238・世界の動き9
何処とも知れぬ薄暗い空間に豪奢な玉座に座る少女とそのそばに控える老人がいた。
少女は前魔王リリシュ・バアルゼブル、現魔王サタナス・バアルゼブルの実の姉である。
その頭部には本来ならば雄々しく禍々しい角が生えていたのだが、弟であるサタナスとの戦いにおいて、その角はへし折られており見る影もない。
老人はルキフ・グス、リリシュに使えていた元執事長であり、魔王国の双璧と謳われるバルディーニとヘンリエッテを見い出し育て上げた過去を持つ貴族級の実力を持つ強力な魔族でもある。
時間の流れも不明な空間の中、ルキフが魔法によって空中にある映像を映し出す。
「魔王国、マレッサピエーの布陣は以下のようになっております陛下」
ルキフが映し出したのは魔王国とマレッサピエーの布陣を簡素化し上から見た映像であった。
リリシュはその映像を見て、少し思案顔になり双方の布陣の意図を汲み取ろうとする。
「ふむ、やはりと言うか、サタナスめは後方から指揮のみするつもりか。自身が出ればマレッサピエーとの決戦なぞ、すぐに勝敗が決するというに。その先を見据え、余力を残す腹積もりか、なんとも小癪な。しかし、人類側に取って見ればこの一戦が人類存亡の分水嶺と言っても過言ではあるまい、魔王さえ打ち取れば後は野となれ山となれとでも言わんばかりの陣立て、なりふり構わずに死に物狂いで魔王を攻め立ててこよう。クク、サタナスよ、追い詰められた人間たちの底力をあまり舐めぬ事だな」
どこか楽し気に笑うリリシュ、ルキフはそんなリリシュの言葉を受けて大仰に頷く。
「左様でございますな陛下。人類の中で人間は特に短期間で世代交代を行う種。交雑も活発であり、稀にですが全く未知のスキルを発現する恐るべき存在でもあります。とは言え、我ら魔族もまた悠久の時を生き、膨大な魔力をその身に宿した上位生物である事は確か。マレッサピエー軍に兵数では劣りはしますが、今の魔王軍は貴族級の魔族も多く参戦しております。いくら人類が死に物狂いで攻め立てたとて二、三倍程度の数の差ではさしたる問題にはならないでしょう」
「それは奴らも重々承知していよう。なればこそ、対抗策を講じている事は容易に想像が出来る。魔族に力で劣る人間が考える策ならば恐らく搦手などの奇策の類であろう。局所的な勝ちは拾えるであろうが、その勝利に大した意味はない。人類側はどうあがこうが最終的に魔王サタナスを打ち倒さねば勝利とは言えぬのだからな。サタナスはこの余を倒す程の強者、生半可な戦力では無意味。マレッサピエーで最も強いのは宰相たるオラシオであろう、だが甘く見積もってもバルディーニめと同格程度ではサタナスにとっては赤子も同然であろうな」
「まさしく、サタナス様の力は人類側の最高戦力と謳われる『十一指』や『ドラゴンナイン』、『星罰隊』などの者たちに比べ数段上、それ以外の人類などそれ以前の問題。徒党を組まねば貴族級の魔族たちとまともに戦う事すら出来ない者ばかりでしょう」
リリシュはルキフの言葉に軽く頷いてルキフの言葉に同意を示すが、その脳裏にとある人物の影がよぎる。
「……人間側にも例外中の例外と言っても良い存在がいる。しかし、アレは戦争には関りたくない様子であったな。サタナスもアレとは敵対しない事を全軍に通達していると聞く、下手な事をせねば戦いの場に出てくる事はあるまい」
リリシュの脳裏によぎった人物はおおよそ人類からかけ離れた実力を持つ尋常ならざる生命体である、魔王はおろか神すら敵対する事を拒む慮外の存在、もしその人物が戦争に参加したならばその被害は想像を絶するだろうと、リリシュは身震いする。
「しかし、あの方々にはマレッサピエーの守護神マレッサが付いております。守護する国の為ならばあの方々を巻き込もうとするのでは?」
ルキフの言葉をリリシュは軽く頭を横に振って否定する。
「エスピリトゥ大洞窟での様子を見るに、アレの戦う理由は自己満足と庇護対象の守護と見ててよかろう。いくらマレッサめの懇願があろうと積極的に殺戮行為には加担せんよ。あぁ、しかし、もしあの甥を人質にでも取れればアレを上手く操れるかもしれんな」
「陛下、それは愚策中の愚策、人質に取ろうとする前に阻止されるか、人質に取れたとしても刹那の隙でも見せれば、その瞬間には奪還と報復は免れません。何より、パルカ様すら敵に回しかねない愚行でもありますぞ、モグモグ」
今度はリリシュの軽口を真面目な顔付きで否定しつつ、リリシュに見えないように手を動かして、何かを口に運ぶルキフ。
リリシュはふぅと息を吐いて顎に手を当てる。
「しかしあれだな、あの人間は何やら妙な縁を引き寄せるスキルでもあるかのようだ。神に闇の精霊、原初の呪い、精霊王や竜とも関りを持っていたな。まぁ、一番の妙な縁と言えばあの叔父であろうがな。本当になんなのだ、アレは例外が過ぎるぞアレ、ほんとに。トシアキめも人間にしてはかなりの使い手、上澄みも上澄みであろうがそれを赤子扱いだったからな」
エスピリトゥ大洞窟で出会った人物たちを思い出しながらリリシュはちらりとルキフの様子を見る。
それに気づいてか、サッと背後に何かを隠すルキフ。
「まったくです。調査によるとあの方は正式な召喚でこの世界に来ておらず、無理やり次元を渡ってきたと、もぐもぐ。次元を越えて異世界へ移動するなど荒唐無稽、神がその命をかけて行う奇跡でも可能かどうか……いまだ底の知れないお方です、もぐもぐ」
「……所でルキフ、貴様先程から何をもぐもぐしている?」
喋りながら何かをこっそり口に運ぶルキフを見て、リリシュはたまらずに問いかけた、しかし。
「はて、何の事でござゲフー」
ルキフは全力ですっとぼけた。
「とぼけるならせめてゲップは我慢しろよ貴様!! あーーーーッ!! 足元に空の容器がいくつも!? 貴様、それはトシアキが置いていったゼリーやプリンではないか!! せっかく隠しておいたのに、たわけめ!! 余のおやつに手を出すとは万死に値するぞ!!」
「お言葉ですが陛下、トシアキ殿が置いて行かれたおやつは公平に分けるようにとの事であったはず!! だと言うのに四つも隠し持っておられたとは!! 爺は悲しみの極みですぞ!! なのでこれは爺が全部いただきます!!」
「えぇい黙れ我が従僕!! 本来ならば全て余に捧げるが従僕として当然であろうが!! それでは可哀想だからとトシアキめの意を多少汲んで分け与えていたというに!! 従僕の隅にも置けぬその狼藉っぷり、さしもの余とて看過できぬぞ!!」
恐ろしくくだらない事で魔力を高ぶらせ、今にも取っ組み合いの喧嘩を二人が始めそうになった瞬間、バシンッと薄暗く何処とも知れぬ空間に大きな音と衝撃が加わり、リリシュとルキフの体勢が大きくぐらついた。
「ぬぅ!? ルキフ、貴様のせいで怒られたではないか!! 詫びとして残りのおやつを差し出すがよいわ!!」
「お断りいたしますぞ!! こればかりは陛下と言えど承服いたしかねます!!」
衝撃と音の正体を理解している二人はそれを怒られたと認識したが、それでもなおデザートを巡る戦いをやめようとはしなかった。
再び、取っ組み合いの喧嘩を始めようとしたルキフの懐から不意にデザートの容器が消える。
「あ、あぁああああああああ!! 爺のプリンがゼリーがぁああああああ!!」
「たわけ、愚か者!! 余のデザートじゃぞ!! 貴様が騒ぐせいで没収されたではないか!! この始末どうつけてくれる!!」
まだ騒ぐ二人の耳にとある人物の声が響く。
(それ以上騒ぐなら、おやつ抜きにするんよ)
「「それだけはご勘弁を!!」」
元魔王とその元執事長は口を揃えてそう叫んだのだった。




