店長さんの、長い休日。8
今回は新キャラ、勇者アーサー視点です。
―――勇者たるもの、一般人に武力を奮ってはならない。
そう教えられ、その規律を守って居たアーサーは、事故とは言えそれを破ってしまったこと、それと怒鳴られた一言に衝撃を受けていた。
『襲ってんのはテメェらだろうがぁあああ!!』
魔族独特の雰囲気や特徴を持たない、ただの人間に見える彼の言葉に、最初は何を言って居るんだと思い、洗脳されて居るのかとも思った。
武器を持つ者の手とは違う処に多古のある男にしては華奢な手で首を鷲掴まれ、気管が僅かに締まったが、それよりもしっかりと自我を持った怒りで光る黒い目に睨まれて唖然とした。
周りを見てみろ。と怒鳴り、自分を突き飛ばした一般人が魔法使いのジュリアと口論を始めて、アーサーは初めて辺りをちゃんと見た。
きちんと舗装されていた道と、故郷と変わらない生活感のある建物。
荒廃した気配は無く、店先や家々の窓辺には花が咲いている。
周囲の魔族は武器を持って居るが、殺気だった様子も襲い掛かってくる気配もない。
何処か困った様子であったり、怪我人に手を貸したり。
二階の窓から覗く小さな子供を慌てて奥に引き込む母親の姿、建物の中から、自分が斬ってしまった一般人を心配そうに見守る婦人やウェイター、魔族や人間が入り乱れた客。
何処かアーサー達を見て気まずそうな顔をしている人間達。
それのどれもが、自分の良く知る物と重なり、思い描いていた魔族の国は何処にも無かった。
「ユジ、大丈夫か?」
「お、おん・・・すまん」
そんな小さな声に視線を移すと、皮膚のあちこちにくすんだ緑色の鱗を持ったベージュの髪を持つ獣人が、自分が斬ろうとした赤鬼を助け起こしている。
赤鬼の背中部分の服は無残に焼かれ、そこから除く鍛えられた背中は酷い火傷と飛礫が打ち付けられ、鋭利な角で切れたような傷がある。
傷口から滲む血液は自分達と同じ、真っ赤な液体だった。
「って言うかぁ、ノゾムちゃん怖ぁ」
「ユ爺、何でノゾムさんキレてんすか? ちょー怖ぇ」
小悪魔の少女と、吸血鬼らしき青年が引きつった表情で人間である一般人を眺めている。
援軍かと、アーサーは体を固くしたが彼らは自分には目もくれず刺々しい口論を交わす一般人とジュリアに視線を向けていた。
“ノゾム”と言うのはあの一般人だろう、とアーサーが口論を続ける二人に視線を移すと、呑気な声が耳に飛び込んで来た。
「うっわ、つーか店長マジギレ? 女同士の喧嘩怖っ!!」
確かに。とワーウルフの男に同意しかけたアーサーの思考が停止した。
・・・女“同士”?
「確かにそうだけどぉー、ノゾムちゃんだからまだマシかもー?
他の女の子だったらぁ、あの女、今頃重体って言うか」
再び視線を赤鬼の方へ向けると、ワーウルフの男に顔を向けていた小悪魔がジュリアとノゾムに視線を向けて、空恐ろしい事をペロッと言う。
小悪魔の女の周りにいた男達は、ああ確かに。と何処か納得して居る様だ。
あー、ほらぁ。と小悪魔が指を指す。
小悪魔の指の先を辿った辺りからパシンと乾いた音がした。
が、頬を張った音とは違い、アーサーが視線を向けた時にはジュリアの頭が少し揺れて居る様子が見て取れた。
頬を張ろうとしたジュリアの腕を左手でガードし、振り切ったノゾムの右手はやはり頬よりも上だ。
・・・何か、違う。
「・・・マズいな」
「ジムさん、何がっすか?」
「ノゾムの脚だ、何時もより血の巡りが良いから・・・」
アーサーの近くから赤い足跡が続き、浅い茶色のパンツをどす黒く染めている。
だと言うのに血の出どころからはまだ出血している為か鮮やかな赤が溢れていた。
未だ出血している事を示すように、ジュリアに対峙するノゾムの足元に出来た血溜まりはじわじわと大きくなっていく。
それを目にした瞬間、自分のすべき事を一瞬で理解したアーサーは跳ね起きた叫ぶ。
「「「“応急処置”!!」」」
同時に発せられた声は、神官であるミラの震えた物と戸口から出てきたウェイターの冷静な物だ。
初級の治癒魔法三つも重なれば、効果は中級のそれだ。
恐らく傷跡すら残さず完治しただろう。
ノゾムの脚から流れ出ていた血が止まった事に、ほっとしたのか戸口から飛び出して来たウェイターはさっさと建物の中に引っ込んだ。
「「・・・カミュー」」
「素直じゃないっすねー」
苦笑をドアに向けた鱗の獣人と赤鬼がウェイターの名らしきものを口にし、吸血鬼の青年はニヤニヤと笑う。
苦笑した際に傷が痛んだのか、呻いた赤鬼にはっとしたアーサーの横を小さな影が駆け抜けた。
「“天使の薬”!」
杖を赤鬼に向けたミラが上位の魔法を唱えると、魔族の一団がきょとんとした。
「あ、あの・・・」
「なんじゃ?嬢ちゃんわしを治して良かったんか?」
体の調子を確認するように、腕を回し体を捻る赤鬼に訊ねられ、ミラがビクビクと体を小さくする。
元々、子供の頃から気が弱くて勇者に同行するような性格でもない何時までも小さなミラが自分から行動する事は珍しい。
「だ、だって・・・ごめんなさい・・・」
今にも泣き出しそうな顔と声でミラは小さな謝罪をした。
それに対して赤鬼はふむむと唸る。
唸っては居るが、表情は何処か優しい。
他の魔族は我関せずらしく、未だに口喧嘩をする女二人に視線を向けていた。
ミラの方へ歩みだした赤鬼に、俯いた彼女は気付かずただ涙声で言葉を紡ぐ。
「わ、私が・・・襲われてるな、んて、言ったから」
「だから嬢ちゃんはわしを治療したと? だが、火傷も飛礫も嬢ちゃんの所為じゃなかろう」
「でも、あの・・・あの人の言ってる事当たってる」
“襲ってるのは誰だ、助けたのは誰だ”
脳裏に蘇った言葉に、アーサーは罪悪感がのし掛かって来るような気がした。
「解ったなら良い、反省したならもう良い。嬢ちゃん、有難うな」
ニカリと笑った赤鬼が、ミラの頭をポンポンと撫でた瞬間、ミラは泣き崩れた。
子供の様に泣くミラに慌てる赤鬼と、それを笑う魔族を目にして。
アーサーは自分の中で凝り固まっていた東に対する認識が全て瓦解するのを感じた。