第三章
蓮は、再び始まった“澪が死ぬ24時間前”を、何よりも静かに、そして鋭く見つめていた。
昨日と同じ授業、同じ景色。だがその全ては“やり直し”の中にある。
繰り返しではない。
これは――選び直すための時間だ。
「ねえ、蓮。今日、一緒に帰ってもいい?」
放課後、教室を出るときに澪がそう言った。
それは、確かに以前も聞いたことのある言葉だった。
だが、蓮は知っている。この帰り道のどこかに、澪の死に繋がる分岐点がある。
「もちろん」
笑って答えながらも、蓮の心は張りつめていた。
2人は歩道橋を渡りながら、他愛のない会話を交わす。
けれど、ふと澪の足が止まった。
「ねえ……私、誰かに見られてる気がするの」
「また?」
「うん……スマホにも、変な通知が来るの。“消えてほしい”とか、“全部見てたよ”とか。
DMもどんどん増えてる」
「動画のことか?」
蓮の問いに、澪はゆっくりと頷いた。
中学時代の誤解──彼女が一方的に誰かを責めてしまった、その瞬間を切り取った動画。
編集され、悪意を込められた映像が今になって拡散されている。
「また別の鍵アカが動画を持ってるって言ってきた。しかも、“次は学校に送る”って……」
「それ、警察に相談するべきじゃ――」
「無理だよ。私の名前も出てるし、たとえ誤解だって言っても、
ネットじゃ信じてもらえない。あの動画だけ見たら、私、ただの最低な人間にしか見えない……」
言葉を重ねるたびに、澪の声はかすれていった。
蓮は、そっと彼女の手を握った。
「俺は、澪のことちゃんと見てる。あの動画なんかで判断したりしない。だから――信じていい」
「……うん」
歩道橋を渡り終えた時、蓮はふと周囲を見渡した。
誰かに見られている気配。
澪が言った“視線”は、被害妄想なんかじゃない。
むしろ、それこそが――この24時間の“鍵”なのかもしれない。
そしてもう一つ。
蓮の脳裏には、北条圭介の顔がよぎっていた。
あいつも《24H REPLAY》を知っていた。
それどころか、あのアプリを使いこなし、蓮の一手先を読んでいた。
「君も《あれ》を使ったんだね。ようこそ、僕と同じ盤面へ」
あの言葉が、脳裏に焼きついている。
北条が何度この24時間を繰り返しているのかは分からない。
だが一つ確かなのは――やつは、今も“澪の死”に向かって手を打ち続けているということだ。
***
その夜、蓮は部屋の明かりを落とし、スマホの画面だけを灯りに澪のSNSを監視していた。
DMの送り主のアカウント、投稿時間、言葉の特徴――
どれも匿名で断片的すぎて、証拠にはならなかった。
だが、少なくとも意図的に澪を追い詰めようとしている“誰か”が存在することは、はっきりしている。
深夜0時を回ったとき、メッセージ通知が届いた。
──澪【今、大丈夫?少しだけでいいから、会えないかな】
その文面に、蓮の心臓が跳ねた。
──蓮【もちろん。どこ?】
──澪【うちの前のバス停】
すぐに、蓮は上着をつかんで走り出した。
***
雨が、細く静かに降っていた。
澪はバス停のベンチに座っていた。傘も差さず、ただ両腕を抱えるようにしてうつむいている。
「澪!」
呼びかけに顔を上げた彼女の目には、涙が滲んでいた。
「……もう、自分が壊れそうで怖いの」
「壊れない。だって、俺がいる」
蓮は、そのままそっと澪の肩に手を置き、すぐ隣に腰を下ろした。
「俺が何とかする。あの動画のことも、北条のことも、全部……だから、信じて待っててほしい」
「……うん」
その瞬間だった。
微かな足音と、空間に浮かぶ“人工の光”の気配。
蓮は静かに振り返った。
建物の陰に、人影が立っていた。
スマートフォンの画面が、濡れた夜の中にぼんやりと浮かび上がる。
──黒地に白の砂時計。《24H REPLAY》
北条だ。
あいつも、またこの24時間に踏み込んできている。
何度でも繰り返して、自分の都合のいい未来に書き換えようとしている。
蓮は、静かに澪の手を握り直した。
「また来たか、北条。なら……俺も何度だって立ち向かうよ」
誰かの手の中で踊るつもりはない。
澪の未来は、自分が掴み取る。