10
巽とカイトは二人で歩いて河原に出る。
ここの河原は綺麗に整えられており、季節を問わず散歩をする人やランニングする人が多数いるが、この季節はやや少ない。
一番多く人が集まるのは夏の夜、
(花火大会か)
あの日も巽は浮気をした日だった。
「カイト」
低い声が耳に心地が良くてカイトは眉間にしわを寄せる。
(まだ俺は怒ってるんだ、この人に)
許せない。腹が立っている。無関心になりたいのに。と呪文を繰り返す。
「なぁ」
足を止めたカイトを巽は振り返った。
カイトはやはり眉間にしわを寄せたままだ。
「許せない。怒ってるんだ。初めてだっ、こんな風にっ」
カイトはしわを寄せた顔を地面に向ける。
「父さん、姉さん、それに兄さん、この人たちとは何があっても俺、無関心になれない。家族だから。喧嘩して別れて、離れ離れになっても、悔やんでなんとか傍に戻りたいって、足掻くくらい、無関心になれない」
「ああ」
「今まで、どんな事があっても、他人は他人でよかったのに、巽さんはどうして俺に元彼氏なんてのを残したんだよ!今まで、そりゃ、少ないかもしれないけど、大切にしてた恋人と別れた時も他人であって、何かを向ける元彼女にはならなかったのに!感情を向けたりなんて、しなかったのに」
「ああ」
「ひどい、こんなにむかついてるのに、イライラしてたまらないのに、あんたなんて、嫌いなのにっ、あんたはいつまでも、俺の、俺の中でこんなふうに、嫌いって居座って!現実でもこうして、俺の前に現れてっ!なんで、俺の前にあんたがくると、俺はこんな風に、簡単に、こんなふうになる」
「そりゃ、よかった」
「なにが!」
怒りを露わに顔を上げたカイトの真ん前には、眉間にシワのない笑顔の巽が立っている。
180センチ近くあるカイトが見上げる長身の巽。自慢の顔はいつだって自信に満ち溢れているのに、今は笑顔にもかかわらずそれに陰りがあった。
「無関心じゃなくて嫌いなんだろ?」
「だからなんだよ」
「嫌いなら、好きに出来るかもしれないからだ」
カイトは口を開けたまま言葉を失う。ゆったり考えても出てこない。
考えても言葉は出てこないが、ある日の事を思い出す。
別れた彼女に復縁を請われた時だ。「嫌いになったなら、また好きになってもらうから」と言われてカイトは首を振った。嫌いじゃなくて関心がないのだ。好きになれるはずもないのにと、カイトは首を振った。
そう、これではまるで、まだ可能性があると言っているようなものだった。カイトだからこそ、「嫌いだ」という言葉は大きな意味を持つのである。
「拾えなくていいぜ」
「は?」
「俺が、今度はお前を拾うんだよ。捕まえて縛り付けて、今度こそ、お前と、お前がいう、本当の付き合いをしたいから、カイトを拾うんだって言ってるんだよ」
さらさらとカイトの髪を巽が梳く。
大きな手が優しくて、カイトは優しいこの手を思い出したら鼻がツンとした。
「泣くなよ、頼む。お前への気持ちに向き合ったら、お前に惚れてるって心底自覚したらよ、カイト、お前が泣いたところを思い出すたび痛ぇんだよ」
髪を梳いた手が額にかかる前髪を避ける。
そこに、ちゅっとキスが落ちてカイトは両手で巽を押しやった。
「なに、なにして!」
「アプローチ。これに関しては前と同じやり方しかしらねぇからな」
いけしゃあしゃあと言ってのけた巽に、カイトはあの時、前のアプローチを思い出して羞恥で顔を真っ赤に染める。
所構わずキスをして、触って、耳元で好きだと言って。
(そうして染めていくんだ)
最初は嫌だったのに、いつからそれもいいと思ったのか。もうそれを思い出せない。しかし心地よくなった事実は思い出せる。
巽のそれが、カイトには心地良かったことを。
「怒ってる。信じられない。無理」
「解ってる。信じさせる。無理じゃない」
まっすぐな瞳に負けたからだ、とカイトはダッフルコートを握りしめ、顔を逸らした。
仕立てのいい生地がぐしゃりと歪む。
「裏切り者だよ、巽さん。俺は初めてだったんだ。“家族”以外の人に、寄りかかれたのなんて。寄りかかっていいと、スペースを作ってもらったのなんて。それをあんたは裏切ったんだ」
息を吸う。吐き出して。
「怒ってるから、信じないから、無理だから。拾えない」
言いきって巽に背を向け歩き出す。家まで遠回りになっても気にしない。巽の横を通ったら捕まえられると彼は知っているから。
「怒ってていい。信じさせるし無理じゃねえよ。俺が拾うからな」
言葉に捕まるなんて知らなかったとカイトは思った。
足が止まって動かない。
「だから、マイナスからでいい。またアプローチするからな。今度はお前だけ、一人だけ。五回目でひろいあげるぜ?」
真後ろから聞こえた声に五回じゃ無理だと思ったカイトは『何回なら良いのだろう』と、五の倍数を頭に並べた。
しかしそれもすぐに答えがでないから、巽に背を向けたまま叱咤し漸く動きそうな足をただ、前に動かす。