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ショートショート6月〜5回目

あの信号が渡れたら…

作者: たかさば

……信号を渡るたびに、ちょっとした運試しをしてしまう。


『この信号が点滅する前に渡りきれたら…いいことがある!』


渡りきれるかな。

渡りきれないかも。

渡れるといいな。

渡りたい。


足を速めて、スタスタと歩道を歩く。


……まだ信号は点滅していない。


急いで、歩く。


……まだ信号は、点滅していない。


このまま渡り切れたら、きっと、いいことがある。

点滅し始めたら、いいことがない日になってしまう。


………信号を見ることが、できなくなる。


もし、点滅し始めてしまったら。

今、点滅し始めてしまったら。

点滅し始めるのを、見てしまったら。


……視線を下げて、黙々と歩く。


信号を渡り切って、振り返る。


……向こう側にある信号が、点滅している。


多分……、点滅前に、渡り切ったはず。

だからきっと、今日はいいことがあるに……違いない。


……ちゃんと見ていなかったから、いまいち信用がない。


信用していなかったせいか、『いいこと』の範囲が、ぼやけている。

悪い事はなかったけれど、いいことがあったかと言われると…微妙だ。

それなりにいい一日ではあったけれど、とびきりいい日だったかと問われたら、首をかしげてしまう。


はっきりしない一日になってしまったのは……紛れもなく、自分のせいだ。


もう、こんな運試しは……辞めよう。


そう、思っていたのに。


信号を渡ろうとしたら、赤だった。

しばしその場で待つと、信号が青に変わった。

信号は変わったばかり…これは難なく渡りきれるはずだと思った。


『信号が途中で点滅しなければ、いいことがある!』


つい、いつもの癖で、運試しを始めてしまう。


……習慣になってしまっていることは、なかなか簡単には手放せないらしい。


おそらく、点滅することは、ない。

これは、確定済みのラッキーチャンスだ。


信号の青を見つめながら、すたすたと歩く。


……まだ信号は点滅していない。


急ぐこともなく、ごく普通の速度で、歩く。


……まだ信号は、点滅していない。


このまま渡り切れたら、今日こそは、いいことがある。

点滅し始めたら、いいことがない日になってしまうけれど。


………信号を見ることが、できなくなる。


もし、点滅し始めてしまったら。

今、点滅し始めてしまったら。

点滅し始めるのを、見てしまったら。


……視線を下げて、黙々と歩く。


信号を渡り切って、振り返る。


……向こう側にある信号が、点滅している。


多分……、点滅前に、渡り切ったはず。

だからきっと、今日こそはいいことがあるに……違いない。


……ちゃんと見ていなかったから、いまいちスッキリできない。


ラッキーチャンスだったのに、目をそらしてしまった。

渡り切れるはずだったのに、目を背けてしまった。


点滅する瞬間を見てしまったらいいことが起きなくなるという、思い込みに勝てなかった…自分。


ああ、悪い癖だ……本当に。


点滅するとか、しないとか。

点滅したとか、しなかったとか。

点滅してしまったとか、点滅しなくてよかったとか。


点滅しないはずと思って点滅すると、がっかりする。

点滅するはずと思って点滅しなかった場合も、がっかりする。

点滅しなくてよかったと思いつつ、見てないだけで実は点滅してたのだろうと疑う。

点滅しなかったはずなのにと思いつつ、いいことがなかったのは実は点滅していたせいだと思う。


結局、何を見ても……いい気分にはなれないのだ。


信号は……、運試しをするものでは、ない。

信号を渡るのは……、交通ルールに則って道を横断する必要があるから、ただそれだけなのだ。


『信号が途中で点滅しなければ、いいことがある!』

『この信号が点滅する前に渡りきれたら…いいことがある!』

『信号が途中で点滅しはじめたら、いいことがある!』

『あの信号が青に変わる瞬間を見れたら…いいことがある!』

『信号が途中で赤にならなければ、いいことがある!』

『あっちの信号が先に赤になったら…いいことがある!』


信号に差し掛かるたびに、頭の中にふわりと浮んでくる…おかしな運試し。


運試しの結果が下される瞬間を見ないよう、足元を見て…歩く。

運試しの診断が下されぬよう、目を逸らして…前に進む。


……そんなに、いいことに飢えているというのか。

……そんなに、悪いことが起きる瞬間を恐れているというのか。


信号が青だから、急いで渡ろう。

信号が点滅し始めたから、急いで渡ろう。

信号が点滅しているから、渡るのはやめておこう。

信号が赤だから、青に変わるまで待とう。


何も考えずに信号を渡る……、それだけで、いいのに。


どうして、自分はこんなにも……信号にこだわるのか。


…………。


……実家のすぐ近くにあった、赤、黄、緑の信号を思い出す。


―――あの信号が点滅したら、今日はおやつなしね!

―――途中で赤になったら、出掛けるのはやめね!!

―――信号が黄色だから、今日は悪いことが起きるよ!!!

―――ほら、赤信号で渡れないってことは行ったらダメって神様が言ってるんだよ!!!

―――夜中の赤信号の点滅は不吉だからね、夜中に外に出たらダメだよ!!!


信号の色を理由にして、いろんなことを決定された。

信号に託けて、自分の選択を悪いものだと判断された。

信号を神託のように崇めて、それを当たり前とする日常があった。


幼い頃おかしなルールを強いた人は…もういない。

大人になってもおかしな思い込みで不快なことを口にした人は…もういない。


強いる人は、もう、どこにも…存在していないというのに。


身に染み付いたイメージを、消し去ることが…難しい。

自分には…、信号を見るたびに運試しをするルールが備わってしまった。


……長く生きてきて、良いことも、悪いことも、それなりにあった。


けれど、そこに信号の色が関わっていたかと言えば、それはおそらく、ノーだ。

信号はただの信号でしかなく…、自身の運命を変えるような大役を担ってはいなかった。


もしかしたら、信号が赤だったことで助かったことがあるのかもしれない。

もしかしたら、信号が青だったことで繋がった縁があるのかもしれない。

もしかしたら、信号が点滅して急いだことで目にすることができた景色があるのかもしれない。


けれど、それらは自分が知ることのなかった出来事であり…事実ではないのだ。


無理やり事実を見出そうとする癖も…そろそろ手離したいものだな。


『あの信号が青で渡れたら、嫌な癖が全部消えてなくなる!!!』


私は、遠くにある赤信号の交差点を目指して……、視線を上に向けた。


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