62・緊急事態って話
『やめるもんセルバ!! それには本物が封じられてるもん、破壊すればここに原初の呪い箱が――』
マレッサの叫びにいち早く反応したのはやはりというかデイジー叔父さんだった。
セルバの木の刃が額縁ごと写真を破壊した刹那、その場に黒い箱が出現し、その箱から溢れ出た黒い泥がセルバとユリウスに触れる前に二人を箱のそばから遠ざけていた。
二人を近場のセルバの大樹の枝に降ろした後、そのまま箱の周囲にいた人間の救助に向かった。
箱から溢れ続ける黒い泥を何十、何百という蔦が互いに絡まり合って箱ごと覆い隠していく。
瞬く間に出来上がった蔦の大玉の隙間から黒い煙がブスブスと立ち上っている。
更に増えて厚みを増していく蔦の大玉を前に、俺はおびただしい程の視線を感じ、身動き一つ取れない状態だった。
この視線全てが俺の死だって言うのか?
余りの恐怖に知らずガチガチと歯を鳴らしていた。
『デイジー、救助の方は任せるもん、わっちのアイヴィーバインドじゃあ時間稼ぎにしかならないもん!! 出来るだけ生き物をこれから遠ざけるもん!! パルカ、ヒイロを守ってるもん!! アレがどんな物か一目見れば分かるもんよね!!』
マレッサの怒号に似た大声が響きわたる。
デイジー叔父さんは既に周辺のセルバの大樹の住人やカネーガたち商人に護衛チームの人たち、さらに馬車や厩舎に繋がれていた馬数十頭をセルバの大樹の広場に移動させていた。
箱の周囲数十メートル以内にはもう誰もいない。
『さすがデイジーもんね、助かるもん!! セルバ、半径数百メートル規模の何にもない空き地をどっかに作るもん、こんなもの地上種のやつらの近くには置いておけないもん!!』
「あたくしとセヴェリーノちゃんを閉じ込めたアレは使えないのかしらぁん、マレッサちゃん?」
『あれは神二人がかりでようやくって規模の魔法もん、こんな短期間ではさすがに無理もん!!』
「あらぁん、残念」
パルカの魔法なのか宙に浮く俺の耳にデイジー叔父さんとマレッサの会話が入る。
『人間、気をしっかり持ってなさい。死に呑まれるわよ』
「あ、ああ。わかったパルカ」
気付くと滝のように冷や汗が流れていた。
ふと、あの蔦の大玉のあちこちが黒く変色しているのに気付く。
『やばいもんね、これだけ重ねたって言うのにもう破られそうもん』
『周辺のワタシの子たちにすぐにここから離れるよう神託を伝えたネ。そして、今からセルバの大樹を動かして、ここら辺を更地にするネ』
不意に現れたセルバが何かとんでもない事を言った気がする。
セルバの大樹を動かす、どういう事だ?
『どのくらいかかるもん?』
『五分もあれば、張ってる根を切断して動かせるネ』
『わっちのアイヴィーバインドはもって数十秒ってところもん。セルバも少し手伝うもん』
『もちろんネ』
セルバが黒く染まっていく蔦の大玉に向かって掌を向けた。
すると、軽い地響きの後、地面がひび割れていきそこから太い木の根が蔦の大玉目がけて伸びていった。
蔦の大玉を更に木の根が覆っていき、先程よりも二回り以上大きくなった蔦と木の根が合わさった大玉がミシミシと音を立てて内へ内へと圧縮されていく。
『これで五分は保つね』
『どんどん時間稼ぎするもん。その間に封印系の魔法使える奴を神経由で集めさせるもん、開いた原初の呪い箱とか地上種には荷が重すぎもん』
『ふむ、しかしごめんネ、マレッサ。良かれと思ってアレ壊したけど、まさか本物が出てくるとは思わなかったネ』
謝罪するセルバにマレッサは顔、というか体全体を横に振った。
『わっちとしてもさっき分かった事もん。召喚された勇者の中に物を空間ごと完全に封じ込める系の勇者特権を発現させた奴がいたみたいもん。そいつについてたわっちの分神体も完全に封じられて、本体や他の分神体と同期できなくなってたみたいもん。勇者呼び過ぎた弊害もん、これはマレッサピエーの責任、ひいてはわっちの責任もん』
逆に謝るマレッサ。
セルバはマレッサを軽く小突いて、ケラケラと笑った。
『キャハハ、らしくないネ、マレッサ。今はそんな事どうでもいいネ、今はアレ、原初の呪いの方をどうにかするのが先ネ』
『そうもんね、話しは後でするもん』
『ちょっと、やばいわよ。箱はまだ完全に開いてた訳じゃないみたい』
『『ッ!?』』
パルカの言葉にマレッサとセルバが蔦と木の根の大玉に目をやると、わずかに空いた隙間から、黒い泥が滲み出て来ていた。
蔦や木の根がどんどん黒く変色していき、腐り落ちて泥の一部になっていく。
それは地面ですら、同じであった。
地面に落ちた黒い泥は地面を黒く変色させ、その地面を泥に変えていった。
『ギィッ!?』
『セルバッ!?』
『ちょっとアンタ、何て声だしてんのよ!!』
急にセルバが胸の辺りを抑えて悲鳴に似た声をあげる。
その声にマレッサとパルカがどうしたのかと、驚いていた。
『いやネ、マレッサたちは知ってるだろうけど、セルバブラッソはワタシ自身ネ。今、ほんの一部だけど死んだネ。体を浸食されて主導権を奪われた……。やばいネ、これ以上多く奪われたら――』
そうだ、このセルバブラッソの大地は地面や木に至るまでの全てがセルバの一部なのだ。
ほんの一部奪われただけで、この痛みよう、もしあの黒い泥が溢れ出たりしたら……。
『ワタシの巫女にこれ以上負担はかけられないネ。ちょっと、離れるから、この子を頼むネ』
そう言うとセルバの体が糸の切れた人形のようにガクリと倒れ、地面に落下しだした。
「あ、危なっ!!」
慌ててセルバの体を掴み、抱きかかえる。
危なく地面に落とす所だった、近くに居てよかった。
まぁ、たぶん落ちてたら落ちてたでセルバかマレッサ、デイジー叔父さんがなんとかしたかもしれないが。
『むぅ、人間!! さっさとそのセルバの巫女をセルバの大樹に置いて来なさい!! ずっと抱えてる訳にもいかないでしょ!! ほら、早く!!』
「いや、空中に浮いてるのはパルカの魔法のおかげなんだから、俺は動いたりは出来ないって」
何故か急に怒りだしたパルカは俺の頭を突きながらセルバの大樹へと移動した。
セルバの大樹では住んでいる人たちが慌てた様子で家の中や頑丈な建物の中に逃げ込んでいる最中だった。
「早く、安全な場所に移動するんだー!! セルバ様がお動きになられる!!」
「細い枝に住んでる奴らは幹の方に急げ!! 振り落とされてもしらねぇぞ!!」
「下にいた連中はいつの間にか枝の方に来てるみたいだ!! 避難確認を急げ!!」
セルバの巫女を抱きかかえた俺は、どこにこの子を連れていくべきか悩んだ。
この子は気を失ってるし、出来れば安全な場所に連れていきたいのだが、俺にはその安全な場所が分からない。
誰かに聞こうにも、みんな慌てていて話をする所ではなさそうだ。
『人間、アイツに預けなさい。アイツはセルバの神官だから、任せて大丈夫よ』
「お、おう」
パルカが羽で示した方向に目をやると、人の形をした木が立っていた。
大きさは普通の成人男性くらいで初めは人形かとも思ったが、パルカが神官だというのならそうなのだろう。
俺はその人型の木に駆け寄った。
「すみません、この子をお願いしてもいいですか!!」
「ッ!? セルバ様の巫女、人の子、感謝。人の子、こっちに」
『この人間は私様が守るから平気よ。さっさと行きなさい』
「死の神、パルカ、分かった。人の子、感謝、気を付けて」
人型の木はそう言ってセルバの巫女を抱きかかえると、滑るように枝の上を移動して、一段と高い位置にある木造の神殿の中へと入っていった。




