190・痛み分けって話
「よしなに」
ジョウジ・クギョウと名乗った仮面の大男はそう言った。
言動や見た目、動作、それらに敵意らしきものはないが、それでも身の内からにじみでるような胡散臭さがどうにも信用できない。
「ジョウジさん、なんで貴方がここに!? わざわざ出向いてもらう必要など――、そんなにぼくたちが信用ならないって言うんですか!?」
戌彦がジョウジに食って掛かるが、ジョウジは優し気な声で戌彦の肩に軽く手を置いた。
「戌彦、君は少々自分の力を過信し過ぎるきらいがある。自分の力を信じる事、それはとても大切な事だ、だがそれは時に慢心に繋がる。現に私が黄金の竜ルクレールのドラゴンブレスを防いでいなければ、君はトウテツを使って防いでいただろう。しかし、彼女のドラゴンブレスの威力は神位の魔法とまではいかないが絶位は越えている、トウテツもただでは済まず、その体を構成する『暴食』の権能が体外に露出する恐れがあった。彼我の力量を瞬時に見定めるのも実力の内だよ戌彦」
ジョウジは自らの言葉で悔しそうな顔で俯く戌彦の頭を優しく撫でた。
「とは言えだ、戌彦。君は『嫉妬』の権能の回収という使命を成し遂げた、それは素晴らしい偉業だ。君のその力は世界を救う為にこそ存在していると言ってもいいだろう。私は仲間として君を誇りに思う、きっとあの方もお喜びになられる」
「ほ、本当ですか、ジョウジさん!!」
「無論だとも。さぁ、『嫉妬』の権能は我ら勇者同盟の手の中、そして不完全だった『暴食』の権能の欠片の場所も分かった。今はそれで十分としようじゃないか。カク、千万、帰るとしよう我らの家に」
ジョウジたちが黒い渦巻きに近づいていく、このままでは『嫉妬』の権能を持っていかれてしまう、あの権能がないとたぶん大罪神、嫉妬のジェロジアを起こせない気がする。
それにさっき世界を救う為と言っていたが、にわかには信じられない。
戌彦たちが黒い渦巻きの中に入っていく中、その最後尾に居るジョウジの背中に俺は問いかけた。
「ジョウジさん、世界を救うってどういう事ですか!? 世界を改変とか誤認させるとか言ってたし、何か良からぬ事を企んでるんじゃないですか!?」
俺が大声でそう叫ぶと、ジョウジはこちらを振り返って笑った。
何か楽し気な事を言った覚えはないのだが、馬鹿にしていると言うのとも違う、ただ本当に愉快だから笑っているような、そんな感じだ。
「フフフ、良からぬ事か。正義とは? 悪とは? それらはしょせん主観的な物差しでしか測れないものだヒイロ。君の物差しでは我らは悪に映るかもしれない、けれど我らは我らの正義の元に行動している。世界を改変する事も、世界の認識を誤認させる事も、果たすべき大義の前では些事でしかない。そしてそろそろ時間だ、世界の修正力と言うのは恐ろしい程に強い。『嫉妬』の権能を抽出した時点で世界が海竜帝レヴィアタンに対する誤認に気付いた、本来ならあり得ない存在であるこのダンジョンは世界の修正力の前にじきに消滅する。すぐに脱出した方がいい、それとも一戦交えてみるかね? ただ、黄金の竜ルクレールを追ってまもなくここに達するドラゴンナイン最強の女傑も相手にする事にもなるだろう。どうする、ヒイロ?」
このダンジョンが消滅するというジョウジの言葉はたぶん真実だろう、さっきから俺は全身に死の視線を感じている。
早く逃げないと、デイジー叔父さんでも危ないかもしれない。
「ルクレール、追われてるのは本当ッ!? 本当なら、すぐにここから逃げないと、いくらデイジー叔父さんでも世界相手じゃ分がたぶん悪い!!」
「なんじゃ、この小僧、いきなり妾を呼び捨てとは失礼じゃな。ただまぁ、言っている事は確かじゃ。世界改変の修正、ドラゴンナインの件、どれも事実。ではあるが、何故ドラゴンナインの件を貴様は把握しておる? ほんの数刻前の出来事のはずじゃが?」
確かにジョウジは妙に色々と情報を持っているようだが、魔法とか勇者特権の類だとは思うのだが、ルクレールは気になったようだ。
「話しをしている暇があるのか、ルクレール? 私が冗長に言の葉を紡いでいたのはひとえに時間稼ぎでしかなかったと言うのに。ここで君たちが世界の修正に巻き込まれて次元の彼方に消えてくれると言うのなら願ってもない事だ、実に重畳、喜ばしい限りなのだが」
ジョウジの返答にルクレールは軽く舌打ちをして、翼を羽ばたかせて宙に浮いた。
かなりイラついているのが見て取れた。
「腹立たしい奴じゃ、次に相まみえた時はその軽口、叩けぬようにしてくれるわ」
「おやおや、それは恐ろしい。羊太、喧嘩は良くない事だとルクレールによく言って聞かせておきたまえ。喧嘩せずに済むのなら、戦わずに済むのならそれが一番なのだから」
ジョウジに急に名前を呼ばれ、ルクレールの背中に乗っている男の子がビクリと体を震わせて驚いていた、羊太という名前なのか。
あとで自己紹介でもした方がいいだろうか、いや今はそんな事を考えている暇はない。
「坊に馴れ馴れしく話しかけるな、喰い殺すぞ若造がッ!!」
「ルクレール、喧嘩はダメ、だよ。お願い……」
「……チッ、命拾いしたの仮面の若造。坊に感謝せぇ」
強烈な殺意をジョウジに向けるルクレールだったが、羊太の言葉で踏みとどまり、入ってきた入り口へと高速で飛んでいった。
「先行して道は作っておいてやるゆえ、勝手にするがよいわ。妾は多少、遊んでやらねばならぬ相手もおるでな。あぁ、それと互いに生きておったなら、話しでもしようぞ、我が弟テネブルの娘よ!!」
そう言ったルクレールをお姫様は驚いた表情で見ていた、その手の中にはまた満足に動けないロミュオが掴まれており、さらに周りには魔法か何かで宙に浮くロミュオの部下たちが居た。
何かを言いたげではあったが、疲弊しているロミュオたちの事を考えてお姫様もルクレールの後に続いて部屋を出ていった。
次の瞬間、唐突にダンジョンが激しく揺れ動きだし、天井の一部が崩落を始めた。
「ヒイロ君、デイジーちゃん、自分たちも早く逃げないとヤバイよ!! あの仮面野郎が言ってる事が本当なら、私でも耐えらえる自信ないし!!」
「こんな程度で慌てるなんて超ザコい人間らしくて笑える――じゃない。えっと、その脱出を手伝うから、早くして」
フィーニスが俺たちに魔法のをかけてくれたのか、体をふわりと宙に浮き、空中を自由に動けるようになった。
『色々言いたい事とかあるもんけど、早く逃げるもんよヒイロッ!!』
『生き埋め程度ならどうとでもなるけど、世界の修正だなんて訳の分からない事に巻き込まれたら、分神体とは言え消滅は免れないわ。当然、人間もね、急いで逃げるわよ』
「わ、わかった!! デイジー叔父さん、ここは逃げよう!!」
俺の周りで騒ぐマレッサとパルカの声を聞きながら、俺はデイジー叔父さんに逃げるよう声をかける。
デイジー叔父さんは眉をひそめて、苦笑いをしていた。
「……これはあたくしが助けないと、みんな間に合わなくて死んじゃうわねぇん。今回はしてやられたわぁん。ジョウジちゃん、次はこうはいかないわぁん、覚悟しておいてねぇん」
「フフ、正直な所を言えば、ここまでしても君との戦闘を回避できる自信はなかったのだがね。天は私に味方したと言う所か。痛み分けとは言ったが、今回は私たちの勝ちと言っても過言ではない。デイジー、ゴッデス大蝦蟇斎、そしてヒイロ、七つの大罪の権能を追う限り、必ずや私たちはまた出会う事になる、その時を楽しみにしていてくれたまえ、ではごきげんよう」
崩れ行くダンジョンの中、そう言ってジョウジは黒い渦巻きの中に姿を消した。




