世泉は鞘に入れたままの刀を構え、勢いよく駆け出した。
「うぐぅがぁぁぁぁぁあ!!!!!」
呪歌は例の書物には書いておらず知らなかった。けれど、勝手に口からこぼれていた。
「逆しにおこなうぞ。逆しに行い下ろせば、向こうは血花に咲かすぞ。味塵と破れや、そわか。
もえゆけ、絶えゆけ、枯れゆけ。生霊、狗神、猿神、水官、長縄、飛火、変火。」
呪歌を詠唱しながら、攻撃を仕掛け相手を錯乱させる。
「その身の胸元、四方さんざら、味塵と乱れや、そわか。
向こうは知るまい。こちらは知り取る。向こうは青血、黒血、赤血、真血を吐け。泡を吐け。」
半分ほど詠い終えると、さっきまでの咆哮とは裏腹に呻き声をあげた。頭を抱えて塞ぎ込んだ。苦しそうに。悲しそうに。
「即座味塵に、まらべや。天竺七段国へ行えば、七つの石を集めて、七つの墓をつき、 七つの石の外羽を建て、七つの石の錠鍵おろして、味塵、すいぞん、おん、あ、び、ら、うん、けん、そわかとおこなう。」
「ぐっ、がぁぁ、ああ゛ぁぁ!!!!」
もう一息。
「打ち式、返し式、まかだんごく、計反国と、七つの地獄へ打ち落とす。」
最後。男に近づいて鞘に収めたままの刀を彼の額へ。ゆっくり、口を開いて柔らかく、言葉に命を吹き込むように。
「唵 阿 毘 羅 吽 欠 娑婆訶」
刀の切先で紋様のある男の額にそっと当てた。たちまちその紋は空へ消えていき、男はそのまま動かなくなった。
世泉はそのまま出てきた場所へ踵を返した。男の方は、医療班と思われる人に大人数で抱えられていたのが見えた。
数秒置いて、どうなっているのか状況が分からずとも、観客から、わっ、と歓声が上がったのが聞こえた。
世泉はすぐに振り返って足早に裏の方へと向かった。