13
視点変わります
暗闇の中に小さな不満の声がこだました。心底めんどくさい、という感じだ。
「立派に建て治っちゃって、しかも牢獄まで」
コハクは窓ひとつない、外界から遮断された地下深い牢屋の中にいた。
千歳と前王オーベルが破壊してしまった西国の王城。それが見事元の形へと姿を変えていた。
完成まで約2ヶ月。以前の城より規模は小さいがそれでも立派である。これでもかなり大きくしたほうだった。王妃の呼びかけに多くの種族が手を貸した。その成果でもある。
最近の事件といえば、今この空に浮かぶ奇妙な目。それが起こした災。"シガ"。そのおかげで順調だった建設も滞った。いかに城への被害を防ぐか、頭を捻らせたものだ。もちろんコハクもシガ退治に駆り出された。その後、王妃ノーラが捕えられたという情報が入った。
一部のオーベル派閥の騎士らによる反乱らしかった。浄化もひと段落ついたコハクは急いで駆けつけたが、時すでに遅し。騎士らに捕えられ跪くノーラと、見た目コハクより幼めの少女が王座の前で王妃を見下ろしていた。
ひっそり影からその様子を伺っていた。
「そこにいるのは、誰?」
バチッと、ほんの一瞬だったが残念なことに目が合ってしまった。もうこれは逃げようがない。はぁ、とため息が出るのを抑えて王座への扉を開いた。
「私よ。アナタこそどこのどいつよ」
開き直ったように、口調を強めて少女に問いかける。
「あら、はじめまして。私はアリサ。今日からこの国の王になるの」
オレンジ色のカールした髪を揺らしながらノーラの前に立ち、綺麗にお辞儀をした。
は、とコハクはそのまま固まった。何を言っているんだ、と言わんばかりの顔をしている。
「にげて、ください………っ!」
「貴女は黙っててよ」
ノーラの必死の声も、術のかけられた拘束具が締め上げられ再び蹲る。
「本気で言ってるの」
「ええ、もちろん本気。これから、あの御方が全てを手に入れる」
"あの御方"とは、的を射ない発言ばかりでなんのことやら頭を捻らせていた。咄嗟に思い浮かんだ、心当たりのある人物が2人。この国の王であったオーベルか、もしくはそのお付きの黒服の魔術師か。
「あなたもコチラ側に、どう?」
スっ、とその綺麗な手を差し伸べられるコハク。だが考えるまでもない。
「遠慮しておくわ」
「そう、残念ね…2人を地下牢へ」
「御意!」
その言葉に周りにいた騎士らがコハクを取り囲み、あっという間に拘束され、ノーラと一緒に地下へと監禁されてしまった。そして今の状況がある。
湿っぽくて、陰気臭い。鬱陶しさを感じながらもやるせない気持ちは募っていく。牢に入れられたのはこれで何度目だろうか。幼少期から奴隷商人の元にいた彼女からしたら、暗いところにいい思い出はない。誰でもそうだろうが。
「…ごめんなさいね。私のせいで貴方まで」
コハクとノーラのふたりは同じ牢に入れられていた。ふと向かい側から謝罪の声が聞こえた。
「別に、私が勝手に来ただけよ。アンタのせいだなんて思ってない。私の自業自得よ」
それに慣れてるわ、と付け足す。その言葉を不思議に思ったのか、首をかしげたノーラ。しかし、特にコハクが口を開くことは無く静寂が訪れる。
ぽちゃん、ぽちゃん、と不気味な、雫の落ちる音だけが聞こえる。
「ねぇ、王女さま。あの、アリサってやつ知ってんの」
「いいえ、ただ、彼らの仲間でしょう」
「彼ら、あの王さまたちのこと?」
コクリと頷くのがわかった。この地下牢には2つの松明が外側に飾られてある。それでも十分確認できる。しかしコハクはフェンリルという種で、夜行性。五感は人より何十倍も優れている。暗闇だってへでもない。
「そういえば、お名前聞いてませんでした。私はノーラと申します」
呑気に自己紹介を始めた。そう伝えれば、
「こういう時だからこそ、ですよ」
ふふっと美しく上品な笑い方に惹き込まれそうになる。王妃というだけで、このオーラ。ちょっと不平等やしないか、と思うのだった。
「…コハク」
「あら、素敵なお名前ね」
名前を褒められて少したじろいだ彼女。
この名前はシグレにもらった名前だ。彼に奴隷商人から助けてもらった時、まだ名前がなかった。物心つけば奴隷として生きていたから。だから、彼が真剣に考えてくれたこの名前が、コハクにとってかけがえのない1番の宝物なのだ。
素敵、だと言われて嬉しくないはずがない。
「あ、ありがとう」
「ふふっ、きっととても素敵な方につけてもらったのね」
「さぁ、それはどうだか」
「あら、そうなの?」
ここにシグレはいなくとも、恥ずかしさが混ざりつい強がって誤魔化してしまう。それにはノーラも笑っていた。
そこで話を切り替えるべく、ノーラに尋ねた。
「アンタにもいたんでしょ、ステキな人」
「はい、いました…ね」
コハクはわざと過去のことのように言った。ノーラも同じように、あの人を、あの王を過去にした。
出会った頃の話、その時は"あんな"ではなかった、と。彼女は幸せそうな顔を時折交えながら、"彼"の話を続ける。
「こんな話つまらないでしょ?」
ひと通り話し終えた彼女は、控えめな自虐をしながらコハクに問いかける。
「別に…」
素っ気なく答える。
「コハクさんにはいないの、そういう方」
もう一度問いかけられる。コハクにとってどうでもいいものだった。だけれど、一瞬考える自分がいることに気づく。浮かんでくるのはシグレの顔。訳がわからないが、その浮かんだ顔に腹立たしく思う。慌てて首を横に振り、現実へと戻る。
「私にはね、ひとりだけ息子がいるの」
突然の告白だったが、驚く素振りもなく話を聞く。
「この国にも、誰にも公表してないの」
「知ってるわよ。それが誰だか、全部知ってるわ」
ノーラが声を発する前にそう告げた。えっ、と息を呑む音が聞こえる。しかし、何故、とは聞かない。少し考えるようにして俯く。彼女が何を言おうとしているのか分かるはずもないが、気長に待つことにした。
「そう、ですか。彼は元気?」
「ええ、元気なんじゃない。うざったいぐらいには」
冗談で言ったつもりが、彼女はそれをどう捉えたのか、目尻から1粒の雫を垂らした。嬉しそうに笑っていた。
「ねぇ、コハクさん」
じっとこちらを見てくる彼女に、なによ、と目で訴える。
「あの子のこと…お願いします。私では守れない。だから、どうか」
「私知ってるとは言ったけど、別に一緒にいるなんて言ってないけど」
「そうでしたね」
特にこれといって話すこともなくなり、ふたりは初めのように黙っていた。
外の方が騒がしくなっているのを感じ取りながらも、なす術のさなを痛感していた。
彼女ら2人の拘束具は一時的に魔力を吸収し、あらゆる能力を封じてしまうものだ。そういう術がかけられていると言うべきか。
コハクは自由を奪っている手枷を睨んだ。だからといってなにか解決するということでもない。どうにでもなればいいと、そう思った時だった。
この地下の奥深く、それなのにハッキリと聞こえてきた爆音。音はくぐもっていたが、天井からパラパラと小さな石や、砂が落下してきた。加えて、縦に揺れが来た。
推測をするならば、あらかたオーベル派閥でない方、王様からしたら反乱軍と言ったところか、そいつらが騒ぎの犯人。反乱しているのは、派閥の方だが。
もしくは、派閥の方の威嚇行為とも取れる。力を見せることは権力を示すのと一緒。手っ取り早く従わせることの出来る方法。後者の確率が高いといえるだろう。彼女らふたりが捕まったのも派閥のヤツらのせいでもあるのだから。
この騒ぎに応じてここからいち早く抜け出してしまいたかった。ずっとここにいるわけにもいかない。しかしこの忌まわしい手枷のせいで足止めを食らっている。
出られないことはない。コハクの狼神の能力は、血液から、細胞から、彼女の一部となっている。この手枷だって関係ない。
ただ問題がひとつ。目の前にいる麗しきこの王妃様。コハクはあまりこの姿を見せることは良しとしていなかった。彼女の過去が疎ましくまとわりつき、不快にさせる。コハクの人間嫌いと今の性格に至ったのもそれが要因である。
そして再び大きな爆音と地響き。だんだん、連続して音が鳴るようになった。結構荒れているのかもしれない。だとしたら、あの3人も対処に追われているだろう。情報は回っているかもしれないが、助けが来るのはまだ先になる。
「王女さま、ここから出るわよ」
「…しかし、どうやって」
目を少しだけ見開いて、コハクの方を見た。紫の瞳が松明に照らされ、その輝きが増す。
「こうやるのよ…」
手一杯に力を込める。人ならざる者の手へと姿形を変えていく。最初は力のコントロールさえままならない時もあった。自我が喪失し人を喰うたこともあった。この姿にいい思い出はない。嫌われてしまうのが落ちだ。
筋肉質に変化していく腕には筋や血管が浮き上がり、指先には鋭い爪が生えている。そしてようやく、ガチャン、という音と同時に手枷が外れ、重力に従い無残な姿で落ちていく。すぅーっと、コハクの手も元のカタチへと戻った。
「ちょっと、あんまり見ないでよ…醜いのよ」
コハクは珍しくしおらしくなり、語尾は耳を済まさないと耳を澄まさないと聞こえないくらいだった。じとっとした目でノーラを睨む。
「あら、ごめんなさいね」
「別に…」
「とってもお綺麗ね」
「はっ…??」
何を言い出すかと思えば、綺麗、と。わけもわからず、素っ頓狂な声になってしまったコハク。人間の静寂に狼狽える。
「いえ、コハクさんの目が赤くなってましたので、つい綺麗だな、と」
そうだ、彼女の特性で、確か一部でも狼化すれば目が赤くなるらしい。手元の方じゃなく、目元を見ていたとは思わなかった。
ああ、目ね、となんだか拍子抜けした。
「あと、カッコイイですね。狼? というのですか? …素敵です。きっとお強いのですね」
「…ふっ、なにそれ」
またしても変わったことを言う人だ。思わず笑いが漏れてしまった。気にしていた自分が馬鹿馬鹿しい、とでも言うように。
続いてノーラの手枷を壊そうと思ったが、彼女は王妃だ。傷物にしていいわけがない。手っ取り早くここから抜け出すには、そっちの方が早い。だがここは仕方なく、丁寧に行う。彼女の手に被さった布を取り去れば、さらに頑丈な手枷が姿を見せる。コハクのとは形状が違うものの、かけられている術は同じものと推測できる。
「能力、使える?」
「っ、いいえ、無理みたいです」
「じゃあ、手、前に出してくれる」
「はい」
色白の綺麗な手が目の前に差し出される。その上にコハクが手をかざす。集中を切らさぬようにゆっくり息を吐きながら解錠の術を施していく。数十秒もすれば、ガチャっという音がしてボトッとしたに落下した。
「思ったより時間がかかったわ……まぁ、問題はコレね」
出口を見れば、手枷よりもよほど頑丈なこの格子。完成したのはつい最近ときた。様々な物質を組み合わせてこの格子はできている。そう簡単には壊れてはくれないだろう。
ガンガン、と思いっきり蹴ってもビクともしない。イラつきを露わにして再度格子を蹴った。鈍い音が牢屋全体に広がった。だんだん気力も尽きてくる。朝から死喰を浄化するため駆け回っていたんだ、無理もない。
「ここは焦らず行きましょうか。次の日まで看守が来るのを待ちましょ」
「何されるか分かんないのよ?」
「ええ、覚悟はしております。ですが、焦って誤りを犯すよりマシでしょう?」
「そう、アンタがそれでいいなら、私はいいわ。心配しないでもちゃんと守るわ」
約束してるもの、と言う声。それはノーラには聞こえていなかった。
「頼もしいですね」
「私はただ無駄な争いをする人間が嫌いなだけよ。 …それにアンタはこの国、唯一の光」
「……いいえ、私にそんな力はありません」
自分は無力です、と言い張るノーラ。そしてこう続けるのだ。
「私は日々変わりゆくあの御方を見ておりました。何もできず、ただ見ていることしか…そしてあの男の存在に気づきながらも…」
しんみりした空気が漂い始める。そんな空気を読まないのが彼女だ。
「見せてあげる」
何を言うかと思えば、その一言だった。話なんて聞いていない、というような素振りさえ見える。お構いなくばっさり切り捨てた。
「アンタがどれだけ望まれているか。どれだけの民がアナタを慕っているのか。アンタが今まで築き上げたものがどれだけのものだった、いつか見せてあげる。だから、それまで生きるの」
彼女はそう言った。強い意志が底には宿されていた。
「ありがとうございます。もちろん、私も死ぬつもりは微塵もありません。あの方には何かしないと気が済みませんもの」
「ええ、その意気よ」
今日はそのまま大人しく、次の日に備えて休むことにした。
〇●●〇
「! っ、わわっ」
「おい、だから言ったんだ」
「だ、大丈夫です! すみません」
ホタルは攻撃をかわそうとしたが、足に小石が引っかかり態勢を崩されてしまった。そこにツバキがすかさず手を伸ばした。そして再度敵に向かう。
派閥の騎士が暴れていると聞き、この場に駆けつけていた。城から西の方角に1キロほど離れた場所だった。ここは市場として栄えていた。しかし、今は怒声やら武器を振り回す、その騎士のせいで原型を留めていなかった。一体この短時間でどう暴れたらこうなるのやら。
派閥の騎士の殆どがは人間。アウリゥの騎士は人間もいれば、オークやゴブリン、トロール、といった他種族もいる。傍から見ればオークらの方が派閥の方ではないかとも思うのだが、実は真逆だった。
彼らはあまり意味をなさない争いごとを嫌っていた。今のアウリゥになるまで多くの苦労があった。人間と彼らとの間では争いごとが絶えず起こっていた。侵略し領地を拡大しようとする人間に対し、彼らは自分らの領地を汚されることを嫌っていた。
それゆえオーベルを遠巻きに嫌煙していた。
そこで、ひとり倒れたゴブリンを見つけた。
「おい、聞こえるか? 何があった。」
ツバキが声をかけるが、あ、とか、う、とか言葉にならない声ばかり聞こえる。よく見ればその小さな体に大きな切り傷が存在を主張している。人間よりは小柄な彼ら。成長しても人間の子供ぐらいにしか育たない。だが魔力の扱いには長けている。動きも敏速だ。
「に、にんげ、ん…じゃ、ない…」
ついに喋り出したがその声は異様に小さく、聞き取りにくい。
「おん、なが……あいつは、悪魔だ」
しゃがれたその声がはっきりとそう言った。"悪魔の女"。なんとも気がかりなワードだ。
ホタルが治療を施すが、出血が止まらない。奥深くまで斬られてしまったみたいだ。そしてホタルは気づく。
「もう、無理です。毒が…回ってしまっています」
「そうか、じゃあ行くぞ。これ以上被害を出したくない」
「は、はい」
特に驚く素振りは見せないツバキ。淡々とした動向はいつもと変わらずだ。物怖じせず何事にも動じない。それが彼の性質と言ってもいいだろう。
ホタルも急いで彼のあとを追った。
これといった悪魔のような邪悪な気配もない。だが、隠れて難を逃れた者が同じように、悪魔だ、とか、恐ろしい、などと口々にしていた。して、皆同じほうを指さす。ツバキは迷うことなくそちらの方へ向かっていく。だんだん王城が大きくなっていく。つまり、その悪魔とやらはどうやら城に用があるらしい。
まだ城までの道は長い。なぜなら、暴れた騎士らの対応に追われているからだ。どこからともなく湧き出てくるのだ。2人での対応には無理があった。言うなれば相手は元同胞である。内戦状態にあるものの、殺す訳にもいかないのだ。もし殺してしまったとして、どんな強硬手段を取られてもおかしくない。
ツバキは、前で戦うホタルを気にしつつ敵の死なない程度に急所をつく。そして背後に迫る影には気づかない。
「余所見しちゃぁ、ダメだよねぇ」
その声が聞こえた時には遅かった。
「ツバキさんっ!!」




