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大きな木の下で  作者: 小田 浩正
第二章
9/30

2-2




 桜も舞い散って、緑が目立ち始めた頃。

 僕は体育でグランドに立たされていた。

 片手にグローブをはめて。

 学校が始まってからは体育は陸上競技をしていたのだけれど、あまり好評の良いものではなかったから、体育科の先生たちがレクレーション名目で野球をやることとにしたのだ。だからこうして僕はライトで立たされていた。

 しかし、女子からは野球に対してクレームがあったようで、今頃体育館を借りてバレーボールを楽しんでいることだろう。

 そんなことを思っていると、ホームベースの方から金属音が鳴って打球がこちらの方に向かってくるのが見えた。

 だけど、その打球はあまり伸びることはなく、内野手の一人が落下地点に潜ってボールをキャッチした。と思ったのだけれど、もう片方からボールを追いかけていた人と盛大に頭からぶつけて、ポロリとボールをグローブから落としてしまう。

 それを見ていて、僕は小さい頃の自分を思い出す。

 グローブを初めて手にしたのは小学生になったばかりだったと思う。

 父親から買ってもらったものだったのだけれど、その頃僕は、恥ずかしながら野球という球技を全く知らなかったのだ。どちらかといえばサッカーに夢中だった。テレビではちょうどサッカーが中継されていて、両親とよくテレビに向かって吠えていた。それに幼稚園が有しているような土地では、なかなか野球が出来るような広さはなく、そのためサッカーが僕たちにとっては遊びの中で主流だった。

 そして出会ったのだ、野球に。

 歳を重ねていけば、どこかで野球くらいは知ることになっていたと思う。

 野球に巡り合うきっかけなんて幾らでもあると思う。こうして学校の授業であったり、友達から誘われる可能性だってありうると思う。

 けれど、何より野球の基本である――キャッチボールの楽しさを教えてくれたのは、授業でもなく友達からでもなく、父親だったのだ。

 当時僕は運動が苦手だったらしい。あまり覚えていないのだけれど、走ると必ず僕は転んだし、うまくサッカーボールを蹴ることが出来なかったそうだ。本当にそうだったのか、今の僕からすれば疑いたい事実なのだけれど、良く両親があの頃と変わったなと微笑みながらそういうから、事実なんだと思う。

 だから、運動が出来ないことを心配した父親が、幼い僕に教えてくれたのだ、色々と運動の楽しさを。

 それほど運動をすることには抵抗しなかったから、僕はすんなり父親の言うことを聞いて何かと上手くなっていたらしい。

 これがもし、運動嫌いであったら救いようがなかったのかもしれない。よく僕は走って転んでも、それがトラウマにならなかったと感心してしまう。今では陸上部の選手とでも競えるほどの脚力を持つことが出来たのだから、不思議で仕方ない。

 それに父親が息子思いで良かったと思う。

「……」

 まぁ、今となっては、父親の頭のなかでは僕のことを息子から娘になりつつあるようで、目が相当危ない。一応言っとくけれど、笑い話ではない。

 とにかく、運動オンチであった僕は父親が空高く投げたボールを取る際、足元がふらついて最終的には額にボールを当てるという、だいぶ高度なテクニックを使って、あの二人のように目を回したのだ。

思い出し笑いをしていると、

「行ったぞっ!」

 内野の方から僕の方に向けて言葉が発せられる。

 上の方を向くとボールが今度こそ、こちらに向かって飛んできていた。

 ちょうど僕がいる場所が落下地点だった。

 僕は一歩も動かずにグローブをボールの方に向ける。

 特に無駄な行動もせずに、片手で取ろうとする。それくらい捕球の簡単な、山なりの打球だったから。

 そんな時、横から走ってくる気配に、僕は気付く。

 どうやら僕がフライを取れないと思ったのだろう、クラス内でも運動のできる男子がセンターを守っており、わざわざ僕のところまで来て捕ろうとしてくれているのだ。

 それもそのはず。

 僕の見た目で彼は判断したんだと思う。女子にしか見えない僕ではフライなど取れないのだろう、と思ったに違いない。それに僕が五十メートルを七秒で走れたり、この試合を始める前のキャッチボールでは、近距離でしか投げられずにいたところをちゃんと見ていたのだと思う。そしてそれらの結果、完全に僕が運動オンチであると判断したんだと思う。

 でも、たまたま僕のところにボールが飛んできたという幸運と、キャッチボールで――どんなに相手が悪送球をしたとしても僕がちゃんとボールを取れていた、ということを知っていれば、彼がこうして走ってくることもなかったと思う。

「どけっ!」

 そう言ってこちらに向かってくる彼は僕を跳ね除けようとするのだけれど、僕は僕で一歩も引くつもりはなかった。

 本格的にピッチャーが上から投げる試合ではなかったので、僕は退屈だったのだ。ようやく来たボールを取るくらい、僕に任せても良いじゃないかと思って、その場から動くことはしなかった。

 結果として、頑固な僕のおかげでそのボールは吸い込まれるようにグローブに収まった。

 元々彼の足ではここの落下地点までは手が届くことは出来なかった。そういう理由があったから僕はそこに留まったのだ。

 まぁボールをちゃんと取れたことにみんな驚いている顔を僕は見れず、横から突進してきた彼によって地面に仰向けになって倒された。

 その時の反動でボールがグローブから出る、ということはなかった。それは僕の意地というか、野球をやっていた人間としてボールを落としたくはなかった。

 その後、僕は大事をとって、保健室に運ばれることとなる。特に怪我をしたわけでも痛い部分もないからやれると言ったのだけれど、先生たちも僕のことをか弱い女の子としか見ていないようで、僕の言うことなど無視された。




 保健室の先生に促されてベッドで寝ることになったのだけれど、僕はいたって健康で、どこも怪我をしてなかったから、寝るのも辛かった。

 でも、一度ベッドに寝かされると睡魔が襲ってくる。疲れなんてないはずなのだけれど、それでもまだこの学校の環境に慣れていないからか、身体的には僕が知らないところで疲れが溜まってしまっていたのかもしれない。

 知らず知らず目をつぶってしまう。

 僕が夢の中に入ろうとした時、すぅと何かが近寄ってくる気配を感じ取った。

「あれが野球よね。そうでしょ?」

 カーテンが閉められていたので、それを通り抜けるように入ってきたのは《綾子さん》こと綾女さんだった。

 昨日会ったばかりだと言うのに、妙に馴れ馴れしい。これでもまだ昨日の件から数えて会うのは二回目だ。だから僕は唖然としてしまい、彼女の姿を見つめていた。

 なぜ昼間に、人の多い学校に入ってきたのだろうか。僕はその疑問がすぐさま頭に浮かんでくると同時に、何の理由で僕の目の間に現れたのか、聞きたかった。

「あ、寝てたの?」

 僕の顔を見て、そう言ってくる。

 いったい自分の今の顔がどうなっているのかわからないけれど、目を擦らないと眠気覚ましにならなかった。

「えっと、野球、知ってるんですね」

「私の時代にもあれくらいはあったよ」

 ちょっと僕の言い方が気に入らなかったようで、僕のことを睨む綾女さん。

 だって、彼女のことを知っているのは僕らの世代からじゃなくて、おばあちゃんくらいの歳の人でも知っているのだ。そうなると、それなりの時代で生まれたと思っていた。例えば明治時代に生まれたとか。

 とにかく、僕よりも彼女の方がだいぶ早く生まれたことについては変わりようがない。たとえ僕と同じ顔をしているから同年代や、年下のように見えたとしても、僕は年上を敬う人間だから一応敬語を使っていた。

「しかし情けないと思うよ? もっと動き回ってもいいでしょうに。歩にぶつかってきたあの子みたいにね」

「良いんですよ。野球は自分が守る場所にボールが来たら、それを取って投げる、それで充分なんです」

 あまり納得のいかない顔をする綾女さんはベッドに腰掛ける。

 綾女さんは僕が知っているような、足のない幽霊じゃなくて、ちゃんと足が地面についているから、宙に浮いている姿を見たことがない。

「野球や、えっと……ボール蹴り――」

「サッカーですね」

「うぅ。――……球技というものは協力するものじゃないの?」

 綾女さんが頬を赤くしたのは置いといて、彼女が何を言いたいのか、僕にもわかった。

 チームで行う競技は僕の考えなんてもってのほかで、協力プレーが重要だ。基本中の基本というか、協力のできないチームなんて大抵、廃れてしまう。一人ひとりが違う行動をしながら、それがまとまっていき、大きな結果を生む。それがチームプレーの必要な競技の面白さでもあると思う。

 野球なら守備を見ていればわかると思う。

 内野手にボールが飛んできたから、それを取ってファーストに投げる。その動作の中では取って投げるという行為しかない。だけれど、まずファーストが一塁ベースに足をつけて投げられたボールをちゃんとキャッチしなければ、打者をアウトにすることはできない。そして彼ら二人以外の内野手を見渡せば、捕球する内野手がちゃんとボールを取れなかった場合に備えてカバーをする人もいれば、ファーストの後方に外野手であるライトが後ろに回り込むために走ったりなど、みんなが立ち止まっていることなんて試合中はないのだ。

 野球で説明すると長くなるけれど、サッカーなんては簡単だと思う。ボールを追いかけるだけじゃなくて、先回りしてボールをもらったり、相手にボールを取られた場合に守るディフェスがいる。

それぞれ役割が決まっているけれど、それに収まるだけじゃなくて、ある程度臨機応変に対応する、そうして動いていかなければチームとして機能しない。

 僕はそれについてちゃんとわかっていた。

 けれど――。

「そうですけど、所詮授業ですから。僕の考えの方がこの場合はうまく機能します。出来る範囲だけのことしていれば、後は経験者が勝手に動いて、試合は勧めることができます」

「……歩も経験者じゃないの?」

 僕は誰にも自分が経験者だとは言った覚えがなかった。

 なのに、彼女はそれを知っていた。

 どうしてなんだろうか。

「いや、歩のあの取り方を見てると、普通に経験者に見えるよ。まぁまぁちゃんとやっていたんじゃないの、野球?」

「まぁ、そうですけどね。でも、今の僕は、どちらかといえば戦力外通告されてもおかしくないですから」

 僕は自分の右肩を撫でる。

 あの時の試合以来僕はボールなんて触れていなかった。だから今日ボールを握った時にやけに小さいような感覚に囚われたことに僕は驚いた。

「投げることができない、の?」

 僕が肩を摩っていることに綾女さんはそういう疑問が浮かんだようだ。

 それについて正直に答える。

「全く投げられないわけじゃないんです。医者に診てもらっていないので、本当に僕が投げられないという証明はしていません。……けど、やっぱり今日キャッチボールをした時には痛みを感じましたから、たぶん遠投は出来ませんね」

 肩が痛いと感じたのはバッドを持った時にもあった。振るときも、なんとなくぎこちないものとなってしまって、初心者同然だった。

「だから僕は野球をやめたんですけどね」

 治すこともできたかもしれない。

 だけど、そうはしなかった。

「……もし、肩を痛めていなければ……どうしてたの?」

 そう聞かれて僕は一度考える。

 野球を続けていたか、そうでないか、ということについて考えていたわけじゃない。

 彼女に言おうか、言わないか、ということで悩んだのだ。

 でも、考えるのもそれほど時間をかけることなく、僕は躊躇うことなく、はっきりと綾女さんにこう言った。

「辞めていましたね、続けることなく」





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