プロローグ
状況が全く理解できない。
この一言しか出てこない状況に『結城冬季』はソファーに腰掛け、見慣れない天井を見上げて大きくため息を吐いた。
目を覚ましたら異世界でしたって、ネットやマンガで転がってる妄想じゃないんだ。だいたい、俺はトラックに轢かれてない。いや、トラックに轢かれて転生しましたって、異世界だってなるとそれこそ、在り来たりか? とりあえず、状況をもう1度、整理する必要があるか?
未だに自分の状況が理解しきっていない冬季は今の状況を整理しようと思ったようで乱暴に頭をかく。
冬季は久しぶりにバイトのない休日に惰眠をむさぼっていたはずだった。
しかし、目を覚ますと彼はこの見慣れない世界に召喚されており、この国の王らしき人間に勇者と任命され、世界の命運を任せられたのである。
いきなりの事で、当然、冬季は混乱していると、彼の様子に王のそばに控えていた大臣だと思われる男性が時間も必要だと王に進言し、考えがまとまるまでとこの部屋をあてがわれた。
現実を受け入れる事ができず、頬を何度もつねってはみたものの、元の世界に戻る事はない。
……考えれば、考えるほど、非現実的すぎるだろ。それに、どうして、俺なんだ?
状況を処理できないにしても、自分の身に起きている事が非現実的すぎる事は理解できる上に、冬季自身はただの高校生であり、成績は中の下、運動神経も悪くはないが、それこそ、スポーツ推薦を受けたりするようなものではない。
当然、武道の経験もないのである。
勇者としての資質があるとなど思えない。世界など救えるわけもない。
これが冬季の頭がはじき出した答えである。
しかし、それを王に伝える事などできるわけがない。
その事を伝えてしまうと自分自身の身の安全が保障されないからである。
勝手すぎるだろ。俺が何で、こんな縁もゆかりもない世界を助けないといけないんだ?
そう考えると自分をこんな世界に召喚した者へと怒りがこみ上げてくる。
怒りが湧いてきてしまうと頭は冷静に状況を理解しようとしても、そう上手くは行くわけもない。
いっそ、ここから逃げてやろうか?
逃亡すると言う選択肢が頭をよぎるものの、それを行うにしても、協力者もない状況では無理な話である。
……逃げられたといしても、知り合いがいないんだ。元の世界に戻る方法もないし、野垂れ死にしかないだろうな。それに逃げ出したりしたら、捕まったら処刑だろうし、勇者の資質が仮にあったとしても、資質に目覚めなければ、結局は考える意味なんかないじゃないかよ。
この世界に知り合いもなく、1人である冬季に出せる答えなど実際は最初から1つしかない。
その事に冬季は気が付いてはいたのだが、諦めきる事など簡単にはできない。
冬季は先ほどまでは安全な世界におり、死と隣り合わせの世界でなど生きて行く自信を簡単に持てるわけなどないのだ。
……帰りたい。
状況を整理すればするほど、帰郷の念が募る。当たり前だった今までの世界への恋しさに冬季の頬には涙が伝う。
それでも、決断しなければならない。
不安でも元の世界に戻る方法を探さなければならない。
自分を召喚した者へ文句の1つでも言わなければ、腹の虫は治まらない。何より、自分をこの世界に召喚した者がいるなら、その者は自分を元の世界に戻す術を知っているのではないかと希望的な考えも頭をよぎる。
「……受けるしかないんだよな?」
自分の不安を振り払うように冬季は自分の置かれた状況を認めるために、言葉を発するとソファーから立ちあがり、部屋のドアを開けると部屋の外には甲冑を身にまとい、腰に剣を差した兵士が控えている。
逃げるとか考えなくて良かったよ。
兵士の姿に冬季は血の気が引いたようで顔を引きつらせると自分が浅はかな判断をしなかった事に胸をなで下ろす。
「答えは出ましたか?」
「……はい」
「それでは謁見の間にご案内します」
兵士の1人が、王からの勅命を受ける意思を確認する。
冬季はその言葉に1つ深呼吸をすると大きく頷く。
その返事を聞き、兵士は冬季が逃げないように彼の両脇に並ぶと冬季を王の待つ謁見の間まで案内する。
この日、1つの国で勇者が生まれた。
勇者は戦う力もない。
それでも、生きるために選択しなければいけなかった。
この見知らぬ世界で生きるためには必要な事だったから……