251・盤外の竜
「ふむ、どうやら始まったようだのう。魔族共も人間共もどうなろうが妾の知った事ではないが、その後を考えると、なんとも悩ましいものよ」
黄金の鱗を持つ竜ルクレールが彼方へと目を向け、マレッサピエー連合軍と魔王軍との戦闘が始まったのを感じ取り誰に言うでもなく呟いた、その呟きを聞きルクレールの隣に立つ短い銀髪の女性もルクレールと同じ方角に顔を向けた。
「さしもの『ドラゴンナイン』も魔王軍上位の貴族級には苦戦は免れんだろう。拙者が万全であれば力になれたであろうが今の状態では足手まといにしかならぬ。まったく、己のふがいなさには心底腹が立つ」
自分の胸に手を当てて歯噛みするのは『ドラゴンナイン』筆頭シグルズ、最強の冒険者であり断罪の神の力をその身に宿す神罹りある。
シグルズの苦悩する顏を見て、ルクレールは小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「はん、ぬかしよる。あと数日もあれば羊太が潰した心臓の修復も終わろう。だいたい、それを待たずとも貴様の力は人のそれから外れておるわ。なにより竜装具を扱う過程で移植した竜の心臓は潰れてはおらんだろうに」
「万全でない力はいつ制御不能になるか分からぬ、その様な状態の人間が戦場に立つべきではない。それに人の心臓が多少潰れた程度で竜の心臓を稼働などさせぬ、あれは人の身に余る代物。もし竜の心臓を稼働させる時があるとするならば、それは世界崩壊の危機が迫った時くらいであろう」
シグルズの返答にルクレールはやれやれと呆れたように頭を軽く振る。
「面倒なやつよのう、どんな過程にせよ己が手にした力ならば残らず使えばよい物を。だいたい、自分を人間だのと言うておるが、普通の人間は心臓が潰れたら死ぬわ馬鹿者」
「そも拙者は断罪神の力を宿す人間、神罹りであるがゆえに心臓が潰れた程度では死ぬ事はない」
「神の力だけでも人の身には過ぎたるものだと言うのに竜装具を纏う為に竜の心臓を移植して竜の力も宿しておる。神と竜の力を併せ持つ人間の領域を越えた存在が人間を名乗るとは、まっこと人間は訳の分からん生き物よ」
理解出来ないと言った様子でルクレールは大きく息を吐いた、シグルズはそんなルクレールを一瞥し、ほんの少しだけ殺気をまき散らす。
「貴様は神に反旗を翻した者たちの直系、ならば監視は当然。その為に拙者に宿った神の力である。神は地上には基本干渉しない事を考えれば地上で神の代行を為すは人として何よりの誉れであると知れ。神の走狗、大いに結構。貴様に拙者を理解してもらおうとは微塵も思ってはおらぬ。拙者の使命は神への反逆を企てる者の罪を裁く事、無論貴様もその対象である事は忘れるな」
「はん、出来もせん事は口にせん事だ、大言壮語は夢想家と詐欺師の専売特許であろうに」
「ならばこの場で試してやってもよいのだぞ? その減らず口、首を落としても続くのか見ものよな」
あからさまに殺気をばらまき始めたルクレールとシグルズ、二人の発する高密度の魔力によりその場の空気が一気に重くなる、常人ならば魔力にあてられ昏倒していてもおかしくない状況の中、毛玉姿のマレッサが溜まらず二人の間に割って入った。
『いい加減にするもんお前らッ!! この状況で羊太が目を覚ましたら、確実に羊太は勇者特権を発動させるもん、そしたら今度こそお前らの心臓は完全に潰されるもんよ!! 死にたいなら事が終わってから喧嘩でもなんでも好きにすればいいもんけど、今はやめるもんッ!!』
大声を張り上げてルクレールとシグルズを制止するマレッサだったが、何故かルクレールとシグルズは逆にマレッサに向かって大声をあげて怒鳴りつけた。
「ええい、貴様こそでかい声を出す出ないわ毛玉!! 羊太が起きたらどうするつもりじゃ、このたわけが!!」
「そうだぞ神の末端、幼き勇者に不要な負担をかけるべきではないッ!!」
唾が飛んでくる程の勢いで大声をあげる二人にマレッサは面喰らい、何故自分が怒鳴られたのだろうと呆気に取られてしまう。
『え、なんでわっちが怒鳴られてるもん!? ていうか、お前らなんで仲良くわっちを責めるたてるもん!? 実は仲良しもん!?』
「「そんな訳はないッ!!」」
『こいつらやっぱ仲良しもんッ!!』
黄金の竜ルクレール、ドラゴンナイン筆頭シグルズ、草の神の分神体マレッサ、三人が賑やかに騒いでいるとルクレールの背中で眠っていた幼い少年、羊太が突然上半身を起こした、いきなりの事にギョッとする三人、息を潜め恐る恐る羊太の様子をうかがう。
寝ぼけ眼でボーっとしている羊太は目を軽くこすりながら周囲をキョロキョロと見回した後、何事もなかったかのように再び眠りについた、数分様子を見て羊太が完全に寝入っている事を確認した三人は安堵の息を吐く。
「はぁ~~、肝が冷えたわい。口喧嘩ですら勇者特権の対象になりかねん、まったくおちおち殺し合いも出来んわ」
「為すべきを為す前に無駄な戦力低下は避けたい。やはりその幼き勇者は城に置いてきた方がよかったのではないか?」
「羊太は妾のじゃぞ、片時も離れるなどあり得ぬわ。なにより人間は信用ならん、羊太の勇者特権を考えれば一人になぞ出来ん」
「それもそうか。……いや、であればまさかこのまま幼き勇者を背に負ったまま戦うつもりかルクレール?」
「クカカカカッ、当然。妾の背中程に安全な場所などこの世には存在せぬわ」
ルクレールの言葉にシグルズは呆れ果て、思わず額に片手を当てて信じられないといった風に軽く頭を振った。
「拙者らが相手どるのは生半可な相手ではない。ほんの数日前の事を忘れたのか?」
「忘れるものか、ゆえに対策は万全よ。あれは神位魔法耐性が高ければ無効化出来ると後々聞いたしの。中々に無茶な事をしておったものよ、あの小僧」
「ぶっつけ本番になるとはいえ対策はしてあるし、他の者らに邪魔立てされぬよう戦力も揃えた。あとは相手の動き次第」
そう言って、ルクレールとシグルズは遠くに見える要塞都市マレッサフォートレスに目を向ける。
マレッサフォートレスは森と山々に囲まれた要害の地にあり、勇者同盟を名乗る集団によって陥落したマレッサピエーの辺境都市である。
『オラシオの話しでは魔王国との挟み撃ちの可能性は低くはないらしいもん。偶然にしては出来過ぎてるもんからね、勇者同盟が結成してまもなく魔王国が動いたもんから。召喚した勇者が魔王と手を結んで敵対するなんて冗談にもならないもんけど、その可能性がある以上、それなりの戦力で警戒するのは仕方ないもん。一応、どこぞの商人が仲介して勇者同盟の協力を取り付けたって話もんけど、到底信用は出来ないもん』
陥落したマレッサフォートレスをマレッサは複雑な心境で眺めつつ、そう口にした。
「勇者同盟にマレッサピエーと魔王国の共倒れを狙って動かれると厄介な事になる。奴らの狙いが別にある以上、抑止力としての戦力は残していなければならぬ」
「大罪神の権能、か。そんな古代の神の権能を集めて何をするのやら。扱いを間違えば世界が滅びかねんというに」
「その可能性ゆえに拙者は貴様ら竜と協力する事を承諾したのだ。でなければ誰が竜と共に戦うものか」
各々の理由で手を組んだルクレールとシグルズ、並ぶ二人の背後には五十の大型竜と竜装具を身に纏う竜装兵百人、合わせて百五十の竜にゆかりのある者が整然と並んでいた。
その中に明らかに場違いな雰囲気の者が四名、ハゲあがった頭から冷や汗を滝の如く流す冒険者ハーゲン率いるA級冒険者チーム、カマッセパピーの面々であった。
「な、何でこんな大ごとに巻き込まれてるんだオレ様は……」
一人頭を抱え嘆くハーゲンのつぶやきは誰の耳にも届く事はなかった。