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ひとりぐらし  作者: 雨宮 叶月
管理人の記憶

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第74話 もういない 氷室視点 

「えっと……こんばんは。私は高原英美と申します。」

「あ…どうも、氷室です……」


管理人の泉さんの話でこういうような話があったなとぼんやりと思った。


「もう本題に入りますね。このマンションは、もう『見えてはいけないもの』に悩まされることはありません。」

「え?」


どういう意味だ?


「さっきの氷室さんの言葉、私には全然響きませんでしたが…そういうことを言ってくれる人があまりいないもので、ちょっと嬉しくなって。それで、気付いたら『見えてはいけないもの』を乗っ取ることに成功していました。」

「え、それは…ありがとうございます?」

「はい。」



高原さんは軽く微笑んだ。


「氷室さん、私に何か聞きたいことはありますか?」

「えっと…はい。じゃあまず、『見えてはいけないもの』を乗っ取った高原さんは、次どうするのですか?」

「自分のやりたいことをやります。」


高原さんはきっぱりと言った。その内容には触れてはいけないと思った。


「乗っ取ったといっても、完全にというわけではないんです。『見えてはいけないもの』と私の想いはほぼ同じですし、どちらが主体になるか、程度のことが変わるだけですが。」

「……ありがとうございます。では、宮本さんや伊波さん……いや、過去の住人たちはどうなったんですか?どこにいますか?」

「え?」

「え?」


高原さんはきょとんとした顔をした。俺は思わず聞き返す。


「……もういないですよ?」

「…………」


俺は言葉を失った。


「なくなったものは、取り返せませんからね。ほかには?」


理解の追い付いていない頭で、必死に何かを考えた。ここを逃したらもう二度と何も分からないと思った。


「…泉悠人さんのことは?」


「悠人のことは……考えると、なんだか胸が痛くなります。氷室さん、悠人に『またそっちに行く』と言っておいてくださいね。お願いします。」


俺の生存は確定した。それなのに嬉しくない。



「……はい。それでは、最後の質問です。入居条件には『夜12時から4時の間』にしか『見えてはいけないもの』は現れなさそうですが、なぜそれ以外でも俺は会ったんですか?」


「最後の質問?……ああ、悠人から聞いてたのか。そういえばそうだったな。

はい。確かに『見えてはいけないもの』はその時間だけしか現れません。例外が生まれたのは……私がいるからです。」

「高原さんが?」

「はい。」


高原さんはベッドに腰掛けた。



「私は『見えてはいけないもの』ではないので。『見えてはいけないもの』がやりたいことを代わりに実行していたんです。意識は朦朧としていて、自我はありませんでしたが。だって、書かれたこと、言われたことが全てだなんて、誰も言っていませんから。ここまで正直なのは私くらいです。」


「……分かりました。ありがとうございます。」


「いいえ。こちらこそ色々。

………物語って、最後はほとんどハッピーエンドじゃないですか?」


「…はい。」


「私の人生も、これでハッピーエンド!……ってなると思います?」


「……いや」


「私は最後までバッドエンドです。」


高原さんはへへっ、と笑った。


「最後まで報われなかった。私の気持ちは少しも軽くならない。神様がいるなら、どうしてこんな人生を許してしまったのか聞きたいくらいです。」


高原さんは目を閉じた。



「バッドエンドなんですよ、氷室さん。

……では、私はこれで失礼いたします。あ、あの入居条件の紙は取り下げて良いですよ。この部屋ももう普通になります。」


「………はい。」


高原さんはふっと消えた。なんだか夢のような時間だと思った。



「……アァ」


ぴくり、と『見えてはいけないもの』が動く。俺は素早くベッドにもぐりこみ、寝たふりを決め込んだ。



「アァ……ア」



ドアが開閉される音。目を開けると、黒目と目が合った。


「アァ」


怖い怖い怖い。なんでこっち見るわけ?もう実害はないとか言ってたけど。


『見えてはいけないもの』はニヤリと笑うと、ずるずると浴室のほうへ向かって行った。なんだったんだ。




朝になり、俺は泉さんに電話をかけた。


「はーい。」

「あ、おはようございます。氷室です。」

「え!?氷室くん?大丈夫だったの?」

「はい。」


俺は体験したことを説明した。


「入居条件の紙はもう取り下げて良くて、404号室ももう普通になるそうです。あと、高原英美さんが『またそっちに行く』、と言っていました。」


「……ありがとう。何もかもが突然だね。」


泉さんは乾いた声で笑った。




外は木々が真っ白に染まって、緑の丘がまるで化粧をしたように白く染まっている。

葉に乗った雪が時折重みに耐えきれず地面に落ちていく。それが不思議だ。


ちなみに今日は大学を休んで三澄さんとラーメンを食べに行った。生存できた祝いだ。


宮本も、美月さんも、ほかの過去の住人達も消えた。もう戻ってこない。


それでも、あの絶望の代償にはまだまだ足りないのかもしれないとふと思う。



「泉くーん、あそこの店気になるんだけど」


三澄さんが手をこすり合わせながら指さしたのは、可愛らしい猫の形をしたパンケーキのカフェだった。


「え、男二人で?正気ですか?」

「いいでしょ、行きたいから行こうよ。美味そうだし、こんな経験ないよ。店員の女の子に白い目で見られるの。

……ちょっと嫌だな」

「だいぶ嫌ですよ」






ちなみにパンケーキは意外と美味しかった。でももう入る勇気はない。うん。普通におかしい。


俺はいつもより早い時間に眠ろうとする。長いようで、短かったこの経験を、俺は忘れないだろう。


俺はゆっくりと意識を手放した。




こんこん、と寝室のドアの透明なガラス部分を叩く音がして、目覚める。


「ひぃっ!!!」



『見えてはいけないもの』が、黒目をこちらに向けて、ドアに手をついていた。普通に気絶する。



「どうしましたか……」


視線を窓の外に向けてドアを開ける。



『すみません、氷室さん。伝え忘れていたことがあって。これが最後です。」

「いいですよ……」



声は高原さんじゃなかったが、恐らく高原さんなのだろう。



『私、私の絶望をたくさんの人に知ってもらいたいって言いましたよね。でも……こんなに詳しく知ってるのはなんか嫌だなーって思って。』


「……はい。」


嫌な予感がした。



『バッドエンドなんですよ。私はダメだったのに。

私は氷室さんのハッピーエンドを許しません。

だから、なくなってください。では。』


「え?そんなっ、いやだ」


『見えてはいけないもの』が手を伸ばす。僕の視界が黒に染まる。


いやだ。いやだ。


せっかくここまできたのに。


どうすればよかった?


なにをすればゆるしてもらえた?


だれか、たすけて。


おしえてほしい。



だれか。



だれか。


こわい。


こわい。















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