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秋旅レンズ  作者: よしの
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あの日の出会い

初めて書く青年2人によるブロマンス中編小説です。

温かく見守ってくれると嬉しいです。

なお、この作品はフィクションであり、実在する事件・団体・人物とは一切関係ありません。

 この物語はきっと希望に満ちたものになるだろう。私は今になってそう確信している。彼が幸せだったのかははっきりとは分からないが、出会いと別離を繰り返すこの世界で、それでも離せないものがあった。ただひたすらに、これからの世界を歩むことしかできないけれど、それでも残されたものは懸命に生きてゆく。

 声がしていた。

 水面に映った顔のように曖昧で、それでも確かにこちらを呼ぶ声。

 「—き、」

 繰り返す、あの日の記憶。

 「—和樹」

 こちらを呼ぶ声は徐々に大きくなって、頭の中を全て埋め尽くして反響する。

 悔しさで濁った記憶。擦り切れたレコードみたいに繰り返すあの日の風景。

 「和樹。」

 声は今度こそ泡が弾けるように途切れた。





 目が覚めると、そこは苛立ちを覚えるくらいにいつも通りの風景だった。携帯電話は枕元に。アルバイト先で貰ったコーヒーカップは机の上に。色褪せた壁はクリーム色。食べかけのカップヌードルはとうに伸び切っている。そしていつかの写真立てはきちんとキャビネットの上に置かれたまま。

 この写真を眺めるたびに、忘れかけていた感情が戻ってくる気がした。郷愁か、戒めか。そこにある感情など何でもよかった。ただ、この気持ちだけは忘れたくない。

 和樹はいまだ眠気の残る頭を起こし、台所に向かった。

 久々にあの日の夢を見たせいか、背中にはぐっしょりと汗をかいていた。喉の渇きを潤すように、シンクの蛇口から水を一杯汲んで一気に飲み干す。潤った喉とは反面、心の中はいまだにカラカラしているような気がした。

 原因はわかっている。十月十五日。世間一般では秋に入るが未だに暑さが残るこの日が、和樹にとって運命の日であるからだ。毎年この日になると同じ夢を見ていた。

 窓を開けると、朝の冷え込んだ空気が入ってくる。昼の鬱陶しい暑さとは裏腹に、もうすぐそこには冷たい季節がやってくることを示唆している。空には多少の雲が浮かんでおり、朝日は燦燦と眠る街を照らしている。前の和樹であればその光景を腹立たしくすら感じていたが、もはやそのような感情は無くなっていた。代わりに心を埋め尽くしていく空虚に笑うこともできない。胸元に刺さった氷柱は未だ深く傷を残して膿んでいる。どうしようもなく痛いそれを、どうすることもなく痛がってばかりだ。

高台の坂で誰かが自転車を漕いでいるのが見える。あの人はこんな風に絶望を感じたことがあるのだろうか。そんな誰も知らないようなことに思いを馳せるくらいには、和樹は疲弊していた。洗面台に向かい鏡をのぞくと、そこには面白いくらいに不健康な相貌が映し出された。目の下の隈は濃く、碌に食事を摂らない体は骨ばっている。まさに不摂生をそのまま人間にしたようなこの姿。ざまあないな、と心のなかで呟く。自分すら当てつけの対象になってしまった事実に、和樹は心の中で自嘲する。それもこれも全部自分のせいだというのに今更被害者面はできない。そんな戒めが和樹の中にはあった。

「……支度、しなきゃ」

和樹は誰に言うでもなくささやく。一人暮らしになると独り言が増えるとはよく言ったものだが、和樹の場合はそれだけではない。なんとなく、呟けば届くように思えるのだ。誰にと言われれば対象は一人しかいない。

 今日は皮肉にもよく晴れていた。考えてみればあの時を境に、今日という日は必ず晴れるようになった気がする。四年前の今日も、恨めしくなるくらい気持ちの良い晴れの日だった。

 顔を洗い、歯を磨く。低血圧気味の和樹は朝ご飯を食べられない日が多いので先に歯を磨いた方が効率的なのだ。ブラシで乱雑に髪の毛をとかせば、遠山和樹の完成だ。

 このごろ自分の姿なんてよく見ていなかったが、今日はなんとなくそうした方が良い気がした。これもあの日のせいなのだろう。罪悪感から法要には出られないくせに、一丁前に姿は整えておく自分の傲慢さに嫌気がさす。

 今日は大学だった。出席率の悪い和樹が学業を意識するのは決まってこの日だけだ。毎年カレンダーで日付を見ては、わざと用事かかぶるように仕向けている。向き合いたくないのではない。自分にはその資格すらないように思えるのだ。助けられたかもしれないあの日。それを思うたびに、自分は一生この罪を背負って生きていかなければならないような気がしていた。

 家を出るまではまだ時間があった。つけたくもないテレビをつけると、案の定報道番組が「あの事件」の話をしていた。

 「……続いてのニュースです。神奈川県茅ケ崎市で発生した水難事故から今日で四年。特別失踪宣言が出されてから三年が経ちました。警察は未だ遺体の情報を調査しており―」

 顔写真が映ったところでたまらなくなってテレビを切る。自分でも馬鹿だと思う。わかっていたじゃないか。今日という日は嫌でも現実を思い知らされるということを。まるで後ろ指を指されるような気持ちで和樹は支度を進めた。

朝の電車は込み合っており、人が押したり押されたりしている。どこかの電車が遅延したのだろう。混乱する人々の導線はしっちゃかめっちゃかだ。四方八方から押しのけてくる人々にうんざりとしながらも、目的の路線に乗り込んだ。

 ぎゅうぎゅうに人が詰め込まれた車内では、スマートフォンを鞄から出すこともままならない。仕方ないのでそこら中に貼りつけられた広告に目を通す。

 一日一〇分で続けられる英会話。一か月でこんなに変わる! ファスティング型ジム。幸せになる五つの方法。~世界はこんなに単純だった~。とある学習塾の広告には、大きな活字体で「未来を決めるのはキミ自身」と文字が躍っていた、わざわざ「キミ」をカタカナにしているところに、学習塾特有の暑苦しさを感じる。

数々の広告に目を通してみると気が付くことがある。電車内の広告は全て気力に満ちているのだ。自己投資、自己啓発、キャリア形成。それらが一気に詰め込まれた広告は活気あふれるものであるが、それが貼られている車内に詰め込まれた人間に活気あふれる者は見られない。かくいう自分もその中の一人だ。行きたくない法要の言い訳に、行きたくもない大学に向かっているのだから。

 ガタン、ガタン。小気味の良い音が一定のリズムで鳴る。その音に耳を澄ませてふと車窓の外を眺めると、そこには「あの海」が広がっていた。久しぶりに見るその光景に、和樹は思わず顔を背ける。今日だけはだめだった。ただでさえ思い出してしまう日にあの海を見てしまうと、自分まであの青の底に引きずり込まれるような気がしていた。いや、もはやそれで良いのかもしれない。自分もあそこに行けば、あの日に戻れるのだろうか? いや、戻れなくてもいい。ただ、会いたい。あいつが聞いたら笑うだろうか。背中を押してくれるだろうか。無為な妄想はまた和樹を苦しめる。気が付けば額に汗をかいていた。

 慌てて講義室のドアを開けると同時にチャイムが鳴った。ぎりぎり間に合ったみたいだ。ほっと胸をなでおろして、人がほとんど座っていない前方の席に座る。とりあえず筆箱を出して話を聞くが、どうにも眠い。教授の心地よい話し声とほどよく効いた冷房が気持ちよく、意識はまどろみの底に落ちる。今日はここに来るだけで疲れてしまった。肉体的にも、精神的にも。

 「—と、いうわけで、今日はレジュメの三頁目から……」

 その声を最後に、和樹の意識は完全に落ちた。

 

「—あの、大丈夫ですか?」

 柔らかなソプラノの声が鼓膜を震わせる。どうやら肩を揺さぶられているらしい。それが心地よくてまた、意識が落ちそうになる。

「講義、終わりましたよ」

 その言葉を聞いてようやく和樹は顔を上げた。時計を見るとしっかり九十分が経過している。周囲では帰り支度をする者、次の講義へ向かう者がざわめいていた。どうやら、まるまる一つの講義で眠り込んでしまったらしい。いまだにはっきりとしない意識を何とか持ち上げて口を開く。

「……誰」

 その言葉は起こしてくれた人間に対してあまりにもぶっきらぼうなものであったが、彼女は気にせず安堵の表情を見せた。

「あ、よかった、起きた……。講義が終わっても寝てるから、先生も怒りを通り越して呆れてましたよ。どうにかならんもんかって。まさか前列であんなに堂々と寝るなんて、さすがに驚いたみたいでした」

「それで起こしてくれたの」

「まあ、そんな感じですね。心配だったので。」

 全く知らない赤の他人をわざわざ心配して起こしに来てくれるなんて、ずいぶん親切である。しかし、当たり前であるがどうやら先生にも見つかっていたらしい。後で謝罪をしに行かねば、単位が危ない。ただでさえ欠席が多くギリギリで過ごしているのに、せっかく出席した講義で落単の原因を作るのはあまりにも馬鹿だ。そう考えるや否や、和樹は机の上に置かれた教材やら筆箱やらをさっと片付け、立ち上がる。

「それじゃ、行きます。起こしてくれてありがとうございました。」

「あ、ちょっと待って!」

 和樹はそそくさと部屋を出た。久々に講義に出た上に人とまともに会話をしたのでかなり疲れていた。次の講義はまだ出席数が足りているから帰ってしまおう。そう思い、和樹は大学の門を出た。

 帰り道の歩道、前を歩く女性二人が道をふさいでいた。鬱陶しく思いながらも、会話内容は嫌でも聞こえてくるので耳を傾けてしまう。

「それで、うちの翔ったら、またゲームばっかりやってて」

「うちもうちも! どうすれば治るのかしらね」

「もう取り上げるしかないんじゃないかしら?」

「そうねえ」

 和樹は昔からゲームが好きでよくやっていた。一人でやっていた訳じゃない。彼と一緒だったのだ。取り上げられるほど没頭するという訳ではなかったが、なんとなく翔くんとやらには同情してしまう部分があった。

 そんなふうに呑気なことを考えていた時だった。

「そういえば、あの水難事故からもう四年経つらしいじゃない」

 突然変更された話題に、和樹の心臓は飛び出そうなほど跳ねた。なんで、今日に限って。いや、今日だからこそその話をするのだろう。

 女性は先ほどのゲームの話をするのと変わらないトーンで話を続ける。

 「そうそう、今朝ニュースで見た! 」

 「ここから近いところで起こったらしいじゃない。まだ遺体が見つかっていないんでしょう? 」

 「私、子供二人がまだ小さいから怖くて。遊びに行くときも海には近づいちゃダメだって言い聞かせてるのよ」

 「本当? うちもよ。でも、遺体が見つかっていないって言っても、これだけ時間が経ってたらもう、ねえ……」

 心臓の鼓動が収まらない。そんなことはとっくにわかっているのだ。わかったうえで、まだどこかで希望を持ってしまっている。戻ってくるのではないか、帰ってくるのではないか。そう思ってしまうのだ。まるで図星を突かれたような心地だ。

 「本当、可哀想ね。まだ若かったのに」

 「でも、あの日の海は荒れてたらしいし、普通入らないわよね。」

 「うちの人、迷惑がってたわよ。おかげでしばらく釣りが出来なくなったって」

 「あら、まだ続けてたの? 」

 信じられないような言葉が続いていた。迷惑。迷惑? 何を言っているのか一瞬わからなかった。あいつは遊びで海に入ったんじゃない。ただ、人を助けようとしていただけだ。それをどうして知らない人間なんかにそんな風に言われなくちゃいけないのだ。彼はただ、優しすぎたのだ。それを、こんな風に。

 和樹は小さく舌打ちをしてから、女性たちを無理やり追い抜かした。ひどく腹立たしい。足早にその場を去ることしかできない自分への怒りもあった。もっと、自分がちゃんとしていたら。意味の無い後悔が心を埋め尽くしていく。これが、和樹の日常だった。



 喫茶店の中はコーヒーのにおいで充満している。それだけでなんだか気持ちが落ち着くような気がした。ほどよいざわめきと静けさが満ちる空間を和樹は存外好いている。大学を早めに切り上げたので、出勤時間も早くできたのだ。落ち着いたクラシックの音楽が、先ほどまでの怒りを癒してくれているように感じられて、カップを拭く手が進む。和樹はこの「アイリス」という喫茶店でアルバイトをしているのである。

 「和樹君、どうしたの? なんだか顔が怖いよ? 」

 そう言っておどけたように顔を覗き込むのは、店長の田中だ。彼は喫茶店の店長という肩書に似つかわしくない、フランクな人間だった。初めてここの面接に来た時の和樹の顔を見ては、開口一番に「ゾンビがきたのかと思った」と言い放った。ひどい顔をしていた和樹に対する精一杯の冗談だったが、当時の和樹はそれに応える余裕もなかった。今でもふざけた態度を取られることはあるが、なんとなく躱し方を覚えた。

 「そうですか? むしろ穏やかな気持ちですけれど」

 「それならよかったけれど、なんかあったんじゃないの?」

 「別に何も」

 店長は馬鹿ではない。むしろ人の気持ちを読み取る聡明さがあり、それが和樹にとっては質が悪く感じられていた。隠していたいことまで全て見透かされてしまうような心地がするからだ。

 「そうかなあ。和樹君は顔に出やすいからすぐわかるよ」

 「それを聞いてどうするんですか」

 「どうするとかじゃないよ。話すだけでも気持ちが整理されることもある。それに、隠し事されるのは寂しいなあ」

 なんだってこの人はこんなに距離を縮めようとしてくるのだろうか。干渉されることが好きではない和樹にとってはなかなか手ごわい相手である。それに、この話をするにあたってはどこから何を話せばいいのかもわからない。下手に話して雰囲気を暗くしてしまうことを和樹は嫌っていた。

 「そもそもたかがバイトと店長の関係性でそんなに話す必要なんてないと思いますけど。業務連絡ならいくらでも聞きますよ」

 「たかが、なんてことない。こういう小さな出会いを大事にすることで、人生は充実していくんだよ。人間どこでどんな出会いがあるのか分からないんだから。人とのかかわりは大切にした方が良い。」

 「説教ならまた今度」

 「ちょっと待ってって。今はお客さんもいないしもう少し聞いてよ。いい? 袖振り合うも他生の縁って言葉、知ってるでしょう? 」

 「聞いたことはありますね」

 「道で知らない人と袖が触れ合うぐらいの小さな関係性でも、前世からの因縁によるものかもしれないっていう教えからきている言葉だね。その言葉通り、ここで僕と和樹君が話していること自体、なにか理由があるのかもしれない。そういう出会いって、素敵だと思わない? 」

 「思いませんね」

 「つれないなあ。」

 和樹にとっての運命の出会いと言えるのは彼一人だ。それくらい和樹にとって出会いというのは刹那的なものである。それをこんな風に誰にでも起こる当たり前の事象として扱わないでほしい。先ほどと似たような苛立ちが心の中に湧いてくる。

 「大体、そんな出会いばかりだったら人間とっくに孤独死は無くなっていると思いますよ。結局人はであってもどこかで分かれる。最後は一人なんですよ」

 「うわー。今どきの冷静な分析。昭和に育った僕にはない感性だね。うんうん、若くていいね! 」

 「それ、褒めてます…? 」

 「もちろん! 」

年上世代から若いと言われてもいい気はしない。やれZ世代だのゆとり世代だのと区別されてメディアから問題提起の対象にされてきた人間としては、若いという言葉にはある種の侮蔑が入っているような気がしてならなかった。

 「それに、いい出会いって具体的になんなんですか? 」

「お、いいね食いついてきたねえ。そしたら今の妻との話をしようか。僕たちはあの日、衝撃的な出会いをした。まるで森の中でさえずる小鳥のような…」

 「その話はもう五回聞きました」

 「じゃあ今日で六回目だね」

 勘弁してほしい。彼は何かと自分と妻の出会いを特別なものとして語ろうとするが、和樹からすればままありふれた話だった。ある日出会って、食事会での親交を通して仲良くなっていく。そして最後は二人店長の方からプロポーズをする、というオチである。そんなに語りたいのならいっそ小説にでもなんでもしたためて世に出してしまえばいい。それで映画にでもなれば番宣で女子高生や熟年夫婦が泣きながらインタビューに答えるだろう。その白々しさを思い出してまた辟易する。

 「……で、俺たちは結ばれたって訳。って和樹君、聞いてる? 」

 「あーはいはい、聞いてました。」

 早くいなしたいので自然と返事がおざなりになる。こんな時に限って店は暇で、客はほとんどいない。つまり、店長のつまらない話をさらに延々聞かされる羽目になるのだ。

 「そういえば和樹君っていま何年生だっけ? 」

 「三年生です。」

 「ってことはえっと……、二一歳かな? 」

 「そうですね。俺誕生日早いし」

 「良かった、当たってたー。これで俺留年してるので二五です、とか言われたらなんて返せばいいかわからなくなっちゃうもんね」

 この店長は思慮深いのかそうでないのかよくわからない。人にズカズカ踏み込むくせに、こういうところで気を遣うことは出来るのだ。それが彼の処世術なのだろう。実際、そのような店長の人柄に惹かれて店にやってくる客もいない訳ではない。和樹がここまで容赦なく素を出して話せているのも、その人柄によって自然に引き出されたものなのかもしれない。癪だが、そう思うことが度々ある。

 「まあ、俺は若いんで」

 「はは、いいねえ。若さは武器だよ。これからなんにでもなれるしどこにだって行ける。おじさん、眩しくてたまんないよ」

 「それにしてもそうか、二一歳か。和樹君は特に若く見えるからもっと下かと思ってたよ」

 「それはどうも」

 「あ、コンプレックスだった? ごめんね」

 「別にそういう訳ではないので。」

 その証拠に、和樹は彼といた時は兄弟と間違われることがあった。自分では顔が若いと思うことは無かったが。しっかりしていた彼と自分に自信のない和樹を見ていると、自然とそう見えるようだ。和樹はそうみられることが嫌ではなかった。 

「俺、下には兄弟いないし、お前は一人っ子だろ? なんだか、双子の弟みたいだな」

 そう言っていたのはいつだろうか。その眩しい笑顔は太陽に反射して輝きを増していた。

「お、今度は笑った。やっぱ和樹君は見ていて飽きないねえ。表情がすぐ変わる」

そういわれて初めて和樹は自分の口角が上がっていたことに気が付いた。彼はずるい。どんな時でも自分の記憶に出てきて、笑わせたり泣かせたりしてくる。ポーカーフェイスを保っているつもりが隠しきれないのは彼のせいだろう。

「笑ってないですよ」

むきになって答える和樹に店長は少し笑う。その時、電話が鳴った。

「あ、ごめん電話だ。じゃあ、ちょっとフロアよろしくね」

そう言って店長は店の裏に去る。残されたのは和樹一人だ。

そっと、窓際の空席に目をやる。そこはかつて和樹と彼がよく座っていた席。当時、店長は二人が入店することを見越して毎週日曜日の午前十一時は席を開けてくれていた。その頃からの付き合いであることもあって、店長は和樹に馴れ馴れしくするのだろう。老婆心のようなものだ。確か店長にはもう社会人になった息子が一人いる。自然に重ねちゃうんだよ、君たちに。と言われたのはいつの話だろうか。大きなお世話だ。その後どうなったかも知らないのに。そう、これは自分だけが知っていればいい。誰にも知られなくても、和樹はずっと覚えている。そう誓ったのだ。

 カラン、とベルが鳴る。誰かが来たのだろう。思考を振り落とすように頭を振り、ドアを開ける。

 「いらっしゃいま……」

 そこに立っていたのは、金髪が太陽に映える青年だった。背は和樹と同じくらい、年齢もそう変わらないだろう。白色のパーカーを着込み、下には黒いズボンを穿いている。ラフな格好だというのに、彼が身に着けていると一段と洒落てみえる。対して和樹はブラウスにネクタイ、その上に黒のベストでエプロンという、いかにも喫茶店の店員といったような風貌をしていた。

 白と黒が交差する。その対比が美しく思えて、和樹はしばらく固まってしまった。

 「……あの」

 青年が声を掛けてくる。その声すら透き通っていて、白い服と金髪という風貌も相まって何だかこの世のものではないような気すらしていた。慌てて我に返り言葉を返す。

 「あ、すみません。今日はお一人様ですか? 運が良かったですね。今空いているのでいるのですぐご案内できますよ」

和樹はそういって前よりは上手くなった作り笑いを見せる。店長に対してはぶっきらぼうな和樹であるが、客当たりは良い方だ。そのため主にフロアを任されている。店長がフロアにいることもなくはないが、たいてい客としゃべりすぎてしまうので仕事が進まない。だから和樹が自ら望んでフロア対応を希望したのだ。

「いえ、その、少し聞きたいことがあって……」」

「聞きたいこと? 」

 訝しむように首を傾げた和樹を、なぜか青年は懐かしそうに眺めている。そうして彼は言う。

 「ここに、忘れ物って届いていませんか? 」

 「忘れ物ですね。ただいま確認しますので少々お待ちください」

 和樹は再び店の中に戻る。金髪の青年はその名を静かに囁いた。

 「……和樹」

 その呟きは誰も知らない。


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