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秋旅レンズ  作者: よしの
10/10

始まり

秋旅レンズ最終話です。これにて完結になります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

感想などあればお気軽にどうぞ。

「あ、和樹くん」

 「菖蒲さん」

 あの旅から二週間。音が姿を現さなくなってから、和樹はまた無気力な日々に戻っていた。大学に顔を出すことも減り、アルバイトへの出勤も減った。そんな中、菖蒲の方からメールで会いたいという旨の連絡を受けたのだ。そういえばまだ土産のお守りを渡していなかった。いまさらそんなことを思い出していた。

 —なんだよ、もしかして告白か?

 脳内で音がからかうように言う。あの日から会えていないが、その存在は和樹の中で確かに心に残っていた。一体どこで何をしているのだろう。

 当の菖蒲が張り詰めた顔をしていることに、和樹は気が付かなかった。

 「ごめんね、急に呼び出して」

 「いや、いいんだよ。それで、どうしたの? 」 

 菖蒲は手を胸元に当てる。まるで、心臓の鼓動を鎮めるように。

 「その、言いたいことがあって」 

 「言いたいこと? 」

 その言葉に菖蒲は暫し黙り込む。その口は何かをためらうように開閉しており、目は泳いでいる。なんだ、もしかして本当に―。そんな考えが脳内を掠めた時だった。

 「修二くんのこと」

 その名前を聞いた瞬間、和樹は目を見開いた。

 「え……。」

 「修二くん、いなくなってたんだね」

 頭に衝撃が走る。何故だ、何故知っている。和樹は菖蒲にそんなことを一言も言っていなかった。そもそも修二の話題を出すこと自体、避けていたのだ。

 「どうして、それを……。」

 「調べたの。」

 菖蒲は悲しげな顔をしている。これ以上踏み込んではいけない。そう頭が警鐘を鳴らすが、菖蒲の中には真実を問いたい気持ちが膨らんでいた。

 菖蒲が海外から帰ってきたのは一年前のことである。父親の仕事が一段落ついたので、今の大学に編入した。

二年生から編入した菖蒲の大学生活は、孤独との戦いだった。独りぼっちだったわけではない。だが、大体の人間はグループを作って行動している。その上、ある講義で友達を作っても、次の講義では別々のクラスになる。そんな日々が繰り返された結果、菖蒲はどこのグループにも属さない、まるで宙に浮いたクラゲのような存在として大学生活を送っていた。

 そんな生活が一年続いたある日、教室に入ると見覚えのある黒髪の青年が目に入った。今でも忘れない、初めて修二と話した日に隣にいた青年。その青年が、今は一人で講義を受けている。

 チャンスだと思った。彼と一緒にいられれば、孤独に悩まされる必要もなくなる。それに、もしかしたらまた修二と会うチャンスが生まれるかもしれない。

 —あの、大丈夫ですか?

 菖蒲はそんな醜い心を隠しながら和樹と過ごすことにした。

  

 十月十五日。のちに修二の命日だと知ることになる日、菖蒲は風邪をひいて部屋にこもっていた。菖蒲の部屋にはテレビがない。ネットニュースを見る習慣もない菖蒲が報道を目にすることは無かった。

修二のことを知ったのは、和樹と出会って二週間が経つ頃だった。何も知らない菖蒲は、無神経に思えるほど無邪気に修二の話題を出していた。だが、和樹が語るのはいつだって過去の思い出だ。いくら連絡を取っていないからと言って、暗い顔をして中学の頃の思い出ばかり語る和樹を菖蒲は訝しんでいた。

 その日は大学の講義でインターネットを使う授業があった。先生は全く聞き覚えの無い文学作品について熱弁している。当の菖蒲は暇を持て余し、珍しくネットニュースを覗いていた。とある見出しが目を引き、クリックした瞬間だった。

 —男子高校生の行方不明事故から約四年経過。政府は対策呼びかける。

 その日、菖蒲は知らない方が幸せなことがあると知った。

 

 「見知らぬ女の子を助けたんだってね。修二くんらしいよ」

 菖蒲は何もかも知っていた。修二が自ら海に入ったこと、未だに遺体が見つかっていないこと。

 「私、今だから言えるけど、修二くんのことが好きだった。だからあの日、偶然を装って二人に会いに行ったんだ。びっくりしたでしょ? 」

 その事実に和樹の胸に引き裂かれるような痛みが走った。自分は、よりにもよって慕情を抱いていた人間の訃報を隠し続けていたのだ。それが、たとえ悪意からきているわけではないとしても。

 菖蒲はそんな胸中を察したのか、優しい目でこちらを見る。

 「でも、分かるよ。和樹君はなにも意地悪な気持ちで隠していた訳じゃないんだよね。だって、修二くんの話をするとき、決まって辛そうな顔をしてた。だますつもりで隠す人はあんな顔しないよ」

 「菖蒲さん……。」

 「それに、和樹くんは前を向き始めてる。きっと、音くんのおかげなんだろうね。音くんの話をするときはすごく楽しそうだったもん」

 前を向き始めている。そうなのだろうか。音と過ごす日々が楽しかったからと言って、

 「きっと私達、今は未来を見なくちゃいけない。どれだけ寂しくても、辛くても、忘れられなくても。だから、そのために一つお願いがあって呼んだの。」

 未来。その言葉に、先日の店長の話が思い起こされる。店長は美代子の分まで未来を背負って夢を叶えた。和樹も今、過去と未来の境地に立たされているのかもしれない。修二と音。二人がくれた思い出を抱いて、前に進む時なのだろうか。

 菖蒲は意を決して和樹に言う。

 「修二くんのお墓に、連れて行ってほしい。」



 コンクリートで塗装された道を歩いていく。この辺りは住宅街なこともあり、不自然なまでの静けさが辺りを包み込んでいた。耳を澄ますと、かすかに蒲団叩きの音が聞こえる。乾いた音が反響して、空中に吸い込まれていった。隙間から生えたタンポポは、風に吹かれてもなおその太い茎を空に向かって伸ばしていた。

 高野家之墓。そう書かれた墓標の前に、和樹と菖蒲は花を添える。由比ヶ浜から歩いて約二十分の所に、修二の墓はあった。

 遠くからはあの日と同じ、波の音が聞こえる。このごろ雨が続いていたこともあり、雫に濡れた植物が太陽の光を反射して輝くさまは、どこかこの世のものではないように思えた。

 和樹がこの墓に姿を見せるのは初めてのことだった。まだ修二は死んでいない。失踪なんてしていない。そう信じたかったのだ。

 「修二くん、久しぶりだね」

 先に口を開いたのは菖蒲だった。その横顔を覗くと、ひどく切なげな表情をしているのが見える。黒いスカートが風に揺れるのを、ただ眺めていた。

 「私、修二くんと出会えてよかった。あの日、初めて話した時、すごく救われた。修二くんのおかげで、自分を好きになれたんだよ。だから、本当に、ありがとう。」

 菖蒲は涙を流していた。和樹は何も言えずに立ち尽くすしかできない。

 「今だから言えるけれど、私、修二くんのことが好きだったの。もっと早く伝えればよかった。もっと早く、勇気を出していればよかった。今ならそう思う。でも修二くんはきっとそんなときでも前を向くんだろうな。きっと、背中を押してくれる。だから、私も前を向くよ。きっと、未来を生きてみせるから。」

 菖蒲の決意のこもった言葉が鼓膜を揺らす。きっと菖蒲はもう未来に進む準備が出来たのだろう。きっと、大丈夫だ。

 「ほら、次は和樹くん」

 背中を押されて墓標の前に立つ。言いたいことは幾らでもあった。だが、言葉が出てこない。だって、修二はここにいない。ずっと、あの暗い海の底に―。

 「—あれ。君、もしかして和樹君? 」

 突然聞こえてきた声に振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。その手に持っているのは一通の手紙。

 「颯太さん……。」

 高野颯太。彼は、修二の兄だ。修二が生きていたころに、和樹も優しくしてもらった。だが、あの日が来てからはその罪悪感からなるべく顔を合わせないようにしていたのだ。今日は平日だから大丈夫だと思ったが、タイミングが悪かったらしい。

 「よかった、会えた。ずっと姿を見せないから心配してたんだよ。久しぶりだね」

 その優しい笑顔にいたたまれなくなって、和樹は

 「じ、じゃあ、菖蒲さん。俺はもう行くよ。帰り、気を付けてね」

 そう言って踵を返したその時。

 「—待って! 」

 颯太の声が墓地に響く。思わず足を止めた和樹の手を取って颯太は言った。

 「今日は、君に渡したいものがあったんだ。」

 「渡したいもの? 」

 「うん」

 そういって颯太はその手に持っている手紙を和樹に手渡す。和樹はそこに書かれた文字に言葉を失った。

 「加山、音って……。」

 それは何度も呼んだ、音の名前だった。

 「昨日、家のポストを見たら入っていたんだ。一言、〈これを和樹に渡してほしい〉ってメモが添えられていた。だから、和樹君が良そうなところを一つ一つ巡ったんだ。中、開けてごらん」

 和樹はおそるおそる封筒を開ける。そこには青色のラインが入った便箋と、一枚の写真が入っていた。そこには丁寧な文字で文章が綴られていた。

 


 和樹へ

 まずは、突然姿を消してごめん。こうして改めて手紙を書くのは久しぶりだから、読みづらいところがあるかもしれないけれど許してほしい。

 話したいことはいろいろあるけれど、何から言えばいいのかな。とりあえず、元気にしているか? 和樹は頑張り屋だけど、頑張りすぎることも多いから、休むことも忘れないで。あと、そろそろ冬に入ってもっと寒くなるころだから、体調管理を忘れないこと。って、これじゃまるでお母さんの手紙みたいだな。じゃあ、お母さん代わりに一つ説教を。

 俺との約束、破っただろ? 旅の間に写真を撮らないことって、あれだけ言ったのに。まあ、俺のことを撮っていてくれたみたいだから、文句もほどほどにしておくよ。

 和樹との旅、本当に楽しかった。沢山の景色を見て、色々なことをして。こんなに楽しいの、久しぶりだったよ。俺にとっての、大切な思い出だ。

 あの日、俺はあの海でいなくなった。でも、それは俺が自分で決めたことだ。その選択に後悔はしていないし、和樹が罪悪感を感じる必要だってない。でも、和樹は優しいからこれからも自分のことを責め続けると思う。俺はそんな風に悲しんでほしくない。俺のことは程よく思い出してくれればいいから、明日からもあの旅みたいに、色々なものを見て、おいしいもの食べて、沢山寝て、色々な人と出会って、未来を生きてほしい。この約束は破るなよ? 絶対だからな。

 最後に。俺は和樹がいてくれたおかげですごく幸せだった。ありがとう。また、いつか。


 —高野修二。

 最後に書かれたその文字を見て、和樹は走り出していた。




 そこは、海だった。修二と、そして音と見た海。あの日、二人の運命を動かした海。和樹は海に向かって語りかける。

 「そうか……。修二だったんだ」

 海は何も答えない。

 「変だと思ったんだよ……。だってこの写真、音のことを撮ったはずなのに、海しか写ってないじゃんか」

 波の音だけがただ、聞こえていた。

 「お前らしいよな。俺のために戻ってくるなんて……。」

 その目に涙がにじむ。

 「なあ、音。いや、修二。あの時、何願ったんだよ……。それすら、もう、もう……聞けないじゃないか……。」

 和樹は何も気が付かなかった。気が付かないまま、通り過ぎてしまった。どうしていつもこうなんだろう。あの時も、今も。言いたいことを言えずに、何もかも取りこぼしてしまう。取り返しのつかないことばかりだ。

 「和樹君!」

 その声に和樹は振り返る。そこには、走って追いかけてきたであろう颯太がいた。

 「……どうして」

 「君が飛び出していったから渡せなかったけれど、もう一つ、修二が置いていったものがあるんだ」

 「置いていったもの……? 」

 「これ! 」

 そう言って差し出されたのは、紫色のお守りだった。あの日、和樹が菖蒲の土産と一緒に買って渡したものだ。

 「これは……。」

 「手紙と一緒に置いてあったんだ。これは修二のだろう? 」

 あの日から、音は。いや、修二はこのお守りを大事に持っていたのか。その事実が切なくて、やるせなくて、和樹は俯いた。

 「でも、音は、」

 「—和樹くん! 」

 ふいに聞こえてきた、名を呼ぶ声。振り向くと、そこには菖蒲がいた。

 「菖蒲さん……。」

 「ごめんね、追いつくまでに時間かかっちゃった。私、足遅いから」

 そう言って乱れた髪の毛を気に留めることもなく、菖蒲は黄色のお守りを差し出した。

 「それ……。」

 「和樹君がくれたお守り! これ、修二くんともお揃いだったんだね」

 「でも、でも、修二はもう……! 」

  そう声を振り絞る和樹に、颯太は歩み寄る。

 「それなんだけど、修二のお守り、ちょっと開けてみて」

 「え……。」

 和樹が震える手でお守りを開くと、そこには小さく折りたたまれた紙が入っていた。そこに書かれているのは、

 「みんなが幸せになれますように……。」

 颯太が言葉を続ける。

 「申しわけないけれど、俺も手紙の中身を読んだからわかるんだ。修二は和樹君に、自分のことで悲しまないで幸せになってほしかったんじゃなかったのかなって。だから、音として和樹君の前に現れた。そう思うんだ。」

 そこに託されたあまりにささやかな願いに、和樹は涙をこぼす。

 「そんなの、そんなの……。」

 視界がにじんで、文字がかすむ。

 「忘れられるわけ、ないじゃないか……。」

 いくら海を眺めても、音は帰ってこない。

 「俺、まだ修二に何もできてない……。ありがとうも言えてないし、何も返せてない。それで幸せになれって言われたって、どうすればいいんだよ……。」

 言いたかった言葉。伝えたかった言葉。確かにそこにいるはずなのに、もう届かない。思えば和樹の人生はいつだって修二と共に在った。なのに、こんなにも離れてしまった。どうして、どうして。和樹はひたすら涙をこぼすことしかできない。

 「ねえ、和樹くん」

 菖蒲はその優しさをはらんだ声で語り掛ける。

 「きっと、修二くんは消えてない。こうして名前を変えて戻ってくるくらいなんだもん。それくらい、和樹君のことが大切だったんだと思う。これからもどこかで私たちのこと、見守ってるよ。だからさ」

 菖蒲は言う。

 「もう一度、旅に出ない? 」

 菖蒲はわかっていた。修二が、音が、旅にこだわった理由。大切な人とかけがえのない景色を見たい。そんな純粋でささやかな思いが、和樹を旅に導いたのだと。そして、今の菖蒲にとっては和樹も大切な人の一人だ。

 「私も見たいんだ。和樹君と修二くんが見た景色。今度は写真もいっぱい撮って、修二くんのことも思い出しながら、忘れるくらい楽しもうよ。」

 その言葉に、颯太も口を開く。

 「和樹君。正直俺が言うべきことじゃないと思うけれど、修二もそうしてくれるのが一番嬉しいと思うんだ。未来を生きていく和樹君が、新たに出会った人と旅をする。それが、修二の願った未来なんだと思う」

 颯太の言葉に、和樹は顔を上げて海を見つめる。揺らめく海は何もかもを隠していた。この広い海にいる修二が、音として再びやってきた意味。交わした約束。託した未来。また触れることは叶わなくとも、きっと残るものは確かにあったのだろう。

 和樹はゆっくりと顔を上げ、言う。

 「いいのかな、俺」

  その問いかけに答える者はいない。

 「未来に行って、いいのかな。こんな、何もできなくてどうしようもない俺だけど、それでも前向いて、お前のことも未来に連れていきたい。そう思って、いいのかな」

 颯太は和樹の背中を優しく押して言う。

 「行ってきてくれ。修二が見た景色を、修二が見られなかった景色を見に。」

 「ああ、ああ……! 」

 「和樹くん……! 」

 群青は、遠く彼方で空と海が溶けている。きっと、あの向こうに修二がいるのだう。心の中だけでも、そこから連れ出そう。それが、今自分にできる、未来への進み方だった。

残された三人は、いつまでも寄り添っていた。













 修二へ

 あの日貰った手紙の返事として、今これを書いています。本来なら音って書くべきなのかな。まあ、いいか。

 初めに言うと、俺は怒ってるんだよ。突然現れて、やるだけやって急にいなくなるなんて。俺がどんな思いでいたか。まあ、それでもいいんだけどな。だって、修二は思い出を、音は前に進むきっかけをくれたから。

 結局あの後菖蒲さんともう一度同じ旅をしたけれど、自分探しは完遂できなかったよ。いや、自分なんてこれからも見つかる気がしない。だって、俺が俺になれたのは、修二と音のおかげなんだから。

 でも、俺はそれでいいと思ってる。二つの思い出で出来たこの「俺」を抱えて生きていくのも悪くないって、最近思えてきたんだ。まあ、お前は忘れて前に進んでほしがってるみたいだけどさ。残念ながら、忘れられそうにないよ。

 菖蒲さんとも仲良くしているよ。たまに修二との話を聞かせてほしいっていうから話してるんだ。こうして覚えているから、新しく生まれる縁もある。袖振り合うも他生の縁、だっけか。お前のおかげで触れ合った袖と袖がこうして一つの大切な縁を結んでくれること、俺はとても嬉しい。

 心に空いた穴はすぐにふさがりそうにもないけれど、まあとりあえず音が言ってた通りに、おいしいもの食べて、沢山寝て、楽しく生きていこうと思う。その方がお前も嬉しいだろ?

 長くなってきたからそろそろ終わりにするよ。最後に一つ。

 俺は修二のおかげで強くなれた。沢山のことを知ることができた。いなくなってからも、音として俺に前を向かせてくれた。本当に、ありがとう。返せる日が来るかはわからないけれど、頑張って生きてみるよ。それじゃあ。

                                      遠山和樹




 「和樹。」

 声がしていた。その優しく呼びかける声に振り返ると、そこにいたのは。

 「修二……。」

 そこには修二がいた。記憶の中の姿と寸分違わない、これまで頭の中で何度も反芻した姿。

 「久しぶり、だな」

 そんなありきたりな挨拶に、和樹は一瞬言葉を詰まらせてから言う。

 「……ほんとだよ」

 修二は笑ってこちらに一歩踏み出すと、その黄金色の瞳でこちらをまっすぐ見つめて言った。

 「ありがとう、和樹」

 「ありがとうって、俺、お礼言われることなんて何も」

 修二は和樹の言葉を遮るようにして手を差し出す。掌に乗せられているのは、紫色のお守りだった。

 「それ……。」

 「和樹がくれたお守り、俺の元に戻ってきたみたいなんだ。願いも見られちゃって、恥ずかしいけど、まあそれで和樹が前を向いてくれたならそれでいいかな」

 黙り込む和樹に、修二は言葉を続ける。

 「俺さ、和樹に自分のことは忘れて幸せになってほしかったんだよ。でもなんだかんだで俺の方が和樹のことを忘れられないんだよな」

 「……はは、何だそれ」

 「だって、あれだけ一緒にいたんだ。離れたからといってすぐに忘れられるものじゃないんだな」

 そういう修二の顔が切なげに影を作る。

 「和樹、言ってたよな。何もできなかったって」

 「……。」

 「俺はそうは思わない。あの時、必死に呼んでくれてただろ? 俺の名前。だから俺は頑張れたんだよ。女の子を助けて、自分がいなくなるとしても、それだけで幸せだった。最後まで呼んでくれていたおかげで、お前のことを覚えていられた。お前に会いに来られたんだ。」

 「そう、だったのか」

 和樹はあの時、何もできていない訳じゃなかった。名前を呼ぶ。そのたった一つのことで、修二は思い出を失わずにここまで来られたんだ。

 「だから、そんなに自分のことを責めないでほしい。前を向いて欲しいんだ。」

 「修二……。」

 暫しの沈黙が流れる。光が強くなっていた。そろそろお別れなのだろう。そう思ったとたん、和樹の目に涙が滲む。

 「って、何だよその顔。かっこいい顔が台無しだよ」

 そう言って笑う修二に、和樹の口から言葉がこぼれた。

 「ありがとう」

 修二ははっとしたような表情をする。

 「俺、修二がいたから、色々な景色を見られた。自分の足で進めるようになった。いなくなった後も、音として現れて、お前はずっと俺のそばにいてくれたんだよな」

 「和樹……。」

 「俺、生きていくよ。どれだけ辛くても、苦しくても、足掻いて、足掻いた、生きていく。お前のことも未来に連れていく。だから、これからも見守っていてくれ」

 それは、未来への決意だった。過去ばかり見て俯いていた和樹の、本気の誓い。

 修二は感慨深くつぶやく。

 「……強くなったな」

 「え? 」

 「いや……違うか。そうだよ、元々お前は強いんだったな」

  修二は顔を伏せる。そうしないと、涙を見られてしまいそうで。

 「そろそろ、お別れだな。」

 「……ああ。」

 「手紙でも言ったけど、ちゃんと食べるんだぞ? しっかり寝て、風邪ひかないように」

 「わかってるよ」

 和樹の言葉に、修二は笑って呟く。

 「……そうだな」

 「そうそう」

 少しの沈黙の後、修二は小指を差し出した。

 「和樹」

 「え? 」

 真剣なまなざしがこちらを見ている。

 「約束だ。幸せになれよ」

 それは、修二と、そして音と結ぶ三度目の約束。

 和樹は恐る恐る自分の小指を差し出して絡めた。

 「……ああ。」

 小指が離れる。修二は満足したように微笑み、言う。

 「じゃあ、またな」

 まばゆい光が辺りを包み込み、そして世界はまた始まった。










 目を覚ますとベッドの上。辺りを見渡しても修二の姿はない。窓から差し込む光が、世界を祝福するように輝いていた。

 和樹は起き上がり、おもむろにテレビをつける。そこではいつもの報道番組が放送されていた。

 「—速報です。約四年前に行方不明になり、特別失踪宣言が出されていた高野修二さんの遺体が、神奈川県鎌倉市の由比ヶ浜で発見されました。警察は捜査を進めており―」

 そのニュースに和樹は目を見開く。そうか、帰ってきたのか。

 —おかえり。

 和樹は約束を交わした小指を見つめる。そこに残された温もりが愛しい。

 「……またな」

 つぶやいた言葉は、確かに未来への響きをはらんでいた。

 


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