ミューズの声が聞こえない
精霊音楽師の講演を繰り返すと、国は争いごとを生まず平和になる。1回で明確な変化は見えないが、繰り返すことで確実に争いごとは減っていく。だから国中のいたる所で演奏会が催された。
しかし、精霊音楽師には特別な人間が存在する。
一回の演奏で、明らかに人の心に激変を起こすような魔法演奏をする極めて稀な存在だ。
彼らは国の至宝として隠されており、王の命で秘密裏に任務を果たす。国家機密として扱われる上級魔法精霊音楽師。マリク・ギーツェンはいずれその一人になるだろうと王立音楽研究所では確定事項のように思われていた。
「なぜ、ギーツェンは芸術精霊神の声が聞こえないのか?」
精霊音楽師の子供達は、自然を司る精霊の声を聞く。
それは恵であり、慈愛の声。
そして子供たちは成長すると、芸術精霊神の愛の声を聞く。恋する相手にそそぐ情熱の愛、命と引き換えにしても渇望する真実の愛、その愛精霊の声を聞いて彼らは大人になるのだ。
早い子は12歳頃に、遅くとも16歳までには、皆芸術精霊神の声を聞いた。
ところがマルクにはその声が聞こえてこなかった。
彼の超絶技巧演奏は、他の弟子の追随を許さず、作曲する音楽にはどの曲よりも精霊たちの声が満ちあふれていた。誰が聞いても、彼は最も優秀な、千年に1度と言われる逸材だった。
それなのに、彼は一向に大人にならない。
精霊音楽師が芸術精霊神の声を聞くのは、男子が声変わりするのと同じくらい自然なことだった。
だから、16歳を過ぎたマルクが演奏すると、どんなに素晴らしい演奏でも、大人が子供の声で歌っているような不自然な響きとなって、人々を戸惑わせた。
どんなにすばらしい演奏をしても、どれほどに自然精霊が満ちあふれた作曲をしても、マルク・ギーツェンは次の段階に進めない、体だけが成長する、内面は子供のままの困った存在として、王立音楽研究所にとどまるしかなかった。
そして18歳の年、とうとうマルクは退学になった。
愛の声を聞くことができない落伍者として、彼は精霊音楽師になることができなかった。
絶望の淵で嘆くマルクに、ベッケンバウアー先生が仕事をくれた。
「ギーツェンよ、ピアノ演奏のための技術教本を作ってくれないか? 精霊音楽師になるには2つのものが欠かせない、一つは才能、もう一つは技術、その二つが両輪となり、努力という車軸によって回っている。ピアノ奏法の技術を1つずつ身に付けられるような、練習教材を作りたいと、私は常々思っているが時間がないのだよ、私の代わりにやってくれないだろうか?」
失意の中で、マルクは恩師の願いを聞き入れた。
生きる意味を失ったマルクには、過去にも未来にも、意味あることはもはや無かった。
しかし先生の願いを叶えたら、将来の精霊音楽師達の役にたてるだろう。そこにほんのすこしでも、自分の生に意味が生まれるならば、もう少し生きてみよう。
町の外れの森の中、静かな小屋にピアノを運んで、マルクは一人作曲を始めた。