表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ばいおろじぃ的な村の奇譚  作者: ノラ博士
9/61

其ノ九 独りでに娘が孕み続ける村

 奇妙な村だった。


 カンボジア王国の北西部、タイ王国との国境近くに位置する、開けた農地。マンゴスチンの木はピンクと黄緑に彩られた花を咲かせ、高床式な民家の軒先では、オウギヤシの甘い樹液が煮詰められている。そういった植物に由来するトロピカルな香りと、今の時期でも十分に暑さを感じさせる日差しが、この地が熱帯であることを実感させてくれる。


 私は、少し考え込んでいた。この村ではここ2年の間に、7人の若い女性が性交を経ずして子供を生んでいるという。上は25歳、下は13歳の若さである。この内、少なくとも4人は処女だとされている。

 生まれた子供の人数は計15人。現時点で2人の女性が妊娠中と確認されているので、この後も出産例は増えていくものと思われる。


 最初は、単為発生の可能性を考えた。例えば、そこに生えるマンゴスチンの木が、あの甘く芳醇なフルーツを実らせるようにだ。

 一般的な花と同じく、マンゴスチンの花では雌しべが雄しべと共に見られる。しかし成熟するのは雌しべだけであり、花粉が作られることは無い。それでどうやって実を作るのかと言うと、親である木と同じゲノムを持った、つまりクローンとして、子である種子を作るのに伴われる。この特殊な生殖様式のため、世界中のマンゴスチンは遺伝的にはほとんど同一の存在である。


 しかし、この村の母子たちはクローンではなかった。ゲノム解析の結果、明らかに遺伝学上の父親が存在する。また、単為発生であれば女の子しか生まれないはずだが、ここでは男の子も生まれている。その時点で単為発生の線は薄かった。


 ひとまず甘い物でも食べて、考え直すことにしよう。この村の特産であるヤシ砂糖の小さな塊を、ぽいと口の中に放り込む。舌の上でほろっと溶けて、優しい甘さとコクのある風味が広がっていく。脳にまで糖分が到達して、思考が活性化された気分になってきた。


 ヤシ砂糖と言えば、この村ではオウギヤシから作られているが、サトウヤシから作ることも出来る。オウギヤシは、実を作る雌花と花粉を作る雄花が別々の木に咲くタイプの植物だ。人間と同じく、メスとオスが別個体ということである。一方でサトウヤシは、1本の木に雌花と雄花の両方が存在する。メスの生殖器官と、オスの生殖器官が、別々に、しかし、1個体に存在する……


 なるほど、その線があるか。まとまった新たな考えを、母子のゲノム情報を再び解析して検証する。組み合わせを変えて簡単な比較をするだけなので、時間はほとんどかからない。私はアナライザーから少しずつ出てくる解析結果を瞬時に読み取りながら、全ての結果が揃うのを待った。

 あと2人…………………あと1人………………………………………終わった! この結果から、17人の子供たちは1人の共通した父親を持っていると判断される。

 私は入念な観察をする必要があると判断し、A級諜報員の手配を行った。


 5日後。対象となる7人の女性の内、6人が集まった。近郊の都市であるシェムリアップの医療機関にて、高額の報酬が支払われる上に安全性も高いという設定にした、治験のバイトとしてである。不参加となった1人は、出産のタイミングと重なってしまうため断念していた。なお、カモフラージュとして、無関係である女性も23人があの村から参加している。

 期間は1ヶ月。その間に、彼女たちの調査を済ませなければならない。


 そして、1ヶ月が経った。無事に解明することの出来た、あの村で起こっていた現象は、非常にエレガントな技術によるものであった。

 結果を端的に言うと、彼女たちは、卵巣と精巣を持っている。


 2年前、彼女たちの右の卵巣に、ある処置が施された。卵巣も精巣も、胎児期のある時まではどちらになる能力も備えた、未分化な性腺である。この性腺にまで卵巣の細胞を初期化する何らかの遺伝子、あるいは、その発現によって合成されるRNAかタンパク質が導入されたのだろう。断言を出来ないのは、卵巣のゲノムが改変されていないためだ。遺伝子の導入だとしても、一過性の効果をもたらす手法を用いたと考えられる。


 それに加え、性腺を精巣にする能力のあるSRY遺伝子も導入されたはずだ。これによって、未分化な状態へと戻った卵巣が精巣に変化したものと考えられる。おそらく、他に必要となる因子についても用意されていたはずだ。

 同様にして、卵管間膜がウォルフ管にまで戻された後、精巣から分泌されるテストステロンの作用で、精巣上体へと変わったのだろう。この部位は、精子が成熟するのに重要な場所である。


 これは確実なことだが、彼女たちの精巣には、別人のゲノムを持った精原細胞が含まれていた。おそらく一過性の処置に加えて、精原細胞、もしくはその元になる始原生殖細胞が、卵巣に移植されたのだと考えられる。卵巣が精巣に変わるまでの間は、コラーゲンか何かのカプセル内に封じ込められていたと推測しておく。

 この精原細胞やそれから作られる精子は、母体とは別人の細胞なわけで、つまりは異物である。しかし、精巣の内部はそもそも免疫学的なバリアで守られているため、母体の免疫細胞から攻撃されることは無い。


 卵巣と卵管間膜ともう1つ、別の細胞に変えられているものがあった。それは、卵巣…今は精巣に変わっているが…そのすぐ近くに位置する、卵管膨大部にある分泌細胞だ。この細胞が、精子を活性化するイオンや、精子のエネルギー源になる糖類を分泌する細胞に置き換えられている。

 この一連の仕組みのもと、精巣で作られた精子は精巣上体で成熟した後、活性化を経て元気に泳ぎ始める。そして、彼女たちに残された左の卵巣から放出される、卵子を目指していくというわけだ。


 卵巣と精巣が共存するとなると、血中のテストステロン濃度が高くなり、排卵が抑制されるのではないか、との不安が生じる。ところがこの問題は、精巣のセルトリ細胞がアンドロゲン結合タンパク質を過剰に分泌することでクリアされていた。

 このタンパク質の働きによって、テストステロンの多くは精巣内に繋ぎ止められ、血中の濃度は幾らか高いだけで済んでいる。


 また、精巣が体内に留まるとなると、精巣がガン化するリスクも気になる点だ。通常の精巣は、陰嚢(いんのう)に入った状態で空冷式に温度を下げられていて、その状態で安定している。しかし、精巣がイレギュラーに体内に留まると当然に冷やされはせず、腫瘍を形成する可能性が高くなるのだ。


 この問題に対する対処法は、精巣を体内に留めるタイプの動物を参考にして幾つか考えられる。

 まずは、原始的な哺乳類の様に、低い体温を平熱とする方針。しかし、これは母体を低体温にするので人間では好ましくない。

 イルカの仲間の様に、背や尾のヒレの血管を介して、精巣を間接的に水冷式で冷やす方針もある。これは面白いが、人間では難しいものがある。

 その他の例の様に、高い温度が最適となるよう分子レヴェルで対応させる手もあるが、精巣はいいとしても、精子にその様な遺伝子の改変を行うことは避けたいところだ。生まれてくる男の子の精巣は、陰嚢の中で冷やされるのだから。


 実際に行われた対処法は、実にエクセレントなものだった。まず、彼女たちの精巣は、排卵が起きない状態では著しく小さいサイズ、元のサイズのほぼ100分の1にまで縮小している。これは繁殖期のみ精巣を大きく発達させる、鳥類で見られるメカニズムを応用している。

 女性では排卵に先行して、黄体形成ホルモンが大量に血中へと放出される。それを引き金として精巣が本来の大きさになるようプログラムされていた。


 この仕組みにより、妊娠中は精巣の機能を抑えることでガン化しないように対応しておき、妊娠・出産を終えて排卵が再開したタイミングから、1ヶ月かけて精巣は最大サイズとなる。

 発達した精巣はガン化を避ける更なる調整により、母体の睡眠に反応して精子の形成を進めていく。就寝時には体温が下がるので、ガン化を気にせず安全に作業が出来るというわけだ。


 精巣のサイズと機能に関するこれらの調整については、流石に遺伝子の改変が確認された。細胞の初期化や分化とは違って、1回だけ行えば済むことではないからだ。彼女たちは、健康な体を保って、幾度も幾度も子供を生むことを期待されているのだから。


 それにしても、恐ろしく緻密に練り上げられた手法である。子宮と卵巣、精巣の準備が整い次第、24時間体制で卵管へ射精しているようなものなのだから、どんなに他の男と性交したとしても、受精するのはお腹の中で育てていた精子の方になるだろう。

 一体どこの何者の仕業であるのか、非常に興味が高まっている。この件からは、己の子孫を残すことに対する偏執的なまでの想いがビシビシと伝わってくる。まず間違いなく、精子の元の持ち主が首謀者と考えていいだろう。幸いなことに、ゲノムという物証は山ほどある。いつか会いに行ってみようと計画しながら、私は次の村へと歩みを進めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ