12・深入りし過ぎはどっちにも負担が大きいって話
バルディーニを担いでいる軍服の男がデイジー叔父さんに瓶を一本投げてきた。
デイジー叔父さんは警戒した様子もなく飛んでくるその瓶をごく普通に掴み、ちらりと瓶を確認した後、軍服の男に視線を移した。
「これはなにかしらぁん?」
「エリクサー。無論、複製品だが回復薬としては十二分に効果がある。オークカイザーに使ってもいいし、取って置くのもいい、なんなら売ってもいい。鑑定士のいるギルドや薬局にでも持ち込めばそれなりの値にはなる」
「へぇ、なんでまたあたくしにこれを?」
デイジー叔父さんが意地悪そうに微笑みながら、指の先で瓶をいじる。
その様子を見て、軍服の男は苦笑いしながら答えた。
「ご機嫌取りの賄賂だよ。こんなんでもバルディーニ様は体制派の重鎮だ。もし死んでしまうと反体制側が勢い付いて、かなり面倒な事になる。我々をいつでも殺せたはずなのにわざわざ加減して生かしておいたくらいだ、バルディーニ様の生死に対しても興味がないと見たが、如何か?」
「えぇ、その通りよぉん。緋色ちゃんを助けに来ただけだもの、殺しなんて美しくない事する訳ないじゃなぁい。ただ、あたくしは緋色ちゃんの絶対的な味方、今までもこれからもずっとよぉん。この言葉の意味をちゃあんと理解してくれるなら、あたくしから何か行動する気はないわよぉん」
「お前とヒイロ、この二人には絶対に手を出さないようにと魔王様に進言しておく。今回の件も魔王様に報告する。おそらくオークカイザーたちにとって悪くない結果となるはずだ。バルディーニ様は焼こうとしていたが、この森は魔王国にとっても貴重な収入源の一つ、魔王様も無下にはしないだろう」
そう言って軍服の男は懐から何か短い棒状の物を取り出し、口にくわえた。
どうやら、笛のようだ。
ピーっと高い音が響くと、どこからともなくバサバサと羽音が聞こえてきた。
大きな影が俺たちの頭上を通り越し、影の主が土埃を巻き上げて優雅に軍服の男の隣に降り立った。
炎を思わせる赤々とした鱗、十メートル以上はありそうな巨大な体躯、爬虫類を思わせる鋭い瞳、蝙蝠に似た翼、ファンタジーには定番であり最強クラスの存在ドラゴン、それが俺のわずか数十メートル先にいる。
デイジー叔父さんが隣にいるから倒れたりしなかったが、一人きりの時にこのドラゴンに出会っていたら気絶していたかもしれない。
よくよく見ると、頭部や足などに防具を付けており、大きな鞍の様な物も装着している辺り、貴族とかお偉いさんの移動用だったりするのだろうか。
『ドラゴンではあるもんけど、知能の低い雑魚ドラゴンもん。まぁ、これ一体だけでも小都市くらいなら壊滅状態にはできるもん』
「こんなにでっかくて強そうなのに弱い方なのかこのドラゴン。とんでもないなドラゴンって」
バルディーニを乱雑にドラゴンの背中に放り投げ、回収した仲間も乗せた後、軍服の男はもう一度笛を吹いた。
ピピーと高音が響くと、ドラゴンは大きく羽を広げ力強く羽ばたいた。
羽ばたいた勢いで激しく土埃が舞い、つい目を閉じる。
なんとか目を開けた時にはすでにドラゴンは空のかなたまで飛んで行っており、豆粒のような大きさになっていた。
「早いもんなんだなドラゴン」
『あれでも加減してるもん。乗ってる人間を考慮しなければ音を置き去りにして飛べるはずもん』
「あの巨体が音速で飛ぶのか!? 物理法則無視にもほどがあるな」
『魔法による加速と防御で空気抵抗とかある程度無視できるもん。第一にお前たちがいた世界とルールが根本から違うもん』
「そういうもんなのか……」
そんな会話をマレッサとしていたらデイジー叔父さんに肩をポンと叩かれた。
振り向くと、デイジー叔父さんはなにやら申し訳なさそうな顔をしていた。
「緋色ちゃん、ごめんなさいねぇん。あたくしがプッツンしちゃったせいで、こんな所まで飛ばされて危ない目にもあわせちゃって。情けないわ、緋色ちゃんが地球から消えた感じがしたから、ちょっと緋色ちゃんの魂の色を追いかけて、この異世界まで助けに来たっていうのに」
魂の色って何だろう、というか俺が地球から消えたのが分かったからここまで来たのかデイジー叔父さん。
あぁ、たぶんどうやってとか聞いても愛のパゥワーとか言うんだろうな、と思いながら俺は首を横に振った。
「ううん、デイジー叔父さんがいなかったらどうなっていたか分からないよ。助けに来てくれてありがとうデイジー叔父さん」
「んふ、そういう所は母親似ね、緋色ちゃん。さて、とりあえず脅威は去ったと見ていいかしらぁん? お話したい事もあるし、落ち着ける場所に移動した方がいいかしらねぇん」
「でもデイジー叔父さん、俺はオークカイザーさんが――」
オークカイザーさんが心配だ、と言おうとしたが今この場に俺が残ってもたぶん良い事はないのだ。
マレッサのおかげでオークカイザーさんはたぶん大丈夫だろう、だがオークカイザーさんが目を覚ますまでここで待つのは得策とは言えない。
結局の所、俺たちがマレッサピエーのスパイだとかの疑惑自体が晴れた訳ではないのだ。
バルディーニの部下の人は魔王様も無下にはしないだろう、とは言ったがそれを完全に信用するのは難しい。
だいたい、魔王は人間たち全体と戦争をしていてマレッサピエーはその最前線、そこから飛んできた俺たちが怪しいのはどうしようもない事実だ。
俺たちがいるだけでオークカイザーさんの立場は悪くなるのではないだろうか。
魔王に俺たちの現状を説明した所でスパイじゃないと分かってもらえるかどうか分からない。
オークカイザーさんに全部話したが、にわかには信じがたい様子だった。
オークカイザーさんの事は心配だが、それは俺が気になるってだけの話でしかない。
俺のわがままでオークカイザーさんたちに迷惑はかけられない、となると長居は無用、という結論に至る訳だ。
「デイジー叔父さん、そのエリクサーってもらえるかな?」
「えぇ、いいわよぉん」
デイジー叔父さんに手渡されたエリクサー入りの瓶を持って、俺はオークの森に近づき大声をあげる。
「おーーーーい!! オークの人、誰かいるかー!!」
数秒もしない内に草むらがガサガサと揺れて、オークが姿を現した。
「さっきオークカイザーさんを運んでくれた中の一人だよね。これをオークカイザーさんに使ってくれ、回復薬らしいから。あと、迷惑をかけた事と挨拶無しでここを去る事を謝ってたって伝えてほしいんだ」
「承った。……お前は皇帝の恩人だ、森には入れる事はできないがいつでも歓迎する。もし人間の世界に行き場がなくなればいつでもここに来い。必ず力になると皇帝も言うはずだ。そして皇帝から伝言を預かっている。気にするな友よ、と。まだ意識は混濁しておいでだったが、そうおっしゃっておられた」
「――うん、ありがとう。あぁ、そうだこれ」
俺はオークカイザーさんから貰ったオークの秘宝が入っている小袋を差し出した。
「オークカイザーさんから好きにしてくれってもらったけど、オークの秘宝っていうくらいだから、大切な物なんだろ? さすがに返すよ、きっと俺が持ってていいものじゃあないだろうから」
しかし、オークはグイっと俺の差し出した手を押し返し、首を横に振る。
「皇帝が友の為と渡した以上、それはお前の物だ。どうしても自分の手に余ると思ったのなら、皇帝の言った通り売ればいい。売った金がお前の糧に、助けになるのなら、皇帝も本望だろうから」
「……そっか、わかったよ。それじゃあ、オークカイザーさんによろしく伝えておいてくれ。じゃあ」
「あぁ、さらばだ。皇帝の恩人、大いなる力を持つ者、草の女神マレッサ。貴方達の行く末に豊穣なる恵みがある事を祈る」
そして俺とデイジー叔父さん、マレッサはオークの森を後にした。