店長さんの、長い休日。3
「・・・グラタン」
「んん?」
「グラタン食いたい、ほうれん草と鮭で、よし、夕飯はグラタンにしよう!」
先程までの悩みはどうした。と、ツッコミたく成る程の見事な変わり様を見せた臨がテキパキ動き出す。
野菜を買い込んだ後は、肉屋と魚屋を周り、一度家に帰る。
買い込んだ食材を片付けて、調味料チェックをした臨は、ユジを引き連れてとある店に向かった。
和風と称して間違いのない外観と看板を掲げる貿易商店“狐屋”が目的地だ。
服飾関係から家具、食材。
多彩な品物を扱う狐屋に並ぶその全ては東諸島の代物で、東大陸の西に位置するゼノでは手に入りにくい珍品ばかりだ。
東諸島の品ばかりなので、貿易商店と言うよりは、輸入商店、セレクトショップと言った方が正しいかもしれない。
「あら?いらっしゃいませノゾムさん。ご入用は何時もの物でしょうか?」
店に入って直ぐ右手にあるカウンターで算盤を打っていた長い黒髪と白い肌の人物が笑顔を浮かべた。
「ああ、それと酒かな・・・そうだユキノ、他に何か入ってたらそれも見せて」
奥で棚の整理をしていた狸の獣人に声を掛けていたユキノは、「畏まりました」と白い振り袖が揺らして立ち上がる。
雪の結晶が描かれた長い袖が揺れると共に僅かな冷気が辺りに散った。
可愛らしい容姿と、華奢なユキノは振り袖がよく似合う。
冷気と聞いて、ピンと来た人も多いだろうがユキノは雪女・・・
「ワシには挨拶無しか。しっかし、相変わらずそんな格好をしてるんじゃな、ユキノジョウ」
「本名で呼ぶんじゃねぇよユジ! だからテメェには挨拶なしなんだって解れ!」
ではなく、雪男。
つまり、クオリティーが非常に高いオネエだ。
カッ! っと怒鳴ったユキノに、ユジが呵々と笑う。
店の外観やユキノの名前や服装から、すでに察しは付いているだろうが、東諸島には日本に近い文化がある。
着物だけに留まらず、扇、火鉢に醤油や味噌に清酒、焼酎。
雑貨から調味料、食の文化も臨にとっては馴染み深い物ばかりだ。
種族としては日本の妖怪として有名どころが数多く存在し、人型を取った際には黄色い肌の色になるものが多数を占める。
赤鬼であるユジや、雪男・・・正式には雪山の精霊の末裔であるユキノはそんな東諸島の出身である。
「いつも通り醤油と味噌と味醂ですね・・・あ、ノゾムさん。3日後に豆腐が入る予定なんですが、風見鶏の方に持っていきましょうか?」
「良いのか?なら頼む」
からかうユジに食ってかかるユキノを後目に、慣れた様子で狸の丁稚に問われた臨は頷いて代金を支払う。
他の調味料に比べると割高だが、手に入りにくい分仕方がない。
ユジとユキノの応酬が終わるまで、ノゾムは店内を見て回る事にした。
着物に扇子、簪、結い紐、柘植の櫛。
見た目にも高価そうな代物が多く、時たま庶民的な物もある。
小物箪笥や漆塗りの文箱が並び、その横には大小対の刀や鉄扇、槍、懐刀や苦無に手裏剣。
本当に何でもあるな、と苦笑した臨は片隅に置かれた物に首を捻った。
「鉄串?」
バーベキューなどで馴染み深い鉄製の串が、武具のならぶ一角にあるのは変だ。
それに鉄串とは違い、両端共鋭さを持っている。
これが何かを訊ねようにも、丁稚の少年は既に仕事に戻った後だし、ユジもユキノも口論(一方的ではあるが)で忙しい。
さてどうした物かと悩む臨の背後から、すっと手が伸び答えが聞こえた。
「串と違いますえ。それは棒手裏剣言うて、それも手裏剣の一種なんよ。まあ、暗器の一つやね」
「へぇ、手裏剣・・・。有難うアカネ」
臨が礼を口にして振り返った先に居たのは年齢不詳の狐顔。
濃い藍色の着流しを着た、東洋人の容姿を持つ優男の背後で狐の尾が揺れていて。
ロバートやハロルドと同じ様に、人間の耳と同じ位置に大きな狐の耳が付いている。
かまいやしまへん。と緩々首を振った、京言葉もどきを操る妖狐は棒手裏剣を手に取り説明を続ける。
「急所やったりツボなんかを刺すんやたり、後は薬なんかを塗って使うんが一般的なんえ」
「・・・何で詳しいんだ、アカネ」
「扱う品を理解するんも店主の仕事、言う事で・・・。
ああ、ノゾムはんこれ使いはります? 慣れればナイフよりも投げ良いと思うんやけど」
ニコニコと棒手裏剣を差し出すこの店の店主に、ヒクリと口角を引き攣らせた臨は首を振った。
「要らない、そもそも“外”に出る積もりは無いからな。必要ないだろ」
「おや、残念。まあ、ノゾムはんは暗器やったとしても調理器具にしそうやしね」
答えを判って居たのか、全く残念がっていないアカネはクックッと喉で笑ってカウンターに視線を移した。
「ユキノ、遊んで居らんと仕事しいや。常客待たせてどないすんの」
「っ!はい!すみません!」
既に調味料の入った袋を手にしている臨に気付き、数本の酒を慌しく抜き取ったユキノは足早に臨の元にやって来た。
「すみません、えっと・・・こちらが麦焼酎で、こちらが何時ものと新しく入荷した清酒です。お酒の分は締めて銀6枚で・・・」
「なら、酒代は待たせ賃と言う事でええよ」
あっさりユキノの言葉を遮ったアカネに、臨の顔が引き攣った。
一般的なワイン一本が銀一枚(約3000円)程度だ、それより安いものもあるし勿論上もあるが大体はその程度の値段で買える。
しかし、ゼノでは清酒や焼酎は一本銀二枚(約6000円)が最安値だ。
どれも狐屋の中でも安値で旨い酒ではあるが、それでも割高な物をぽんと渡すアカネは可笑しい。
待たせ賃と言うが、痺れを切らせるほど長い時間待たされた訳でもないのに、だ。
「否、それはちょっと・・・無いわけじゃないし、払う」
「気に入りませんの?ほんなら棒手裏剣にしときます?」
「い、や・・・だったら酒で」
笑顔で棒手裏剣の束に手を伸ばしたアカネの腕を鷲掴み、溜め息混じりで臨が折れた。
要らない物より必要な物がタダになる方が、どう考えたってマシだ。
「で、ここまで気前がいい理由は?何が目的だ」
「流石ノゾムはん、話しが早くて助かりますわ」
ゆるゆると尾を揺らしたアカネが笑みを深くして、狸の丁稚に「あれ、持って来て」と指示をだす。
「上等な小豆と寒天が入ったんよ、せやからノゾムはんに羊羹こさえて貰いとうて」
「菓子は門外漢だ」
だから無理だと断る臨にアカネが笑う。
「最後まで聞かなあきまへん。そない言うて断るのは目に見えとったから、料理の本も仕入れ済みや」
「・・・判った、作るれば良いんだろ」
先手を打たれてはどうしようもない。
結局全面的に臨が折れて、丁稚が持って来た大袋も受け取った。
「おおきに、なんやすまへんなぁ。こっちじゃそうそう口に出来へんしなぁ・・・ああ、本の方は返さんでええから使こうて下さいな」
「狐じゃなくて狸だな・・・まあ、レシピがあっても、失敗する可能性は念頭に置いてくれ」
「ええ、重々承知しとります」
店の外まで出てきて臨を見送るアカネに釘を刺せば、失敗しても良い。とアカネは笑う。
結局は当たりを期待しているからこそ、終始笑顔だったのだろう。
狐屋を離れた後、臨の腕から調味料や酒の入った袋と羊羹セットの入った袋を抜き取ったユジが一つ提案する。
「なあ、嬢ちゃん。そろそろ飯にせんか?」
「あー・・・少し早いけどそうするか」
昼の鐘はまだ鳴っていないが、太陽の位置は真上に近い。
本当に軽くしか朝食を取っていなかった臨はユジの提案を承諾した。