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不定期更新申し訳ないです。
今月は書き溜め期間に入りますので、次は年明けからの更新になります。
よろしくお願いいたします。
ひと息ついたところで傷を癒すことにした。自身の身体に目をやればそこら中に擦り傷、切り傷が目立っていた。
陽和にも治癒を手伝ってもらった。浅い傷は見る見るうちに回復し、傷跡にも残らなかった。深い傷はまだ完治しておらず残ってしまっていたが、数日すれば治る深さだ。
それから浴場へいき、あらかじめ沸かしてあった湯船に浸かりその傷を癒す。檜をあしらったその浴槽。木材のいい香りが全身の疲れを浄化させていくようだ。
残っている傷が少し、ピリピリと痛む。がそれが気にならないくらいには疲労が溜まっているようで、目を瞑ってしまいそうになる。堪えて、湯の中から身体を出す。ひんやりとした空気を感じる。熱が冷める前に急いで体を拭きあげた。
春になったとはいえまだ夜は気温が一気に下がり、冷たくなる。ボロボロになった着物を捨てて、新しい着物を引っ張り出してきた。まだ一度も着たことのないそれは、閉まっていた場所の匂いが染み付いている。嫌な匂いではない。むしろ好きな匂いだった。
浴場をあとにして居間へと向かう。
世泉に気づいた陽和は、おかえり、と、言うのだった。それに少し微笑むだけの世泉。
「疲れは取れた?」
「どうだろうな……。 これ以降何も無いわけがないしな、疲れなんて忘れるさ…多分」
陽和にそう答えると、彼女は苦笑して、それもそうね、と言うのだった。
気を張っていないとどこかでボロが出そうで怖い。そんなことを考えている世泉にルカが
「今は少し肩の力抜いてても、バチは当たらないと思うけどなぁ」
笑って一言。
「しかしな…」
「世泉も大分頑固だよねぇ」
「お前も、同じだろ」
自分で言ってたじゃないか、と世泉。
そのまま恨めしく思ってルカをじぃーっと凝視する。頑固じゃない、と目で訴えてみる。それでも浮かべて笑は崩さず、ニコニコして真意は読めない。
「はぁ、もうどうでもいい」
結局世泉が折れる形になった。ルカは、ははっ、と声を上げて笑っていた。
「ふたりとも似たもの同士ね」
「どこが」
世泉は軽く呆れてぶっきらぼうに返事をした。それほど険悪でもないし、重要なことでもない。本当にくだらないこと。逆にそれが笑えてきて、3人して意味もなく笑った。
おかげで力は抜けた気がする。
「ねぇ、世泉」
突如、今の今まで笑いを崩さなかったルカが真剣な顔をして、彼女の名前を呼ぶ。彼の纏う雰囲気も少し変わったのを感じ取ったふたり。それに応えるように真剣な顔つきで耳を傾ける。
「迎えに来るって、どういうこと」
あの時、ヘルシャフトが言っていたことだった。重苦しくのしかかってくるその言葉。世泉にとってはもう聞きたくない言葉。口を噤んでしまった彼女。それでもルカから喋ることはない。ずっと彼女の言葉を待っている。
今度は世泉がルカにじぃーっと凝視される番。その視線は不快で、非常に居心地の悪い。あと、居た堪れない。
世泉はスっと立ち上がって縁側のほうに行きそこに腰を下ろした。ルカと陽和からは彼女の背中しか見えない。今どんな表情をしているのか、何を思っているのか、読み取ることができない。
それでも彼女が息を呑むのがわかった。ようやく、固く閉ざされた口が開くのだ。世泉も重いその口を思い切って開いた。
「…知らない」
なにも言えない、とそれだけだった。たったその一言だけ。それさえ口にするのも彼女には億劫だった。
「君は、世泉は何を知ってるの。それは、俺たちには言えないこと?」
違う。違う、そうじゃない。
「そうじゃ、ないんだ。そんなんじゃない」
今にも消えそうな声は悲痛な叫びにも聞こえてしまう。彼女の言葉にはとてつもなく重い何かがのしかかっているようだった。彼女はいったい何を抱えているのか。どれくらい重いのだろうか。
ルカも陽和も黙っていた。そしてまた彼女の発せられるその言葉を待っていた。
世泉はぽつりぽつり、話し始める。絞り出したその声もどこか儚げでさきほど同様、すぐ消えてしまいそうだ。か細く弱々しい。
よく耳を澄まして、ひとつひとつ彼女の声を拾っていく。
「私は、私がこのことを話せば、皆、一条も陽和も雅も紫苑もみんな、何処か行ってしまいそうで怖いんだ。 …私が私でいられないような、そんな気がするんだ。 信じてないわけじゃない、ずっとそう思っていた、けど、やっぱり、心のどこか深いところで疑ってしまうんだ」
夜空に消え入りそうな悲しい声。
「臆病、だから…自分が弱いから」
的を射ないその話の意味は理解できない。
「君が何を抱えているか、そんなの俺には分からないよ。それに理解も完璧に出来るわけじゃない。信じるとか疑うとか、その前に俺たちは言葉で伝えなきゃなにも分からないんだよ」
他人呼吸おいて、ルカはこう続ける。
「だっていきなり知らない人間を信じろって言う方が無理だよ」
みんなそれは一緒なんだ。優しく語りかける。陽和も彼の言葉に相槌を打つ。
「でも、信じきれなくったって俺はいいよ。自分のことは自分しかわかんないんだから。知らない人から名前言い当てられたら、それこそ気持ち悪いでしょ?」
唐突でへんてこな例え話に思わず、なんだそれ、と、振り返って笑ってしまった世泉。小さな笑だったが、さっきまでの弱々しさはなくなっていた。
「やっと、笑ったね」
「え…」
ルカは彼女の姿を見てそう微笑んだ。そんな彼の顔を見れば、余計に心が熱くなる。ここまで優しい人間があるのか。きっと、ルカの性格なんだ。彼は誰にでも優しい。
そこでふと、気づいた。そういうことか、と、声を漏らした。どうやら、その声は2人にも聞こえていたらしく首をかしげていた。
「分かったよ。私、結構馬鹿だったな…ルカも陽和もこんなにあったかいのに、全然気づかなかった。勝手に悩んでなんか損した気分だ。可笑しいな」
眉を下げて苦笑した。しかしルカは全く関係ないことを指摘する。
「世泉が俺の名前呼んでくれた」
感無量、という顔をしている。陽和は、良かったですね、と笑いかけていた。世泉は半ば呆れていたが、言われるまで気づかなかった。慌てて詫びを入れる彼女。いいのに、とルカは言うが、結局"一条"という呼び方に戻ってしまった。それにはルカも不服のようで、不貞腐れていた。
横目で黙って眺めていた陽和は再度こう言った。
「仲がいいのは、良い事ね。羨ましい」
誇らしげに「でしょ」と満面の笑みで胸を張るルカ。
「陽和とも仲いいと思ってたんだが」
「もちろん、そのつもりだよ?」
陽和は優しい顔をした。
世泉は再び真剣な顔つきで
「話せる日まで待っててくれるか…私にはまだ勇気がない。だから、それまで待っててほしい」
伝える勇気、そして信じる勇気。それを作る時間が。
「待つよ。ずっと待っててもいいよ。俺は」
「私も、ルカさんと同じよ」
ふたりも真剣な表情で黄泉の言葉に応じた。彼女は再び背を向けてすっかり夜になった空を仰いだ。相変わらず大きなその瞳を瞑ったまま悠々と浮かんでいる。その奥に煌々と輝く月が顔を出している。月に照らされた彼女はどこか儚げな雰囲気を持っていた。
"ありがとう"、声に出せずじまいだったが、きっとふたりには伝わっているのだろう。だって、背中を向けた彼女の肩が微かに揺れていたから。そんな世泉を一目してルカと陽和は顔を見合わせた。
沈黙になってから少しして、奥の襖を開く音がした。もちろんそこに立っていたのは雅と紫苑で、
「よ、よみさま! 僕たちもいます、だから」
忘れないでください、と、その形の整った小さな口を開いて言った。それに続くように紫苑も告げる。
「私も、世泉ねぇ、信じてる」
不安そうな顔で言うものだから、それがあまりにも愛らしくてもう裏切るとかそういう問題じゃない。頷いて、その場から立ち上がり、2人に近づいていく。一気に2人の背中に手をまわしぎゅっとそのまま抱きしめた。
「ああ、ちゃんと分かってる」強くそう言った。彼女の眼にも強い意志が宿されていた。
〇●●〇
自室の前の縁側で物思いにふけっていた。気づけばここに来て、年が明けて、三月ほど経っていた。短いようで長い。思い返してみれば、どれも色濃く、全て思い出せるような、そんな気がしなくもなかった。
雅が北王に連絡を取り、その報告をさっき聞いたばかりだった。王からの言伝によれば、ルカの言っていた推測は正しかった。アルムアックの開眼による死喰の出現。同じ現象が北の国でも起こっていた。その後、他の2国からも連絡が入り、同様の被害にあったそうな。
100年前の悲劇が繰り返されてしまった。これから起こることは、もっと残酷で無慈悲に心を抉り取られるようなことだと想像するのだ。
燃え上がるその戦火は途中で消えることは無い。消し去るのは不可能だ。燃えきったあと、どちらが後の処理をするか。それが勝敗になる。もう止められない。どちらかが消えてしまう迄、終わることはない。
「今日は三日月だったね」
今はあの瞳の裏に隠れてしまっている月のことだろう。唐突に声がかかった。ずっと思案していた彼女は内心驚きつつも、表では平然を保つ。
「世泉は月が好きだよね?」
「なんで」質問で返す。
「だってずっと見てるから。いつも、夜になってから、ずっと。最近気づいたんだけどね」
当の本人もルカに言われるまでは気づいていなかったようだ。そうだったのか、と、首を傾げた。無意識に見ているんだ、きっと。ただなんとなく、惹かれるんだ。
「ずっと見てても飽きないからな。憧れてるんだろうな」
「…へぇ」
「まぁ今日は寝れないから、否、寝たくないからって言った方がいいか…」
でも疲れているはずで、ずっと起きているわけにもいかない。体も相当重く、足が棒になる、とはこのことだ。とても気だるい。そう感じているのは確かだ。
「お前も見えてるだろ、あの黒点。ネグル」
昨日の夜が明けて、そしてまた今日の夜がおとずれ、一睡もせず戦ってきた。戻ってきてから、いや、戻ってくる時から、ずっと黒いマナが点々と浮かんでいた。その時はまだポツポツと斑で、今になればほぼネグルしか浮かんでいない。
ルカは、小さく首を縦に振った。沈黙が訪れる。それを破るのは世泉の澄んだ声。
「着いてきてほしい所がある」
彼の目を凝視する。行き先を聞くでもなく彼は、
「行こうか」
立ち上がって歩き始めたのだった。世泉も黙って隣を歩く。
相変わらず閑散とした街は廃墟のようだった。暗闇のせいでもある。立派な屋敷やら宿屋は木屑の残骸が残るだけとなっていた。無残な姿を晒している。
だが大きな変化がひとつ。争いから難を逃れるため、命を確保するため、街から避難した民ら。夜も老けた今、ちらほら見かけられる。
彼らは、跡形もなくなった屋敷の残骸を、燃やしている。それぞれが一箇所に集めて、その過程を眺めている。眉ひとつ動かさず只只、見ている。だけどどこか名残惜しそうに。白い焔が彼らの瞳に映っている。
それは白焔と呼ばれる。それで浄化を施す。すべてのモノには命が宿る。それらが消えて、壊れてしまえば浄化の焔で弔うのだ。何百年も、何千年もの昔から行われてきたものだった。東の民は皆それを使うことが出来る。
彼らは忘れずに戻ってきたのだ。
街の中心部に近づくにつれて燃え盛る白焔がポツポツ増えてきている。その光景がなんとも幻想的で美しい。
「綺麗だね」
「めでたい事ではないがな…」
それから20分ほど歩いたところで世泉の足が止まった。
ボロボロになった暖簾が力なく垂れ下がっている。風に吹かれて今にも飛んでいきそうだ。
外形はまだちゃんと保たれている。が所々に攻撃が掠ったような、そんな跡がある。表の扉だけがなく、攻撃を免れなかったのだろうと想像した。それでも運良く直撃する事は無かったみたいだ。
「ここって」
「私が住んでたとこだな」
ルカにも見覚えはあるはずだ。
世泉はずっと気がかりで仕方なかった。どうしてもこの目で見たかった。取り敢えずは、宿が残っていてよかったという安心が広がる。
海晴のことだから、逃げたという可能性は低い。何がなんでもこの宿は自分が守ると言っていた。
世泉がこの街へと辿りついたとき、右も左もわからなかった彼女をアレコレ、手を焼き与えてくれたのが楪の女将、海晴だった。結局宿に住まわせてもらうことにした。働くことを引き換えに、だ。それくらいへでもなかった。逆に申し訳なく思うくらいだった。
海晴お人好しで、でも凛とした芯のある女性だ。彼女を慕い、憧れるのに時間はそうかからなかった。心から尊敬していた。今でも世泉の心は変わってない。
意を決してボロボロの暖簾を潜り、中へと入る。慎重に、足を進める。アルムアックの攻撃で地鳴りが激しかったのもあり、1階の机や椅子やらは倒れてしまっていた。いろんな調理器具や調味料類が散乱している。
思ったより被害は大きい。人の気配もない。果たして本当に海晴は居るのか、嫌な考えが頭の中を過ぎった。
「大丈夫」
世泉の不安を感じとったのか、ルカが声をかけた。なんとか落ち着きを取り戻して奥へ奥へと入っていく。この宿は3階まである。1階は食事処と大浴場。2階が客間。その客間には誰ひとり居なかった。続いて3階への階段を上がっていく。ギシギシ、板の軋む音が響く。その音が不安を煽った。
そこには2人の共有部屋があるだけ。ひどく懐かしい。この匂いも、雰囲気も。
一直線に海晴の部屋へと歩を進める。
「海晴さん」彼女の名前を呼んだ。小さくこだました。そっと障子を引く。そして安堵の息が漏れた。布団がひとつ、ぽつんと敷いてあり、大きく盛り上がっている。きっともう眠っているのだ。思えば夜も深い時間帯。既に日をまたいでいる。流石に起きている人は少ないだろう。せいぜい夜行性の妖モノくらいだ。
「帰るか」
「もういいの?」
「ああ、もう大丈夫だ」
そそくさと退室し玄関先へと向かう。
外はひんやり、どこか心地よかった。心配と焦りで体中の体温が上がっていたようで、丁度いいと感じるほどだった。
帰ってから、その日は一睡もすることなく朝を迎えていた。
それにしても暗い。あの瞳のせいだ。鈍色の雲が取り巻くようにかかっている。太陽は隠れてしまっている。アレがある限りきっと太陽を見ることは叶わない。
気分もどんより、重苦しいのは拭えない。
ふと、空の高いところで旋回する飛行物を黙認した。なんだなんだ、と凝らして見る。するとその飛行物が一気に世泉向けて下降してくる。
かなりのスピードで近づく。はっきりと確認できる距離まで様子を伺う。特徴的な胸あたりの波模様。千歳の相棒の鷲、漣だ。
世泉は彼が着地しやすいよう腕を上へ掲げる。漣は見事にその腕へと降り立った。スマートなその仕草は惚れ惚れする。
「おかえり……ん、なんだ?」
足元を見ればあせた色の封が丁寧に巻かれていた。それを取り外せば再び空へと舞い上がっていく。
手元へ視線を移して例の封を開ける。そこに書いてあることに、思わず声を漏らしてしまった。
〇●●〇
「で、なんて書いてあるの?」
手紙は西の国からのものだった。
急いでルカらに知らせなければ、とバタバタ音を立てて廊下を駆け抜けた。いつもマイペースな彼女の行動としては珍しく、4人にも驚かれていた。そして何事かと問うたのだった。
「西が、西国が墜ちた、と」
全員が顔を強ばらせ、凍りついた。