第一章
「雨、降るかな……」
神谷蓮はベランダに出て、空を見上げた。
厚い雲が空を覆っている。
けれど、ぽつりとも落ちてこない。
むしろ、どこか止まりそうな気配さえある。
6月の終わり、梅雨の季節。
空模様を気にしながら制服の襟を直すと、スマホの通知が振動した。
──【連絡:雨宮澪さんについて】──
表示された文面に、蓮は眉をひそめた。
まだ朝の6時半。こんな時間に誰が?
開いた瞬間、呼吸が止まった。
雨宮澪さんは、本日未明、自宅近くの歩道橋から転落し、死亡が確認されました。
「……は?」
言葉にならなかった。冗談だろう。誰かのイタズラか。
そう思って再確認するが、画面にあるのは市内の高校を対象とした
一斉連絡システムからの公式な通知だった。
放心する指先でニュースアプリを開く。
そこには、確かに澪の住むエリアの歩道橋で「転落事故」があったと報じられていた。
まだ身元は公表されていないが、蓮には確信があった。
雨宮澪が……死んだ?
崩れ落ちるように床に座り込んだ蓮の脳裏に、
彼女の笑顔が浮かんだ。つい昨日、学校の帰り道、
いつもの公園で話したばかりだった。
アイスの味が外れだと文句を言って、蓮の分まで少し食べて――あんなふうに、笑っていたのに。
何が、どうして、こんなことに。
その日は、何をしても上の空だった。
登校しても教室は重苦しく、空席になった澪の机が痛々しく見えた。
誰もが理由を口にできず、ただ沈黙の中で時間が過ぎていく。
澪の死因は「不慮の転落」とされ、事故か自殺か判断できないと報道された。
けれど、蓮は違和感を覚えていた。
あいつが、自分で死ぬわけがない。
それだけは確信していた。幼いころから一緒に育ち、
何度も喧嘩して、何度も仲直りして。澪のことなら、誰よりもわかっているつもりだった。
その夜。蓮は眠れず、ベッドに寝転がったままスマホを手にしていた。
SNSには澪の写真や、「信じられない」「悲しい」
「あの子、優しかったのに」などの言葉があふれていた。
だが、中には――
「やっぱりね」
「自業自得でしょ」
「裏アカの件、バレたらしいよ」
見たこともないアカウントが、悪意ある言葉を連ねていた。
怒りよりも、吐き気が先に来た。なぜこんなことが許される? なぜ、澪がこんな目に?
スマホを握り締め、思わず強く目を閉じたそのときだった。
画面が、ひとりでに光り出した。
「……え?」
不思議な光の輪が現れ、アプリ一覧の中に見慣れぬアイコンが浮かぶ。
黒地に白い砂時計のマーク。その下には、こう書かれていた。
──《24H REPLAY》──
不審に思いながらも、蓮は指を伸ばし、そのアプリをタップした。
画面は暗転し、やがてこう表示された。
“このアプリは、使用者の記憶を保ったまま24時間前へと時間を巻き戻します”
※1人1回限りの使用が原則です。
※アプリを使用すると、元の時間軸へは戻れません。
本当に、やり直したいですか?
胸が、強く高鳴った。
“24時間前へ戻る”
本当に、そんなことができるなら――
「澪を……助けられるのか……?」
無意識に、画面をタップしていた。
瞬間、光が弾けた。
強い閃光に包まれ、蓮は何も見えなくなった。
***
「蓮、起きて!もう朝だよ!」
聞き慣れた声が、耳元で響いた。
「……え?」
ぱちりと目を開けた蓮の前には、制服姿の少女がいた。
明るい茶色の髪。少し不機嫌そうに眉をひそめる表情。
その顔を見た瞬間、蓮の心臓が凍りついた。
「……澪……?」
「なに寝ぼけてんの、あと15分で家出るってば」
その声も、姿も、確かに雨宮澪だった。
蓮は飛び起きて、スマホを見る。日付は──
「6月26日、7時12分……?」
1日前。澪が死ぬ、“24時間前”だった。
信じられない。けれど、現に澪は目の前にいて、息をしている。笑っている。
涙が、止まらなかった。
「え、ちょっと……なんで泣いてんの!?」
澪が慌てて近づいてきた。
蓮は、咄嗟にその手を握った。手のひらは温かくて、生きていて、現実だった。
「……よかった……本当によかった……」
この24時間で、何が起きたのか。どうして澪が死んだのか。
そして、何を変えればいいのか。
だが、たった一つ、わかっていることがあった。
──このチャンスを、絶対に無駄にはしない。
蓮は心に誓った。
「今度こそ、澪を守ってみせる」