二話 『右ストレートとヒロイン入門。』
あの後数日経ったが、ついに馬男が俺の前に表れてくる事はなかった。
悪い夢を見ているのかとも思ったが(というよりほぼそれしか考えなかったけど)、後からいくら探しても財布と携帯は見つからなかった。盗まれた後から今までの記憶がしっかりあることからも、バイト帰りのあの場所で馬頭と出会い、騙され、盗まれた事は疑いようのないものらしい。
いやいやでも、あいつの頭は"馬"だった。しっかりと確認したわけではないし、辺りも暗かったが、例えば耳が時折ぴくぴくと動いていた。あいつの言葉に合わせて口も動いていたのも確認済みだ。更には俺が口にしなくとも頭の中を覗くように返答してきた。
改めて言葉にするとなんとも非現実的で信じがたい話だな。
やっぱりオレは夢を見ていたんだろうか……。
馬男が消えて一人になった直後こそ、まんまと話を信じて騙された恥ずかしさと悔しさで近所迷惑も考えずに叫んでしまった。
しかし後になって徐々に生まれてくるのはむしろ不可思議さや珍奇さであったり、どうしようもないむなしさであったり。
なまじあの男の話や言動に興味を惹かれてしまっただけに、そこからの現実との落差により俺は、自分でもハッキリと分かるほど『落胆』していた。
ああ、やってみたかったな、異世界転生……。
使いたかったな、魔法……。
会いたかったな、金髪美少女エルフ……。
……。
あ、またスゲェ腹立ってきた。
無言でレジを打つ少年は、どこかたそがれているような眼から一転、恍惚の表情を浮かべたり。かと思えば鬼の形相に変わったり。
はたから見ればそれはまるで百面相である。
「iT●nesカード15000円分で」
爽やかな印象を受ける心地よい声と共に、青年が携帯を見ながらレジの前に表れる。
レジについても携帯から目は外さず、電子マネー購入用のカードと清涼飲料水をレジテーブルに置いた。
……それにしてもずいぶん大きいな、外国人か?
そんな事を考えつつ青年の顔に目を向ける。
「かしこまりました。袋にお入れいた……あ」
「ああ、袋は無しでいいで……ん?」
青年は返答の途中で店員の雰囲気の変化に気付き、彼も店員の顔を見る。
しかし店員の顔は見当たらなかった。
「え?」
眼前に迫るのは拳。
「ぶべっっ!!」
パワーとスピードに特化した近距離型の白金戦士を従える学ラン野郎と言えど、神を素手で殴り倒し、マウントをとることなどなかなか経験できないだろう。
続いてもう1発、鈍い打音がコンビニの端まで響き渡る。
悲鳴と言うには少々汚い悲痛な馬の鳴き声が追随して店内に散らばり、あまりに突然の出来事に周囲の空気は固まっていた。
事務所から飛び出してきたハゲ男と、ようやく事態が飲み込めた後ろのサラリーマンが少年をなだめ終わる頃には、既に意識を刈り取られた馬男が足元で白目をむいていた。
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コンビニの事務所っていうのはドラマ等で見るスーパーなんかのソレより、思いのほか狭い事が多い。
人が4人もいれば動きにくくなる位の広さがザラであり、中には二人で横並びになる事すら困難な場合も少なくない。作られた理由からして「客が入る場所」を極力広く、尚且つ極力小さい建物にするのだから当然といえば当然である。
そんなお世辞にも広いとは言えない空間に3人集まれば、更に言うのなら備品に書類にコンピュータ等が積まれた山に男を複数人詰め込めば、暑苦しい光景になるのも当然である。
「あはは、いや最近片付け切れなくてね……」
誰に言われたわけでもないのに恥ずかしそうに頭をかく、優しげな(悪く言えば頼りなさげな)中年のハゲ男。
このコンビニの主人、オーナーである。
51歳で未だ独身。先日彼女ができて、来週ディナーに行く約束をとりつけたらしい。
この歳でその頭で、と思うだろうが話してみればなかなか打ち解けやすく、母性をくすぐるような少年らしい一面を持っているのだ。
まぁ、面接に来たオレを履歴書のありかと共に忘れ呆けて3ヶ月ほどほったらかし、挙句にしびれを切らして乗り込んだ俺を見て「誰だっけ?」と言ってきた時は若干右手が出かけたが。
そういう面を考慮に入れてもどこか憎めない、嫌いになれないカリスマ性を持った男だ。
ここの従業員の中にもチラホラ狙っている物好きがいるらしい。ハゲだけど。
夢のある話だ。
っと本題から逸れちゃったな。
「で、やっぱりどうしても謝らないの?速水君」
「もちろんです」
「勘弁してよ……」
胃が痛いとでも言いたげな顔と今にも泣きそうな視線をセットで送ってくるが、冷徹無情こと俺はそんなもので考えを曲げてやるほどお人好しじゃあない。
というか目の前の馬頭に何も思うところがないのか?
馬男だぞ?
馬の頭だぞ?
更に言えば白のタキシードだぞ?
この奇々怪界を絵に表したようなフシギ生物が街中を闊歩して誰も気に留めないのならば、この世界もの神経の太さに対する認識を改めた方がいいのかもしれない。
いやいやいやいや。
しかし現にオーナーはごく自然に、馬男に申し訳なさそうな顔で接している。
考えてみたら店内に入った時点で騒ぎが起きても不思議じゃないよな。
俺以外には普通の爽やかな青年に見えてるとか?
否定できない。この馬男ならそのくらい涼しい顔でこなしそうだな。
俺は目の前のソレを睨みつける。
目線の先にいるのはいつぞやの馬男。
ソワソワモジモジとすごい居心地悪そうに辺りを見回している。
時々こっちに視線を送っては慌てて横に反らしたり、不自然に下手くそな口笛を吹いたり、パイプ椅子をギシギシさせながら座り直してみたり。
試しにグッと拳を振りかぶって見せればその都度「ヒヒーン!」とか言いながらパイプ椅子ごとひっくり返った。
オーナーが青い顔して必死に止めてくるから殴るのはやめておいた。なんて優しいのかしらアテクシ。
いつまでもこんなやりとりをしていると、痺れを切らしたのかオーナーが再び口を開く。
「一体速水君はこの方とはどんな関係なんだい?」
ガタッ。
聞かれるに決まっているだろうその発言に馬男が分かりやすく動揺の反応を見せる。
「財布と携帯」
「え?」
「財布と携帯を盗まれました」
馬男に目を向けるオーナー。先ほどまでとは打って変わってその目には非難の色が混じっていた。
馬男はまた鳴りもしない口笛を吹いて目を背けている。
「……その話、詳しく聞いてもいいかな?」
途端に真剣な顔つきへと変わり、馬男か俺、もしくはその両方に問いかけるように説明を求めるオーナー。
もちろん口を開くのは俺だ。
「実は数日前、バイトからの帰り道の途中でこいつと会いまして、」
説明しようとして。
その先を続けようとして、固まる。
説明を聞こうとしたオーナーと苦虫を潰したような顔をしていた馬男が、お互い怪訝そうな顔になってこっちを向いた。
と、次に表情を変えたのは馬男。
さっきまでの余裕の無さが嘘のように、みるみる口の端がいやらしく吊り上がっていく。
言えるわけが、ない。
異世界転生信じ込んで身ぐるみ剥がされただなんて、言えるわけがない。
「ブフッ」
馬男が噴き出す。
こいつ、また俺の心を……!
「……速水君?」
いつまでも話が見えないことで不満が募ったのか、怪訝さに加えて少し苛立ちの篭ったオーナーの声が俺を呼ぶ。
ここにきて形勢が逆転した。
結局この話はお互いに不問ということになり、「ちゃんと話し合って仲直りしなさい」と言い残してオーナーは帰ってしまった。
いや、お前は仕事しろよ。
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「……で、先日のチュートリアルを再開する訳だけど、」
先ほどまでの出来事なんて初めからなかったかの様に、馬男は気軽な口調で話し始めた。
「中断、というか放棄したのはお前だけどな」
「まぁまぁ、細かいことを気にしないのがモテる男への第一歩だよ?」
「俺がいつモテたいって言ったよ?」
「慣れないファッション雑誌なんかよりもよっぽど信憑性のある情報だと思うけどなあ」
「それも知ってんのかよ!」
思わず椅子から立ち上がる。
というかそれ昨日の事だろ!
「フフン、言っただろう? 生まれた時から見ているって」
馬男はブルルンと馬らしく鼻を鳴らしてみせる。
「今までの君も知っていれば、これからの君の事だって大雑把になら把握していさ」
……コイツ盗みだけじゃなくストーカーの称号も持ってるのか?
「まさか、男を追い回す趣味は無いよ。追い回すなら胸とお知りの大きな女の子に決まってるじゃないか」
「ストーカーに関しては否定しないんだな」
「事実関係から考えれば否定はできないからね。今まで君を見ていた事に変わりはないのだから」
「こんなにあっさり自分が犯罪者だって認めるやつ初めて見たよ……」
馬男は依然気軽な口調でペラペラと喋る。その口調はまるで旧知の間柄であるかのように気安く、無遠慮で馴れ馴れしい。しかしその一見失礼極まりない態度も相まってか、俺のような性格の人間への対処を心得ているからなのか、ほぼ初対面であるにもかかわらず俺自身気後れすることなく自然体でコミュニケーションが取れているのだ。その事実だけでも、俺の目の前に立つこの男(?)がただのストーカーでない事が十分に感じられた。
そんな得体の知れないフシギ生物がなぜオレをつけ回しているのかは未だ全くと言って良いほど理解できないが。
「つけ回すとは人聞きの悪い、僕はただ見守っているだけさ」
完全にストーカーのソレじゃねぇか。
「どうやら君はどうしても僕を犯罪者にしたいみたいだね……」
やれやれと言わんばかりにありもしない眉毛を八の字にして嘆息する人外。
ため息を吐く馬っていうのもまた珍奇なもんだな。
「この調子だと更なる冤罪に問われるであろう事が容易に想像できて気が重くなるよ……」
更なる冤罪?コイツ他にも何かやってんのか?
この男の前では裸同然の心の声と同時に、後ろで扉を3回、控えめにノックする音が響いた。
しかしその主は数秒の静寂の後、こちらの返答もまたず無遠慮にドアノブを回して事務所へと入ってくる。
「……うん、ちょうど悪いところに、もといちょうど良いところに来たね」
明らかに歓迎したしたくなさそうな馬男の声。
しかしそれは同時に、いずれやってくる避けられない事象への諦めにも聞こえた。
俺は振り返り、その言葉の目的地へと視線を走らせる。
そこには、
「「……え?」」
――俺の顔を見て固まるアルバイトの同僚、橘 葵の姿があった。