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大きな木の下で  作者: 小田 浩正
第二章
10/30

2-3




 あの日のことを思い出す。

 突然背の高い青年に中断させられた試合のことだ。

 僕はあの日、最終回サヨナラのヒットを打つことが出来た。良い意味で力が抜けてくれたことで、外野手の頭を超えるような大きな当たりとなったのだ。

 だけど、それがホームランとはならず、一塁ベースを駆け抜けた時にはすでに外野手がボールを拾っているところを視界の端で捉えていた。

 その頃には、既に三塁ベースにいたランナーはホームへと帰って同点となる。

 そして二塁ベースを踏んだ時には、内野手が外野手とホームベースにいるキャッチャーとの間に中継として入ってボールを受け取っていた。しかし、あの距離ならば僕が打った時点で一塁ベースにいたランナーがホームに入ることは容易であったはず。

 ――なのだが。

 僕は失念していた。

 一塁にいたランナーがチーム内で一番足の遅い男であることを。

 自分の息よりもそのチームメイトの方がだいぶ息が荒い。太っているせいでなかなか足が上がらずに前へと進めていなかったのだ。

 実は、この男がサヨナラホームランを打つため用意されていた代打だったのだ。こういう逆転の時に補欠として置かれていたのに、今日は絶不調らしく先ほどの打席では危うくアウトになりそうだったのである。しかし、なんとかして塁に出たことに関してはチーム全体で湧き上がった。

 しかし、ここからが勝負だった。

 交代するための選手がいないほど、僕のチームは小さかった。下の学年を連れてくれば、それなりの人数になるのだけれど、今日は下の学年も試合があるため、選手だれ一人として引っ張ってこれなかったのだ。

 だから、僕はアウトになりたかったんだ。

 勝つことなんて不可能だったのだから。

 それでもこうして僕は走っている。なんでだろうと、つい考えてしまう。

 そして、最悪な事態となった。

 彼はまだホームベースを踏めると思ったらしく、そのまま三塁ベースを駆け抜ける。けれどホームベースに向かった時には、すでにボールはホームベースにまで届けられてしまっており、彼はホームベースと三塁間でランナーは挟まれてしまう。

 プロ野球でもたまにあることなのだけれど、ベースとベースとの間でランナーをタッチしてアウトにする、というのが挟むという行為だ。

 ベースにランナーがたどり着けばセーフになる。しかし、その前に守備陣にボールを握ったグローブでタッチされてしまえばアウトになる。ランナーはベース間を行ったり来たりして、なるべく先の塁を目指すのがこつだ。

 でも、彼にはそんな高度なテクニックは出来ない。

 大抵ランナーはアウトにされるのが常だった。

 それに加えて彼はあまり走ることが得意ではない。

 だからアウトになるなよ、と思いながら僕は三塁ベースへ向かう。

 なぜ、わざわざボールの近くに向かっていくのかというと、彼よりも僕の方がアウトになりにくいからだ。一応後続のランナーが前のランナーを抜いてはいけないというルールがあるので代わりになることはできないが、運良く彼が三塁ベースに戻ってきた時、僕が二塁ベースにいればそこで一旦ゲームが途切れ、次の打者が打つことになる。

 それはそれで一つの手だと思う。だけれど、今の状態では三塁ランナーがアウトにされる可能性は相当高く、そして確率的に二番打者がヒット性のものを打てるとは思っていなかった。

 ここは運にかけてわざと塁から出ておくことでゲームを続けさせる。今度は僕が挟まれることによって彼がホームベースを踏めればそれで勝つことが出来るのだ。

 ここで一つ目に運が良かったのが僕の方に野手が注意を向けていたことだった。

 もし、あの太ったランナーを思いっきり追いかけてアウトにすればそれで試合終了だったのだけれど、彼らは僕の方も注意していて、それもキャッチャーが三塁へボールを持って走ることはそれなりに労力が必要だったから、あまり追いかけられずに三塁側へ投げてしまう。

 それによってランナーは一度ホームへと目指すのだけれど、サードを守っていた彼は臆病だったようで、追加点を許してはいけないと思って早めにホームへと投げる。

 そしてもう一度ランナーが三塁側へ顔を向けたとき、僕と目が合い、意図を伝える。

 それは太った彼にも伝わったようで、思いっきり三塁へ走る。

 ホームにいたその野手はどうやら脚力に自信があるのか、思いっきり彼を追う。しかし、その野手にボールが渡ったのがランナーとある程度距離があったおかげで彼は三塁に滑り込むことができた。

 そしてここからが本番だった。

 僕の方を見たその野手が僕目掛けて向かってくる。

 仲間からは「何してんだよ」という声が耳に入ってきたけれど気にすることなく、僕は後ろのその野手を見ながら二塁へ向かって走っていく。

 相手は僕をアウトにできれば勝つことが出来るのだ。彼らは必死だった。何度か二三塁間を往復して僕はなるべくアウトにならないように三塁からボールを持った人間を離そうとした。

たぶんそれは相手もわかっていることでチラチラと三塁からリードしている太ったチームメイトを見ていた。

 そしてその時が来る。

 一旦、相手が三塁側にボールが送られた瞬間に僕は思いっきり二塁へと走り出す。そして相手は引っ掛かる。焦って二塁へとボールを投げてしまう。

 この場合は僕のことをアウトにすることも一つの手なのは確かだ。

 しかし――ここでの最も重要な事は、焦らずに三塁にいるランナーをホームベースを踏ませないことだ。

だからボールが三塁ベースから最も離れた瞬間が危険なのに、野手は引っ掛かってしまい、二塁にいる野手へと投げてしまった。

 これで太ったチームメイトがホームを踏むことができれば勝つことが出来る。

 そして、僕たちは勝った。

 太った彼が盛大にホームへヘットスライディングを決めてサヨナラ勝ちを僕たちはしたのだった。

 これだけを見ていれば感動の優勝である。

 みんなはベンチで大いに喜んでいて、それは僕の耳にも届いていた。



 でも、悲劇が僕に待ち受けていた。



 僕は嬉し涙を流すことなく、痛さによる呻き声を上げてしまう。

 それは焦って野手が投げたボールが運悪く、僕の肩に当たってしまったのだ。それも右肩に。

普通ならばなんともないものだったけれど、僕の肩は元々悲鳴をあげていたのだ。そこに決定的なものをくらってしまい、二塁ベースでうずくまってしまう。

 歓喜で湧き上がっていたチームメイトたちが僕の様子がおかしいことに気付いたようで僕の所まで走ってきてくれたのだけれど、何も答えられずに右肩を握りつぶそうとするくらい強く握っていた。

 その後医者には見せずに肩を冷やしたのだけれど、痛みが消えることはなかった。

 あの試合の後、大会の閉会式があったのだけれど、素直に喜んだ顔を監督や保護者の方々には見せられなかった。そして相手側の選手は負けたはずなのに僕のことを謝ってきたりして複雑な心境だった。

 あの時二番打者のチームメイトを信じて、二塁に留まっていればと思う時がある。

 もしかすると、それで普通にチームは勝っていたのかもしれないし、負けていたのかもしれない。それは今の僕ですらわからないし、これからもわからないままだと僕は思う。

 あの時僕はチームメイトを駒のように思ってしまっていた。二番打者を信じていなかったし、前を走っていた太ったランナーを邪魔とさえ思ってしまっていた。

 協調性のない、そんな男がチームでやるような競技をやるのがおかしいのだ。この時そう確信した。

 だから、理由としては肩の故障ということで。

 そして、僕はその日からボールを投げられなくなって。

 ――嘘をついて。

 蝉のうるさい夏に。



 野球を手放した。



 ということを綾女さんには話さなかった。

 まだ出会ったばかりの人に自分の過去を気軽に話せる僕ではない。いや、あまり自分の過去を明かしたくない僕は、幽霊に対してもこういう話はしたくなかった。

「知られたくない過去くらい誰にでもあるでしょ? 私にもあるんだから。そんなに気にしなくてもいいよ」

 僕がすまなそうな顔をしているとそう励ましてくれた。

 でも、僕はその言葉を聞いて内心ハッと気づかされることがあった。


 彼女は僕以上の暗い過去を持っているんじゃないか、と。


 僕の過去は、別に他人からしてみれば些細な悩みだ。仲間との距離が掴めない。いや、それ以前の問題で、協調性のない僕は彼らを仲間として見ていなかった。ただ同じチームになった人間で野球というスポーツをやっていたに過ぎなかった。

 そんな一人だけの問題でちまちまと閉じこもっていることに急に恥ずかしく感じる。

「そうだよ、まだまだ私のこと、なんにも話してない――」

 そう綾女さんが口にした瞬間、彼女の顔は下を向く。

 僕もそれに倣って下を向くと、彼女の足が透明になりつつある。それが上へ上へと全体に広まって完全に霞んでいく。

 僕はただ唖然としていると、

「あ、ごめんね、ちょっと時間がないみたい――」

 そう言葉を残して彼女は消えた。

 いったい何があったんだろうか。





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