3話 スタート合図は聞こえない。
「橘 葵」。
フリガナと漢字の配置のバランスに技術が求められそうな名前の彼女はコンビニ(ココ)のアルバイトの同僚で、更に言えば高校での顔馴染みだ。
元々地元の若者しか入ってこないような田舎まるだしの高校に、劇的な環境の変化を期待してはるばる最寄りの駅から電車を2本乗り継いでまで入学した俺は、そこで初めて彼女と出会った。
なるほど運動部らしくスタイルは中々に端正で、俗っぽく言えば「引っ込むとこ引っ込んでて出るとこ出てるメリハリボデー!」って感じ。
強い日差しで薄く焼けた、健康的な色合いの顔。そこそこに整ったその面差しにも関わらず、それを鼻にかけない自然体な態度も魅力の1つだろう。イマイチ華やかさに欠けるのは化粧に慣れていないからか。まぁそれも時間の問題というやつだ。
ハッキリ言って今のままでも、男を10人連れてきたとして6人は「可愛い」とこぼすだろう。ちなみに俺も初対面で同じ言葉をこぼしそうになった。
そんな彼女と初めて会ったのは、というか彼女と接触したのは、入学したての昼休みのこと。
できたばかりの友達との探り探りの会話と昼飯、その最中にズカズカと廊下から一直線に俺の机まで歩いてきた彼女の「放課後3Bの教室に来て」という言葉から関係が始まった。
それ以外じゃホームルームのクラスでも部活動でも顔を合わせることなんてほとんどない。たとえすれ違っても軽い会釈とか、「よう」とか「ん」とか、挨拶かも怪しい声を掛け合うことくらい。
それならば一体なぜ彼女と『顔馴染み』なのかと言えば、
「……はやみん」
「お、おお……」
コイツが俺の彼女の親友で、その彼女の相談相手兼俺の相談相手でもあるから。
要は俺と彼女のパイプ役だ。
ちなみにコイツは俺のことを「はやみん」と呼ぶ。
「……どういうことなの?」
「いや、俺にもさっぱり……」
「だろうね、フフフ」
疑いと不機嫌さを混ぜ込んだような色で薄褐色の少女の声が投げられる。
好意的な態度でないにもかかわらず、その声はサラリと耳を撫でるような心地よい感覚。
対照的に馬男の方は意地の悪さを多分に含んだ悪戯小僧のような声。
いちいちカンに触る奴だな。
「ヨコヤマさん」
「フフフ……ん、何かな?」
「今すぐこの状況を説明するか、また頰にアザを作るか、どっちがいい?」
少女の声色はほぼ変わらない。
しかしそこには明らかに怒気が含まれており、目に見えて狼狽する馬男の態度を見なくともはっきりと感じられるほどだった。
どうやら俺以上に、馬男の態度に思うところがあるらしい。
「えっと、橘もコイツのこと知ってるのか?」
「こっちが聞きたいくらいよ、まさかはやみんとヨコヤマさんが一緒にいるなんて。……どういう関係なの?」
質問に質問で返されてしまった。と言っても彼女のこの反応から察するに、今の俺と同じ気持ちなのだろう。突然話しかけてくる異形の怪人(?)っていうだけで十分ぶっとんだ話なのに、その怪人がまさか自分の友人と楽しく談笑しているなんてもはやギャグ漫画だ。彼女がどういった経緯で馬男と出会ったのかは分からないが、おそらく何も知らずにこの場面に出くわしたんだろう。混乱が生まれるのはむしろ彼女に決まっている。
「なんというか……行きずり?」
「一夜だけの関係さ」
「状況を面倒くさくするな変態変体詐欺師」
馬男の軽口にあからさまな嫌悪を示す橘。
やめろ、後ずさるな!本気にするんじゃない!
「彼女持ちな上にプレイボーイで両性愛だったなんて……、特殊なタグが多すぎて読む気が失せるわね……」
「その発言はつまり橘もしっかり知識旺盛だと受けとって良いのか?」
「冗談よ、学校の男子が休み時間によく言っていたのを使ってみただけ」
言いながら馬男に向き直り、軽い会釈でもするかのようにヘッドロック。
「ヒヒッ?!」
ギリギリと音が聞こえてきそうな絵面にもかかわらず、橘の顔はあくまで涼しげだ。彼女の脇腹に抱え込まれて額に血管を浮かべながら必死に小手を叩く馬男。「ギブッ!ギブッ!」とわめく姿がより一層痛々しく映る。あれ、コイツってこんなに暴力的だったっけ……?
「ってことはつまりはやみんも、突然現れたヨコヤマさんに訳の分からない宗教勧誘を受けたクチね」
「橘もそうだったのかよ……」
「ええ、もちろん小中学校での教えに習って不審者は撃退したけど」
学校でそんな風に習った覚えはありません。
そういえば橘のやつ、馬男の事「ヨコヤマさん」とか言っていたか。
「馬男とは結構付き合い長いのか?」
「そうね、もう半年くらいかな。とは言っても月に一度か二度会うくらいよ」
驚きだ。俺がこの馬男、ヨコヤマと出会う何ヶ月も前から彼女はコイツと親交を持っていたのか。それに俺と違ってヨコヤマは定期的に彼女のところに来ているらしい。
いや、俺は出会ってまだ数日だから来なかっただけか。
「でもヨコヤマさんってば、少し話したら途端にどこかへ消えちゃうのよ。目を放した隙にね」
ようやく締め付けていた腕を緩め、青ざめた顔の馬頭が解放される。消え入りそうな呼吸で弱弱しく酸素を求めてクチをパクパクする姿は死にかけの鯉そのものだった。
「ぁあ、は、はぁ、さん、三途が、おばあ、ちゃんが、」
虚ろな目で何やらブツブツとつぶやいている変態変体怪人。
「それに、候補もまだ見つからないみたいだし」
「候補?」
「うん。……何?知らないの?」
俺が疑問形で話の一部を復唱すると、何を言い出すんだと怪訝な面持ちで逆に尋ねてくる。
「初めて会った時にヨコヤマさんに言われなかったの?あ、はやみんってもしかしてそういうの笑ってバカにするタイプなんだ?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ……、っていうか自分で『訳の分からない宗教勧誘』って言ってただろ……」
橘の声から露骨に不機嫌の色が滲み出る。コレは日本のサブカルチャーを見下す輩を心底嫌っている人間の態度だ。気持ちが汲み取れるだけに、橘の今の心情が嫌というほど伝わってくる。
俺は昨今の漫画やアニメやライトノベルなどに関して、かなり肯定的な人間だと自負している。そのことを公言こそしていない(むしろひた隠している)が、世間の所謂”イケてる”彼ら彼女らが眉をひそめるような現実感のないラブコメディやご都合ファンタジーだってあっていいと思うし、むしろそんな数々の芸術作品が世間の大多数から強い風当たりを受け続けている現状を嘆かわしく思ってすらいる。俺が隠しているのはむしろ、知られる事に対する恥や劣等感などのようなくだらない考えからではなく、否定派の彼らとうまく折り合いをつけるための処世術であると言っていいだろう。
しかし。しかし、だ。考えてもみて欲しい。
真夜中のバイト帰りに現れた見慣れない純白タキシードの人外がテレパシーで『どうも神です』と自己紹介、間髪いれずに『異世界召喚してみない?』と誘いを受け、信じてみたらあっさり騙され追剥ランナウェイ。もう何が何やら、物理法則だって信用ならなくなるのも不思議じゃないはずだ。そんな中にあってどうして初めの話の内容などホイホイと信じられよう。
「ソレはソレ、コレはコレよ。それに、懲りずに何度もキッチリ詳しい状況を話してくるものだから少しは真に受けても良いかと思ったの」
「なるほどな。詳しい状況っていうのは?」
「本当に何も聞いてないのね……。分かった、私から話してあげる」
言うや否や、ヨコヤマへと鋭い視線をぶつける。
「職務怠慢な自称カミサマに代わって、ね」
「これからゆっくりやろうと思っていたんだけどなぁ……」
「何か?」
「ヒヒンッ」
橘は、空いているパイプ椅子に腰掛けて少しの間考えるような仕草をとった後、思考の軌跡を辿るように、狭苦しい空間の中でつらつらと言葉を紡ぎ始めた。
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『異世界召喚』。
言うまでもなくそれこそが俺たちを巻き込もうとする件の核心であり、その目的は『世界の完成』の手伝いであるという。
幼少から高度な「シミュレーションゲーム」や「空想小説」に囲まれて育ってきた現代の若者を、異界の神々が生み出した未完成の世界へと召喚し、欠陥を見つけて修正する。更にはその叡智をもって、より良い世界へと導き、より鮮やかに世界を彩る。
馬男達は日本全国の至る所でそのための候補者を何人も探し、接触し、彼らを「勧誘」しているのだそうだ。
「勧誘」という名の通り、彼らは候補者を無理やりに連れていったりはせず、その意思を尊重するのだと言っているらしい。
何故なら選ばれた者はあくまで「召喚」されるだけで、神々の依頼に強制力はない。
多少強引に命令を下すこともできるようだが、世界への直接的な干渉を避けたい彼らはできるだけ能動的に目的を達成させたいというわけだ。
俺は橘の話を聞きながら納得する。
なるほど人選に誤りはない。確かに俺は、ヨコヤマの持ち出してきた話に信ぴょう性を感じた時点でなんの抵抗もなく受け入れていた。遊ばれるような形になったが、あの茶番はむしろフレンドリーに接するための彼なりのパフォーマンスだったんだろう。
尤も、フレンドリーで財布が盗めたら警察はいらないのだが。
しかし考えてもみろ。異世界召喚が本当だからこそ、すぐに必要なくなるであろう財布と携帯なんてハナからなくたって大した損にもならない。
数日でまた顔を出した事がその証拠だ。アレは彼のちょっとした遊び心だったのだ。
そうだそうだ、きっとそうだ。
それにしても、予想が正しいとなると橘も昨今のアニメや漫画のようなファンタジーに興味があるのだろうか?
現実逃避願望があるとか?
実はコイツもかなりその道に精通していたりするのか?
半ば強引に話の辻褄を合わせて納得したり、更に浮かんだ疑問に頭を傾げたりしていると、それらの思考を遮るように橘の声が投げられる。
「その候補者なんだけど、まだ選びきれていないみたい。そのおかげで私は半年も待たされているのよ」
「へぇ、なるほどな。それじゃあ俺が選ばれたのは結構後の方なのか……」
異世界召喚の候補が他に何人もいると聞いて、自分だけが特別というわけではないのかと少しガッカリとした気持ちになる。
いわばこの件に関して自分が主人公というわけではないという事。
更に言うなら、勧誘を受けた時期からして自分はむしろ残りものに近い気さえしてくる。
「いやいや、最近じゃあむしろこっからの巻き返しが定石だし、むしろお約束展開のハズ……」
「何ブツブツ言ってるの?まだ話は終わってないんだけど。それで、候補者にはそれぞれ、」
俺がなんとか気持ちを立て直そうとするのもお構いなしに橘は話を進めようとする。
が、そんな彼女を遮るように、今まで黙りこくっていたヨコヤマが突然声を張り上げた。
「チカラが!与えられるんだよ!」
「いきなりどうしたんだよ……」
「いやぁ、このままだと役目を全部持っていかれる気がしたからね、フフフ!」
それまで大人しくしていたのが嘘のように上機嫌な声色で、手を大きく広げて説明を始める。
「はやみんと初めて出会った時に少し説明したと思うけど、候補者にはそれぞれ人知を超えた特別なチカラを貸し与えているのさ」
「はやみん言うな変態」
「ヒヒン!手厳しい!」
ヨコヤマは自分の額にペチッと手を当て、むしろ嬉しそうに受け答えする。
しかし、チカラか。あの時は『愚者』を与える、とかなんとか言ってたな。
すかさずヨコヤマは俺のつぶやきに返答する。
「よく覚えていたね、と言いたいところだけど残念、ハズレさ!君に渡すチカラはとある大人の事情により、『愚者』ではなく『皇帝』にしたんだよ。執筆の方向性の転換ってやつだね……(遠い目」
「よく分からんが、ソレは多分言っちゃダメなやつだと思う」
どこか遠くを見るような目つきでしんみりと呟くヨコヤマ。
「ちなみにアオイちゃんは『死神』だよ」
「えぇ……なんかヤバそう」
「私だってもう少しまともそうなのにして欲しかったわよ」
ヨコヤマの説明にギョッとして橘を見ると、口を尖らせてそっぽを向く。そりゃあ死神の力なんて字面だけでもロクなものに思えないし、まともなやつなら持ちたくないよな……。
それにしても、『皇帝』と『死神』か。
「一体どんな能力なんだ?まさか最初の頃と同じように名前しか教えてくれないって言うのか?」
「そうみたい。私も教えてもらっていないもの」
苦虫を潰したような顔になる俺と、いくらか諦めがついている橘の顔を見て、ヨコヤマはニヤニヤとネバついた笑みを浮かべる。
「どうだいどうだい?俄然物語が楽しみになってきただろう?」
「不安でいっぱいに決まってるだろう……。使い方もわからん道具一つで生き残れって言われてんだぞこっちは……」
そう、冷静かつ現実的に考えてみれば、かなり切羽詰まった状況である。
「異世界召喚」というワードに浮かれていたいつぞやの夜とは違い、友人が話の間に入ったことで現実感を伴って襲ってくる不安はその過酷さに気付かせてくれた。
文無し宿無し知識も無し、唯一渡されるアイテムは名前以外何もわからないパンドラの箱。スタート地点としちゃ完全に手詰まりだ。
コレがライトノベルの読者ならいざ知らず、実際に自分がその立場に立てばそれがいかに絶体絶命だってことくらい容易に想像がつく。
「やっぱり行きたくなくなってきた……」
「私はもう少しマシな、分かりやすい力が欲しいのだけれど」
「いや橘は神経太すぎるだろ……。むしろお前が怖いわ……」
俺と橘の反抗に、ヨコヤマはウインクしながら軽快な口調で返す。
「フフフ、ビギナーズラックくらいは用意してるさ」
と、視界が不自然にブレる。それはまるで2つのフィルターが重なるように、目まぐるしく動く知らない景色が瞳の奥に顕現した。
「おわっ」
三半規管の悲鳴に当てられて間抜けな声をあげるが、気づけばその景色は跡形もなく蒸発していた。
「何?いきなり変な声出して」
「あ、ああいや、何でもないよ」
橘が怪訝な顔で訪ねてくる。
寝不足でめまいでも起こしたのだろうか。そういえば最近夜更かしが続いているし、きっとその辺りが原因だろう。
そりゃあ目も頭も疲れるわけだ。
「尤も、早々に消費してしまいそうだけどもね」
言いながら馬男は俺の後方、事務所のドアへとその目を向ける。
どういう意味だろう?
突如、音を立てて背後のドアが開けられた。乱暴に動かされた連結部分がまるで悲鳴のように唸る。
オーナーが帰ってきたのかな?
この人もなんだかんだ言って仕事はやるんだな。
それとも表でパートのおばちゃん共にこっぴどく叱られたかな。
アルバイトを途中で投げてしまっていた事を謝ろうと、俺はパイプ椅子を軋ませながら立ち上がる。そのまま後ろを振り向こうと――――、
刹那、視界が踊った。
前触れもなく目の前の映像がそのまままるごと後方へすっ飛び、ハンドルを切るように回転も加わる。 声を出す間もなければ、酔いを起こす暇もない。
激動する景色に先手をとられ、「っ」小さく息を漏らしてうろたえつつもせめて何かに掴まろうと手を出す。が、不思議なことに手に送った電気信号は一向に戻って来なかった。
感覚がないらしい。
宙に投げ出されたような景色の中、極限まで引き伸ばされた一瞬の中で思考の海にもぐり、しかし極小の時間で浮かぶのはクエスチョンマークばかり。ただただ呆然とこの不可解な現象に身を任せる事しかできない。
何が起こってる?
馬男が”何か”を起こした?
そうだ、今は手の感覚が無い。
俺自身が”何か”をされた?
じゃあなぜ今その”何か”をされた?
どの疑問も、回りながら遠のく視界の中心点に吸い込まれていく。
心なしかその視界の隅っこから闇が迫っているように思えるのも、きっとただの気のせいなんかじゃない。
俺は気絶させられようとしている?
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?
延々と答えの無い問答は、次第に闇から逃げようとあがく焦りへと変わっていく。
まずい、まずい。
「まずい」、そんな気がする。
まずい、まずい、まずい、まずい。
何を焦っているのかさえ分からないのに、無性にその闇に呑まれてはいけない気がする。
まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい。
まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい。
と、遠ざかる視界の端から視界の中心を支点にした螺旋を描いて何かが飛び込んでくる。
闇に吸い込まれる中、それはとても大きく、酷く見覚えがあるようにも、初めて見るようにも感じられた。
それは身体。歪なカラダ。
見覚えがあるのは自分の服に似ていたから。更に言うならば、自分が「今日着ている」服にそっくりだったから。
見慣れないように感じたのは、見えたソレはその服の背中側だったから。
歪に感じたのは、「カラダ」だけだったから。
ソレは、胴体までしかなかった。
人体に本来あるはずの首が、どこにも見当たらなかった。
頭の中で何かが弾ける。
全てを理解する。
合点がいく。
――ああ、俺のカラダか。
俺は今、首だけってことか。
その首が今、文字通り《宙を舞っている》んだ。
痛みも無ければ感傷も無く、あるいはそれらを享受する暇もなく。
闇が急速に侵食を早め、視界は完全に暗転した。
――ハヤミシオリは1度目の「死」を体験した。
【ハヤミシオリ、シノダリョウヘイによる『判定決闘』が行われました】
【決闘の位置情報を公開します】
【ハヤミシオリの死亡を確認、決闘の続行は不可能と断定されました】
【シノダリョウヘイの勝利と判定されました】
【判定決闘の結果、『対象の殺害』が勝利条件に設定されました】
【『召喚候補戦』の開始を宣言します】