第二章
「蓮、ほんとにどうしたの?さっきから変だよ」
通学路の歩道橋を渡る途中、澪が怪訝な顔で尋ねてくる。
当たり前だ。蓮は澪の一挙一動を、まるで失くした宝物を見つけたように
じっと見つめ続けているのだから。
「……いや、ごめん。なんでもない」
うまく誤魔化せていないのはわかっていた。けれど、今はそれでいい。
何より、彼女がまだ笑ってくれていることが嬉しかった。
登校する途中、蓮は歩道橋の縁にふと目を向けた。
そこが、明日未明──澪が“落ちる”ことになる場所。
普段はなんてことのない通学路の一部。
しかし、ここで命を落としたと聞かされたあの朝を思い出すと、喉の奥が苦しくなる。
「ねえ蓮。なんかさ、誰かに尾行されてる気がしない?」
唐突に澪が呟いた。蓮はぎょっとして振り向いたが、背後には誰もいない。
だが、澪は本気のようだった。
「最近、スマホも調子悪いし。インスタとかXでも、
なんか変なアカウントからずっと監視されてる気がするの」
「……変なアカウント?」
「うん。鍵アカで、ずっと私の投稿に張り付いてるっぽい。
消しても消しても、似たような名前で復活してくるの」
蓮の心臓がドクンと音を立てた。
「それって……何か書かれたりした?」
「……“知ってるよ”とか、“お前の本性見た”とか……。
あと、“あの時の動画、まだあるから”って」
「……動画?」
澪は少しうつむき、足を止めた。歩道橋の真ん中。周囲に人影はない。
「……実はね、中学のときに……ちょっとした揉め事があって。
その時、私……同級生に怒鳴っちゃったの。いじめの加害者だって思い込んで、
間違えて。あとで誤解だってわかったんだけど……その時の映像が、どうやら誰かに録画されてて」
「そ、それだけ? でも、そんなん誤解だったんだし、謝って解決したんだろ?」
「……たぶんね。でも、その動画が最近になって匿名のSNSアカウントに出回って、
拡散されてるの。しかも私の名前付きで」
「そんなの……悪意しかないじゃん」
「うん。だから……怖くて、誰にも言えなかった。学校でも、先生にも、親にも……」
蓮は拳を握りしめた。心の中に、澪を傷つけた何者かへの怒りが沸き上がる。
「そいつ、絶対に許さない。俺が止めてやる」
澪は驚いたように蓮を見て、ふっと小さく笑った。
「ありがとう。蓮は、ほんとに……優しいね」
その一言に、蓮の胸がきゅっと締めつけられた。
澪が死ぬ理由。それは、単なる“転落事故”ではない。明らかに、
何かから“逃げようとしていた”──あるいは、“追い詰められていた”。
蓮は、次に確認すべき人物の名前を脳裏に浮かべた。
──北条 圭介。
表向きは成績優秀、運動神経も良く、誰にでも丁寧で礼儀正しい。
クラスでも信頼されている男子生徒。だが、澪が言っていた鍵アカの内容。
その文体と、蓮がふとした瞬間に北条のスマホ画面で見た“あのロゴ”が、頭の中で一致する。
黒地に白い砂時計──あのときは気にも留めなかったが、今ならわかる。
あれは、《24H REPLAY》のアイコンだった。
――見たことがある。北条のスマホに、あのロゴが。
今なら確信できる。
まさか……北条も、使ったのか?
蓮は冷や汗をかきながら、拳を強く握った。
***
放課後。蓮は校舎裏で、ひとりスマホをいじっていた北条に声をかけた。
「北条。ちょっと話がある」
北条は顔を上げ、いつものようににこやかに笑った。
「なんだい、神谷くん。珍しいね、君から声をかけてくるなんて」
「単刀直入に聞く。お前……澪に何かしただろ」
その瞬間、北条の笑顔がピクリと揺れた。
「……どういう意味かな?」
「お前が澪を追い詰めてたんだろ? SNSの鍵アカ。中学時代の動画。全部お前が?」
「証拠は?」
北条は淡々と、笑みを消さないまま言った。
「なんの証拠もないのに、そんなこと言っていいの? “もしも”それが事実だったとして、
君がそれを知ってる理由は何だろうね?……時間を巻き戻した、とか?」
蓮は息を呑んだ。北条の瞳が鋭く細められた。
「……君も《あのアプリ》を使ったんだね。ようこそ。僕と同じステージへ」
「どうして、そんなことする?」
「理由なんて簡単さ。澪が“間違ってる”ことを、証明したかっただけ。
優等生を気取りながら、周りに誤解を振りまく、偽善者のくせに……」
その声には狂気にも似た静かな執着があった。
「君が何をしても、同じだよ。澪は、もう……“そうなる運命”なんだから」
「そんなの……俺が、変えてやる!」
「じゃあ、やってみなよ。あと何回、同じ24時間を繰り返せるか知らないけど……
いずれ、君も知るよ。“変えられないもの”って、確かに存在するんだって」
北条はそれだけ言い残して、背を向けた。
蓮は拳を握りしめたまま、その場に立ち尽くす。
この世界には、本当に“運命”なんてものが存在するのか。
それとも、それを名乗る“意志”が、この時間のどこかに潜んでいるのか。
けれど、決意は揺るがない。
「澪を守る。俺が、必ず」
どれだけ繰り返しても。
何度倒れても。
たったひとつの未来を変えるために──蓮は、24時間の地獄に足を踏み入れていく。