4-6
いったいどうすればいいのかわからない。
わかるわけがないんだ。
せっかく綾女さんと会ったのに、また離れてしまうなんて。
「……」
綾女さんは何一つ悪くないはずだ。
なのに、この街から、この世から消えなくてはならないなんて。
僕はそうしなければこの街の人が困ることはわかっていたけれど、そのことについてわかっていると、自分の口からは言えなかった。
言えるわけがないんだ。
無責任すぎる。
僕は何もわかっていない。
その《呪い》について何も知らないんだ。
いったいどれほどの被害が待ち受けているのか。
そのことがわからないから、僕は心のどこかで綾女さんがこの世からいなくならなくても良いんじゃないか、そう思ってしまう。
助ける術は残っているんじゃないか、そういう期待も残っている。
我流さんがこんなことで終わらせるとは思えない。
僕を助けてくれた。七海を、おばあちゃんを助けてくれた。
言ってしまえば、僕たちのヒーローと言っていい人であるのに、あの選択しか出来ないのだろうか。
そんなはずはない。
絶対何かしらまだ綾女さんを救える方法があるはずなんだ。
僕たちのように綾女さんを助けることが出来るはずなんだ。
無責任なのはわかっている。
我流さんのこと、全てを知っているわけでもないのに、今の僕には我流さんに期待することしか出来なかった。
信じる以外に何が出来ようか。
手伝えることなんてないと思う。
何かをしたいとは思っていても、我流さんですら手こずっているのだから、僕たち一般人が手を出すことが出来ない領域でのことを必死にやっているはずなんだ。
僕はそんな自分が悔しかった。
信じることしか出来ない。
今まで出来なかったことをしているはずなのに、嬉しいとは思えない。
それしか出来ないという現実を目の当たりにして、僕はこうして今、普通の人間にたどり着いただけで、何一つ前へと歩み進めていなかったことに、気付く。
苦しい。
もどかしい。
胸が締めつけられる。
僕はその《痛み》から逃げるために、動き始める。
足は自然とある場所へと歩み始める。
綾女さんの元へ。
僕があの木にたどり着けば、もう太陽は沈んでしまっていて、辺りはひどく真っ暗だった。
前へと進んでいるはずなのに、全く前へと進んでいるとは思えなかった。
まるで、今の僕のようだった。
前が見えなくて、一歩でも前へと進むことが出来ていないように思えてしまって、《痛み》が増していく。
僕はやはり弱い。
誰ひとりとして力になることは出来ない。
そして誰かの力がなければ前へにも後ろにも進めない。
完全に孤立してしまった存在なんだ、僕は。
こうしてここへと来たのも、綾女さんに会うためだ。
同じ痛みを感じているはずの人と同じ場所にいたかった。
綾女さんはわかっていたはずだ。あの時キャッチボールをしていた時に言っていたんだから。
『私がいつここから消えてもおかしくないから』
自分がいなくなることがわかっていたんだ。あのような日常が送れるのは、もうあまりないのだということを。
「なのに……、なのに僕はっ!」
まだまだ先の話だと思っていた。
でも現実はすぐそこまで迫ってきてしまっている。
なのに気付けなかったんだ。
最後を迎えようとしていることを伝えようとしているのに、それを理解することが出来なかった。
やっぱりまだ綾女さんのことをわかっていないんだ。
そう思ったとしても、もう時間は残っていないんだ。
もう会える時間は少ないんだ。
「歩?」
僕は見上げる。
今にでも折れてしまいそうな枝に、綾女さんは足を伸ばして座っていた。
青いオーラに包まれた、ひどく真っ白な肌をした少女は僕の方に顔を向けて、「どうしたの?」と声をかけてくる。
優しく、僕を包み込んでくれるその声に、僕は安心してしまう。
「な、なんで泣いてるの?」
そう言われて僕は頬に手を当てる。
知らないうちに涙が頬を伝っていて、僕は雫を拭う。
「わからない……。どうしていいか、わからないんです……」
僕は呟くように喉から声を出す。
涙は手で拭っても、拭いきれずに、涙は溢れてきてしまう。
「何があったの?」
すると、綾女さんはその枝から飛び降りる。
ゆっくりと、僕の元へと降りてくる。
その様子は天使のようにも見えて、僕は手を伸ばす。
「何があったのか、私に全てを話してみて?」
そう言って綾女さんは僕を胸に押し付ける。
幽霊じゃない。
綾女さんは確かにここにいるように思えた。
心臓の鼓動が伝わってくる。
温かく、確かに伝わってくるこの一定の鼓動が、僕を安堵させ、さらに涙を流す要因になってしまう。
「……話せるわけ、ないじゃないですか……。綾女さん……あなたは知っていて――」
「……我流から聞いたの?」
僕は「……はい」と涙声でそう呟いた。
涙が止まらない。
これほど涙が出るのは初めてだと思う。
止めようと思っていたのが、いつの間にか、止めることを自分で止めていた。
ずっと流し続けていいんだ、そう思ってしまった。
「せっかく会えたのに……、せっかく仲良くなれたのに……、どうして……、どうして綾女さんと別れなくちゃいけないんですかっ!」
初めて両親以外の人と、ここまで気持ちを伝えた人は他にはいない。
それほど安心出来る人なんだ。
まだ会って一ヶ月くらいしか経っていない。
だけど、その一ヶ月は、僕がこれまでの人生の中で、経験したことのないことを数多く味わったんだ。
だから、これだけ短い期間だったというのに、僕はこうして涙が出るほど悲しい気持ちで胸が痛いんだ。
「……綾女さんはいなくならないですよね?」
僕はそう言ってしまう。
言ってから後悔した。
どんなにそういうことを期待していたとしても、綾女さんはどうすることも出来ないんだ。
もしここに残ってしまえば、自分のせいでこの街の人たちに迷惑をかけることになってしまうのだ。そう考えれば、綾女さんがそれについて頷くことは出来ないことくらい、僕にでもわかった。
そして綾女さんは困った顔を見せるわけではなく、お母さんが諭すようにように僕に自分の思いを伝えてくれる。
「いつか、どんなに仲の良い友達とも別れなくちゃいけない時があるのよ」
それはそうかもしれない。綾女さんの言っていることは間違っていない。
だけど、僕はそれを否定したかった。
僕にだって何人も人と別れてきた。それが学校の人間であったり、街の住人であったり、そして何より両親とも。両親は死に別れているわけじゃないけれど、たぶん長い間会うことは難しいと思う。
だから離れ離れになる時は、少し悲しい思いをした。
でも、それは次にはまたもう一度会えることがわかっているから、乗り切ることができた。どちらかが死なないなんて保証はないけれど、それでもまた会えることが出来ることを知っているから、悲しみを乗り越えたんだ。
「だけどっ!」
僕は顔を綾女さんの胸から離して、叫ぶ。
「それでもっ! ……別れたくない……、別れたくないんだ……」
「歩……」
綾女さんはこの世から立ち去ってしまうんだ。
もし、この木を燃やしてしまえば、綾女さんの魂はこの木と一緒に天へと昇っていってしまうんだ。
そうなれば、二度と会うことは出来ないんだ。
「まだ話してないことはたくさんあるはずなんだ……、綾女さんだって僕に伝えていないことくらい、山ほどあるはずなんだ……」
「ねぇ、それって私が歩よりも年寄りって言いたいの?」
僕は「そんなんじゃ……」と言おうとしたら、綾女さんと目が合う。
彼女は笑っていた。
涙が頬を伝っていたのだけれど、優しい、柔らかな笑みだった。
「まぁ、私は歩よりも確かに早く生まれたよ。なぜなら歩のおばあちゃんなんだからね」
そうは言っても、実際僕は綾女さんがおばあちゃんとは思えなかった。
やっぱりこの人はお姉さんのような人だった。
僕を思ってくれる大切な人。
こうして別れを惜しんでくれる、そんな優しい人だった。
「歩……、今のうちに《悲しい涙》を流しておいて」
「え……?」
僕はその言葉を上手く理解することが出来なかった。
悲しい涙というのは何なのだろうか。
「人は二種類の涙を流すのよ。まず歩が流しているのが《悲しい涙》。人が悲しくなったときに自然と流れてくる涙のことよ。そしてもう一つは大事に明日にとっておいて欲しいの」
「もう一つ……って何ですか?」
僕は綾女さんに聞く。
今自分が流しているのが《悲しい涙》というのなら、もう一つとは?
「――《嬉しい涙》よ。人は嬉しさを感じた時も涙を流すのよ。そんなのおかしいと思うかもしれないけど、私たち人間はそんな時でも泣くことができるのよ」
僕は曖昧な顔を綾女さんに見せてしまう。
なんで嬉しい時でも泣くのか。
彼女に言われてもやはり疑問に思ってしまった。
それに、《嬉しい涙》を取っておけと言われても、人と別れる時にそんな涙が流れるとは思えなかった。ましてや綾女さんとの別れでそんな涙が流れるとは思えなかった。
「わかる時がいつか、歩にも来るよ」




