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秋旅レンズ  作者: よしの
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秋旅レンズ三話です。

よろしくお願いします。

それからしばらく、菖蒲との日々は続いた。二年生が多いこの講義では、三年生の方が肩身が狭い。しかし同級生である菖蒲がいることでその気まずさが和らぐ気がするのだ。

 「今日もペアワークか」

 「まあ、ここで組むのが一番早いよね」

 この講義は教授の意向で毎回ペアワークをさせられる。ただでさえコミュニケーションが苦手な上に一対一で毎回違う相手と組まされる責め苦に苦しんでいた和樹だが、必修である以上はなんとしても今年単位を取らないといけない。幸い先生は放任主義なところがあるので毎回同じ相手と組んでいてもバレないだろう。ペアワークで出される課題を提出すれば単位がもらえるようなこの講義の単位を今まで取れていないところからも、和樹がいかに人との交流を嫌がっていたのかがわかる。

 「それでは皆さん、まずはいつものように自己紹介をしてください」

 当たり前であるが、本来は毎回異なる相手とのペアを想定されている講義なので、まずは自己紹介の時間が設けられる。菖蒲とペアを組むのは二回目であるが、菖蒲は律儀に自己紹介を始めた。

「それじゃあ、私から。先週は口頭で自己紹介したから、今週は文字で紹介するね。私の名前は霧島菖蒲です。……この名前、漢字で書くと時間かかるんだよね。せめて菖蒲の部分だけでも平仮名だったら……。」

 そう自嘲気味に言う菖蒲に、和樹は素直に思ったことを言う。

 「でも、素敵な名前だと思うよ。菖蒲って、花の名前だよね」

 「うん。でもこの漢字だと、〈アヤメ〉じゃなくて〈ショウブ〉とも読むみたいだよ」

 「そうなんだ」

 その情報は、花の知識の疎い和樹にとっては初耳だった。自己紹介時間の退屈しのぎにもう少し掘り返してみる。

 「その二つって、違いがあるの? 」

 すると菖蒲はなぜか生き生きとしながら答える。

 「全然違うよ! ショウブの花の方が、葉っぱが大きいの、それに対してアヤメは、なんかこう……、鋭い? 感じがあるの。シュッとしててね。分類としては同じアヤメ科なんだけれどね」

 「詳しいね」

 いくら自分の名前にあるからと言って、聞かれてすぐにここまで答えられる人はそういない。新鮮な知識に思わず好奇心が刺激される。おぼろげに浮かんだ言葉を和樹は口に出した。

 「そういえば、菖蒲が出てくることわざがあったような。なんか、いつかなんたらかんたらみたいな……。」

 そのあまりにもうろ覚えな知識の披露に菖蒲は少し笑って答える。

 「いずれ菖蒲か杜若、だね」

 「そうそれ」

 「菖蒲も杜若も美しくて、どちらを選ぶか迷う、っていうやつ」

「それも知ってるんだ、すごいね」

 「菖蒲だもん」

 ふふん、といって誇らしげにするその姿は見る人の毒気を抜いてしまう。一体どれほどの知識をその頭の中に内蔵しているのだろう。それとも和樹が無知なのだろうか。

 菖蒲はうっとりしながら話す。

 「いずれ、という言葉にははっきりと断言せずにぼかした言い方をする意味合いがあるから」

 「そうなんだ、言葉だけ知ってた。ていうか、さっきから思ってたけど菖蒲さんて博識だね」

 素直に思ったことを言うとこれまた菖蒲は誇らしげにするから面白い。

 「そんなことないよ。興味があって調べただけで。それに、豆知識を増やした方が会話がしやすいかなって思って」

 「菖蒲さんなら細かい知識なんてなくてもいろいろな人と話せると思うけど」

 現に人と話すことが少ない和樹でさえもその話術に引き込まれている。これは豆知識の有無というよりも本人の人柄によるものが大きいだろう。

 菖蒲は頭を横に振って言う。

 「ううん。私、昔から他人と話すのが苦手で。こうやって知識をつけて話のネタにしてるだけなの。それでも優しい人は話しかけてくれるんだけどね」

 「それはそれですごいな」

 確かに思い返してみれば、店長もことわざをなにか言っていた気がする。これまた一種の処世術として人々に流通しているものなのだろうか。だとしても元から積極的にコミュニケーションを取ろうとしない和樹にとっては必要ないものなのかもしれないが。

 「和樹君は、人と話すときに物怖じしないの? 」

 「俺はそもそも人とあまり話さないから」

 その言葉をどう受け取ったのか、菖蒲は納得したように言葉を続けた。

「あ、なんかわかる気がする。もちろんいい意味でね。多くを語らないというか。ほら、よく言うよね、〈鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす〉って」

 「ことわざ好きだね」

 「だから会話のネタにしてるんだよ」

 「なるほど」

 ある程度知識を蓄えていても、それを然るべきタイミングで即座に出すことは難しい。普段からこのようにインプットをしているから頭の回転が速いのだろうか。そう呑気なことを考えていた時だった。

 「昔、修二君に言われたの。そういうところ、素敵だなって思うよって」

 突然出てきたその名前に、先日まで抱いていた罪悪感が蘇る。修二はそう言う人だ。普通の人間なら恥ずかしいと思うようなセリフも、正面切って言ってしまう。本人の素直で遠慮しない性格がそうさせているのだろう。そして和樹もその人柄に惹かれた中の一人だった。

 「あの時は嬉しかったなあ。皆が大好きな修二くんにそう言ってもらえて、自信が湧いちゃったもん。昔の私は自分に自信が持てなかったから」

 「そうなんだ。なんか、想像できないかも」

 こうして話している今でも、会話をしやすいようにリードしてくれる菖蒲がそんなことを考えていたとは意外だった。むしろもっと頑張るべきは自分なのではないか。和樹はそういう気すらしていた。頑張るつもりは毛頭ないが。

 「でも、確かに素敵だね。言葉って、人間が一番触れるものだと思うし」

 「だから、こうやって色々な話のタネを探してるんだ」 

  そういって話す菖蒲の短く切りそろえられた茶髪が揺れる。今までその必要もなかったからよく見ていなかったが、その風貌からも本人の真面目さが良く出ていた。アメジスト色の輝きを放つその瞳は、柔らかな雰囲気に隠れているがじっと見ているとミステリアスな雰囲気もあり、何を考えているのか読み取れない底知れなさがある。すぐ表情に出る和樹との違いはここなのだろうか。

 「そういえば和樹くんって、どこら辺に住んでるの? 中学、このあたりだったんだよね? 」

 突然変わった話題にやや面喰う。菖蒲は博識だからいろいろ考えているのかと思いきや、案外何も考えずに話したいことをその時その時で話しているのかもしれない。

 「神奈川」

 隠す理由もないので正直に答える。

 「横浜とか? 」

 「いや、茅ケ崎ってところ。海が近いよ。」

 茅ケ崎駅から海までは歩いて約二十分程度でたどり着ける。海水浴場や海岸、テーマパークなどが充実しており、遊ぶ分には困らなかったので修二とよく行っていた。

 「そうなんだ! ……もしかして、鎌倉の近く? 」

 「そうそう、よく知ってるね」 

 「私、中学の頃に校外学習で鎌倉に行ったことがあって。調べ学習の時に名前を聞いたことがある気がしたんだよね」 

 「そうか、鎌倉……。観光地も近いとかえって行かないんだよな」

 この現象について和樹は未だに答えを出せていない。近くに観光地があると暇しない、と言われがちだが、その実特別感が無くなっていかなくなるまでがセットだ。第一、出かけるのが好きではない和樹はそれに嘆いたことは無かったが。

 「そういうものなの? 私、出身地に観光地があまりないからその感覚が分からないんだよね」 

 「どこ出身なの? 」 

 「千葉県の端っこ。中学受験の時にこっちに越してきたんだ」

 「それならテーマパークがあるじゃん」

 「あそこは近くてもそんなに頻繁に行けないよ。お金がかかるし。」

 確かに入場料には一万円近くかかる。趣味で行くにはなかなかハードルが高いだろう。

 「いいな、海が近い場所って。やっぱりよく遊びに行ったの? 」

 「まあ、他に行く場所もないし。小さい頃から夏になったら泳いでばっかだったよ」

 「和樹くん、泳げるんだ」

 菖蒲が本気で驚いた顔をする。そこまで運動音痴に見えたのだろうか。実際間違ってはいないが。

 「俺、初めは水か怖くて。でも修二に教えてもらって泳げるようになったんだ。」

 自分で口に出してから驚いた。今までそう簡単に修二との思い出を語ることを良しとしなかった和樹が気が付いたらその記憶を語っている。やはり本人を知る者の前だと違うのだろうか。

 「すごいね、泳ぎまで教えちゃうんだ」

 「すごいよ、あいつは。俺のできないこと何でもできて、いつも導いてくれる。気が付けば隣にいてくれるんだ」

 「そうなんだ、素敵だね。また会えるといいね」 

 そう屈託なく笑う菖蒲に和樹は胸を痛めながら答える。それが出来たらどれだけ良かっただろう。

 「……そうだな」






 今日も和樹は喫茶店「アイリス」でアルバイトをしている。あの日から他人との関わりをほぼ絶っている和樹にとって、このアルバイトが唯一人と接する場所だ。友達や親のように誰かと深くか関わる必要もなく最低限の接触で済むこのアルバイトを和樹はそこそこ気に入っていた。

 ふと、先日やってきた金髪の青年のことを思い出していた。日に当てられた金髪と黄金色の瞳。それだけでなんだか不思議な雰囲気をまとっており、その刹那的な輝きを何故だか忘れられずにいた。

 カラン、とベルが鳴る。来店の合図だ。カウンターでカップを磨いていた和樹は、入ってきた人間を見て唖然とした。

 「ごめんなさい、また忘れ物しちゃて」

 それは先ほどまで和樹が思い出していた当の人物だった。こんな偶然があるのか。

 「また忘れ物? 」

 「うん。ハンドクリーム忘れて」 

 そういう青年の言葉に、和樹はちょっと待ってて、と言って裏へ確かめに行くと、いつのまに置かれていたのか、高級そうなハンドクリームが棚に鎮座していた。

 「これで合ってる? 」

 「ああ、それそれ! ありがとう」

 「今回もあったからいいけれど。気を付けてくださいね」 

 「はは……、すみません」

 そういって頭を下げて立ち去る彼の金髪を見送る。もしかしたらこれで最後になるかもしれない。不思議と和樹は青年が店に忘れ物以外の用事でこの店にやってくるときに居合わせたことが無かったからだ。この偶然だけで出来た関係を、何故だか途切れさせたくないと思う自分がいた。

 和樹は一歩、店の外に踏み出す。

「あのっ! 」

青年が驚いたように振り返る。その動作すらなんだか儚くて、消えてしまいそうだ。

「どうしました? 」

その儚い笑みを見ていると泣きたくなるのは何故だろう。

「名前、聞いてもいいですか」

青年は一瞬驚いたように目を見開き、それから言った。

「……加山、音」


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