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秋旅レンズ  作者: よしの
2/9

秋旅レンズ第二話です。

よろしくお願いします。

高野修二は齢十八で亡くなった。亡くなったことにされた。死因は溺死。

 出会いの頃のことはあまり覚えていなかった。家が近くて、気が付いたら仲良くなっていた。そんな風に話す和樹に彼は詳細に思い出を語りだしたのはいつの話だっただろうか。

 「あの時、和樹が怪我して泣いてたの、今でも覚えてる」」

 「いつの話だよそれ」

 「いつだったかな、確か5歳くらいの時のことだっけ」

 「よくそんな昔のこと覚えてるな」

 修二が言うには、和樹が自転車の練習をしているときに足を怪我して泣いていたらしい。そのとき、修二の方から声を掛けたのだ。

 「大丈夫大丈夫! 次は乗れるよ! 」

 普通怪我の心配が先だろ、と和樹は思う。そういうところは変わっていない。修二は常に前を指し示して背中を押してくれるような存在だった。幼稚園は別だったが、小学校は同じになるらしい。そうして二年後に奇跡的に同じクラスになってから、修二と和樹の交流は始まった。

 活発かつ優しい性格をしていた修二は、誰からも好かれるような、主人公のようであり、失踪が知らされた時に嘆く人は少なくなかった。成績優秀、スポーツ万能。瞬く間に彼は注目の的になっていた。きっと彼は何でもできる。皆がそう信じていた。しかし、そんな修二にも苦手なことがあった。写真を撮られることである。自分の姿をまじまじと見ることはなんだか照れくさい、と、尋ねた時には言っていた。しかし和樹はその意味を理解できていなかった。反対に和樹は写真が好きだ。父親が写真を趣味としており、それに釣られるようにして和樹も写真を撮るようになった。青空、木、花、鳥。この世に存在するすべてのものは被写体になりうる輝きを持っている。そんな世界が好きだった。好きなはずだった。

 「なあ修二。今日くらいは写真撮ろうよ」

 「いいよ、お前ひとりでいいって」

 「俺が一人だけ写ってどうするんだよ。今日は記念すべき日なんだから、ほらほら」

 「和樹って写真のことになると張り切るよな」

 「いいからいいから」

 今でもカメラを眺めていると思い出す。どこまでも広がる澄んだ青空。桜が舞い、誰もがこの晴れ晴れしい日を祝っている。義務教育最後の日の思い出。そのどれもが、修二と一緒だった。隣で笑いあっていた。喧嘩もした。仲直りだって同じくらいした。泣いたことだってなくもなかった。今となればそのすべてが大切なものになった。反対に言えば、大切にすることしかできない。

 「今日で俺たちは初めて学校が別れるんだから、こういう時くらい写真撮らないと」

 「まあ、それもそうか……」

 シャッターが切られる音がする。和樹の満面の笑顔と、修二の珍しく慣れない笑顔。それは今でも記憶の中で色褪せない。たしかにあの時は満たされていた。幸せだった。何気ない日々の退屈さを修二が埋めてくれていた。それだけで十分だった。

 和樹の家のキャビネットの上にある写真立てには、その時の写真が入っている。それが和樹の撮った最後の写真だった。

 

 

 「えっと、このハンカチが忘れ物として届けられていたんですけれど……」

 和樹の手に握られていたのは黄色いハンカチだった。混じり毛のない、手触りがふわりとしたハンカチ。何故だかそれに既視感を覚えながら、和樹は青年に手渡す。

 「これで合ってますか? 」 

 すると青年は嬉しそうに目を輝かせた。

「あ、それです。ありがとうございます! 」

「そうですか、良かったです。それでは」

「あのっ! 」

店内に戻ろうとした和樹を青年は引き留める。まだなにか用があるのだろうか。

「どうしましたか? 」

「……また、来ます」

 青年はそれだけ言うと、足早に去っていった。残るのは風のにおいだけだ。一体何だったのだろう。まるで夢の中のようだった光景を、和樹はただ頭の中で反芻していた。




 「……あ、」

 「……え」

 二人はそう同時に間抜けな声を出した。大学の講義室、見覚えのある席に見覚えのある顔。否が応でも先週の醜態を思い出させられた。それをさもなかったことのように和樹はふるまおうとする。基本一人で講義を受けており、それでいいと思っている和樹はやや気まずさを覚えていた。顔を覚えられていなければいいのだが。

 「あの、ここ座ってもいいですか。」

 「いいですよ」

 和樹が問うと、彼女はそう優しく答えた。よかった、なんとかさりげなく座ることができた。後はイヤホンで音楽でも聴いていれば余計なことを話しかけられることは無いだろう。そう思った矢先だった。

 「あの、こっちからもひとつお願いしたいことがあって」

 予想外の言葉にやや面喰いながらも和樹は返す。

 「なんですか? 」

 「今日のレジュメ、忘れちゃったみたいで。ほら、先週の範囲が終わり切っていなかったから。なので、見せてもらうことって可能ですか? 」

 なんだ、そんなことか。幸い和樹は持ち物を整理するほど資料は多く持っていないので先週のプリントもそのまま鞄の中で一週間を過ごしたようだった。

 おもむろにファイルからプリントを取り出して彼女に渡す。

 「いいですよ、どうぞ」

 「ありがとうございます! すみません」

 「気にしないで」

 これでようやく用は済んだかと思ったが、彼女は和樹の方をまだ見ている。なんだか居心地が悪い。軽く牽制するつもりでこちらから話してみようか。

 「あの、まだ何か用でも? 」

 「あ、いえ、そういう訳じゃないんですけど……。その、もしかして三年生ですか? 」

 再び和樹は面喰った。なぜそれが分かったのだろう。もしかしてエスパーでも持っているのだろうか。そんなバカげた妄想を隅に置いておいて、和樹は平静を装って返す。

 「そうですけど、どうしてわかったんですか?」

 その言葉を聞くや否や、彼女は嬉しそうに目を輝かせて言う。

 「やっぱり! そのテキスト、去年のやつですよね! 内容は今のと変わらないけれど今年から表紙が変わったから、もしかしたら去年もこの講義とってたのかなーなんて……」

 「まあ、そうなるね。去年はこの講義の単位落としてるし」

 「あ……ごめんなさい、私」

 他意はないが、そう言うと彼女は申し訳なさげに眉を下げた。なるほど、店長の言っていたことがわかった気がする。表情がころころ変わる人間は見ていて楽しい。だが、自分が店長の目にそう見えているとはどうにも思えなかった。

 「別に気にしないで良いですよ。体調が悪くてあまり出席できなかっただけだし」

 「そうなんですね」

 これは半分本当で半分嘘である。この講義は秋学期にしか開講していないため、必然的に修二の命日と被るのだ。そして和樹はその日が近くなると決まって体調を崩す。そこまでは本当だ。だが、単純に行く気にならなくて休んだ日もある。ここ数年気が落ち気味な和樹には多々そのようなことがあった。修二を言い訳にしている、とも言える。和樹はそんな自分を嫌っていた。身内からはそろそろ前を向け、切り替えることも大事だと言われることもあり、そのたびに自分はなんて弱くて情けないのだろうと考えてしまう。それすらも修二ならなんて言うかと考えてしまうのだから手の施しようがない。 

 「確かに、先週の講義で起こした時も顔色悪かったですもんね。それで覚えてたんですよ、私」

 「ひどい覚えられ方だなあ」

 「あなたもさっさと帰っちゃいましたけどね、あの時は」

 「覚えてない」

 とぼけてそっぽを向くと、彼女は笑い声をあげた。何がおかしいのだろう。

 「どうしたの」

 「ごめんなさい。ほぼ初対面でこんな風に打ち解けることなんて今までなかったから」

 どうやら彼女は早速こちらを仲間として認定したらしい。ずいぶん心を開くのが早いな、と思う。そういうところは修二に似ているのかもしれない。

 「というか、先週の話を抜きにしてもあなたとはどこかであった気がするんです」

 「え? バイト先の喫茶店かなあ」

 「いえ、もっと昔……あ、思い出した! あなた、遠山和樹くんでしょ! 」

 突然名前を言い当てられて和樹は目を見開く。本当にエスパーなのだろうか。

 「そ、そうですけど……」

 「私、覚えてない? ほら、中学の時に委員会が一緒だった菖蒲だよ、霧島菖蒲! 」

 そう聞かれて遠い記憶を必死に遡る。とはいえ修二がいなくなってからはなんとなく封印していたので委員会という記憶だけではどうにも思い出せなかった。

 「ごめん、多分クラスも違かったし覚えていないかも……。」

 「そっか……。」

 菖蒲はあからさまに落ち込んだ顔をした。そんな顔をされてはまるでこちらが悪いことをしているような気持になってしまう。何故か弁明するような気持で和樹は言葉を返す。

 「でも、そのうち思い出すと思うよ。なにせ委員会が同じだったんだから」

 「そっかあ……、そうだよね! それじゃあよろしくね、和樹君!」

「よろしく、霧島さん」

 「菖蒲で良いよ」

 そういわれるとどぎまぎしてしまう。普段女子はおろか人間とあまり関わりがない和樹にとって、このようなコミュニケーションは不得手だった。知り合ったばかりの間柄で下の名前を呼ぶのは中々ハードルが高い。

 「それじゃあ、菖蒲さん」

 精一杯の勇気でそう呼ぶと、菖蒲はその名の通り控えめな笑顔を見せた。

 「そういえば、和樹君が仲良くしてた子がいたよね。たしか……高野修二くん! 」

 その名前が出た瞬間、和樹は虚を突かれたように固まった。そうだ。中学が一緒ということは、必然的に修二を知る人間もいるということだ。つまり、絶対にあの日の話題が出るわけで。

 「修二くんとは今も会ったりするの? 」

 「え? 」

 和樹は菖蒲の言葉に違和感を覚えた。水難事故のあとにはそれなりに大きなニュースになっていたし、毎年命日には修二の名前が報道されているはずだ。特に同級生の訃報など、知りたくなくても知ることになるはずである。

 「菖蒲さん、修二のことはどこまで知ってるの? 」

 「え? なんか、和樹君と一緒にいるイメージだったなあ。スポーツでも勉強でもトップだったから、なんでもできるってイメージだったよ」

 「それだけ? 」

 「え? 」

 「その後のことは? 」

 半ば問い詰めるように聞いてしまったがこればかりは仕方ない。しかし菖蒲は気にすることもなくあっけらかんと言い放つ。

 「その後は高校離れちゃったから知らないなあ。実は私、その時期日本にいなかったし」

 「え? 」

 「父親の転勤でフランスに行ってたんだよね。だから、その後のことは全然知らないの。」

 そういうことか。ようやく合点がいった。つまり、菖蒲は数少ない、修二の死を知らない人間である。

 本来ならここで本当のことを言うべきだったのだろう。しかし、和樹の中の臆病さがそうさせなかった。彼女は未だに修二を生きている人間として扱っている。ならばそれでいいじゃないか。これ以上、誰かの中にいる修二を死なせなくたって、いいんじゃないか。そんな思いが膨れ上がっていた。それがどれだけ残酷なことなのかも和樹はわかっていた。それでも菖蒲の中の修二は生かしておきたかった。ただのエゴだ。優しさでもない。それにこれ以上、自分の口から修二が死んだことを誰かに伝えたくなかった。伝えるたびに相手はつらそうな顔をして、決まってこちらを心配する言葉を掛けるのだ。和樹はそれにも辟易していた。意味の無い同情など何の慰めにもならない。ましてや前を向くなんて、到底できない。

 「……俺も、修二とは高校が離れてから連絡とってないからどうしてるのか知らないんだ」

 嘘だ。高校に入ってからも修二と和樹は連絡を取り合っていたし、一緒に出掛けたこともあった。その時間を、今の一言で無に帰した。なんだか心が苦しくて何も言えなくなってしまう。

 「和樹くん? 大丈夫? 」

 菖蒲は心配そうにこちらをのぞき込んでいる。この純真無垢な少女に自分はなんてひどいことをしているのだろう。その事実ごと覆い隠してしまいたくて、顔を上げることができない。

 「もしかして、体調悪い? それなら、保健室に」

 「いい。大丈夫」

 菖蒲の言葉を遮り、和樹は椅子に座る。チャイムが鳴り響き、先生が入ってくる。その間も菖蒲はこちらを心配そうに見ていたが、和樹が無理やり下手な作り笑いをするのを見ると、もう何も言わなくなった。


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