義母の懺悔
第四章 懺悔と軽蔑
S県の中腹にあるN市内にあるマンションを訪れていた。
ピンポーン……
「はい?」
赤のタータンチェックのミニスカに、黒のブラウスの香月の妹の由香利が玄関を開けてくれた。
「あ、お兄さん。 こんにちは、それと……?」
後ろに並んだ長谷井を見て由香利は不思議そうな顔をした。
「香月と俺の共通の友人だから大丈夫だよ、由香利ちゃん。 突然押し掛けて申し訳ないね」
穏やかに言った麻斗に、思い当たって由香利がおずおずと口にした。
「たぶんだけど、姉さんのことですよね?」
「ああ、そうなんだ。 お義母さんいるかな?」
「はい、います。 どうぞ」
由香利が玄関からまっすぐ伸びた廊下の突き当たりの、リビングのドアを開ける。 テレビの音が聞こえた。
家族で見ていたのだろうか?
麻斗達がリビングに入ると、立ち上がって君野が挨拶する。
「まぁまぁ、麻斗さんに、長谷井さんも。
お会いするのは、守の出産の見舞い以来ですわね」
「御無沙汰してます。 それで今日は以前電話でお伝えした香月のことで話があるんですが」
「わかりました。 由香利、あなた部屋で勉強しなさい。 もう推薦でパスしてるからって怠けてると、いい会社に入れないわよ」
「わかってるってばー」
唇を尖らせる由香利はいま十八歳。 高校三年生だ。
「次は大学ですか?」
「ええ、天宮大学の文学部です」
君野の朗らかに笑う、目の細め方が香月と似ている。
由香利が出て行ってから、君野は話し始めた。
「それで、何がお聞きになりたいんでしょうか?」
「香月の高校卒業以前のことや、友人関係、香月が調べていたことについて教えてください」
「それは……私もわかりません。 香月は私をおそらくまだ完全には許していないのだと思います。
あの子が連絡を初めてくれたのは、麻斗さんと結婚するために親の紹介や承諾を得るためだったので」
台所からお茶を人数分運んできた君野に、会釈しながらみんな聞き入った。
「どういう意味ですか? 香月はここで暮らしていたのでは?」
かみ合わない話に困惑の色が隠せない麻斗。
香月からは高校時代まで実家で育って、大学から上京して一人暮らしだと聞かされていた。
「香月は、私の父。 香月にとって祖父にあたる雅道の元で育ちました。 もうちょうど二十年前からです」
「じゃあ、実家というのは……」
「はい、おそらく私の父、雅道の家だと思います」
「それはどこにあるんですか?」
「引っ越してなければS県の北にあるT町です。
私の育った町ですから、おそらくそこで間違いないと思うんですが。 お恥ずかしい話、黙っていましたが私二十年前に父から勘当されて以来戻ってません。
主人も父の元に残った香月を快く思ってないので、この家にきても追い返せと言われてました」
「そう言えば香月はお義父さんの話を避けてました。
何か理由が?」
気まずげにずっとそわそわとしている君野に、麻斗は食い下がる。
「香月は、香月だけは今の主人と血が繋がっておりません」
「じゃあお義父さんは……」
「香月にとっても『義理』ということになります。
戸籍は入れてもらいましたが、主人は香月を可愛がってくれませんでした。 そんな主人の態度が伝わるのか、香月も決して相容れようとはしませんでした。
そして二十年前の夏、決定的なことが起こりました。
今から思えば香月が許してくれないのは当然の事です」
「なんなんです?」
「子供の親権に異を唱える香月の実父が、家にやって来たんです。
台風が近づいていた雨の夜でした。
突然電話が鳴り、父の雅道が対応していました。
内容はわかりません、でも香月の事を返せと言う内容だったと思っています。 父が『譲れない』だの、『香月は渡さない』と言って怒鳴っていました。
電話の向こうから『今からお前たちを殺しに行く』という内容を言われたと父から告げられました。
そして、しばらくして私たち夫婦と父は家から逃げたんです。
香月を置いて家から……。
公衆電話から父が警察に電話して、家の近所に隠れていました。
やっと警察が来たとき戻ってみると、一人で泣いている香月が警察官に取り抑えられた実父を見ていました。
家の状態は無残なものでした。
私と父の車が破壊され、家具が壊されていました。
当然、当時の香月は私たちを責めました。
『何故自分も連れていってもらえなかったのか』と。
当たり前のことです。 大の大人が怖くて逃げだしたのに、当時十歳だった香月が怖くないわけありません。
その時たまらなく後悔しました。
恐怖に駆られて逃げ出した自分が恥ずかしいそう思いました」
「そんなこと……香月は一言も言わなかった」
「香月は思い出したくもなかったし、認めたくもなかったんだと思います。 私の考えでしか、お話できないのが申し訳ありませんが、香月の気持ちは香月から聞いてやってください。
あれ以来、香月は私にも心を開こうとしません。
父も相当手こずったようですが、私より香月を溺愛していましたから、香月をそのまま引き取り、育ててくれました。
しかし今の主人の父に、近くに家を建てたから帰ってこいと言われまして、そちらに移り住むことになりました。
香月も連れて行くはずでした。
でも、香月が主人と一緒に暮らすのは嫌だと突っぱねたんです。
それに激怒した主人は、『お前を娘とは認めない』と、言って私と二人での生活が始まりました。 あの子には酷い事をしました」
君野が泣きながら詫びた。
「お義母さん、香月の事は、私がなんとかします」
「麻斗さん……」
一瞬浮かんだ憐れみを打消し、麻斗はその瞳に強い意志を表していた。
「香月がお義母さんを避ける理由がわかりました。
ただ、俺はあなたを軽蔑します」
俯き泣き続ける君野を一瞥して、出ていく麻斗に五人も続く。
T町に向かおうとした矢先、麻斗の携帯が鳴った。
「あ、父さんだ」
武文からの電話に出る麻斗。
見る見るうちに眉間に皺が寄り、不機嫌な顔に豹変していく。
「ちょっと待てよ! いきなりどういうことだよ!
……そうかもしれないが違うかもしれないだろ?
とりあえず、今からそっち行くよ。 じゃ。
長谷井、悪い。 急用で父さんのところに行かなきゃならなくなった。 今日もありがとう」
「麻斗様とと香月さんのためですから」
肩を落とす麻斗に長谷井は微笑んだ。