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大きな木の下で  作者: 小田 浩正
第四章
24/30

4-3




 僕が病室に戻ると、叔父叔母、そしておばあちゃんがすでにいた。

 屋上で話していた時間はそれなりに長かったから、僕がこうして病室にいなかった事の方がおかしいのだ。遅く入ってきたから叔父叔母は心配そうな顔をしたのだけれど、僕はまずおばあちゃんの顔を見た。 おばあちゃんはやはり僕の顔を見た途端、顔を背ける。

 誰が見てもおばあちゃんは僕のことを怖がっている。

 でも、おばあちゃんが怖がっているのは僕じゃなくて、綾女さんなのだ。その綾女さんだっておばあちゃんが怖がる理由なんてないはずなのだ。

「……おばあちゃん」

 その声に反応して、おばあちゃんはこちらに顔を向ける。

 僕がそう言葉にするのに、それなりの勇気が必要だった。

 怖がられているのに近づいていくのは、自分自身に自信がなければ無理なことだ。

 先程までの僕には出来なかった。

 でも、今の僕には出来るはずだ。

「話したいことがあるんだ」

 そう素直な気持ちでおばあちゃんの顔を見つめながらそう伝える。

 叔父も叔母も僕が告げた言葉を聞いて驚きの顔を隠せずにいた。今までの僕では考えられるないような行動だから。

 おばあちゃんはそれに対して、少し戸惑いを見せたのだけれど、「わかったわ」とそう言って椅子から立ち上がって、僕と一緒に病室から出る。

「……私の命を取りに来たんだね――綾女姉さん」

 まず始めにおばあちゃんはそう口にした。

 やはり僕のことを綾女さんだと思っているのだ。それに僕を――綾女さんをまるで死神のように命を取りに来たのだと思い込んでしまっている。

 だけど、おばあちゃんは前見たような体が震えているわけではなかった。このことを前から、僕が声をかけた段階で覚悟をしていたような、そんな印象が僕には感じられた。

 僕は近くにある待合室までおばあちゃんを連れて、座る。

「おばあちゃん、はっきり言っておくよ。僕は――綾女さんじゃない。そして、綾女さんはおばあちゃんのことを憎んでも、恨んでもいない」

 最初からはっきりと伝えておくことで、誤解を解くには効果があると思った。

 その言葉におばあちゃんは少し動揺して、否定した。

「そんなことを言わないで、姉さんっ! 私はあの時、姉さんがあの男に殺される瞬間に目があった。今でも覚えているんだよっ! あの時の姉さんの目は絶望だった……。姉さんは殺されて、私はまんまと逃げてしまった……。それを今でも姉さんは覚えてるはずよっ! そうなんでしょっ! そうじゃなかったらこうして現れることなんてないのにっ!」

 悲痛な叫びが胸を締めつけられる。

 恐怖で、いつもの厳格なおばあちゃんがか弱い女性にしか見えなかった。

 目頭に浮かべる涙が流れる。

 その涙は、僕も、きっと綾女さんも流して欲しくない涙だった。

「落ち着いて、おばあちゃん」

 僕はそっとおばあちゃんの手を握る。

 しわがあまり目立たない人だったけれど、一気に老け込んでしまったかのように、手はしわが多かった。僕と同じ大きさの手は少し冷たく、僕の手から熱を送っていく。

 そして僕は囁くように伝える。

「僕の顔は綾女さんと全く同じに見えると思う。おばあちゃんがそう見えるのも無理はないと思う」

 でも、そうじゃない。

 それを伝えなくては始まらない。

「だけど、違うんだ。――僕は僕なんだ。綾女さんとは違うんだ」

 はっきりと伝えなければ信じてもらうことは出来ない。

 おばあちゃんは少し俯いていた顔をこちらに向ける。

「どうしてそんなことが言えるのよ……。あなたが初めて家に現れた時から私を呪うつもりできたんでしょ……。おかしいのよ、姉さんに顔が似ているなんて、そんなの……、そんなの偶然なわけないじゃないっ!」

 偶然なわけない、か……。

 そうかもしれない。

 でも、偶然じゃないんだ。

 これは――必然だったのかもしれない。

「僕は綾女さんからある言葉を受け取っているんだ」

 僕が病室に戻る前に綾女さんから言われたこと。

 この言葉を伝えられれば、何かが変わるかもしれない。

 そんな言葉を僕はおばあちゃんに伝える。



「――今でも見守り続けているから――」



 その瞬間、おばあちゃんは目を見開いて僕の目を見つめた。

 憎んでいないし、恨んでもいない。

 今でも確かに私はここにいる。

 それが呪うためにいるのではなく、ただ見守るためにいるんだ。

 そんな思いがこの言葉には詰まっていた。

 僕はそう受け取った。それには間違いはないと思う。

 そう心に伝える言葉は確実におばあちゃんの元へと届いたはずだ。

 そして変化は訪れる。

「……歩」

 初めて僕の名前をおばあちゃんは言う。

 それは少し嬉しくて、僕は微笑んで頷いた。

 僕であることを理解してもらった。

 もうおばあちゃんは、僕のことを綾女さんだとは思わないし、たとえ綾女さんを見たとしても、もう恐れることはない。そう感じ取れた。

「ねぇ、歩」

「……何?」

 ふいに僕に聞いてくるおばあちゃんに少し戸惑ってしまう。

 誤解を解くことができた途端に、急に張り詰めていた精神が解けてしまったのだ。

 だから次の言葉には僕は驚きを隠せなかった。



「姉さんに会えるのかい?」



 僕は動揺を隠せなかった。

 会えるには会えるだろう。

 今もたぶん、この近くで僕とおばあちゃんのことを見守っているに違いないから。

 でも、綾女さん自身が会う気があるのか、僕にはわからなかった。

 僕がその判断に困っていたのだけど、そんな必要はなかったようだった。



「――沙奈恵」



 目の前にすぅと降り立つのは紛れもなく、綾女さんだった。

 現れた彼女は頬に一筋の涙が流れていた。

「……姉さん……」

 沙奈恵さんは立ち上がって、そう声を漏らす。

 死に別れていた。いや、生き別れていた。

 どっちが正解なのか僕にはわからないけれど、ずっと離れていた姉妹はようやくこの場で会えたのだ。

その瞬間二人は抱擁を交わす。

 言葉は二人の間ではいらなかった。

 何もかも抱擁がことを物語っているから。

 会おうと思っても会えなかった綾女さん。

 ずっと憎まれていると思っていたおばあちゃん。

 それがこうしてお互いの気持ちをわかりあえた。

 何十年もの月日が流れた後の再会は美しいものだった。



 だけど、時間は永遠じゃない。

 そうしている間にも時間は過ぎ去っていくのだ。

 廊下から誰かが近づいてくる足音がして、僕がそちらに目を向ければ背の高い男がこちらを見つめていた。――我流さんだ。

「初めまして、沙奈恵さん」

 そう深くお辞儀をする我流さんは、真剣な眼差しでおばあちゃんを見ていた。

 おばあちゃんはすぐさま先ほどの柔らかな態度から一変して、睨むような目で我流さんを射抜く。

「なぜこの場にいるのですか?」

「あなたにお会いしたくて――」

「――私はあなたの一族は許せません。姉さんの命を奪っておきながら、事件にもならなかったのですよ。それに加えて何一つ謝りがありませんでした。それなのに今頃顔を見せられても困ります。今すぐお帰りください」

「おばあちゃん!」

「沙奈恵、我流は別に――」

 僕たちはおばあちゃんを止めようとする。

 だけど、それをおばあちゃんではなくて、我流さんが止めた。

「許されないことはわかっています。私たち一族はそういうことをしたのだと理解していますし、罪を受け入れています」

 我流さんは冷静に告げる。

 声は待合室に響き渡り、そして静けさがやってくる。

 それを打ち破ったのは我流さんだった。

「一族はあの時以来後衰退していきました。今では父も母も死に、私だけが生き残っている状態です」

「慰めて欲しいのですか?」

 間髪入れずにおばあちゃんは嫌味を言ってしまう。

 だけど、それでも我流さんは冷静だった。

「被害者の家族から慰められることはありません。私たちの犯した罪の結果がこうなったのですから。それに私たちは、あなたたちに許されたいとも思っていません」

 一族は我流さん一人だと言うのに、《私たち》はと言っているということは、一族で罪を背負っていくことを伝えていた。

 そして我流さんはある提案をする。

「あなたの孫である七海さんを僕の手で助けたいのです」

「罪滅ぼしなのですか。それなら必要など――」

 やはりおばあちゃんは我流さんに漬け込んでいくのだけれど、我流さんは真っ向から否定した。

「罪を受け入れると言いました。罪を一生担いでいくのだと、そう心に決めているのです」

 そして我流さんはおばあちゃんに告げる。

「私はただ――人を助けたいのです」

 それは我流さんの本心だった。

 その思いの詰まった言葉はおばあちゃんにも響いているはずだった。

「……医者はただ待つことしか出来ないと言っておりました。なのにあなたは七海を目覚めさせることが出来るとでも?」

「えぇ、私ならば」

 我流さんは本気だった。

 医者が出来ないようなことでも、彼には出来るとそう自分を確信していた。

 我流さんが肯定する言葉を言えば、それは必ず成功する。

 今まで彼を見ていて、そのような発言をした後は、一度も失敗したところなど見たことがなかった。

「……本当なんですね?」

 おばあちゃんは疑う。

 それは仕方ないかもしれない。我流さんがそのようなことが出来るとは思えなかったに違いない。

 だけど、我流さんなら出来る。

 僕は彼を信じていた。

「大丈夫だよ、我流さんならやってくれるっ!」

「沙奈恵、信じてあげて」

 僕と綾女さんは同じ気持ちだった。

 信じなければ始まらない。

 我流さんはそう僕に伝えてくれたんだ。

 そのおかげで、一歩を踏み出すことが出来たんだ。

 それはおばあちゃんにも有効な手段であると思えた。

 そしておばあちゃんは観念したかのように、息を吐いてこう答えた。

「――わかりました」





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