2・愛にそんな効果は普通ないよねって話
俺の叔父さんは昔から少し……いや、かなり変わった人だった。
初めて出会った時、正直化け物が出てきたと思って大泣きしたのを覚えている。
なにせ二メートルを軽く越えてる上に筋肉モリモリで厚塗りのバッチリメイク、それが満面の笑顔で眼前に迫ってくるのだから。
初めて会った後も何か月かふらっと居なくなって気づいたら家に居て、二、三日くらいしたらまたどこかに出かけるような人だった。
そして、数年前に世界を見に行くと言って何処かに行ってしまったのが最後に見た叔父さんの姿だった。
それが、何の因果かこんな場所、異世界で出会うだなんて思いもしなかった。
「ヤッホォオオオオ!! 緋色ちゃん元気してるぅううう!! デイジーちゃんはいつもプリティでビューリホーよぉおおおお!!」
割れた空間をくぐり抜けて、デイジーを自称する叔父さんがズシンと重量感溢れる音を響かせて石床に降り立った。
それだけで周辺の空気が変わったの感じた。
あの甘い匂いが掻き消え、ぼんやりとしていた頭もハッキリしているような気がする。
視界の歪みもなくなった事で改めて叔父さんの姿を見る事が出来た。
叔父さんは数年前に最後に見た時と変わってない……いやなんかあの頃より一回り以上筋肉が育ってる気がする。
一体何してたんだ叔父さん……。
「いや、元気そうでなにより田一郎叔父さん」
「いやぁああん!! 本名はやめて緋色ちゃん!! デイジーって呼んで!! 親愛の情を込めてデイジーちゃんって呼んで!!」
「あぁ、うん、ごめんデイジー叔父さん……」
「あらん、相変わらずシャイボーイなのねぇん」
田一……デイジー叔父さんはにこやかに笑いながら俺に向かって歩いてくる。
襲い掛かってくるメイドや騎士たちを片手でペシペシと払いのけながら。
「おのれッ!! 何者か!! 侵入者だ、応援を呼べッ!!」
「槍が刺さらない!? なんだこいつは、魔王の手先かッ!?」
「なんで、魔法が効いてないのよ!! 三等級の精神汚染魔法なのにッ!! なんで何ともないのよ、おかしいでしょッ!?」
「魔剣ムエルトアルマの刃を受けて何故無事なのだ!? 傷を与えた者に死を強制する絶死の魔剣なんだぞッ!!」
軽いデコピン一つで重装な鎧を着た兵士たちが宙を舞って壁に激突する。
いきなり空中から現れた炎を纏った大きなトカゲがフッと息を吹きかけられただけで消し飛んだ。
身体の一部を獣や爬虫類のように変化させたメイドが素早い動きで束になって襲いかかったが、メイドの数と同じ数に分身したデイジー叔父さんがコツンと軽く頭を小突いただけで床に激しく叩きつけられていった。
そして、デイジー叔父さんが俺の前にやってくるまでの短い間に部屋の中にいたメイドと騎士全員が沈黙してしまったのだった。
「大丈夫だったかしらぁん、緋色ちゃん? ケガとかしてなぁい?」
筋肉をクネクネとさせながらデイジー叔父さんが俺に問いかける。
「おかげ様で擦り傷一つないよ、でも、その、なんというか……」
勇者として召喚されただけでも訳が分からないのに、なんか怪しげな薬とか魔法とか使われて洗脳されかけていたみたいだし、なんかデイジー叔父さんは空間を割って出てくるわ、騎士とかなんか体の一部が動物っぽくなったメイドさんたちに襲われても軽くぶっ飛ばすわで頭は混乱しきりだ。
何を言おうか悩んでいるとデイジー叔父さんは柔らかい笑顔を浮かべた。
「わかるわ緋色ちゃん、――なぜあたくしがこんなに美しくなったのかが知りたいんでしょ?」
「いや、全然違うよ」
「そう、あれは三年前の事……」
「デイジー叔父さん? 人の話聞いて?」
「あたくしは神様に出会ったのよ」
「叔父さん??」
「南極の中心に空いていた巨大な大穴の中であたくしは地球の内側の世界を見つけた事が全ての始まりだったわ」
「いや、なんか壮大な話で気になり過ぎる」
「なんやかんやあって暴走してた神様をボコったらこの通りの美貌をくれたって訳」
「そのなんやかんやがすんごい気になるんだけどデイジー叔父さんッ!?」
凄い勢いで突っ込みをしたが、俺はデイジー叔父さんが愉快そうに笑っているのに気付いた。
あぁ、そうだった。
デイジー叔父さんはこういうありえないホラ話をして、俺や家族を楽しませてくれていたっけ。
「冗談よぉん、緋色ちゃん。半分は」
「半分は本当なのッ!?」
いや待て、実際空間を割って出てきたし、騎士やメイドを難なく倒してたし、今までのホラ話もあながち嘘じゃなかったのか?
どっちなんだデイジー叔父さん……。
「まぁ、今はそんな事より、この状況をどうにかしないと」
デイジー叔父さんについては後回しだ。
俺以外の召喚された人たちはまだ頭がぼんやりしているのか、口から涎を垂らしてボーっとしている人がほとんどだ。
辺りを見回すといくつかの人影が椅子から立ち上がるのが見えた。
その中の一つがフラフラとした足取りでこちらに近寄ってくる。
「頭がグラグラする……、三徹明けのエナドリ一気飲みの後よりキッツイわね、これ……」
左目に眼帯を付けたジャージ姿の女性がこめかみを抑えつつ、そう呟いていた。
ジャージの女性はデイジー叔父さんの前に来て軽く頭を下げた。
「えっと、その、デイジーちゃんでしたっけ? なんかヤバい所を助けてもらったみたいで、ありです」
「あらん、いいのよぉん。袖振り合うも他生の縁って言うじゃない。お構いなくぅ、あたくしはオカマだけどね、オホホホホホホホホホッ!!」
イッツ・オカマジョークと高笑いするテンション高めのデイジー叔父さんを白い目で見つつ、俺はジャージの女性に頭を下げた。
「こんな叔父ですみません、俺は皆野 緋色っていいます」
「あぁ、いいのいいの。なんか助かったみたいだし。自分は……ゴッデス大蝦蟇斎とでも呼んでちょうだい」
さっきのギガンウードといい、変な名前の人しか召喚されないのか勇者召喚ってやつは。
「ペンネームってやつよ。本名は、まぁ別にいいでしょ。魔法的に本名ってあまり知られない方がいいからね」
「魔法的にって、まさか魔法が使えるとか?」
ゴッデス大蝦蟇斎さんの言葉に俺は少しワクワクしてしまった。
見た目はボサボサの黒髪ロング、瞳の色も黒だしたぶん日本人だろう。
俺がいた世界でも魔法が実在したのかと思うと、すごく心が躍る。
まぁ、空間を割ってやってくる叔父さんがいるんだから魔法くらいあるだろうという思いもなくはない。
「いえ、アニメとか漫画的に常識でしょ、本名を知られるとそこから呪いをかけられるって」
「なんだ、その歳で厨二か」
「まだ三十路前なんですけどッ!! ぴちぴちなんですけどッ!!」
「しまった、本音が」
「余計に悪いわッ!!」
大声を出したせいか少しふらりと体勢を崩した後、ゴッデス大蝦蟇斎さんはこめかみを押さえながら頭を軽く振った。
「まぁ、そこらへんはいいわ。ただの異世界転移物だと思ってたらとんだサイコサスペンスだったわ。薬と魔法で精神支配して身も心も国の為に捧げろってなによ、ヤバめの宗教じゃない。この世界の知識が皆無な所に優しく接して漬け込むとか、たち悪すぎよ」
眉間にしわを寄せてゴッデス大蝦蟇斎さんは誰に言うでもなく呟く。
確かにそうだ、召喚ってだけでも意味不明なのにその上で薬と魔法で頭をおかしくさせていい様に使おうだなんて、ここではどうか分からないけれど、元の世界じゃイカれてるとしか思えない。
「そうねぇん、何かしらの事情はあるのかもしれないけれど、越えちゃ行けない一線よねぇん。とりあえず、この部屋に充満してたお香の香りとあなたたちが摂取したヤババな薬の成分はあたくしの愛のパゥワーで分解して、精神干渉系の魔法も同じく愛のパゥワーで消したから、他の人たちもいずれ頭がはっきりしてくるはずよん」
なんだろう愛のパゥワーって。
俺の知ってる愛にはそんな効果はないはずだが。
「緋色ちゃんを助ける為にこの世界にやってこれたのも愛のパゥワーのおかげなのよぉん」
「さすがね、愛のパゥワー」
デイジー叔父さんの言葉に一人頷くゴッデス大蝦蟇斎さんを白い目でみつつ、俺はガチャガチャと騒がしい金属音が近づいてきているのに気付いた。
「デイジー叔父さん、この音……」
「えぇ、あたくしが軽く撫でてあげた子たちのお仲間でしょうねぇん」
バァンッと大きな音を立てて扉が開き、大勢の騎士たちが部屋になだれ込んできた。
騎士たちはあっと言う間に隊列を整え、剣や槍を構えて俺たちを取り囲んだ。
その数秒後、サーっと騎士たちが隊列の中央を開けて道を作る。
その道を悠然と歩きながらやってくる人物、マレッサピエーの宰相と名乗った老人、オラシオ・エスピナルは眉間にしわを寄せて怒りに顔を歪ませていた。
「なんたる事か、これがドラゴンすら屠ると謳われたマレッサピエー特務騎士団の精鋭騎士の姿かッ!? たった一人の賊に好きなようにされ、命すら奪われる事なく生き恥を晒すとはッ!!」
オラシオ・エスピナルが手に持つ大きな杖を掲げ、よく聞き取れない言葉を何やら唱えたと思った瞬間。
眩い閃光が視界全てを真っ白に染め上げた。
「あらん、だめよぉん」
バヂンッと激しい破裂音がしたかと思うと、デイジー叔父さんは電気を帯びたような真っ白い光りの矢を数十本もその両手に掴んでいた。
そして、次の瞬間には事もなげにその矢を力任せに握り潰し、砕いてしまった。
握り潰され、砕け散った白い光りの矢が空中に塵となって消えていく。
パンパンと手をはたき、デイジー叔父さんは腰に片手をやって、オラシオ・エスピナルを見下ろした。
デイジー叔父さんに見下される形のオラシオ・エスピナルはデイジー叔父さんを睨み返してフンと鼻を鳴らす。
重苦しい空気が部屋を満たしていくのが分かった。