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校正者のざれごとシリーズ

校正者のざれごと――アンガーマネジメント

作者: 小山らいか

 私は、フリーランスの校正者をしている。

 10月も半ばを過ぎ、そろそろまわりは慌ただしくなってくる。これから年末に向けて、「年末進行」が始まる。校正物が増え、印刷所などの関係で、少しずつ納期が早まっていつもより短い期間で作業を終えなければならない。私は基本的に来たものは断らない主義なので(というか怖くて断れない)、いまも何本もゲラ(校正紙)を抱えている。

 久しぶりに、かなり本格的な経済関係の本の依頼が来た。以前「校正者、キレる」にも書いた、会社名がたくさん出てくるような本だ。昨日作業していたページは、見開き2ページの中に、会社名が図のかたちで1行に2社ずつ60行、計120社分掲載されていた。これらの会社名を、一つずつその会社の公式HPで確認する。今回のゲラではどの市場に上場しているかも調べる必要があり、IR情報なども確認する。東京証券取引所には現在プライム、スタンダード、グロースの三つの市場があるが、これは2022年4月に変更された名称で、それ以前は東証一部、二部、マザーズなどと呼ばれていた。

 ふだん、気になったことを調べるのに「○○ぺディア」を使う方は多いだろう。私もプライベートではよくお世話になっている。あの女優さん、若く見えるけど今いくつだろう?とか(ちなみにこの「とか」はエンピツで指摘するときによく使う。ゲラとは違う表現を提案するときに「……トカ?」などと入れる)。しかし、仕事では使わない。出版社によっては、はっきりと「○○ペディア」を根拠にするのは精度が低いのでやめてほしいと言ってくる。以前、このサイトを運営している人がテレビで話しているのを見て、すごく熱心に取り組んでいることも知っているので内心複雑なのだが、やはり仕事ではNGだ。

 公式サイトなら確実だ、と思いながら確認する。ところが、とある会社のサイトでは「シリコンウエハー」と「シリコンウェハー」が混在していた。おいおい、どうするんだよ、これ。公式HPなのに。ほかにも、ある企業の沿革を調べていたら、2023年くらいまでしか記載がなくそれ以降のぶんは更新されていなかった。いまはもう2025年ですけど。そこそこの大きな企業なのに。誰か、こういうものを管理する人、いないのかしら。

 以前から校正をしながらたびたびキレているが、こうして忙しくなってくるとその頻度も上がってくる。キーボードをたたく手にも力が入る。かわいそうだな、このキーボード。私なんかのところに来たばっかりにこんな目に遭って。

 何年か前、「アンガーマネジメント」についての本の仕事をした。怒りがわき起こったら、6秒間我慢しなさい。この6秒間に、人は過度な感情を出してしまいがちだという。6秒間を乗り切れば、怒りをただぶつけるのではなく、何が嫌だったのか相手に冷静に話せるようになる。これをみんなが実践すれば、家庭内や職場環境もよくなっていきます。

 なるほど。そして、怒りを抑える方法のひとつに「怒りの数値化」があるという。いま自分の中にある怒りは10段階のうちのどのくらいか。5や6ならまだ半分。8や9になるとかなり高い。私、いますごく怒ってるんだな。そんなふうに客観的に自分を見られるようになれば、相手に過度に怒りをぶつけることもなくなるだろう。そうしているうちに、6秒間をやり過ごせる。

 そういえば、以前病院で診察を受けたとき、「痛い」と言うと医師から、

「その痛みは、10段階で言うとどれくらいですか」

と聞かれた。すると不思議なことに、「いま自分はどれくらいの痛みを感じているんだろう」とちょっと冷静になって考えることができた。もちろんそれで痛みが治まるわけではないが、「数値化」というのは人を落ち着かせる作用があるのかもしれない。

 120社の確認もようやく終わりが見えてきた。「三菱UFJフィナンシャル・グループ」うん、合ってる。大手銀行の持ち株会社はほかに2つあるが、「みずほフィナンシャルグループ」と「三井住友フィナンシャルグループ」には「・(中黒)」がつかない。そして銀行は合併を繰り返し、その度に名前が変わってきた。三井住友銀行は、かつて太陽神戸銀行と三井銀行が合併してできたさくら銀行(当初は太陽神戸三井銀行。長い)と、住友銀行がさらに合併してできた。保険会社なども合併を繰り返して、その度に名前が長くなっていく。「あいおいニッセイ同和損保」など、ただでさえ長いのに今度は「三井住友海上」と合併するそうだ。さすがにそのまま繋げはしないよな、と思っていたら「三井住友海上あいおい損害保険」になるそうだ(やっぱり長い)。

 120社の確認もあと二つ、というタイミングで下の子が帰ってきた。テスト期間中なので帰りが早い。「飯は?」ただいまも言わず荷物を投げ捨て、ぶっきらぼうな態度。

 集中力をそがれ、思わずキレそうになる。いや、ここは6秒……と考える間もなくゲラから顔を上げ、不機嫌な状態のまま振り返って睨みつける。

 下の子は危機管理能力が高い(それに対して、上の子はよく地雷を踏む)。母親の機嫌が悪いとわかるとすぐに態度を変えてくる。

「いやあ、今日のテスト、難しかったなあ。どうしよう。ちょっとヤバいかもなあ」

 あまりの急変に、思わずこちらも笑顔になる。「ちょっと、赤点だけはやめてよ」

 アンガーマネジメント、かあ。そんなに簡単なことじゃない。子どものほうがよっぽど優れてるな。よくわかってるよね。見習わなくちゃ。


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― 新着の感想 ―
普段おとなしい人ほど、怒ると怖い(私です笑) 後悔しないようにしたいものです。会社名、もはやネタレベルの長さですよね(^_^;)
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