★ paternal love.:01
「僕はね、巽くん、父親失格なんだ」
そう切り出したのは、この家の家主、須藤ケイト。
「カイトの事を思えば、早く離婚しなければと思っていたのに、カイトの事を思うから、それに踏み切れなかった。あの子があの時傷ついても、それは父親の自分が取り除いてあげれる。そう自分を信じられなかったんだ。それはね、僕の中で父親失格なんだよ」
カラン、と机の上のグラス中、氷が音を立てた。
「君が、リトに言わせると『カイトをとことん傷つけて、泣かせて。私はアイツを殺したい』と、そんな男であると聞いてはいるよ」
巽は何も言わずにただじっと、目の前のケイトを見ている。
きっとリトが男であれば、歳をとった時にこんな顔になるのだろうと思えるほどに、リトにそっくりな父親だ。
「君がカイトに何をして、どう傷をつけて、泣かせたか、それを父親として聞くべきかもしれない。でもね、その時期はとうに過ぎたと思っているんだ」
「どうして、ですか」
掠れた声は多分、巽が緊張しているからだろう。
巽はこのリビングが妙に蒸し暑く感じている。
「あの子は……、君もきっと知っているだろう。あの通りの子なんだ。母親に母親を期待して、子供だからこそ期待して待ちすぎたんだろうね。あれからずっと、あの子はあっさり、人を、思い出を、切り捨てる子になってしまった。そんな子が、君とまた付き合っている。カイトがそうすると決めたなら、カイトが悩みながらでも受け入れたのなら、僕は君とカイトの過去を聞き出して怒鳴りつけてやろうなんて、思わないんだ」
それに、それはきっとリトがしただろうから。と苦笑いで告げるケイトに巽は肯定と取れるだろう曖昧な笑顔を返す。
「君は、家族や親族の人で、心から信じている人はいるかな?」
突然の質問に巽は逡巡する。
思い浮かべるのは、何だかんだ言って末っ子だからと助け甘やかす姉と兄、そして未だにきっと死ぬまで誰より自分に傾倒する危ない男だった。
「はい」
彼らは巽を裏切らない。裏切る事は決してないと巽は信じている。それぞれがそれぞれらしい、時に不器用で時に優しい愛情をくれた事を、巽は忘れた事はない。
「なら、分かるかもしれない。僕はね、リトとカイトを信じている。あの子達はまだまだ子供だと僕は思っているんだ。歳はあの通り、リトなんて結婚もしたけれど、僕から見ればまだ子供。それでも、あの子達は正しく生きていけると信じているんだ。姉と弟、助け合って手を取り合って支えて生きていける、と。若干、リトが過保護すぎるきらいがあるけどね」
クスクスと笑う顔は、リトよりも少し柔らかい。
「だから、あの子達が愛され、あの子が愛したい人と付き合っているその時は、幸せであると信じているんだ。僕は、父親としての自分をなかなか信じられないけれど、子供達を信じている」
だから、君とカイトの交際を反対する理由はないよ。
真面目な顔で正面から言われ、巽は膝の上の手を握りしめた。
本気でケイトは言っている。
カイトの事を信じている。それだけではなくて、巽の愛を信じている、と言ってもいるのだ。
「ありがとう、ございます」
他にも言い方がありそうだけれど、巽はこれ以外に浮かばなかった。それでもケイトは幸せそうに笑うから、これで良かったのだろうと思う事にする。
「君が、君自身の家の事、カイトに言うか言うまいか、悩んでいるとリトから聞いたよ」
「は……」
「あの子はどうにも君には素直になれないらしい。君を心配していた。『バカなのよ。言えばいいのに。それでカイトが離れるなんて思うなら、さっさと自分から離れればいいのよ。何年私があんな駄目男と友人してると思ってるのよ。私が、あんな男、俊哉のお願いだからって結婚式に呼んでやるのよ。俊哉が私にお願いしたってイヤなモノはイヤって言える私が、どうして呼ぶのか、なんであのバカ理解出来ないのかしらね。バカじゃないのかしらね。バカよりバカ』と僕の財布の事情なんて知ったことかと、まあしこたま飲まれてしまった。君への愚痴と心配を肴に、あんなにお金を使われるなんてね」
あはははは、と笑う。
「僕は、君の家の事は知ってはいるが、家族の事は何も知らない。でも、巽くん、君が今、真摯にカイトと向き合っている事は解ったよ。だから、カイトの気持ちを信じてやってほしい。そして勇気が出たら、話してやってくれないか。あの子は多分、気にはしてるよ」
ケイトの指がグラスを撫でる。
カラカラとなる氷はずいぶん小さくなった。
室温は今も適温で、巽はケイトと話し始めてからよりも随分その温度が心地よくなってきた。
巽のグラスの中身は少しばかり色が薄くなってきている。
「それで、出来る事なら一つだけ、僕と約束をしてほしいんだ」
ケイトはグラスの中身を飲み干して言った。
「カイトと巽くんが、この先別れても別れなくても、それは君たちの意思だ。巽くんにカイトと生涯共にしてほしい、と言うつもりはないよ。これは僕が頼む話ではなくて、君たちの、君たち自身の大切な人生の話だからね」
巽の事を、巽のを思いを信じていないのではなく、これがケイトの価値観なんだろうと巽は思う。
子供が傷ついたら怒るし、子供が誰かを傷つけたら怒る。子供が幸せに笑ってくれたらそれでいい。普通の親のケイトの、これが子供に向ける信頼の一つなのだろうか、と。
「ただ、カイトとどんな形で離れ離れになったとしても、その時までカイトを幸せにしてもらえないだろうか。君だけにそうしてほしいと言う事ではなくて──────僕はね、カイト、君にその時がきたら、君の心が定まった時からでもいいから、カイトも巽くんをうんと幸せにしなさい」
巽への言葉がいつの間にかカイトへの言葉に変わり、巽は首を動かし玄関に続く扉を見た。
そこには驚きでいっぱいの顔のカイトが立ちすくんでいて、口をパクパクを開けているものの言葉にならず困惑している。