235・世界の動き6
「バブゥ……」
巨大なドラゴンが引く豪奢な天蓋付きの竜車の中で金のおしゃぶりを咥えた赤ん坊が険しい顔付きで唸っていた。
幼いその身から並々ならぬ魔力を放出しているこの赤ん坊こそ魔王国サタナスコルを治める魔王サタナス・バアルゼブルであった。
巨大な三本角と浅黒い肌、銀色の短髪に眼光鋭い暗黒の瞳、首元には邪悪なオーラを放つ涎掛けという出で立ちは見る者を恐怖の底に突き落とす程の圧倒的な威圧感があり、魔王の貫禄を遺憾なく発揮している。
「如何なさいましたか、我が王? 離乳食がお熱かったですかな?」
黒の軍服に燃えるような赤い髪と口ひげの男、魔王国の元帥にして双璧と謳われ獄炎の二つ名を持つ存在、アンフェール・フランメ・バルディーニがサタナスの前に並ぶ手つかずの食事、様々な食材で作られた豪華な離乳食を見て、そう声をかけた。
これからマレッサピエーとの決戦だというのにそのような気配は微塵も感じられない弛緩した空気が竜車の中に漂っている。
「温度、味、見た目、完璧。吾は間違わない、理由別」
氷の様に冷たいジットリとした視線をバルディーニに向ける短い青髪、高身長でスタイルの良い体に黒の軍服を纏う女性、魔王の側を片時も離れずに守護するただ一人の近衛兵にして双璧と謳われ氷獄の二つ名を持つ存在、ヘンリエッテ・アイスヴァイン・フランツィスカがきっぱりと答える。
サタナスが唸る別の理由があると言うヘンリエッテにバルディーニはふむと顎に手をやって思案顔になった。
「ッ!? まさか、細かく刻みペースト状にしたホウレンの草にお気づきになられたと……!?」
「バブー」
「なんという慧眼、その気配すら察する事が無いようにとホウレンに魔力偽装すら施しておりましたが、我輩程度の浅はかな偽装では意味などなかったのですね。御見それいたしました……」
したりと言った雰囲気の顔のサタナスにバルディーニは片膝を付いて頭を下げた。
サタナスは出された料理全てにほんのわずかに混ぜられたホウレンの草に気付き一切手を付けなかったのだ、ホウレンの草は栄養価が高く含有する魔力量も多いが苦いという特徴があり、乳幼児は敬遠する傾向にある。
それを理解しているバルディーニはホウレンの苦みも色味も独特な魔力も完全に消す魔力偽装を施していたがサタナスにはお見通しだった。
「サタナス様、不完全。バルの行動、理解求む」
「ヘンリー、我輩の愚行の責は我輩に帰結する、庇い立ては無用だ。サタナス様をたばかろうとした愚者への沙汰いかようにも」
ヘンリエッテの言葉をバルディーニ自身が拒否し、バルディーニは死すら覚悟して頭を下げたまま目をつぶった。
「バァブゥ」
ふわふわと浮いたサタナスはバルディーニに近づきそっとその頭に手を置いた。
バルディーニは軽く歯を噛みしめたが、サタナスは何もせずその頭を撫でるだけだった。
「バブー」
そう言って、サタナスは玉座に戻っておしゃぶりを外し、ホウレンが入ってると分かっていながら目の前に並ぶ離乳食を口に運んだ。
常人ならばバルディーニの魔力偽装によって苦みや独特な魔力を微塵も感じる事はないが、サタナスは魔眼によって離乳食に魔力偽装が施されたホウレンが混ぜられていると看破してしまっている。
その為、魔力偽装の効果は無効化され、ホウレン本来の味がサタナスの口の中に広がっていく、わずかな量とは言え鋭敏な感知能力を持つサタナスは混ぜられたホウレンの味に顔を険しくする。
それでもサタナスは自らの魔力回復を思って行動したバルディーニの想いに報いる為にむぐむぐと咀嚼し、ゴクリとホウレン入りの離乳食を飲み込んで見せた。
「サ、サタナス様……我輩の魔力偽装を看破し、ホウレンが混ぜられていると分かっておきながら、なおそれを食されるとは……。この獄炎のバルディーニ、感動に打ち震え、溢れ出る涙を止める事が出来ませぬッ!!」
「吾、感動」
むふーとどこか満足げなサタナスの顔を見て、バルディーニは掌で顔を覆って感涙にむせび泣きはじめた。
ヘンリエッテもまた、その様子を見て瞳に涙をたたえて嬉しそうに微笑んだ。
「なんなん、この茶番。小生こんな時どんな顔すればいいか分からないんよ」
竜車の隅に座っていた一人の青年がつい、という感じで声を漏らす。
バルディーニとヘンリエッテが弛緩していた顔を鋭く冷徹な顔に切り替えてその声の主を睨みつける。
「茶番、だと? 外様の分際で随分な口をほざく、サタナス様の客分でなかったなら即刻消し炭にしている所だ、我輩の寛容さに感謝するのだな」
「客人、不要な言葉、慎む」
睨みつけられたジーパンとTシャツというラフな格好の青年はやれやれと言った具合に軽く肩をすくめてみせた。
「はぁ、あの二人とノリが違い過ぎて風邪ひきそうなんよ。はいはい、黙っておきますよ、高レベルなお二方とカンストしてる小生以上な魔王様に逆らう訳ないんよー」
青年の名はトシユキ、かつて前魔王リリシュとその元執事長ルキフと行動を共にしていた人間である。




