2-5
その答えを知る機会が巡ってくるのは、あの授業が終わってすぐのことだった。
僕は放課後になると、部活動のある生徒たちに混ざりながら校舎から吐き出されて、正門から学校を出ようとした時に、ふいに左肩が何かにつんつんしてくる。
左の方に目を向ければ、そこには綾女さんが肩を叩いていた。
どうやら、僕のことを待ち構えていたようで、さっさと出ていこうとするところを彼女に捕まえられた。
「ちょっとあの木まで来てくれない?」
「……」
今日もまた一人であの丘に寝っ転がっているつもりでいたから、急にそう言われると僕は一瞬躊躇ってしまう。
だけど、暇だったことは間違いないし、彼女のことを知りたいとも思っていた。いったいどうして彼女は幽霊になったのか、美咲さんが言っていた話はどちらが本当なのか、そういうことを聞きたかった。
しかし、僕はそれらの質問を自分の口から聞くことは出来ないことを悟っていていた。
人の心の中まで潜り込むことは出来ない。
言ってしまえば――怖いんだ。
だから最初は戸惑ったのだけれど、綾女さんは何か僕に用があるように見えたので、断ることはしなかった。
「あの木、というのは、《北の》ですよね?」
綾女さんは当然でしょ、と言うとすぐさま消えてしまう。
もうちょっと説明が欲しかったのだけれど、僕は昨日行った《あの木》を目指す。
この学校から少し歩いたところにあるバス停からだと、駅に向かうよりは近いので、僕はそこでバスに乗って、あの洋館の見えるバス停で降りる。
バスが過ぎ去った後、僕があの木へと歩み寄る途中で、気配を感じる。
横に現れたのは同じ歩幅で歩く綾女さんだった。
「まぁまぁ時間がかかるのね。待ちくたびれたよ」
「綾女さんみたいに瞬間移動が出来るわけじゃないんですから」
「うん? 私、別に瞬間移動なんてしてないわよ」
僕は「え?」と変な声が出てしまう。
姿を消すところを二度も見ていて、僕はすっかり綾女さんは瞬間移動して先回りをしているのだと思い込んでいた。
綾女さんはどうして、僕がそう思い込んでしまったのか、理解できたようで答えてくれる。
「保健室でのことでしょ?」
僕はそれに頷くと彼女は言葉を続ける。
「私も良くわかっていないんだけど、ある程度《あの木》から離れていると勝手に戻されちゃうみたいなの」
前方に見えてくる木を見つめながら綾女さんはそう言う。
僕は彼女の答えに少し引っかかるところがあることがあって聞いてみる。
「ならバス停でのことは?」
「またこれが不思議で、戻りたい時には勝手に戻ることができるのよ」
それは便利だと僕は正直に思ったのだけれど、「瞬間移動できるのは、この木に戻ってくる時だけなのよ」と少し使いづらさを彼女は頬をふくらませて言う。たぶん自転車で坂を下っていくのは良いのだけれど、坂を上るのが大変だということと同じなのかもしれない。
「まだ全然、歩とは話せていないからね。聞きたいこともあるから」
それが僕を呼んだ目的だったのか。
それを聞いて第一に嫌だな、と思ってしまった。
なぜなら僕は自分の中のモノをさらけ出したくなかったから。
さらけ出してしまえば、また僕は、あの夢みたいなことになる。
人を傷つけることになる。
暴力ではなく、人の心を傷つけるのだ、僕は。
どうしてそうしてしまうのか、僕はその真実を知っている。
だけど、治せない。
わかっていても、止めることはできない。
だから、なるべく人と接することを避けていた。
なのに、彼女は真正面からそう言ってきたのだ。
「いつ見ても綺麗だね」
夕日によって空が赤く染められた頃。
今日は少し雲が多いので、合間合間から見える夕日はまた僕の目から見ても綺麗に見えた。いつも見ている場所とはまた違った夕日が見れて、得したような気分になる。
木から少し離れた緩やかな斜面になっている、緑の生えた地面に、綾女さんが腰を下ろしたので、僕も横に並ぶようにそこへ座る。
「そういえば聞いていなかったけど、なんで昨日ここに訪れたの?」
自分の話をすると言っていたじゃないか、と僕は言いたくなる。それにこれは昨日も質問されていたような気がした。
「あれ、そうだったかな?」
彼女は少し頭を傾いで考え込むと、思い出したようでぽんと手を叩くのだけれど、それでもあまり納得した顔をしなかった。
「でも理由を聞いてなかったような……。暇だったから探しに来たなんて言っていたけど、普通暇だったから探しに来るのはおかしいと思うんだけど」
そう言われてみると、頷けてしまう。
僕はちゃんとした理由を話す。
「噂を聞いたんです。《綾子さん》がここにいるって。ちょっと興味があったんで……」
彼女はそれに対してあまり良い顔をしていなかった。
というより、彼女はちょっと期待していたのに、という顔でこちらを見るので、僕は困ってしまう。
「だって、小さい頃から私の噂くらい耳にしていたんじゃないの?」
彼女は僕がこの街の生まれだと思っているようだった。
「四月の初めに引っ越してきたばかりなんです。だから《綾子さん》についても昨日初めて知ったんですよ」
「あぁ、そういうことね……」
そう僕が言ったのだけれど、それでも綾女さんはあまり納得がいかないようだった。何かが引っかかっているらしい。でも、僕の発言のなかで、それほど気になるようなことでもあったのか、僕が首を傾げてしまう。
「この街にも入ってこられるようになったのね……」
何かゴニョゴニョとそうつぶやいている彼女は、少し笑みを浮かべる。
わけのわからない僕が「あの……」と言うと、彼女が口を開く。
「あの幽霊話でこの辺に、全く人が来ることがないからね。なんで歩がここに来たのか、疑問に思っちゃったの。ごめんね」
綾女さんからそう謝られて、僕は困ってしまう。
いったい彼女はどうして先ほど、笑みを浮かべたのだろうか。
言った言葉の意味が理解できない。
――わからない。
そう思ったとき、僕の中で何かが膨れ始める。
一気に体の奥底から感情が表へと流れ出てくる。
綾女さんが今、何を考えているのかわからない。
そうだ、この人は生きているんじゃない。
「……幽霊……」
それも《綾子さん》と呼ばれる恐れられている幽霊だ。
そんな幽霊がこんな明るい少女なわけがない。
裏の顔があるに違いない。
僕には見せていない本性を隠しているに間違いない。
そうして何人もの子供たちを襲ったんだ。
そうに違いない。
それが真実なんだ。
「どうしたの、歩?」
綾女さんは僕を覗き込んでくる。
でも、隣の少女のものであるはずの顔が――《僕》にしか見えなかった。
「……あぁ……」
「何かあったの、ねぇ?」
不安そうに綾女さんは聞いてくるのに、僕が今見ている彼女の顔はだんだんと困惑した顔から笑みが溢れるように形作っていく。
そしてその顔は口を開いて率直に《心の声》を伝える。
『……喰いたい……』
彼女の声とは思えないほど低い男の声だった。かすれてしまっていて聞きづらいのに、言葉の意味は伝わってくる。
彼女の声とだいぶかけ離れているというのに。
だけど僕はそれが――彼女のものであるとしか思えなかった。
彼女の本意が声として現れたのだ。
「……く、来るな……」
「え……」
僕の言葉に彼女は驚く。
困惑したような、この状況を理解できない綾女さん。
僕の様子が突然おかしくなったために、彼女は僕の顔を確かめるために顔に手を近づけようとする。
だけれど、僕はその手がひどく血なまぐさく感じた。
青いオーラを放ち、ひどく真っ白な手は、不気味だった。
『喰いたい……喰いたい……』とかすれたような声が何度も何度も耳に入って来る。
手が顔に触れた瞬間僕はそれを払ってしまう。
「ど、どうしちゃったの?」
彼女は困惑の顔で問いかけてくる。
でも、僕はそれに答えらなかった。
ただ怯えていた。
体の震えが止まらない。
「……来ないでくれ……」
体がだんだんと後ろへと動き始める。
知らず知らずに、手が、足が、後ろへと向かおうとしていたのだ。
「何があったの! どうしちゃったのよ!?」
ここは危険だ。
とにかくこの場から離れるために、僕は体を完全にバス停の方へと向ける。
だけれど、その瞬間に右足首を掴まれてしまう。
『逃げるなっ!』
後ろを振り向けば、ひどく髪の毛が広がった幽霊が思いっきり僕の手を掴んでいた。今まで感じたこともないほどの力で完全に足を掴まれてしまう。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
僕はがむしゃらに走り出す。
大声を上げて思いっきり力を入れて足を踏み出す。
とにかくその場から逃げる。
それだけしか頭にはなかった。
その後の記憶はない。




