旅準備と約束
秋旅レンズ、5話目です。
よろしくお願いします。
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「えっと、つまりそれは」
和樹は理解しきれないまま音に問う。
「そう! 」
それに反して音は自信満々だ。
「いや、それは別にいいけど……。何を忘れたかもわからないんだろ? 」
「まあ、そうだな」
「それをどうやって探すんだよ」
和樹の正面からの正論に、音は暫し黙って考えてから、突然高らかに言い放った。
「旅に出よう! 」
「たび……? 」
突然出てきた脈絡のないワードに戸惑いを隠せずにそのまま聞き返してしまった。音はというと、これは名案だと言わんばかりに生き生きとしている。
「旅をして、各所を巡りながら忘れ物を探すんだよ! それならきっと見つかる!」
「でも、場所のあてもないのに」
「大丈夫だよ、和樹。それに、これはお前のための旅でもあるんだから」
「俺のための……? 」
あまりに突然の無謀な提案に、和樹は暫し目を白黒させた。旅をすることがなぜ和樹のためになるのか、皆目見当がつかない。
「お前、就活進んでないんだろ? なら、旅に出れば何かつかめるんじゃないか? やりたいこと! 」
「そんなホームドラマみたいな展開……。それに、そんなすぐ上手くいくのか? 」
呆れたように和樹は言う。確かに和樹は自分が何をやりたいのか、何になりたいのかがわかっていない。しかし、その根底にはあの日の出来事がある。あの日から、なんとなく自分の将来について考えることを避けていたのだ。それが旅に出るだけですぐに解決するとは思えない。
不安そうな和樹に音は言う。
「こういうのはとにかく実行が大事なんだよ! やろうよ、俺とお前の〈自分探しの旅〉! 」
自分探しの旅。自分を探すってなんだ。探す自分なんてとうの昔に捨ててきたように思える。しかし、和樹はこの出会いに何か不思議な縁を感じていた。忘れ物を渡すだけの関係。それが、いまどこかに忘れた自分を探しに行こうとしている。そしてそれを、なんだか悪くない気がしている自分がいた。
音は縋るようにこちらを見ている。その真剣すぎるともいえる様子を見ていると、なんだか本当に自分が見つかるような気がしてきた。曖昧で輪郭のない、自分が。
しばしの沈黙の後、和樹は口を開いた。
「……わかった、行く。」
その返事に音は目を輝かせた。
「本当?! よっしゃあ、そう来なくっちゃ! 」
「どうせ俺は暇だしな」
暇、という部分をわざと強調して言うと、音は申し訳なさそうに眉を下げる。
「もしかして気にしてる? 」
「まあな」
「ええっ」
「嘘だよ」
そのリアクションがあまりに単純なので、和樹はつい笑ってしまった。音といる時間は不思議だ。これまでの自分が嘘のように自然に笑える。
「まあ、どうせバイトばかりでお金はあるからな。遊びに行く分には困らないだろ」
「おい、俺たちは遊びに行くんじゃなくて、探しに行くんだからな」
「自分と忘れ物、だろ? わかってるって」
和樹の言葉に安心したように音は微笑む。
「じゃあ、まずは計画を立てないとな! 」
「それじゃあ、その音くんって人と遊びに行くんだね」
十一月の第一週目、火曜日。今日も今日とて和樹と菖蒲は隣の席で講義を受けていた。ペアワークもこなれたものになり、教授からもその議論の内容を褒められたことで毎週同じペアでいることを黙認されるようになったのだ。普段大学で人と話さない和樹にとっては大きな変化だ。
「本人は遊びじゃないって言ってるけどな」
わざとぶっきらぼうに話す和樹の様子を見て菖蒲は楽しそうに微笑んだ。
「でも何だか素敵だね、自分探しの旅」
「そうか? 俺は強引に付き合わされた側だけどな」
本当は和樹の方が内心乗り気であることは隠しておく。案外乗せられやすい性格なことが知られるのは恥ずかしい。
「忘れ物から始まった縁がそんな風になるのって、なんだかドラマチックだと思わない? 」
「そうかな」
「私も忘れ物からもらった大切な縁があるからわかるよ。きっと、いい関係なんだと思う」
菖蒲は頬を赤らめてそう言った。忘れ物から始まる縁。その奇妙な関係は、今や共に旅に出ることを約束するほどになった。そしてそれを自然に受け入れている自分がいる。菖蒲と音。この二人との関係は、最近の和樹に少なからずいい影響を与えていた。
「そういう偶然の関係の積み重ねがいつか大きくなるんだよ」
「それ、店長にも言われたことある気がする」
今になってようやくその言葉の意味が解ってきたような気がしていた。袖振り合うは他生の縁。ひとたび触れ合った袖は、その波紋をみるみるうちに広げている。
「あのさ……、お願いがあるんだけど」
菖蒲はそう言って和樹の方を見た。その様子に、嬉しさを隠すように下を向いていた和樹は目を菖蒲の方に向ける。菖蒲が和樹にお願い事をしてくるのは、初めて出会った時以来だ。何かあったのだろうか。
「お願い? 」
「うん」
なにかただならぬ気配を感じる。そう思っていた和樹の耳に入ってきたのは、意外な言葉だった。
「お土産を、頼みたくて。」
「お土産? 」
「うん」
予想外の言葉に和樹は拍子抜けする。それくらいなら造作もない事だ。それを菖蒲はどうしてそんなに深刻そうに話すのだろう。何も知らない和樹は何でもないことのように答えた。
「そういうことか。全然いいけど、何か欲しい物でもあるの? 」
「欲しい物……、というか、その場所で買ったものが欲しくて」
「その場所で……? 」
「ほ、ほら。あそこならお土産も沢山あるでしょ? 和樹君セレクトで構わないから。」
弁明するような菖蒲の声に、和樹はうなずくことしかできなかった。
「そうか……。わかった、何かいいもの買ってくるよ」
その言葉を聞いた菖蒲は花が開くように笑った。
「うん、ありがとう」
菖蒲の笑顔は人の心を癒す力があると和樹は思っている。現に今の和樹はその笑顔に釣られて穏やかな表情をしていた。
講義が終わり、教室を出る。二人は別れの言葉を交わした後、別々の場所へ向かって歩き出す。はずだった。
菖蒲は去っていく和樹の背中を見つめて立ち尽くす。
最近の和樹は変わった。出会った頃の死にそうな顔をしていた時は大丈夫かと心配していたが、この頃は明るい表情を見せることが多くなったのだ。菖蒲は単純であるが馬鹿ではない。その変化に、最近話題に出てくる音という人物が絡んでいるのは間違いないのであろう。
もう一つ、菖蒲には心当たりがあった。和樹は修二という名を出すと必ず表情を暗くして話すのだ。本人は気づいていないだろうけれど。
嫌な予感が胸を掠める。
「修二くん、違うよね」
その予感を確かめることもできずに、菖蒲のつぶやきは誰にも届かず地面に落ちた。
十一月三日。和樹は久々に携帯電話のアラームで目を覚ました。ベッドから出ると、冷えた空気が皮膚を刺してくる。十月はまだ暑い日もあったが、十一月となると話は別だ。冬に近づいてきた秋の空気が容赦なく体に入り込んでくる。
電子ケトルに水を入れ、お湯が沸くまでの間に着替える。ここ最近で一番の支度の早さだ。和樹は自分に苦笑した。どれだけ浮かれているのだろう。そういえば最近では店長に表情がどことなく明るくなったと言われた。それもこれも全部、音のおかげだろう。音は不思議だ。ずっとふさぎ込んでいた和樹の心をいとも簡単に開いて、導くように引っ張っていく。その感覚には覚えがあった。
沸騰したお湯を、あらかじめコーヒーの粉を入れたカップに注ぐ。これまでは心の傷をふさぐために無理やり飲んでいた苦いそれを、初めて嗜好品として味わった。美味しい。そう思える自分に、和樹自身が一番驚いていた。
ハンガーにかかったシャツとカーディガンを着る。身だしなみに気を遣うことは無かった和樹だが、今日は特別だ。自分探しの旅という大義名分を背負っている以上は、きちんとした服を着ておかなければ。シワもなく整えられたそれに着替えた和樹は、おもむろにテレビをつける。そこにはこなれた様子で天気予報を伝える顔の整った女性アナウンサーが映っていた。
「本日の天気です。関東地方は全体的に晴れの天気が広がる模様です。一部地域でのにわか雨に備え、折り畳み傘を持っていくとよいでしょう。降水確率は―」
和樹は深い紺色の折り畳み傘を手に取り、鞄に入れる。これで旅支度は完了だ。
「行ってくるな、修二」
支度が完了した和樹は、キャビネットの上の写真立てに声を掛ける。写真の中の修二の眩しい笑顔は色褪せずにそこにあった。
茅ケ崎駅から東海道本線で三駅、横須賀線に乗り換えて二駅。目的地はすぐそこにあった。車窓からは大きく広がる海が見える。和樹は思わず目を逸らした。修二のことを思い出してしまって苦しかったからではない。むしろ最近の和樹は逆だった。音という人間と出会ったことにより、少しずつ自分の中にある修二という存在が書き換えられていく感覚があった。和樹はそれがたまらなく恐ろしい。決して忘れないと誓っても、人間はいつかその記憶を忘れて前に進んでいく。それが生きるための仕組みだと分かっていても、和樹の中にはいつまでも修二の存在があってほしいと願っていた。海を眺めても今までと同じくらいの痛みが感じられないことに対しての恐怖が何より大きかった。
「次は、藤沢。藤沢。」
不愛想な車掌のアナウンスが響く。刻一刻とあの運命の場所が近づいていることがわかり、和樹の心臓は騒いでいた。腹が立つくらいあの日と変わらない海。これまで逃がさんというばかりに生活を取り囲んでいた海。どこにいても見えるそれは、呪いのように和樹の中の日々に根付いていたのだ。
「次は、鎌倉。鎌倉。」
運命の場所は、すぐそこだった。
「おーい、和樹。こっち! 」
溌溂とした声がこちらを呼んでいる。そこでは、灰色のパーカーにジーンズといったラフな格好をした音がこちらに向かって手を振っていた。和樹は少し早足になって音の元に向かった。
「音、おはよう」
「お互い早く着いちゃったみたいだな」
「まあ、なんか、楽しみで」
「いいじゃんいいじゃん! 自分探しの旅も、忘れ物探しも、まずは楽しむことが大事だからな! その調子でいこう! 」
和樹は頷く。その眩しい笑顔と動作、台詞はなんだかテレビの中のお兄さんを想起させた。一体どこからその元気が出てくるのだろう。和樹はあくびを嚙み殺して言う。
「音は元気だな、いつも」
「和樹は違うのか? 」
「いや、俺も楽しみではあったけど久々に早起きしたから眠くて」
そう言うとまたあくびが出てきた。今度は遠慮せずに大口を開けると、音はあきれたように言った。
「お前、社会人になったら毎日早起きだぞ? 今のうちから早起きの練習しておかないと」
「いうなよそういうこと」
音は軽く伸びをしてから言う。
「まあ、とりあえず合流できたな」
「そうだな。これからどうする? 」
「ルートは考えてあるんだ」
「おお」
二人が旅をすると決めた時、音は〈プランは俺に任せてくれ〉と言っていた。計画を立てることが苦手な和樹は二つ返事で受け入れたが、どうやらしっかりまとまったようだ。
「じゃあ、出発しよう」
「っと、その前に」
足を進めようとする和樹を音は静止した。その顔は先ほどの元気なそれとは打って変わって真剣そのものである。
「どうしたんだよ、行かないのか? 」
「いや、その、」
不思議がる和樹に音は一拍おいてから話す。
「約束をしたいんだ」
「約束? 」
「そう、一つだけ」
約束。その言葉には聞き覚えがあった。あの日のささやかな記憶。純粋だったころの小さな約束。和樹は意を決して聞く。
「約束って、何? 」
音は言った。
「この旅の間、写真を撮らないでほしい」
一瞬の沈黙。和樹はその言葉に訝しげに首を傾げた。今日の目的地には景色が映えるところが多い。そう思い、わざわざカメラを持ってきたのだ。撮らない理由がない。
「どうして? 」
音は少し考えてから言う。
「俺、写真苦手なんだ」
それはどこかで聞き覚えがある言葉だった。何でもできるけれど、写真を撮られるのは苦手。そう、修二も言っていた。やっぱり、この二人はどこか似ている。
「それならいいけど」
「本当? 助かるよ。ごめんな」
そんな不思議な約束事を受け入れてくれたことに安堵したのだろうか、音は息を吐いてから謝罪の言葉を言った。
「それじゃあ、出発しよう。初めに行くところは、景色が綺麗なんだ。」
「それは楽しみだな」
そうして二人の一日だけの旅が始まった。




