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第弐記 宣教師ザベリオ

○フランシスコ・ザビエル(スペイン語: Francisco de Xavier または Francisco de Jasso y Azpilicueta)

1506年頃4月7日 - 1552年12月3日。スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年(天文18年)に日本に初めてキリスト教を伝えた。

ザビエルはヤジロウに日本でキリスト教の布教をした場合を問いた。ヤジロウは何も問題はないと答えた。そしてザビエルは日本での活動を決意した。それが世界に布教をが「イエズス会」のモットーだったからである。


須佐をご存知ですか?ザビエル殿。

「ヤジロウから聞きました。大変興味があります。それにここではザビエルではないんです。ザベリオです」

ほう。

ヤジロウが述べた。

「ザビエル名は周防国山口での名です。ここではザベリオ様です」

これは失礼。


伊太利イタリア語である。発音によって異なると云うこと。


○ヤジロウ

弥次郎。最初の日本人キリスト教徒とされる人物。

ヤジロウは、、洋風にアンジェロ(天使の意)とも。フランシスコ・ザビエルの通訳者。デウス概念や聖句などの翻訳者として、西日本地域で布教・宣教活動に従事した。彼の出自や本名などは未だ謎である。いかなる人生を送り、どこで亡くなったかは不確かであり謎が多い。

ヤジロウは薩摩国あるいは大隅国(共に鹿児島)の出身である。彼自身やザビエルの書簡に寄ると、殺人を犯し、鹿児島に来航していたポルトガル船に乗り、ムラカ(マレーシア)に逃げた。その罪を告白するためにザビエルを訪ねたとされる。フロイスの『日本史』では海賊や貿易などに関わる仕事だったと考えられる。

洗礼により彼は「パウロ・デ・サンタ・フェ(聖信のパウロ)」の名を授かった。その後、彼はの聖パウロ学院でキリスト神学を学んだ。


ザベリオ殿は義隆殿と何か?問題があったとか?

「はい、激怒されました。男色のことです。我々は認めないからです」

京にも行かれたとか?

「はい、全国での宣教の許可を得ようとインド総督とゴアの司教の親書を携え、後奈良天皇、征夷大将軍・足利義輝への拝謁を請願したんですが。献上品を持っていなかったので断られました。失敗ばかりです」と云って笑った。

「で、献上品を取りに平戸に戻ってきた有様です」

その後4月下旬、大内義隆に再謁見。美服で装い、珍しい文物を献上した。献上品は、天皇に捧呈しようと用意していたインド総督とゴア司教の親書の他、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃など。ザビエルは初めて日本に眼鏡を持ち込んだとされる。これらの品々に喜んだ義隆は宣教を許可し、信仰の自由を認めた。


だから私に様子見をさせようと思ったのか?

日向は笑えた。

いや、義隆様は西班牙スペインの侵略を感じているに違いない。ザビエルは片棒なのか?それの判断を私に託したか?片棒と解ったら殺すに違いない。いや、日の本に居る西班牙人、葡萄牙ポルトガル人も全て抹殺するだろう。日本人キリシタンも只では済まないだろう。

義隆は日向にスパイを頼んだのだ。

須佐は情報屋でもある。古くは厩戸皇子(聖徳太子)が「志能備しのび」と名指して極秘に使った。


でもなあ。私は医者で錬丹術師なんだよなあ。それは須佐の武人たちの仕事なんだけど。


「須佐殿、日の本には神様がたくさんおわすそうですね」

はい、「八百万の神」と云います。

「ヤオヨロズ•••••」

ザベリオ様から見れば奇異でしょうね。

「いえ、イエスにもそういう教えがあります。秘とされた書があると聞きました」

え?!

「トマスの福音書と云います」


福音書ふくいんしょ

聖書に記される基督きりすとの言行録。通常は新約聖書の4つの福音書で、「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」を称す。

福音エヴァンゲリオン)とはギリシャ語で「良い(エウ)知らせ(アンゲリオン)」と云う意味で、つまり福音書とは「良い知らせを伝えた書」のこと。実は其の他にまだ福音書は多数存在するが、其れ等は正典として認められず外典文書とされ「トマスの福音書」も其の中の1つである。


○トマスの福音書

基督教の教父たちの証言で、其の存在だけは知られていた。1945年エジプトで視つかった。「ナグ・ハマディ写本」と云う文書の中にあり、114の文からなるイエスの語録集だった。使徒トマスによって記されたとあるので、此の名がついたと云う。


トマスの福音書の文中より。

イエスが云った「私は彼ら全ての上にある光である。私は全てである。全ては私から出た。そして、全ては私に達した」

「木を割りなさい。私は其処に居る。石を持ち上げなさい。そうすればあなたは私を其処に視出すであろう」

「わたしはいつもあなたの傍にいる」と説いている。


キリストは分身の術が使えるのですか?

「分身の術?ははは」ザビエルは笑った。

八百万の神とは万物に宿る個々の神です

「随分異なりますが、基本は同じだと思いませんか?イエスも台地や人々とあったのです」


仏陀は「神は心の中にある」と云った。キリスト教も仏教も神道も神と云う在り方の根源の言葉のような気がする。


「しかし、石をめくっても何も答えてはくれない。それにはキリストを学び、人々が集まれる箱(教会)を作り、教え広めて苦しみを和らげる必要がある。その言葉を伝えるのが私の役目なんだと思います」

なぜですか?

「愛です」

「愛?」

「愛とはなんでしょう?物的に見えるものではない。しかし、確かに存在する。物的に見えないものを伝えるのは難しい」

「•••••••」

「日本人は世界でも珍しい。私は大好きになりました」


このことがスペインとの確執を生んだのでないか?ともされている。

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