★ simmer:02(完)
姉のリトはもちろんの事、俊哉もカイトの魅力がなんであるかくらいよく知っている。
リトは姉のように母のように見守ってきたからより知っているし、だからこそ守るために武道を嗜んだ。
リトだって人目を惹くし魅力に溢れる人だけれども、それはどちらかと言えば男前であるとかイケメンとか、少し変わると王子様のような、そんな男性的な雰囲気がとても強い。リトよりも、女性的な華やかさというか可憐さのようなものはカイトの方がはるかにあった。父親でさえ、性別を間違えたよねと笑うほど、どちらかと言えばこの姉弟には、まず同性が振り向いている。
しかしそれだからと言ってこれはない。
姉であるリトだって心配が増える夏。心配だとやきもきする材料はいくらでもある。
しかしやはりだからと言ってここまで言えるだろうか。いや、言い過ぎじゃないかだろうか。
リトはそう思わずにはいられない。
「あんた、半袖になっただけでこの騒ぎじゃ、この先どうするのよ」
「あぁ!?」
「リトさんに凄んでどうするのさって、リトさんも睨んで応戦しないで……」
どうどうと、まさに獣扱いで収める俊哉は一つ息を吐く。
「ねえ藤。藤はカイトくんを信じてるんでしょ?」
「どういう意味だ?」
「だからね」
俊哉は自分のために入れた麦茶を一気に飲み干して
「リトさんや俺や藤が心配するような事はしないし、近づかないし、何かあればちゃんと相談したり教えてくれたりするって、信じてるでしょ?」
「当たり前だろ。仮に、悔しいが俺を信用出来なくて言えねぇって事でも、リトや俊哉には言うだろ。自分の手に余る事なら、ちゃんと相談して助けを求められるって、そう言うやつだと俺は信じてる」
「夏で薄着でちょっと汗ばんだりしてる美人で可憐なカイトくんが、なんでもかんでも嫌らしい方向に見る輩に、いやらしい目で見られる事や、何か酷い事をされるのが心配で、そう言う人間がわんさかいるだろって憤慨してて、藤はつまり、カイトくんに何かしらの形で接してくる、どこかの誰かさんを信じてないわけでしょ?」
これでもかといろんな言葉で同じような意味の事を重ねて重ねて言う俊哉に、巽は真顔で大きく頷く。
リトが巽と同じタイミングで小さくうなずいていたのを俊哉は見なかった事にした。
ここで俊哉がそこに突っ込めば、この二人はタッグを組んで話を大きくしてしまうのだ。何せこの二人、仲がいいから。
「じゃあ、それを少しでも潰しちゃえばいいじゃないの。藤の心配をカイトくんにちゃぁんと話して、だからせめてこれだけはやってくれ、守ってくれ、やらせてくれっていいなよ」
「……でも、よう」
俊哉とリトに視線を向け、視線を完全に反らせた巽の気持ちが、二人は手に取るように理解出来る。
巽の事だ。ここで話した事を、もう少し大雑把で荒っぽく少し適当にカイトに言ったに違いない。
多分カイトは大袈裟だなと言いながら、「気をつけるようにする」くらいは言ったはずだ。そう言う心配を適当に流すカイトではない。
カイトに嫌われたくないという、若干ヘタレな側面が目立つ時がある巽は、大雑把で荒っぽく言ったその時、ここで話すほど熱を込めて、真剣に話していないはずだ。それも二人は想像出来る。
本気で話すからどうか解ってほしい。
本気で話してうざったがれたくない。
なんとも藤春巽らしからぬ弱々しさだ。
リトだってこんな巽は巽らしくないと顔を盛大に顰めるほどに、らしくない。
「言いなさいよ。ちゃんと。自分がどう思ってどう心配なのかとか、ちゃんと。高校生のカイトに対して不誠実な男で付き合ってたのよ?これ以上最低な男になりようがないわよ。嫌われ尽くした感じするもの。だからこれ以下にならないって安心しなさいよ。どんなにうるさい事を言っても、それが自分を心配しての事だと解れば、カイトだって嫌だなんて思わない。あんたが口うるさくいう事を、あの子は嫌がったりしない。あんたは、あの子が気持ちを忘れられなかった、捨てられなかった人なんだから」
目の前で悄気る巽をリトさえ素直に励ます。
「あの子が、自分のそういう気持ちを認めて、また向き合おうって努力している気持ちも、信じなさいよ。それも信じられないなら、あの子がちょっとシスコンである事を利用してでも別れさせるわよ」
巽がリトを見た時、リトはまるで巽を見守るように優しく笑っていた。
ジャケットは脱いで後部座席に、ネクタイは緩めたまま、シャツは捲り上げて。
仕立ての良さなんて関係ないと言わんばかりの扱いをした巽は、アチィと呟いて車に寄りかかっていた。
カイトの予定は、「あんたがお姉様って嫌味ったらしく言わないから、調子が狂うじゃない!さっさと情けない面でカイトに言いたいコトを言ってきなさいよ!」とリトに倉庫から追い出された時に教えてもらえた。そろそろここを通って駅に向かい、電車に乗る予定だ、と。
どう見てもサラリーマンに見えない巽は視線を集めたが当の本人はやはり気にしない。というよりも今はカイトになんと言えば一番マシかなんて、やはり藤春巽らしからぬ事で頭がいっぱいである。
「──────あ、え?た、巽さん?」
ぐるぐるいじいじ、と悩む巽を見つけたカイトに声をかけられるまで気がつかないほど、巽はぐるぐるいじいじと悩んでいた。
それから少し経っての車内。
適温のそこではカイトが年相応な顔で笑っていた。
「笑うんじゃねぇよ」
「だって、あはははは、ふふ、ふはははは」
結局なんというのが一番マシが解らなかった巽は、逃げられない車内という個室を利用し車を走らせてすぐに、真剣に大真面目な顔で全てを吐露した。
真面目な顔で話す巽に、同じく真面目に耳を傾けていたカイトだが
「だって、だって、はは、最後に『男なら、解るだろ?俺は、お前で初めてそういう気持ちが解ったから、なんとも言えねぇけど』だなんて、もう、あの兄さんにさえ『下半身節操なし野郎』なんて言われた巽さんが、そんな、中高生みたいな、ははは」
「……俊哉、下半身節操なし野郎なんて言いやがったのか」
「似合わないよね、あのさわやかな顔で、しれっというんだもの」
ツボにはまったカイトの笑い声と俊哉の言葉に気落ちした巽は、赤信号で止まったタイミングで眉間をグリグリと揉み解す。
「ねえ、巽さん。心配と嫉妬、してくれるんだね。こんなに思うほどに」
眉間にしっかりシワを刻んだ巽に、カイトはゆったりと話しかけた。
「当たり前だろ。お前、自覚してるだろう?モテるんだよ!ノンケでさえくらっとしちまうんだよ。嫉妬するか?するに決まってる!心配なんざ、嫉妬もだがな、他人に売るほどするぞ」
「売るって、もう。でも、そっか」
巽がちらりとカイトを見ると、カイトの横顔は穏やかな笑みを浮かべている。
嬉しそうな、幸せそうな、そんな感情がふわりと漂っていた。
「夏服を買い込んできて、今年はこの中で着回せって放り投げてきた時、何かと思った。そのあと、同じような話をされたけど、あの時はね、こんなに本気だなんて、ごめんね、ちょっと思ってなかったんだ。心配させないようにするって、そういう気持ちで頷いたのは本当だけど、巽さんの本気度合いが、解らなかったんだ」
カイトの指が手持ち無沙汰でシートベルトをいじる。
信号が青に変わって、巽はゆっくりアクセルを踏んだ。
「巽さん、俺、恋人には真摯に向き合いたいって、思ってるんだ。今、巽さんが、俺に真正面から向き合って見つめてくれるように」
カイトは自分の口元が緩く上がっている事を自覚している。
やり直してから巽は素直に気持ちを伝えてくれていた。
今はそれがカイトは嬉しい。ああ、真剣にやり直そうと、やっと付き合えるんだと思えるようになって、嬉しかった。
しかし、嫌われるのが怖いと、そう言われてなんとも言えない気持ちが心ではじけた。
弱々しく「うぜえなって、嫌われたら、嫌じゃねぇか」なんていう巽の言葉が「愛してる」と同意語で、カイトには愛してるより不思議と愛を感じてしまった。
あの、無駄に自信家で、嫌われるなんて考えてなかっただろう巽が今はそんな弱気になる程、自分と深く付き合おうとしている。巽の奥深くに自分を迎え入れてくれている。
失いたくないと心から願って、失わないように必死でいる。
そう感じて、カイトは口元が緩む。
もちろん、この一件で「もうすっかりばっちり信じちゃった!」なんて事にはならないし、カイトの心にある傷は今も「まだ許さないんだから!この不誠実男!」と声高に叫ぶけど、その声が止んでしまう程に、カイトの心をついたのだ。
「巽さん、この夏、巽さんに時間がある時に、俺がどこかに行きたい時は、車を出して?暑いから、車で行こう?無理な時は、電車で、巽さんに時間があればちゃんと誘って行くよ」
視線は前に向けたまま、けれどもカイトの言葉に目を丸くした巽にカイトは笑う。
「全部巽さんと一緒なんて無理だけど、でも、行ける時は、ね?」
「おう。金森に何でもかんでも押し付けてでも、カイトを優先してやる」
「それはダメ。金森さんが可哀想だし、社会人として、アウトだよ」
「チッ」
舌打ちをした巽にカイトは「だから」と加えて
「一人で行く時のために、一つでも心配事を減らしたいから、この夏だけは、巽さんが持っていたっていう噂のGPSも持つし、防犯グッズも巽さんの望むものを持つよ」
「おう」
「それに、洋服も気をつける」
「おう」
車が駐車場に止まった。漸く巽の妙に長い1日もあとわずかとなった。
「巽さんの愛に、俺も愛と誠意で、向き合うよ」
この心配と嫉妬も愛なのかと目で訴えてきた巽に、カイトは笑顔で返事をする。
「情けねぇ俺の嫉妬心や束縛や心配が、それすらカイトに愛になって届くなら、俺は情けねぇ全てを真面目に吐き出して、カイトに押し付けてやるよ」
乱暴にシートベルトを外した巽は、カイトのシートベルトも壊す勢いで外して、あちこちに体をぶつけながら狭い車内でカイトを強く抱きしめた。
「あ、そうだ!巽さんのおうちでは、部屋をとっても涼しくして、長袖にしようか?」
「俺の、中高生になっちまった俺の楽しみを減らすなよ」
この夏、友人を存分に呆れさせた巽は、また一つカイトの心に寄り添えたようである。
巽の頭には、「感謝なさいよ」と仁王立ちのリトが浮かんだ。