3-2
「我流さんについて?」
日が暮れてボールが見えない時間帯になったところでキャッチボールはやめた。そして家に戻る途中で僕は、「我流さんについて知ってることってある?」と聞いたのだ。
七海はうーんと唸って答える。
「知ってることといえば、名前と住んでいた場所くらいだよ。あと、小さい頃は餓鬼大将で良くみんなを困らせていた、なんて聞いたことあるよ」
「住んでる場所って、北の大きな館のことで合ってる?」
彼女は一瞬驚いたような顔をして、彼女は口を動かす。
「そうだよ。でもなんで知ってるの? それに我流さんと何かあった?」
逆に僕が質問されてしまって僕は困ってしまう。我流さんに相談したいことがあるなんて、七海には言えなかった。
「我流さん、私が小さい頃にこの街を出て行っちゃったから、全然顔も覚えてなかったんだよね。良く幼稚園に顔出してくれたりしてたのに」
どうやら僕が思っているような人で間違いないようだ。人と親しく優しい人物であることに、僕は更に安心感を覚えた。
「そうだ、おばあちゃんなら知ってるかも」
おばあちゃんはこの街にずっと留まっている人だ。当然有名人である我流さんはもちろん、もしかしたら我流さんのお父さん、おじいさんまでも知っているかもしれない。七海もそう思ったに違いなかった。
夕方にはおばあちゃんは買い物から帰ってきていたので、七海は和室へと向かう。僕は一応おばあちゃんとは顔を合わせないようにする。一々僕とおばあちゃんと顔を合わせるだけで、おばあちゃんは不機嫌そうな顔をするので、なるべくそういうことは控えていたかった。
「何だい?」
僕には絶対見ること、聞くことが出来ないであろうおばあちゃんの笑みや優しい声が離れた僕にも伝わってくる。直接ではなく間接的だけれど。僕じゃなければおばあちゃんも優しいんだと思う。
「我流さん。おばあちゃん覚えてるよね? あの人について知りたいんだけどさ――」
そう七海がおばあちゃんに聞いたとき、何かが割れる音がした。
その音の発生源がおばあちゃんが持っていた湯呑みだった。僕が駆けつけた時には、七海はおばあちゃんの体を揺らしていた。僕は台所から布巾を持ってきて畳を拭き始める。
「どうしたのおばあちゃんっ!」
七海が心配したような顔をしながら、そう聞く。
なんで彼女が心配しているのかというと、湯呑みを落としたことではなく、おばあちゃんが湯呑みを落としたまま時間が止まってしまったかのように、そのままの状態で唇が小刻みに震えて青白くなっていたのだ。
「ねぇねぇ、これって救急車呼んだ方がいいの!?」
七海は完全にパニック状態に陥っている。
でも、救急車を呼ぶ必要はなかったようだ。
おばあちゃんは七海の方に顔を向けて、こう言葉にする。
「……草壁の孫が帰ってきたのか?」
草壁の孫、というのは話の流れからするとたぶん、我流さんのことなんだろうと僕は考えた。それは七海も理解したようで、縦に首を振る。
「……そんな……」
おばあちゃんはその瞬間、まるで世界が終わったような顔をした。
僕たち二人はいったい何が何なのかわからず、七海はおばあちゃんに「どうしたの?」と再三聞き直す。
「我流さんが帰ってきたら何かが起きるの?」
おばあちゃんがひどく恐れているのは、我流さんにあるのではないか、そう七海は思ったようで、そう聞くとおばあちゃんは頷いた。
「……我流という名の草壁の孫……そして歩、お前さんがこの街にいる……」
「え……?」
なんでここで僕の名前が出てくるのだろうか。それに我流さんも。
いったい何の関係があるのだろうか。
「……また悲劇が……」
「ねぇおばあちゃん、本当にどうしたの!?」
話がついていけない僕らには、おばあちゃんの考えている《悲劇》など全くわからなかった。
おばあちゃんを落ち着かせるため、僕はいったん和室から出て行き、七海に任せてしまう。
ただ、僕にはおばあちゃんの言った《悲劇》について疑問が残った。




