店長さんの、日常。2
美味い時はかなり美味いが、不味い時は悶絶レベル。
プリン、クッキー、パウンドケーキなど、簡単な菓子は“当たり”だ。
ただし、臨の気分で手の込んだ菓子が出た日は客一同、息を呑む。
以前美味かったからと言って、その日も美味いとは限らない。
「それでぇノゾムちゃん、今日のおやつはー?」
「シュークリームリベンジ!」
ぐっと拳を握った臨に、客から落胆の声があがったが本人は気にしない。
前回出したシュークリームは大失敗だった。
シュー生地を焼き過ぎて焦がしたのだ。
温度管理が難しいマギソーのオーブンに馴れる前に、作ったのが失敗の原因とも言える。
因みに、今でこそ当たりのクッキーやパウンドケーキも出した当初は失敗の連続だった。
と、まあ若干のギャンブル感は否めない“おやつ”だが、
ティータイムには当たりを期待した若い女性や、甘味好きが店を賑わせるのが当たり前になっていた。
ギルドの受付終了時間は夕方だ。
それと同時に『風見鶏』の営業も終了する。
鐘の鳴らない夕方の目安は、毎日ほぼ決まった時間に群れを成して縄張り巡回をする習性を持つ鳥のギィギィと言う鳴き声だ。
カラスが鳴くから帰りましょーと言わんばかりの適当加減である。
他の飲食店がディナーの仕込みをする時間は、当番と臨で店を清掃をし、翌日分のパン生地を練る。
この日は、翌日が臨の休日なので簡単な料理の仕込みもした。
貯蔵庫はあるが、冷蔵庫は無いので作り置きは出来ないのだが、食材を切って大鍋に放り込む。
後は煮込めばオーケーという状態にしてから鍵を閉めて店を出る。
週二日が臨の休日だ。
一方はギルドの定休日なので、問題無いのだが。
もう一方はギルドは通常営業日。
翌日のは後者にあたるので、そこそこ料理が出来る一割の傭兵達が臨の代理をする段取りになっている。
店を出た後、まだ開いている商店で食材を買って自宅で夕食をとるか、他の飲食店で夕食にする。
大方が外食で、そうじゃない場合は在り物をぶち込んだチャーハンやサンドイッチだけだったりパスタだったりと酒の肴の様な、極々簡単な手抜き料理が多い。
「ノゾム、今日どうする?」
「帽子うさぎに行くつもりだけど、ジムは?」
じゃあ俺も。と言う、ジムと共に臨は歩き出した。
臨やジムの行き付けの店は幾つかあるが、二人揃うと風見鶏と赤い飛び魚の間に位置する居酒屋『帽子うさぎ』に行くことが多い。
帰路の途中にあることが理由の半分、もう半分はアパート近くの居酒屋だと煩いのに絡まれて面倒だからだ。
ファンタジー世界だから酒場だろ!とツッコミが有りそうだが、
臨曰わく、「バルも酒場も結局の所、居酒屋じゃないか」だそうだ。
帽子うさぎに至っては、バーカウンターのあるレストランと言うのが正しいのだが、そんな理由から臨と交友関係のある者の間では居酒屋扱いされていたりもする。
うさぎの耳が付いたシルクハットのシルエットが看板に描かれている店のドアを押し開けるとドアベルがカロンと音を立てる。
賑やかな喧騒ではなく、穏やかな談笑や食器の音が広がる店内に踏み入るとカウンター席を陣取る女が一人、場にそぐわない大きな声をあげた。
「おあー! ジムさん、ノゾムさんいらーっしゃーぁい」
カウンターの奥を陣取り、酒瓶やグラスを周辺に転がしているベロンベロンに酔った女が突っ伏したまま手を振る。
巨乳を強調するように、胸元ががっつり開いた服と深いスリットの入ったロングスカートを着た丸眼鏡の酔っ払い。
頭で兎の耳をひょこひょこ動かす彼女がこの店、“帽子うさぎ”のオーナーである。
あひゃあひゃ笑うオーナーの声に、カウンターの中の犬耳青年と、料理を運ぶ女の子が苦笑しながら「いらっしゃい」と声を揃えた。
過去の経歴も実年齢も名前も全てが不明であるオーナーの喧しい声に眉を顰める客は少ない。
このオーナーを含めてこその“帽子うさぎ”であると二回以上来店している者は理解しているのだ。
一度でも名を告げてあれば、彼女は大声で名を呼んで挨拶する。
それが初対面の者同士でも打ち解ける切っ掛けだったりもするのだ。
「ヘイゼル、魚で何か頼む」
「はいはーい!あ、ジムさん今日は良い牛入ってるよ!」
臨がヘイゼルと呼んだウェイトレスは、オレンジ色のショートボブが似合う、明るくよく働く元シーフの人間だ。
体格の方は、よく言えば華奢。ぶっちゃけてしまえばステータスで希少価値!なアレだ。
「なら牛で、酒は任せる」
「了解! ハロルド、牛と魚でよろしく」
「へいへい聞こえてるって」
人間の耳と変わらない位置にある犬耳をピクッと動かした人の良さそうな青年、ハロルドが調理に掛かる。
彼は犬ではなく狼――つまり人狼だそうで、ロバートの弟だ。
顔はまあ似ているが、性格が全く違う。
子供の頃からロバートの尻拭い・・・否、保護者の様な立場に居たハロルドは何処か苦労性だ。
「ごめん!ノゾムさん、今白葡萄無いんだよね」
「じゃあ林檎酒か蜂蜜酒」
オーナーが飲んじゃって。と言うヘイゼルの呟きは聴かなかった事にして臨がオーダーを伝えると、ヘイゼルはカウンターへ駆けていった。
大きな棚に山ほど酒が並んでいるのに品切れすることがある、と言うのも帽子うさぎの特色の一つだろう・・・。
原因は言わずもがな、オーナーだ。
夜を告げる二つ目の鐘がなった頃、食事を終えて臨とジムは店を出た。
街灯は無いが、店や家の窓から漏れる明かりと、星や月の光で意外と足元は明るい。
提灯やランプ、魔法を利用して足元を照らす者も居るが、まだ街の灯が落ちていないこの時間灯りを持つ者は少ない。
「ああっ! ジムさんノゾムさん! どこで飯食ってたんすか!?」
「ん? ・・・シャムか?」
「だな」
そんな中、赤い飛び魚近くの居酒屋から出てきた歪な形の影からシャムの声が上がった。
逆光になっていて良く見えなかったが近付けば、確かに「そっちと飲みたかった」と肩を落とすシャムだ。
ただ、肩に一匹見慣れたものを担いで、反対の手でやっぱり見慣れたものを引き摺っているが。
「シャム、そっち任されようか?」
「あざっす。でもノゾムさんより俺のが力在るんで、だいじょぶっすよ」
自分より一回り大きな体格をしている大型犬・・・もとい、ロバートを肩に担いでいたシャムがケタケタと笑うが、その瞬間背中にもう一人の頭突きを食らって咽た。
寝落ち寸前の状態で引き摺られるように歩いていたアリソンが完全に寝入ったようだ。
「・・・シャム、ロバート貸せ」
「えー・・・いや、まあ俺が適任か・・・んじゃ、お願いしゃーす!」
ジムにロバートを回収されて、一瞬嫌そうに顔を歪めたシャムはぶつぶつと独り言を漏らしながらアリソンを背負って姿を消した。
若年トリオの中でアリソンだけが、赤い飛び魚の住人では無く別の場所に住んでいる。
ピンクのドアにティーポットが意匠のアパートで、赤い飛び魚よりも小綺麗でワンランク高い女性に人気のあるアパートだった。
通称は“桃色ティーポット”
目を輝かせるメルからそれを聴いた瞬間、臨は「痛い」と思ったが、それは夢見がちではない女性陣や男性陣も同じだそうだ。
此処だけの話、現物もかなり“イタい”。
かなりどぎついピンクで塗りたてられたドアは桃色とは程遠く・・・
薄い藤色の外壁と、ショッキングピンクと蛍光ピンクを足したような色で塗り立てられたドアと屋根のアパート。
実際にそれを目にした臨が、そりゃもう全力で引く程度の威力を誇る代物だった。
後から聴いた話によると、一部では“毒色ティーポット”と呼ばれているらしい。
臨がどうか呼んでいるかは、黙秘だそうだ。
閑話休題。
さて、ロバートを担いだジムと臨は赤い飛び魚まで帰って来た。
アパートの玄関をくぐって、二階に上がる階段の隣。
犬の意匠が彫られたプレートが下がった部屋が、ロバートの部屋だ。
犬では無く狼だと本人は言うが、臨からすればどう見ても柴犬のシルエットにしか見えなかった。
俵担ぎされているにも関わらず、アホ面を引っさげて眠りこけるロバートの首に下がる鍵で開錠した部屋に、文字通り部屋の主を投げ込んだジムと臨は三階へ上がった。
積み上げられた物が崩れ落ちる音がしたが、何時もの事だしロバートが起きる気配もないので特に気には留めない。
ジムは臨と同じく三階の住人で、臨の部屋の向いに住んでいる。
プレートはワニ型の革だ。
雑談を交わしつつ階段を上がりきった臨とジムは、ぎくりと足を止めた。
暗い廊下の奥、
丁度二人の部屋の前に・・・
“何 か 居 る”
人間(もしくは平均的な魔族)よりやや小さな影は、すすり泣きと共にモゾリと動いた。
丁度良いからぶっちゃけておこう。
ジムは幽霊の類が苦手だ。アンデット系の魔獣もあまり得意じゃないらしい。
「・・・シャ、シャムの部屋に泊めて貰う」
「そうだな・・・、じゃあ一回ロバートの部屋に戻るか?」
錆び付いたロボットのように踵を返したジムの背中に手を当てて、臨が同行しようとすると・・・。
小さな影がぬらりと立ち上がった。
ジムの肩が跳ねた気がするが、そのシルエットに見覚えが有る気がした臨は首を傾げた。
「ま゛、待゛っ゛でぐだざいよぉおお!!」
悲鳴じみた幼い涙声に、ジムも足を止めて振り返る。
「「スクルド?」」
「ぞーでず、ふだりども・・・ひ、ひどい」
えうえうと泣く影――臨の隣人である元神官の少女が臨目掛けてすっ飛んで来た。
勢いのまま臨の腹にタックルよろしく抱き付いたスクルドは、ずびーっと鼻を啜りながら何故部屋の外に居たのかを語りだす。
涙声で嗚咽混じりの、纏まり無いスクルドの事情を要約するとこうだ。
『職場に鍵を忘れて締め出しくらった』
それを理解した臨とジムは、「またか」と溜め息を吐いた。