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ばいおろじぃ的な村の奇譚  作者: ノラ博士
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其ノ七 吸血鬼が住み着いている村

 奇妙な村だった。


 ルーマニアのカルパティア山脈に位置する、渓谷の土地。標高も高く、決して人間の住みやすい場所とは言えないが、吸血鬼ドラキュラの伝説が人々をこの地に惹き寄せる。串刺し公として名高いヴラド・ツェペシュの居城を観光する拠点として、周囲にある幾つかの村は、それなりには栄えているようだった。

 その村の1つに吸血鬼が出没するという噂を耳にして、私は調査のために足を運んだ。


 十日夜とおかんやの月が天頂から村を照らす。谷間の斜面に生えた木の上から、私はその景色を見渡していた。吸血鬼がどのタイミングで出るかは、それが夜ということしか予想が出来ない。少なくとも月が満ちるまでの間は観察を続ける意気込みである。

 食料なら、首都ブカレストの市場で調達しておいた、ルーマニア特産であるヒマワリの種と、羊の胃の中で熟成された、羊乳チーズのブルンザ・デ・ブルドゥフがたっぷりとある。


 まだ夜も更けてないからか、村のメインストリートをそこそこに人が歩いている。はしゃぎ具合からして観光客が多いのだろうか。その内の1人が村の外れまで歩いてくる。酔っているらしく足元が多少おぼつかない。赤髪の白人女性、服装も考慮するとスコットランド人だと思われた。

 山間の谷に続く小道は、その女性の白い肌を際立たせるのに十分なほどには、夜の闇色を呈している。しかし私は、視認することが出来た。その中でも更に深く濃い闇が、不規則に状態を変えるモザイクの様にうごめいていることを。


 女性の前方5メートルに見える()()は、人間の形をした黒い塊としか言いようが無い。輪郭は常に動いておりはっきりとは分からないが、身長にして2メートル弱といったところだろうか。

 この女性はその存在にまだ気付いてないらしく、ゆっくりと歩き続けたままだ。そして、あと1メートルで接触しようというタイミングで、ぴたりと足を止めた。


 その次の瞬間、黒い塊の足元から小さな1塊が分裂し、女性の首に飛び付いた。私はもっとよく観察しようと、木からそっと降り、物音を立てないようにして斜面を移動する。対象から7メートル、草の茂みまで近寄れたところで更なる観察を開始した。


 大きな耳と、反り上がった鼻。カミソリの様な鋭さの歯と、それが獲物に与えた傷をすする、溝のある舌。そして手から足、尾にかけては、膜の張られた翼。女性の首にしがみ付く黒い塊は、明らかにチスイコウモリであった。しかし、吸血性のコウモリは中南米でのみ生息が知られている。また、これは体長が20センチメートル以上もあり、この種類としては規格外に大きい。新種になるだろうか。

 人型の方の塊も、ここまで近付いて見ればその正体がよく分かる。こちらはどの個体も常識的なサイズの、約100匹のコウモリの群れであった。小さい魚の群れが大型の魚に見えるよう泳ぐのに似て、人間の形に見えるように羽ばたいていたというわけだ。


 大型の個体、仮にαとでも呼ぶことにしよう。αに血を吸われている女性は、その顔に恐怖の表情を浮かべており、その場から動くことも出来ないようだ。この女性の目は、人型に飛ぶコウモリの群れから一時も離されていない。その構図が10分ほど経過する頃には、αの腹はかなり膨れ上がっていて、目算で400ミリリットルくらいは吸血したものと思われる。元の体重とほぼ同じ重さになるだろう。


 これが限界の量だったのか、αは唐突に血を吸うのを止めて、ゆっくりと大きな翼を広げる。そして、女性の肩を踏み台にして飛び上がると、それを合図として、群れていた小型のコウモリたちも一斉に上空へと羽ばたいた。私はその群れに向かって液状の発信機を浴びせかけてから、女性のところへ駆け寄った。

 空を見上げると、半月よりも幾分か満ちた月をバックにして、コウモリの形をした漆黒が舞い踊っているかの様だった。


 女性の状態が軽い貧血くらいだと確認して、私は気兼ねなく、耳の後ろにある傷口から血液をサンプリングした。早速、成分分析にかけるとする。

 村の方まで女性を送る中、何があったのかを訪ねてみる。精神が少し不安定になっているようで、会話が成立しているとは言えないが、「Dracula」「Vampire」という単語は聞き取れた。どうやら吸血鬼の幻覚を見ていたようだ。これ以上は正確な情報を聞き出せないと判断し、村の入口まで付き添ったところで私はきびすを返した。コウモリの追跡を、早く開始したい。


 発信機のシグナルを頼りにして、村から続く道を北上していく。この方角にあるのは、確かダム湖だったか。国道から細い小道へと抜けて、1キロメートルと少し走ったところで、コウモリたちの行き先が分かった。切り立った崖の様な山の中である。当然ながら、人間の通れる道などは無い。

 この辺りはヒグマが多いことで知られている。また、オオカミの群れに出くわすこともあり気が抜けない。岩壁に生えた低木を利用してボルダリングの要領で登りながらも、細心の注意を払わざるを得なかった。


「ワンワンワン!」


 野犬か。オオカミほどではないが、オオカミに次ぐ脅威だ。統率された群れの中では、1匹1匹が十分に警戒に値する。訓練されていない成人男性など、彼らにとっては狩り効率のいいエサに過ぎない。

 そう一瞬で気を引き締めたのだが、周囲に群れの気配は感じられない。…どうやら、野犬の群れではなく、この小さく可愛らしい、野犬化したマルチプーが1匹だけのようだった。ほっと一安心してその小型犬と眼力で勝負したところ、ほどなくして「クーン」という鳴き声を上げて、その犬は走り去っていった。


 犬が逃げた方向は緩やかな傾斜になっていて、普通に歩くことが出来そうだ。よく見ると階段の成れの果てらしかった。そこより下段は土砂崩れで失われてしまったのだろう。

 千段分くらいを歩いて上り進んだ先には、雰囲気のあり過ぎる城の廃墟が建っていた。ほとんど地上フロアの天井までしか残っておらず、どうにか雨風をしのげるくらいの機能しかなさそうだが。

 近付いて見ると、石やレンガを積み上げた造りになっている。おそらくは、ドラキュラ公が住んでいたとされる、ポエナリ城を小規模にした感じの要塞だったのではないだろうか。


 中に入ると、本当にただの廃墟といった感じである。暗がりをライトで照らしてみても、石の床と壁と天井の他は何も見当たらない。しかし、発信機の信号はこの辺りが一番に強い。あのコウモリたち、ヨーロッパチスイコウモリとでも呼ぶことにするが、彼らの巣は……む、あそこから地下へ行けそうだ。

 部屋の奥に位置する床の、朽ちかけた木の扉を開くと、独特な異臭が充満していた。ヨーロッパチスイコウモリが血液を消化吸収した残りの、(ふん)が放つものだろう。地下へと続く石段を下りていくと、暖かい。彼らの糞が発酵した熱によって、外はもう雪が降ってもおかしくない時期だというのに、その小さな空間だけは室温が20℃近くになっている。


 地上階とは違い、こちらには物が残っていた。いかにもな見た目の棺桶が5つ。それらを左から順に開くことにする。…重い。それもそのはず、棺桶の中は一見すると、人間の白骨死体が納められているだけだが、その蓋の裏には、ヨーロッパチスイコウモリがびっしりと逆さまにぶら下がっていた。

 102匹の小型の個体と、1匹の大きいαから成る群れ。ちょうど先ほど観察していたコウモリたちであった。おとなしいもので、こうして蓋を持ち上げても何も気にしていないようだ。


 さて、詳細な観察の始まりである。ふむ、女性の血を吸っていたαが、仲間たちに吐き戻した血を分け与えている。南米のチスイコウモリでも見られる行動だが、そもそも群れの中の1匹だけが吸血していたという点が特異である。

 1匹だけ大きいαだが、こいつのみが繁殖が可能な女王コウモリ…というわけではなさそうだ。まず生殖器の形からして、このαはオスである。また、小型の個体をオスメス1匹ずつ解剖してみたところ、どちらも成熟した生殖腺を有している。どうやって1匹だけが大型の吸血する係になるのか、とても興味深い。


 私の血液を注射のシリンジで与えてやると、どいつも我先にと群がってきた。しかし、試しに大量のニンニクを食べた後の血液をやったところ、少しだけ口を付けたもののほとんど飲まなかった。吸血鬼がニンニクを嫌うというのは、この辺が元ネタなのかも知れない。

 また、木の杭をかざしてみると、αが凄い勢いで飛び付いてぶら下がってきた。上下に振ったりしたが少しも逃げる様子は無い。(ひつぎ)の中の吸血鬼を、木の杭で心臓を打ち抜いて倒すという話があるが、それはこの習性を利用したものに思える。


 ひとまず確認したいことを試し終えたところで、木の扉の隙間から、別のヨーロッパチスイコウモリの群れが入ってきた。こちらも群れの構成は同じ様なものである。右から2つめの棺の中に、朽ちて空いた穴から次々と入っていく。

 開けてみると、やはり大型の個体が血液を分け与えていた。それを少しだけ採取して、アナライザーにかけてみる。知りたいのは、これも人間の血なのかということだ。それだけなら5分もあれば結果が出る。

 その間に他の3つの棺も調べておく。順に蓋を開いたところ、どれも白骨死体だけでコウモリは見当たらない。ただ、彼らの臭いは強くするので、獲物を求めて周辺の闇夜を飛び回っているのだろう。


 そうこうしていると、アナライザーが解析を終えた。結果はヨーロッパヒグマの血液であった。このコウモリたちにとっては、人間だけでなく、おそらく中型以上の哺乳類はどれもエサになるのだと思われる。

 そして、血を吸われた女性の方の結果も出ていたので確認したところ、血液が凝固するのを防ぐ物質と、テトラヒドロカンナビノール、略称でTHCによく似た成分が検出されていた。THCは大麻にも含まれる幻覚成分であるが、こちらの新種の化合物はそれよりも更に作用が強く、同時に恐怖感を刺激することが解析結果から予想された。

 私は1つの仮説を立て、先ほど解剖したヨーロッパチスイコウモリの唾液の成分分析と、腸内細菌のメタゲノム解析を始めた。


 翌朝。暖かい地下で一晩を過ごし、石の床の上ではあるがぐっすりと眠ることが出来た。ヒマワリの種と、クセの強い羊乳チーズを朝食にする。

 ブルンザ・デ・ブルドゥフは初めて食べたが、羊乳の風味と独特なフレーバーがこの地下室の中ですら鼻を刺激する。その香りに負けず旨味も強いチーズであり、軟らかめのテクスチャーと適度な塩味もあって、口の中を幸せにしてくれる。何かパンでも買っておくべきだった。

 朝食を楽しみながら棺の蓋を少し持ち上げてみると、5つともずっしりと重い。私は全ての群れに発信機をかけ、ひとまずは村まで戻って夜になるのを待つことにした。


 日が暮れて間もなく、発信機の反応が動きだした。ヨーロッパチスイコウモリの狩りの時間が始まったようだ。5つ全ての群れが動いていたが、人間をターゲットにしていそうな、村の近くへと移動しているものを観察することにした。

 その群れは、昨日も村外れで観察したコウモリたちだった。小道の脇に生えた木に止まり、獲物が通りかかるのをじっと待っているようだ。私は道を挟んで反対側の茂みから、彼らが動くのを待つ。


 2時間後、大柄な男性が村の方から歩いてきた。酔ってはいないようだが、夜風にでも当たりに来たのだろうか。

 すると間もなく、ヨーロッパチスイコウモリの群れがその男性の前方13メートルまで飛んできて、人間の形になるよう集まった。彼らの静かな羽ばたきに、男性は気付くことも出来ていないらしい。まあ、無理もない。


 ここからが、最後に観察したかったところである。目の前の事象と、既に得られたデータから現場を実況すると、この様な感じになるだろう。


 小型のコウモリたちが、超音波で歯を振動させている。これにより生じた熱によって、唾液中にTHCによく似た物質が発生する。ちょうど、幻覚活性の低いTHCAが過熱により脱炭酸して、活性の高いTHCに変化するのと同じ様な化学反応だ。

 THCによく似た物質の前駆体は、ヨーロッパチスイコウモリに特有の腸内細菌が、THCA合成酵素に類似した新手のオキシダーゼを触媒に作っている。そのため、このコウモリはアリシンなど抗菌性の物質を含むニンニクを嫌う。


 コウモリの唾液は超音波で加熱されると同時に、同じく超音波によって噴霧される。こうして空気中に放たれた強い幻覚性の物質は、呼吸により獲物の肺に取り込まれて血中へと速やかに移行する。

 THCによく似た物質の血中濃度が十分に高まると、獲物は、暗闇の中に幻覚を見始める。獲物が人間であれば、この土地の伝説がイメージに影響を与え、吸血鬼の姿を見る可能性が高い。


 それを察知したαは獲物の首に飛び乗り、吸血を開始する。幻覚と共に鎮痛の効果を付与されている獲物は、αの鋭利な歯による一瞬の痛みに気付くことも無い。唾液に含まれる物質が血液の凝固を防いで、快適な吸血がスタートする。

 10分ほどで、αは自分の体重と同じくらいの血液を吸い上げる。満腹になったαは獲物から距離をとって、血液を群れの仲間に分配する。吸血性のコウモリは、一般的に優れた代謝能力を持っていることもあり、血中の幻覚性の物質は彼らにはあまり効かない。


 この群れが飛び去った後も発信機は見続けていたが、これ以降は山の方で狩りをしているようだった。ヒグマやオオカミ、野犬などを獲物にしていたのだろう。トータルで5回の狩りを成功させてから、城の廃墟の地下へと戻っていった。巣である棺桶の中で、安心して最後の血液を分配する光景が目に浮かぶ。

 久しぶりに、面白い生態の生物を見ることが出来たなと満足しながら、私は次の村へと歩みを進めた。

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