★ make a pickoff throw:02
初日はぎこちないもののなんとか乗り切った。
俊哉が選んだ初日の今日は、月の中でも客の少ない日。
客のいない時は俊哉の『花屋講座』で時間が流れ、カイトは大学の講義よりも楽しい時間を過ごした。
花に特別な興味があるわけではないカイトだが、俊哉の教え方が良いのか、もしこれがもう少し子供であれば将来の夢は迷わず花屋一択になっていたと思うほどに『花屋講座』は楽しい。
それから二日目三日目四日目と、俊哉は倉庫作業の時間をやりくりし、カイトを殆ど一人にしなかった。
お陰で花束もなんとか形になるようにするコツを覚えたし、途中心配のあまり様子を見に来たリトに「カイト、ちゃんと花屋さんしてるのね」と安心させる事が出来た。
もし何か問題があるとすれば一つだけ。夜帰ってくる巽に
「ナンパされてねぇだろうな?ん?」
とただいまの前に言われているくらいで、巽との生活だってカイトが思うよりずっと楽しくて良い。
この日もそう。
夕飯を何しようかと冷蔵庫の前に立ったカイトは、頑張って禁煙に励む巽の好きなものを作ろうと思い立った。
無性に巽の笑顔が、嬉しいと全面に押し出した無邪気な──と思うのはカイトだけなのかもしれないが──笑顔が見たくなっての事だ。
(巽さんの、笑顔、みたいな)
この生活を始めて一週間ほど、巽の機嫌がアルバイト関連を除けば大変良いのが手に取るように解る。
その上巽の言動ひとつひとつに、今までより深い愛が詰まってる気がするほど、巽のそれらは至極優しく味があるなら確実に甘い。
愛されている事。それは言葉が多少“歪”でも相手と向き合っていれば伝わるとカイトは思っているし、生まれ変わった巽がそれを証明もしてくれる。
それがこれほど、もしかしたら日々強くなる事があるなんてカイトも思っていなかった。
しかもそれによってカイトは驚く程に幸せな気持ちになる。
(巽さんが少しでも、俺の何かで、幸せになってくれたら)
父親に言われた『君にその時がきたら、君の心が定まった時からでもいいから、カイトも巽くんをうんと幸せにしなさい』この時が、カイトは自分が思うよりも早く訪れる気がした。
それを実感したのは、帰ってきた巽への「おかえり」に込めた気持ちの大きさだろう。
また別のある日の夜。
「カイト、困ってる事はねぇか?メシだって、そりゃ、お前のが食いたいっちゃ食いたいんだが、無理しなくて良いんだからな?」
「大丈夫だよ、巽さん。巽さんに、作りたいんだ」
一緒に食べれないだろうから、先に食べて欲しい。遅くなると連絡をし帰宅をした巽の前に並んだのは、本日の巽の
夕飯。
「と言っても、今日は食べて帰ってくるかなって思ってたから、これだけど」
ネクタイもジャケットも取り払った巽の前に鯛茶漬けと巽の好きなごぼうサラダが並ぶ。ご飯の上に鯛と霰が乗っており、巽が席に着いた所でカイトが上から出汁をかけ、上に三つ葉と柚子の皮をのせた。
「お茶が良かった?」
かけた後でカイトが聞くと、巽はどっちも好きだと言う。
「カイトが作ったら、なんでも好きだ」
「なら、ほうれん草のお浸しも、出そうかな」
「それよりも牛肉のしぐれ煮作ってたろ?あれが良い」
「はいはい。ほうれん草も出すね」
巽がごぼうサラダを口にしているとお浸しとしぐれ煮の小鉢も並んだ。
「俺はこの生活を終えたらすぐ、健康診断を受けるべきかもしれん」
「なんで?」
巽の正面にレモンとミントを浮かべたソーダを持ち座ったカイトに向け、巽は笑う。カイトが見たかった、無邪気な笑顔だ。
「絶対にいい結果しか出ない」
「俺がいなくても、いい結果しか、出さないで。あんまり不摂生を自己申告すると、お弁当も持たせるよ?」
野菜尽くしで、と付け加えても巽は笑顔を保ったまま「それもいいな」と言うだけだった。
次の日、巽はカイトを大学に送ってから職場に向けて車を走らせていた。
赤信号で止まった時、ふと助手席に目をやると紙袋がシートの上に残されている。
信号が変わると巽は路肩に車を停め、紙袋を膝の上に乗せた。中を確認し、カイトに連絡しようと思ったからだ。
中を覗くとまず目に付いたのがメモ用紙。巽はこのメモ用紙をカイトにプレゼントした人間がすぐに解った。
ファンシーな猫。これだけで充分。リトだ。
メモは紙袋を覗けばすぐに読めるように置かれていて、巽は自然とその文字を追っている。
「いらねぇなんて、あるわけねェよ。こりゃ豪勢な昼飯だなァ」
鼻歌を歌いそうな巽は紙袋をシートに戻す。
メモはしっかりとそのままに。
──────お昼ご飯もちゃんと野菜を食べてね。いらなかったら、誰かにあげてもいいし、持って帰って来てくれてもいいから。お仕事、頑張って。
メモだって、捨てられそうにないと巽は思った。
弁当を腹に納め、まさに“ご機嫌”な巽は気分のいいまま花屋にカイトを迎えにいく事にした。
カイトの上がる時間は聞いているから、それより少し早く行けばいいだろうと車を走らせる。
殆ど信号に邪魔されずに着いた時は、「今日はなんていい日なんだ」と思ったのだが
(おいおい、俺は聞いてねぇぞ……)
倉庫の駐車場を借りようと花屋を通り過ぎる瞬間、店の前に出てきたカイトは女二人に何やら話しかけられていた。
話だけなら巽は気にしなかっただろうが、その女の雰囲気に巽は思い当たる節がありすぎる。
あれは、そう。媚を売る人間の色だ。
引きつったものの、その場で眉間にしわを寄せるだけに留めた巽は、当初の予定通り倉庫に車を置き徒歩で花屋に向かう。
巽が花屋に着く頃にはカイトと俊哉だけになっており、俊哉は巽の顔で全て悟ったのか「いつも通りだったよ、カイトくんは」と一言。しかしこれですべてまるっと巽に話してくれたも同然だ。
つまり、ああいう女にカイトはこれまでもまとわりつかれているのだ、と。
カイトに言い寄る人間がいる事は、男だろうが女だろうが気に食わない。カイトは言い寄られるほどいい男だ、そう言って笑える余裕がまだ巽にはないのだ。
カイトと、本当の意味でやり直すまで──もしかしたらそうなっても──今の巽にはそんな余裕が生まれやしない。
むしろ散々浮気をしていた時の巽の方が笑って見ていられた。
カイトに向ける愛を知り、どれだけカイトを思うか実感した巽はまるで恋愛初心者のしかも酷い束縛体質のようで、自分自身が恐ろしい。
でも、思う。
カイトがあの日、過去に戻れても今があるからやり直さない、そう言ってくれたから。それを信じて巽は思う。
それなら、格好悪く嫉妬する姿をいくらだって見せてやろうじゃないか、なんて。
若干開き直っているかもしれないけれど、巽は本気でそう思っていた。
だんまりの巽を不思議そうにカイトは見つめる。
運転中の巽が正面を向いているのは解るが、それでもなんだかぎこちない。
迎えにきたと言った巽は、ずっとこの調子でカイトは首を傾げるばかりだ。
「巽さん?どうかした?」
「いや、べつに」
「そう?」
カイトは思っても巽はきっと言わないだろうと思うから、話を変える。
「そういえば、巽さん。お弁当、食べてくれた?」
「おう。うまかった」
「残さず、食べた?」
「当たり前だろ?誰にもやらなかったぜ。まあ、野菜は確かに多かった気がしなくもないが、うまかった」
「よかった」
安心しきった笑顔を横目で見た巽は、赤信号なのを良い事に素早くカイトの唇にキスをして、姿勢を正す。
「まじで、嬉しかった。いいな、愛情っての?この野菜らもカイトが心配して詰めたんだなァって思ったらよ、愛おしかったぜ」
キスされて跳ねた心臓を落ち着かせる間も無く、穏やかな声の巽の発言にカイトは恥ずかしそうに俯いた。
「愛おしいなら、いつも、食べてよ。積極的に」
「ああ、カイトが作ったもの限定ならな。お前が俺のために作るから、愛おしいってだけで、それ以外は知らねぇよ」
愛おしいなんて言われたのならば、もっと愛を込めて野菜を調理し食べてもらおう。
カイトは、リトや父親に対しても似たような事を思ったと思い出して笑った。




