あの勧言を忘れない
僕には重い持病があった.
"提出物が期限ギリギリになるまで出せない病"だ.
小学校のお便りから始まり,今もレポートを出すときはギリギリにならないと出せないというハンデを抱えている始末だ.
同じ様な悩みを抱えている人が苦しみながら向き合っているのも見てきた。だから僕は、"こんな何でも機械で,時間通りなデジタル社会で,少しでも人らしさを残そうとしているんじゃないか"と向き合っている。
なぜこうして現実逃避しているかといえば、旅行中に来ていてメールのせいだ。
アルビジア東京からの指名依頼を受ける場合は明後日までに回答願いますとある。そのメールは一昨日来ていたので、つまり今日が期限ということだ。
合格の通知が来る前はあんなに時間の進みが遅かったのに、今や半分位に時間軸が縮み、時が加速してるんじゃないかと疑う。
そして、この煮詰まった状況にもうなりふり構っていられなくないというのも解った。これ以上迷惑はかけまいと避けてきたが、最後の頼みである先生にアドバイスをもらおうと決意し、旅行から帰った足で大学へと向かっいる。
夏の暑さで鉄板のように蒸し暑くなった道を、小走りで急いだ。
1週間ぶりにきた研究室は少しほこりくさく、日に焼けた空気の匂いがした。
空調は効いており,道中で汗ばんだ肌を冷やしてくれる.荷物を自席に置き、指導教員室の扉を3回ノックした。
「はーい、どうぞー」
扉の向こうからの若い男性の声に、会釈してしまいながらドアノブを回し押した。
「お、やっと報告に来たねー、どうだった?受かった?」
「ええ、先生のおかげで憧れの人生ファストパスを入手できました!ありがとうございました。
報告遅れたのは、浮かれてしまい岬君達とちょっと遭難してまして,すみませんでした.」
「おめでとう!
そうかあ,最年少記録を破られてしまった。いや、おめでたいよ実に!もう派遣登録はした?」
「先生の指導とアドバイスがなければ無理でした,先生のおかげです.あと、それなんです!派遣登録の件で、相談に乗っていただきたいんです。先生は最初の派遣先はどう決めました?実は、なんかある企業から指名をいただいてしまって。そういうのありました?」
「私の時は既に企業に所属していたからね。その会社に派遣する形で依頼だしたんだよ.アルビジア東京っていう清掃会社なんだけど知ってる?CMとかもやってて結構有名なんだけど.あ、そういうことだから企業から指名とかはなかったね.」
「おお!ちょうどそのアルビジア東京からの指名なんです!先生てアルビジア東京におられたんですか?なにをされてたんですか?派遣されるとどうなったんですか?」
「まあ落ち着きなさい。あそこ清掃用ロボット作ってるでしょ。そのロボットのコアシステム開発とかしてたんだよね当時。そこに派遣て形だったけど、所属はそのままだし、給料だけ上がった感じかな.ああ、懐かしいな.あそこなら待遇も良いし,やってることも先進的だから勉強になると思うよ。」
「なんか初心者に指名とか聞いたことなかったんで,ちょっと怪、迷ってたんですよ.先生が昔いたとこなら安心です!ここ三日迷ってたのが馬鹿みたいです.ありがとうございました.」
「よくわかんないけど、なんだかすっきりしたみいでよかったよ.アルビジアにするなら、今度えらい人とか紹介するよ。」
「さっそく返事してきます,お邪魔しました.」
自席に戻った僕はすぐに自分の端末を立ち上げて,アルムジアから送信されてきた、やたらキラキラした電子誓約画面を開いた。疑念を抱いていたこの誓約画面が神々しくみえた。僕は晴れ晴れとした気持ちでしっかりと同意書を読み飛ばし、サインをした上で送信ボタンをッターンした.
サインはいつもより少し大きな字面になっていたが,それすらも誇らしく思うほど調子にのっていた.
夕方になっても誰も研究室に来なかったので帰ることにした。誰も来ないといっても、さっきまで一緒だった岬君しか研究室メンバーはいないのだけど.
帰り道。たまにしか行かないご褒美ラーメンを食べ、満たされた体と心で帰宅した。
帰宅したのだが、なんだか違和感を感じて、ドアの前に佇んでいる。
どこがとは言えないんだが,全体的に綺麗になっている気がする.その上,ドアの隣の小窓にかかるカーテンの影も見当たらない。間違ったかと思って両隣の表札を確認したけど、そんなことはなかった.
恐る恐る鍵を刺して回す、解錠のガチッてなる感触がない。
幸せで緩みきっていた脳から血の気がどんどんと引けてくる.僕は深呼吸を2回して,一気ににドアノブを引いた。
開けたドアから見える部屋内部は薄暗かったが,人の気配はなくあれた様子はなく整然としていた。ただあまりにも整然とし過ぎていた.家具はおろか画鋲一つ残されていない。
素人の僕が見ても、完璧なクリーニングを施され、次の住人を待つ空き部屋だった。
「ちょっ,これはどういうこ,,,え,,,??」
大学に出かけるまえにはあったはずだ。お出掛け中に自宅が消失するという,非現実的な事態を前にして、一分くらい呆然と立ち尽くした。そして同居人の姿も同じく見えないことに思い当たる。
「山田さん、ミイさーん、ミイちゃああああん,おーい!!!」
薄ら寒い部屋に入り、ベランダ,屋根も確認したがいない。
アパートの窓からこぼれ落ちる影が、パッチワーク模様の畳をどんどんと暗く染めていく。
静けさが高まるのに反して鼓動の音がだんだん大きくなる.
ミイさんが誘拐されてしまった。
警察か,でもなんて説明していいかわからないというか,こんな空き巣聞いたことねえし。
隣の大学生がなんか見てるかもしれないという淡い望みにすがり、隣のチャイムを鳴らし声をかける。
「すいません,すいませえん,お伺いしたいとあるんですがああ」
「、、、あれ、どうしたんですか忘れ物ですか?」
いつになく機嫌よく会話してくれるお隣さんは,なんでまだいるの見たいな顔をしつつも話を聞いてくれた.
「え,昼過ぎの寝てる時に,引っ越し作業でうるさくいたしますがご勘弁くださいって高そうなお肉セットくれて引っ越ししてたじゃん.しかも一時間くらいしたら,作業終わりました、これまでお世話になりましたって高級菓子詰めをくれたし。
あれ,おたくのご両親とかでしょ,すごい金持ちなんだね、羨ましいよ.でなにこれから飯なんだけど」
「え,,,あの、,,すみません失礼いたしました.」
僕はさらにここここ混乱した頭を、一旦おおおお落ちけつるめた,その場をなかんと後にした.
「意味がわからなすぎる。なんで完璧に引っ越ししてんの、これ.不動産屋に問い合わせても退去手続きは済んだの一点張りだし.手際的にミイさんは生きてそうな気がするからいいけど,この後どうしよう.」
僕はからっぽになった部屋で一人、途方に困ってぶつぶつと自問していた.
結局警察に電話し,30分ほど経ってお巡りさんが来た.
電話口で一応伝えてはいるのだが,きっと要領を得ないんだろう、事情聴取のためにと警察署までの同行を求められた。
パトカーに乗ったなんていったらゴジラなら羨ましがるだろうなあ、とか現実を逃避しているうちに車は警察署前に着いた。
ウインドウ越しに、駐車場に黒服の二人組がいるのが見える.パトカーは彼らの前で速度を落とし止まった.そのまま黒服のおじさんたちに促され,降車させられ,今度は少し先に停めてあった黒塗りの高そうな車に乗せられた。
「え,ちょっ,これなに,,,??」
一連の滑らか過ぎる動きに乗せられてしまったが、よく考えると圧倒的に怪しい。というか説明が足りなすぎる.
脳内警戒警報が唸り轟き、冷や汗が背中と脇を激しく激る。
両脇は既に先ほどの人たちでかためられ,黒塗りの車は別の場所に向かうのか、エンジンが始動していた。外を見れば、先ほどまで対応してくれていた警察官が、何事もなかったかの様に警察署に戻っていく。
こんなことはサスペンス小説でも想定してないだろう.だがサスペンスの手引きに従うならば,
1.暴れて逃げ出す隙を伺うか、
2.おとなしくして逃げ出す隙を伺うか
を決めないといけない。
この危ないスーツ達にも、何か目的はある様子なこた。自宅強制退去ともどこかで繋がっているだろうことから、僕は沈黙を保つことに決めた.
あとは異様に怯えると小物っぷりに殺されるのも定番なので、なめられないようにガンを飛ばし続けた。
黒塗りの車は15分ほど走ったくらいで、大きなビルの敷地へ入っていった。とうとう黒幕のいるビルだろうか。殺さないでほしいと思う。
ガン飛ばし過ぎて、半分白目をむいた狂人のような顔の僕を乗せた車が、静かに停車した。