85・幕間 マレッサピエー攻防戦
炎の海が戦場を燃やし尽くしている。
魔獣の群れもゴーレムの軍勢も切って捨てた勇者である是妻ギガンウード拓介ですら、その炎の前には手も足も出ずにジリジリと広がっていく炎の海を歯噛みして見ている事しかできずにいた。
炎の海は防壁も土塁も砦すら飲み込んで、全てを灰燼に変える。
水魔法での消化はもはや溶岩に水滴を垂らすが如く意味がなかった。
水が炎にかかる前にその熱であっと言う間に蒸発してしまう。
眼前に広がる炎の海を前にマレッサピエーの兵士たちは混乱状態に陥っていた。
「奴だー!! 地獄を生み出す炎の悪魔!! あのくそったれの放火魔だ!!」
「もっと水を!! 急げ!! ありったけの水魔法を撃つんだー!!」
「ダメだ、に、逃げろー!! 早く炎から離れるんだー!!」
「あぁ、クソ!! まただ、またこの光景だ!! ちくしょう、勇者様でもあの炎の悪魔にはどうにもできないのかよ!!」
マレッサピエーの兵士たちの怒りや嘆きの叫びが戦場に響く中、その男は悠然と自陣からその様子を眺めていた。
炎の海を生み出した存在、マレッサピエーにおいて最も毛嫌いされ恐れられている最高位の貴族級魔族。
魔王国の双璧の一人、獄炎のバルディーニ。
「まったく、吾輩が臥せっていた間にここまでマレッサピエーに攻め込まれていたとは。情けない、魔王国の精鋭が聞いて呆れるぞ」
「はっ、申し開きもございません。ですが、さすが魔王国の双璧であり元帥たるバルディーニ様のお力、奴らにとっては一年前の再演、逃げ惑うのも必然でございます」
「ふん、セルバブラッソの騒ぎに乗じた侵攻、あの騒ぎが収まれば撤退する程度のお遊びよ。マレッサピエーにアレの支援をさせぬ事が本命。あの黒い巨人どもとアレが上手く潰し合ってくれればとの目算だったが……。まぁ、この吾輩を容易くあしらった男だ、そうそう上手くはいかんか」
「報告に上がっているセルブラッソの黒い巨人ですが、やはり高濃度の死の呪いに汚染されており、ただそこに居るだけでセルバブラッソの土地は死に続けている様です。このままですと、数日もすれば魔王国にも被害は及ぶ模様、早急な対応策を講じる必要があるかと」
「ふん、あの黒い巨人の体が突如として消えている現象を情報部はなんと言っている?」
「は、はい、何らかの要因で死の呪いを取り込んだセルバの暴走により引き起こされたと思われる黒い巨人ですが、恐らく取り込んだ死の呪いが強力過ぎた為に自身を構築している物質すら自死させているのでは、との事です」
「はッ、笑わせるわ。所詮は戦いのイロハも知らぬ奴らよ。あれは自死などではない、黒い巨人と戦っている一人の男が消し飛ばしているのだ」
バルディーニの言葉に副官の魔族はそんな馬鹿なと笑った。
それを見て、バルディーニはふぅとため息をついた。
「吾輩の副官であるならば遠見で見える物だけで判断をするな、この距離からでもあの男の圧と魔力は世界を揺るがしているのが分からんか? 奴こそ吾輩の顔に、エリクサーですら癒せぬ傷を刻んだ男だ。魔王様はアレとの敵対行動を全面的に禁止としたが、いずれ必ずや、吾輩の顔に傷を刻んだ事を後悔させてやる……」
バルディーニは怒りに顔を歪ませ、体から溢れる魔力が熱を帯びていく。
そこに、慌てた様子で魔王国の兵士がバルディーニの元に走ってきた。
「ほ、報告いたします!! でてきました、奴です!! マレッサピエー宰相、オラシオ・エスピナルが戦場に姿を現しました!!
「ほう、もう動いたか。この事態を多少なり予期していたと言う事か。さすが『十一指』の一人だ。吾輩が自ら出る、他の者ではあやつの相手は荷が重い」
パチパチと火花を散らしながら、バルディーニはゆっくりと戦場に向かって歩きだした。
眼前に広がる自らが生み出した炎の海が、突然空中に現れた大量の水が引き起こす津波に飲まれていくのを見て、バルディーニは満足そうに口角を吊り上げた。
「素晴らしい、こうでなくて。弱者を踏み潰すは容易、虐殺とはつまらないものだ。抵抗する強者を屠ってこそ。そうは思わんか?」
「バルディーニ様のおっしゃる通りでございます。強者を討つ事こそが魔族の誉なれば」
「うむ、よろしい。では行くぞ。共を許す」
「ハハッ!! ありがたき幸せ」
副官を伴い、バルディーニは戦場に広がっていた炎の海を全て消し去り、今まさに自分はおろか自陣すら飲み込む勢いで迫る津波を前に悠然と腰からサーベルを引き抜いた。
そして、その切っ先を津波へと向ける。
「笑止、この程度の水遊びで吾輩の獄炎を消せるとでも思ったかオラシオ? 不遜であろうが」
切っ先に小さな炎が灯る。
「獄炎剣」
バルディーニがそう呟き、軽くサーベルを横薙ぎに振るう。
ただそれだけで、迫る津波と同程度の凄まじい炎が溢れ出し、津波を全て相殺、蒸発させてしまった。
戦場を覆い隠してしまうほどの蒸気が発生し、視界がほぼゼロになってしまう。
蒸気の熱で一気に戦場全体の温度が跳ね上がり、そのあまりの熱に双方の兵士は自陣へと後退していった。
灼熱の蒸気が渦巻く戦場の中を平然と進んでいくバルディーニの前に一人の人影が現れた。
「その歳になっても火遊びはやめられぬか? バルディーニ公」
「ふん、年寄りの冷や水、という諺が異界にはあるのだとか、得意属性でない癖に無理をする。老体に鞭打つのは趣味ではないのだがね。ちょうどいい機会だ、オラシオよその首落として楽にしてやろう!!」
「ほざけ、若造が!! 未だ断章に至れぬ身で私の首を取れるなどと夢にも思う出ないぞ!!」
オラシオが杖から光の鎖をバルディーニに向けて放つ、その光の鎖をバルディーニの副官が剣で受け止め防ぐ。
「ほほ、良い部下じゃの。いいのかバルディーニ公?」
オラシオの言葉にバルディーニの副官は何を言っているのかと困惑した。
「それはこちらのセリフだぞオラシオ。先ほどから吾輩を狙っている不届き者、この距離ならば安全とでも思っているのではあるまいな?」
次の瞬間、閃光が走りバルディーニの副官が無数の光の矢に貫かれ、オラシオの遥か後方に居た狙撃手が炎に巻かれて火だるまになって吹き飛んだ。
「この程度の魔法、対処出来ぬのなら吾輩の副官など務まらぬわ」
「ふむ、お互い後進の育成には苦労するの」
爆炎が巻き起こり、地面が吹き飛ぶ。
降り注ぐ数メートルもの巨大な火の玉に向けて、オラシオは同じ大きさの水の塊をぶつけて相殺、発生した蒸気を切り裂くかの如く、幾筋もの光線を放った。
地面から噴き出した炎が大地を持ち上げて光線を防ぐ。
炎はそのまま持ち上げた大地を溶かし、溶岩の雨が大地を焼き焦がしていく。
突如、突風が吹き荒れ熱く燃え滾る溶岩を空中の一か所に集めて冷やす。
冷えて固まった岩を巨大な槍へと加工し、お返しとばかりバルディーニへ高速で射出。
迫る岩の大槍を前にバルディーニはチッチッと指を振って、全ての岩の大槍をサーベルで寸断し、炎で吹き飛ばした。
三十秒にも満たないこの攻防に、双方の兵士は息を飲んだ。
マレッサピエー、魔王国共に切り札の一枚を切った状態。
マレッサピエーには勇者という切り札はあるが、今その札を切って失ってしまう事をオラシオは恐れていた。
戦闘経験の浅い勇者は有象無象の敵ならば相手にならないが、この男、魔王国の双璧と謳われる獄炎のバルディーニ相手では苦戦以上の戦いを強いられる。
オラシオがもし負けるにしても、勇者が有利になるような戦況を作っておかねばならなかった。
オラシオとバルディーニの戦いは更に激化していき、それを見る勇者たちはその実力に個人差はあれど畏怖を覚えるのだった。




