say goodbye, say hello.:01
その光景を見た巽は、彼らしくもなく眉間に寄ったシワを揉み解す。
放っておくという選択肢がないわけではないけれど
(たまにゃ龍二に優しくしてやっか)
なんていう心持ちで見ないふりと言う選択を捨て、巽は進行方向を変えた。
明るい色のデニム生地のウエスタンシャツに黒い細身のカーゴパンツ、インナーの白いTシャツと服装はシンプルで飾りっ気もなくいたって普通だが家柄的に──という事にしているそうだ──鍛えてしまった体つきがよく解る。
そんな巽は面倒臭そうな顔を隠さず、見つけてしまった人間の背後から近づいて、その人物の肩に手を置いた。
「真昼間から何してんだよ、お前は」
肩越しに覗き込んできた巽を目を丸くして見つめ返したのは、可愛い顔と小柄な体に見合わない愛を注がれている澤村奏だ。
「た、巽さん!?」
「往来で面倒くせぇ事してんじゃねぇよ、まったく」
言って巽が肩においた手を離し体を離すと、奏は体ごと振り返った。
「違う!これは本当に違うからね!」
「なに、じゃぁこれは奏の望んでないナンパなわけな」
大きく頷く奏に深い溜息をプレゼントし、巽は奏の腕を掴んでいた男をその鋭い眼光でみる。
ひくり、と頬をひくつかせた男に
(俺にビビってんなよ。俺はしがないただのやろーだっての)
なにが“ただのやろうだ”とリトあたりが聞けば突っ込むだろうが、巽はそう心で呟いて
「やめとけ、俺にビビってる野郎にこのお子様の面倒は見きれねぇよ。ボコられたきゃ止めねぇけどよ」
巽は言葉遣いも声色もなるべく優しくし、しかし相手の未来を慮って目付きは鋭く相手を刺すように向けて言えば、男は息を飲んで逃げるように走り去った。
逃げる背中を見つめていた巽の隣に立った奏は、巽のシャツをクンクンと引いて巽の意識を自分に向ける。
「巽さん、ありがとう」
「で、お前、龍二はどうした。何してんだよ」
「いないから、ピザ食べ放題コーラー飲み放題しようと思って遊びに来てた」
「……俺は用事があるから付き合えねぇけど、誰か呼ぶからくるまでここで付き合ってやる」
「金森は死んでもやだ」
「よっぽどのアホじゃないかぎり、お前と龍二に金森なんて劇薬混ぜやしねぇよ。たてよこ呼ぶんだよ」
言って奏の反応は待たずにスマートフォンを操作し返信を待つ。巽から連絡をする事のない相手──────いや、しない方が自分の心の平穏のためにはいい相手だが、この場合は彼らが適任だ。
返信はすぐに来るだろうと巽は液晶を見ていたが
(返信早過ぎるだろう……)
早さに頬を引きつらせつつ、届いたメッセージを奏に見せる。
「来てくれるってよ。ただし、龍二に俺がたてよこに連絡したっていうなよ?あいつ、絶対にぶちぎれるからな」
「龍二さん、巽さんに過保護だからね。龍二さんってやっぱり巽さんの保護者?お父さん?」
「あんな親父も保護者も俺は嫌だね。勘弁してくれ」
たてよこと巽が表現した二人組が到着したのは巽の想像よりもかなり速く、二人は「トノが俺たちを頼ってくれたよ!」と涙を流しかねない感動っぷり。二人のその言動は今に始まった事ではないが、今日も巽は二人の“気迫”に気圧され、奏を力任せに二人に押しやった。
「世話は頼んだからな」と言って逃げてきた格好になった上にまさに“力任せ”だったから、押しやられた奏はさぞ痛かっただろう。
巽は歩幅大きく待ち合わせ先に向かう道を歩きながら、奏に聞かれた事を考えていた。
奏は巽にそれを聞いた際、「俺はそう思った事、うーん、たまにあるかな」と自分の気持ちを吐露している。
意外な言葉だったがそこから「あの時のやり返しかたとか生温かったんじゃないかって、後悔してるコトがいくつかあるんだ」と続けられ、巽は「そういう方向でかよ、お前なあ」とがっくり肩を落としてしまったのだが
(ま、あいつにそういう純粋さを求めるのは、今更って感じだからな)
可愛い答えでなくて当然かと息を吐く。
(俺は、どうかな)
昔なら、もっと前ならなんと答えていただろう。今の自分とはきっと違う事を言っていたんだろうと巽は思う。
何気なく聞いただろう奏の言葉は、なかなかの威力を持って巽の頭を悩ませた。
待ち合わせの場所についたカイトが、壁にもたれて立つ巽を発見するのは待ち合わせ時刻より五分ほど早い時間の今。
約束に間に合うまでと頼まれ義理の兄俊哉の花屋の手伝いをした後で、店番も兼ねていたカイトの服装はシンプルな黒いノーカラーのロングシャツ、ボタンを一つも掛けず中に着た白地に刺繍がされたシャツ──妙にリアルなブサイク目の三毛猫の刺繍、なんとリトがちくちくと暇に任せた作った作品である──を見せ、デニムのスリムパンツに身を包んでいる。俊哉曰く「均整のとれた体格を見せつけるにはばっちりの服装だね」らしい。
そんな俊哉の言うばっちりの服装のカイトは、巽の様子に首をかしげる。
巽と寄りを戻してから、待ち合わせをしてどちらが先にそこに着いたかという事は関係なしに、巽はカイトを探してくれた。
巽が先に待ち合わせの場所についたとしても、つねに巽は人混みから唯一を探す。
巽はまるで管制塔で航空機を整理する管制官のように、人の顔を判別しあっという間にカイトを見つけ、滑走路にバウンドせず着陸する飛行機のようにスマートに、優しい笑顔とともにカイトの元に歩み寄る。
そんな巽は今、カイトを探す事もなくただなにかを考えるように立っていた。
(だから、なにってわけじゃ、ないけど)
寂しいと言われたらそうだろう。
あれからの巽は今までのカイトがそうだったように、カイトに対して高性能のレーダーを装備し探してくれる。
それがカイトの心にちょっとした──ちょっとでは本当はないのだろうけれど──充足感を生み、安心を信頼を積もらせた。
そうではないからと言って、降り積もったそれらが雪のように消えていくわけではないけれども寂しさ──────カイトが素直になれるならつまらないだろうか。
その上、何で巽が考え込んでいるか解らないくせに、その何かに嫉妬も生まれる。
自分を探すより大切な、何かを見ているの?何かを考えてるの?
なんて。
「巽さん」
ちょっと刺々しくなったのは、カイトが無意識に“牽制”したからだ。
相手はちらちら巽を見ていた街行く人たち。
「お、悪い。ついてたんだな」
「うんん、今さっき」
何考えてたの、とは口から出てこなかった。
(なんだか、悔しから言わない。なんて、そんな子供じみた理由じゃない)
カイトは自分に言い訳をして笑顔を作れば、巽の手がカイトの頭に乗る。
優しく髪の毛を梳いていたその手は、当然のように頬を撫でて離れていく。
優しく甘いスキンシップは、巽の得意な可愛い牽制。巽がここで本気で牽制なんてしようものなら、カイトの小言が待っている。
小言が待っているくらいだから巽が辞めるなんて事は一切ないが、今はそこまでするつもりはないようだ。